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厳悟宅を失礼した後、まなは妙と陸也と手を繋ぎ次の目的地へと向かった。妙の行きつけの店は商店街にあるという。その道のりをまなは自分の足で歩いた。昨夜も通った道であるが、妙の背に負われほとんど眠ってしまっていたのでまったく道並みに覚えはなかった。
道の両脇には田んぼと畑と草原が広がり、ポツリポツリと遠くに人家の屋根らしきものや、ところどころに背の高い木がこじんまりと集まっていて、さらにその向こうにはなだらかな山の連なりが望める。
道幅は広い。車が三台はゆうに走れるくらいはある。
だが、舗装がされていないか、されていても荒い舗装で車を走らせるとかなりの振動があることは想像に難くない。
道には街灯らしき鉄柱がところどころにあるのだが、良く見ると、どれにもライトが取り付けられていない。
道はぐねぐねと蛇行していて、まっすぐであればすぐにたどり着けそうに見える場所へもなかなかの時間がかかる。たとえば、妙の家から駅前の商店街まではゆうに二キロはある。通常の道であれば大人の足で三十分はかかる距離だ。妙も、普段はまず歩いてなど行かない。――普通には。
それだけの距離をまなは歩くと言った。家にほとんどこもりきりで過ごしていたまなの足ではとてもではないが歩き切れる距離とは思えない。
だが、妙も陸也もやめておけとは言わなかった。ただ、駄目だと思ったらちゃんとそう言うこと、とまなに約束をさせた。
まなの歩調に合わせて、ゆっくりゆっくり三人は歩いた。のんびりと、蝶が飛んでゆくのを眺めたり、歩道の真ん中にでんと鎮座ましましたカエルに挨拶をしたり、橋から下を流れる小川のせせらぎに耳を傾けたり、まなの頭に止まったテントウ虫が飛んで行くのを待ってみたり、そんな風にし一時間以上もかけながらそれでもまなは駅前商店街まで歩き切った。
けれど、そこまでで限界だった。商店街に一歩足を踏み入れた途端、まなはへたりとひざを折った。妙も陸也も驚いたが、二人以上にまな自身が驚いていた。
立ち上がろうと両手を地面について、力を込めるが、足は一向に立ってくれない。まるで言うことを聞かない自分の足に、まなはただただ目をしばたたかせた。
「少し休ませてほしいって、足が言ってるのさ」
「歩き切ったんだから凄いよ」
陸也はまなの足から靴を脱がせさらに靴下も脱がせる。
「ああ。足の裏ぱんぱん。熱も持ってるね。痛かったんでしょ?」
問われ、まなは首を左右に振った。歩いている最中は本当に楽しくて、痛みなどほんの少しも感じていなかった。
「本当に?」
「うん」
「興奮させすぎたかねえ」
「ああ、アドレナリン出過ぎて麻痺してる可能性はあるね」
「靴ずれは?」
「それは大丈夫。でも靴は脱がしておいた方が良さそうだ。こんなに足が腫れてたら窮屈なだけだよ」
まなの靴を陸也に預け、妙はまなの足の様子を確認する。
「挨拶がてら、湿布を買わないとね」
「どこかでマッサージしてあげた方がいい」
「それなら『茶gama』が良いだろう」
「先に行く?」
「ちやこさん、ごあいさつ、する」
まなにしては珍しく、少々大きな声を出した。自分でも思っていたより大きな声だったらしく、まなは口に手を当てた。
「足、大丈夫なのかい?」
「ごあいさつは後でも大丈夫なんだよ?」
「……」
妙と陸也は顔を見合わせ、
「そうかい。じゃあ、ごあいさつに行こうか」
「ただし、ここからは抱っこだからね」
「うん」
まなは妙に向け、両手を広げた。
「僕が」
「大丈夫だよ。まなは軽い。靴、頼むよ」
「はい」
陸也は大人しく引き下がり、脱がせたまなの靴を片手に妙の後をついて歩いた。
まなは、昼間の商店街が昨日の夜見た雰囲気とまるで違っていることに目を丸くした。昨夜見た、普通ではない売り物も人々もどこにもなかった。
