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まなと常若町の妖草紙  作者: 真鍋はじめ
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5

 その家は妙の家よりずっと古い家だった。コンクリート製の低い塀は途中から生垣になり、家の周りを大きくぐるりと取り巻いている。門扉はない。

 平屋の一戸建てで瓦屋根、玄関は木枠にすりガラスの引き戸。古めかしくはあるが、手入れが行き届いているのかくたびれた感じはさせていない。

 妙が玄関の呼び鈴を押すとびゃーっとやや間の抜けたけれど盛大な音が響いた。が、家の中から反応はない。

「留守かな?」

 もう一度妙が呼び鈴を押している時、まなの目に、足元に転がる小さな赤い色の丸いものが映り込んだ。まなの小指の爪ほどに小さなそれは、妙にまなの目を引いた。しばし見つめ、パッとまなは赤い粒を掴んだ。良く見ると赤い粒はただの粒ではなかったのだ。

「たえさん」

 呼び鈴に返事がなくどうしたものかと首を傾げている妙に、まなは拾った赤い粒を見せた。

「なんだい」

「わんわ」

「え?」

 まなの手に乗せられた小さな粒に、妙は顔を寄せた。

「ああ。まな、これは犬じゃないよ」

 妙に、ピンっと軽く人差し指で弾かれた赤い粒は、まなの手のひらでころんと転がると、まなの手に余るほどの大きさにまでなり、姿形さえ変えた。ふわふわとした感触がまなの手に伝わる。

「まなちゃん、これ、狸だよ。まだ子供だ」

「たぬき」

 まなには初めて聞く名前だった。

 妙は、まなの手の上であおむけに転がったまま動かない子狸の首を持ってひょいと摘まみ上げた。

「脅かそうとして化けてたんだろう、こら」

 妙がねめつけると、子狸は観念したように妙に目を向けた。

「まなちゃん、よく気づいたね」

「みえた」

 まなには見えたのだ。赤い粒をじっと見ていたら赤い粒の中にいる子狸が。

「たいしたもんだ」

 そう言って、妙は子狸をまなに返してくれた。子狸はおとなしくまなの腕に抱かれる。

「たぬき、さん。こん、に、ち、は」

 柔らかな感触を楽しみながら、まなは子狸に挨拶をした。子狸は目の周りの毛並みのせいでしょげて見える顔を、さらにしょげさせる。変化を一目で見破られたのがショックだったのだろう。

「かわいー」

 そんな表情も、まなにはかわいいものでしかなかったが。

 おーい、と男の声が遠く聞こえた。陸也が頭を巡らす。

「妙さん、裏の畑みたいだ」

「だね」

 二人は、当然のように家の裏手にずんずんと回って行った。まなも子狸を抱いたまま、それに倣った。 家の横を抜け裏手に出ると畑が広がっていた。その中に、首にタオルをかけつばの広い麦わら帽子をかぶった年配の男が一人、妙達に手を振った。

「厳悟さんてば、精が出るね」

 畑から出てきた男は、顔の汗をタオルでぬぐいながら、

「この前の雨で一気に雑草が勢いづいたからな。うかうかしとれん」

 顔をぬぐったのとは反対の手には、雑草が詰め込まれたごみ袋が。

「邪魔して悪いね。この子を紹介させて貰おうと思ってね。一緒に暮らすことになった」

 男は六十がらみ。短く刈り込まれた胡麻塩頭。妙よりも頭二つ近く背が低く、けれど妙の倍ほどはあるがっちりとした体格。太い眉根を不機嫌そうに寄せ、口をへの字にぐっと結んだ、どこからどう見ても小さな子供には懐かれにくい、むしろ目があった途端に泣かれてしまう、そんな容姿だ。

「まな。ご挨拶は?」

「あ、うん」

 まなは、妙と陸也から一歩前に出ると厳悟の顔を一旦しっかり見てから教わったように頭を下げた。腕の中に子狸はそのままに。

「こ、こんにちは。あれ? おは、よーございま、す?」

 挨拶の言葉に悩んでいると、厳悟の大きく分厚い手がぼす、っと音を立てまなの頭におかれた。

「どっちも間違ってないな。挨拶が出来て良い子だ」

 そう言って、まなの頭を豪快になでる。

「あ、りがとーござい、ます」

「お礼が言えるのも良い子だ」

 感慨深げにしながら厳悟は、まなの頭を撫で続ける。まなは頭を揺られすぎ、すこし目が回りだした。

「はは、まなちゃん大物だねえ。厳悟さんと初対面で泣かないどころか怖がらない子供、初めて見たよ」

「うちの孫以外で、初めてだ」

「そりゃ快挙だ。大したもんだね、まな」

「まな、と言うのか」

「うん?」

「ちゃんと儂の顔を見てから挨拶をしたな」

「ん? うん」

「良いことだ。とても大切なことだ。大きくなってもそう出来るようにいなさい」

 厳悟がゆっくりと丁寧に言ったその言葉は、じんわりとまなの頭の中に溶けていき胸の内まで流れ温かいものになって広がった。

 まなは、まっすぐに厳悟を見返し

「はい」

 まなの返事に、ずっとへの字を作っていた厳悟の口がくっと持ちあがった。寄せられた眉間の皺がゆるむ。

「良い子だ」

 言葉と共に向けられた厳悟の笑顔はやはり少し怖かったが、それ以上にとても温かいものだった。


 厳悟に茶を勧められ、三人は縁側で頂くことにした。

「その狸はどうした」

 薬缶にたっぷりと入った温かい麦茶を湯呑茶碗になみなみと注ぎ三人に渡しながら厳悟が聞いた。

「脅かそうと小豆に化けてたのをまなに見つかったんだよ」

「ほう」

 しかめた顔はそのままに、厳悟が感心した声をあげる。

 当のまなは、茶うけに出された金平糖に夢中だ。色どりの華やかさにまなは目を輝かせしばらく眺めるに留めていたが、思い切ったように一つつまみ口に含んだ。素朴な甘みが口の中にふわりと広がり、小さな金平糖はすぐに溶けて消えた。

 子狸がそれをうらやましそうに眺めている。

「たぬきさん、こんぺーとー、たべる?」

 狸が嬉しそうにまなの腕の中で動いた。

「たえさん」

「あげていいよ。普通の狸にはだめだけどね」

「ふつー?」

「化けない狸の事だよ」

「ふうん?」

 まなは、顔を下げた。手の中の子狸を見ているように見えたが、実際はさらにその下を見ていた。

「この、たぬきさんも、いいの?」

「この?」

 陸也が返したと同時に、縁側の下からわらわらと複数の狸が姿を現した。

「おぉう」

「細かいのがいると思ったら全部狸かい」

 感心したように、呆れたように妙が言う。厳悟が苦笑した。

「雑草取りを手伝わせようと昨日声をかけてあってな」

 狸たちは、金平糖を得ようとまなに纏わりついた。まなの足に前足をかけ、せかす者もいる。

「よく気づいたな」

「みえた」

 答えながら、まなは一匹に一粒ずつ金平糖を与えていく。ちゃんと一匹ずつ見分けているようで、二個目を得ようとする狸はうまくかわしていた。最後に腕の中にいた子狸に金平糖を与えて、腕の中から解放した。それを機に、狸たちは畑へと姿を消した。

 一仕事終えたまなは、再び金平糖を口に運ぶ。口に運ぶたびに惜しむように残った金平糖を見つめては、それでもまた口に運んで行く姿を妙はほほえましく眺めていた。

「今時の子にゃあ喜ばれないかと思ったがな」

「まなは可愛いものや奇麗な物が好きみたいでね」

「それでその格好かい」

「まなちゃんが自分で選びはしたけどね。半分くらいは僕のお仕着せ」

「似合っちゃあいるが、遊びまわるにゃあ向かないだろう」

「そうだよねえ、やっぱり。まなは大人しいが、子供は遊びまわって泥だらけになってなんぼだよねえ」

「今日び、そっちの方が珍しい気もするけど。でも、まなちゃんが泥だらけってあんまり想像できないね」

 それは妙も同じだった。まだまなとは一日程度しか一緒にいなくとも、まながインドア派であることは理解していた。

「ほっときゃあ一日、家で庭を眺めて終わっちまいそうだものね。連れ出しゃそれなりに外でも遊ぶんだろうが。私もそう子供の遊び相手がうまいわけではないし。陸也、あんたは?」

「僕は得意ですよ。でも、泥だらけって言うならやっぱり同年代の子と意味不明な冒険ごっことかが一番なんじゃない?」

「今、この町にいたかねえ。見た目も中身もまな程度の奴」

「――明日」

 妙に麦茶のお代わりを注ぎながら厳悟がぼそりと口をはさむ。

「明日、孫が来る」

「お孫さん? 話には聞いたことがあるけど来たことはあったかい?」

「ない。今まではこちらから会いに行っていた。どうも孫は外になじめんようで。しばらく常若で暮らさせることにした。四つになる」

「四つ! まなちゃんと同じ年頃だ」

「わんぱくでな。まあ確実にまなを連れまわして振り回すことになるだろうが、それでも良いなら明日、連れていく」

「願ったりだよ」

 大人しく金平糖を食べていたまなは、ちゃんと話に耳を傾けていた。話の内容は半分も分らなかったが、自分の名前が何度も出てきたので自分の事を話しているのだろうことだけは分った。大人たちが楽しそうに話しているのできっと良いことなのだろうとまなは思い、それだけで自分も楽しい気分になった。昨日からまなはそんな風に楽しい気持ちばかりだ。なんだか変わった町も、変わった人たちも、魔法の紙袋も、狸も、千夜子も、陸也も、厳悟も、何もかも。秘密の花畑で一人遊んでいた時よりもずっとずっと楽しい。

 だが。

 ふと、まなの脳裏を掠めた人影。とたん、まなの思考と動きが止まる。息を詰め、身を固くしたまなだが頬を掠めた風と風が運んできた土と草の香りに戒めを解かれた。

 数少なくなった金平糖をまたひとつ、口へ運ぶ。ほのかな甘みは、じんわりとまなの体全体を優しくほぐした。

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