まなが見たことのあるごく当たり前の風景。客を相手にする店員も、店先で立ち話をしている女性たちも、軒に並べられている商品も、角も牙もなければ勝手に動き回って逃げ出したりもしていない。
「あれえ」
「どうしたね」
「ちがう?」
「ん? 違わないよ。千夜子さんのお店がある商店街さ」
「昼のうちはこんなもんなんだ。昼は活動できない人たちも多いんだけど、そうじゃない人たちも明るいうちはこういったふうが過ごしやすいんだって」
「ふうん?」
「まあ、夕方以降の方があやしい事には違いないが、ちゃんとしきたりを守っていれば危険なことはないさ」
「そのしきたりだって、よっぽどの所じゃなきゃ大事にはいたらないしね。でも、駄目って言われたことはしちゃダメだよ。怖いことがあるからね」
「はい」
「良い子だ」
商店街を少行ったたところで、買い物途中の三人の女性が妙に気付き陽気に声をかけてきた。
「あらあ。妙ちゃん。いつ子供産んだのよ」
「違うよ。でも、うちで暮らすことになったからよろしく頼むよ。その挨拶に連れてきたんだ」
「どこの竹林から拾ってきたの」
「陸也、あんたあんまりのんびりしてるから、妙ちゃん、一人で子持ちになっちゃったじゃないのよ」
「いやあ、耳が痛い」
「育てるのは良いけど食べではなさそうねえ」
「そういうあれなの? 竈に突き飛ばされないよう気をつけてよ」
「食べる気はないさ。が、マサカリを担ぐとまではいかなくとも平均くらいにはたくましく育ってほしいねえ」
「あら。瓜子姫かかぐや姫なのかと思ったわ」
「可愛いものねえ。お洋服も可愛いわねえ」
「妙ちゃんにこう言う服を着せるセンスがあるとは知らなかったわ」
「それはどちらかと言うと陸也のセンスだね」
「ああ、納得」
「納得なんですか」
「男の方が女の子に夢見がちだもの」
「ほれ、まな。ごあいさつは」
女性たちの口をはさませる余裕のない会話の応酬におろおろとしていたまなは、妙の一言でやっと間に入ることを許された。
「ま、まなです。は、じ、め、まし、て」
「まあ、ちゃんとご挨拶しておりこうね」
「いくつですか?」
「ふたつ……みっつ?」
「三つだよ。この三月に三つになったばかり」
「三つにしては小さいわねえ。妙ちゃん、これからしかっり食べさせないと」
「それとも良い薬調合しようか」
「だめだめ。まだまだ成長の余地があるんだから。ちゃんと食べさせて遊ばせて寝かせれば十分よ」
「それもそうねえ」
「これから成長していくのが楽しみね」
「人の子はすぐに成長するものねえ」
「私たち、良くこの商店街に買い物に来てるから、何か困ったことがあったら何でも言ってちょうだい」
「まなちゃんなら、妙ちゃんの顔を立てて特別に無料ご奉仕してあげるから」
「妙ちゃんには借りがあるもの。借りが大きくなりすぎてしっぺ返しが来る前に少しでも返しておきたいわ」
「ちょいちょいここに顔を出すだろうから、よろしく頼むよ」
「まかせてちょうだい」
そう言って、女性たちはまなにお近づきのしるしだと買い物かごからめいめいの物を取り出した。
「これは張り薬よ。どうやら足が腫れてるみたいね。奇麗に足を洗ってこれを貼って。すぐに楽になるわ」
「これは傷薬。子供はすぐに怪我をするから。傷口を洗ってから塗るのよ」
「これは消毒薬。水がない時、これを傷口に貼って三つ数えてから剥がせば洗ったように奇麗になるから」
それぞれ薬をまなに手渡すと、じゃあまたね、と三人はあっさり行ってしまった。
「あー」
「どうした」
「おなまえ」
聞くタイミングが全くないまま三人は行ってしまった。
「ああ。でも、聞いても教えてくれないよ。そう言う人たちだ。好きに呼び名をつけておあげ。みな、そうしてる」
「そうなの?」
「そうなんだよ」
まなに渡された三種の薬を陸也へ持たせ、
「湿布を買わずにすんだ。これは良く効くよ」
「さ、この調子で挨拶を済ませよう。早く足に薬を貼ってあげたいし、お腹も空いてきたしね」