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まなと常若町の妖草紙  作者: 真鍋はじめ
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 妙に手を引かれ降り立ったそこは、とても平たい風景が広がっていた。とにかく高い建物が一切なかった。

 目に見える範囲で一番高い建物は三階建てだ。駅前の商店街らしい通りの向こうには緑が広がっており、建物もちらりほらりと点在するだけで、まったく密集していない。建物の白や灰と言った色よりも木々の緑や土の色、広い空の青のほうが圧倒的に広い面積を占めている。

「ここが常若町だよ。これからまなはここで生活するんだ」

「とこ、わか、ちょう」

「そう。まなには、結構楽しめる町だと思うよ」

 そう言って、妙はニヤリと笑った。

「ま、今日のところは時間も時間だ。夕飯を食べて、帰っちまおう。お腹、減ったろう」

「うん」

「よしよし。じゃあ、行きますか」

「うん」

 黄昏が幕を垂れる中、ポツリポツリと灯された仄明るい燈明に彩られる街並みへ、妙はまなの手を引きいざなった。

 商店街は、煌々と白々しく闇を退ける明かりではなく、これから訪れる夜の静けさを迎合するような、つつましくそれでいて温かみのある明かりに包まれていた。少し明りから外れてしまえば、明かりのない場所よりもなお暗い影が覆っている。

 だが、その影もどこか温かさをたたえた柔らかな影だ。ゆらゆらと空気に滲むような明かりに目を奪われながら、まなは妙に付いて行った。

 変わった商店街であった。

 あまり多くを知らないまなではあったが、この商店街が、常若町行きの電車のように少々普通ではないことは、なんとなく分かった。

夕暮れ時で人があふれる商店街には、耳慣れない言葉と見慣れない姿形が混じっている。見慣れた姿に見えても、地に伸びた影がまるで違う形をしていたりする。口元が前に大きく突き出していたり、尻尾が揺れていたり、頭に角のようなものがあったり。妙やまなのように、体と影が一致していることのほうが少ないようだ。

 店で扱っているものも、なんだか変わっている。

 花屋と思しき店には、まなも知る花のほかに奇妙な形をした苗が鉢で並べられている。まなでは抱えきれないほどの大きさの鉢が三つも四つも並べられ、そこにはたえほどの背の高さのものが植わっていた。当然植物なのだろうが、全体が緑のそれは、どう見ても人の形をしていた。ゆらゆらと頼りなく鉢の中で揺れる緑の人型は、右手に見える部分を軽く前に出していて、全体が揺れるだにまるで手招きをしているようにその部分が上下に揺れた。

 店の入り口に張られた紙には「ヒトニグサ入荷しました」と書かれている。

 八百屋の店先にも、赤ん坊に似た塊が篭に載せられており、札には、「人参果、時価」と。

 どちらもまなには読めなかったが。

 雑貨屋の軒先に吊るされた鳥駕籠は一見何も入っていないのに地に落ちた影には蝶のような羽を背負った小さな人が中に入りこんでいるし、飲み屋の赤提灯は人が通りかかるのを見定めて襟首にひっかかり店に寄らせようとしているし、総菜屋の店頭でぐつぐつ煮込まれている寸胴鍋の中では真っ赤に茹った小魚が元気に跳ねた。

 どうにもこうにも奇妙だった。

まなは途中、店を眺めるのに夢中になるあまり足が止まりかけたりもしたが、妙は咎めることなく、まなの良いように、けれど危ないことのないよう様子を見ながら、歩みの速度を緩めてくれていた。

 商店街を半ばほど過ぎた所で妙が足をとめた。

「ここで食べるとするか」

 掲げられた白い看板に墨で太く「百楽食堂」と書かれたその店からは、揚げ物の香ばしいにおいが漂っている。

「揚げ物好きかい?」

「すき」

「なら決まりだ」

 妙は颯爽と暖簾を払い、古めかしい木枠のガラス戸を引き開けた。古さに見合った音を立て、戸が開くと

「いらっしゃいっ。あら、妙ちゃん」

 明るく、親しみやすい声がかけられ、割烹着姿にひっつめ髪、ふくよかで柔和な雰囲気の五十がらみの女性がにこにこと妙とまなを出迎えてくれた。

「こんばんは、千夜子(ちやこ)さん」

 温かい空気と、少しばかりの喧騒が店内に満ちている。店内は七割程度埋まっており、男の客が多いようだった。

「空いてる席へどうぞ。ん? あらあら、可愛いお連れじゃないの」

「今日から一緒に暮らすんだ。まなと言う。いろいろ教えてやって。まな。こちら、千夜子さん」

 妙の後ろに隠れるようにしていたまなを、妙はそっと前に押しやった。押されるままにおずおずと、まなは千夜子の前に出る。

「こんばんは」

 千夜子は体をかがめ、まあるい顔にいっぱいの笑顔でまなを見た。

「こ、こん、あん、あ」

「おや、お利口さん!」

 正しく言葉にできなかったまなを、千夜子はまるで気付かなかったように褒めた。

「千夜子さん。申し訳ないが、この子、ちょっと見てやってくれないか」

「構わないよ。どれ、ちょっと拝見」

 ふくふくとした両手でまなの顔に触れ、目を覗き込み、頭を撫で、口を開けさせ舌を観察し、くるりとその場でまなを一回転させ、頭のてっぺんから肩、お腹、背中、お尻、腿、ふくらはぎ、足首までをポンポンポンと埃を払うような軽さで触れた。

 なすがままになっていたまなは、呆然とした様子だ。

「どうです?」

まなの前にしゃがみこんだ千夜子は、訊ねる妙ににっこりと笑う。

「大丈夫。ちょっとばっかしやせっぽちだけど、なあに、すぐにころころと相応に肥えてくるって」

 毎日うちの店に食べに来てれば三日でこの通りさ、と己の腹を叩き、千夜子はおおらかに笑い声をあげた。

「そうかい、良かった」

「さ、そうとなればさっそくたくさん食べなくちゃ。なんにする?」

「ミックスフライ定食の大盛り一つ。この子と分けて食べるから取り皿付けてくれるかい?」

「良ければ、まなちゃん用に好きな物で小盛り作るよ?」

「まな自身が自分の好き嫌いを良く分かってないんだよ」

「あらあら。了解。ミックスフライ定食、大盛り一丁ーっ」

「はいよ」

 千夜子が威勢よく注文を唱えると、店の奥の暖簾の向こうから男の声が返ってきた。どうやら、暖簾の向こうが厨房らしい。

 適当に空いているテーブルを妙が選ぶと、千夜子はどこからか子供用の背の高い椅子を持ち出してきて、備え付けの椅子と入れ替えてくれた。

「ああ、ありがとう。この店、そんな椅子あったんだねえ」

 そう妙が言うと、水を二つ置きながら千夜子は笑って、

「うちも小さい子や小さい人が結構お客さんで来てくれるから」

「それもそうか。まな、ここにお座り」

「うん」

 小さい子と小さい人の違いを疑問に思いながら、まなは言われたままに椅子によじ登る。妙も千夜子もすぐ傍でまなのやり様を注意深く見ているが、手を出しては来ない。たどたどしくも、なんとかかんとかまなは椅子に腰を落ち着けた。

 それを見届けて千夜子はほっと息を付くと厨房へ戻り、妙は満足そうにニヤリと笑いまなの隣の椅子を引いた。

 てっきり向かい合わせに座るのだとまなは思っていたので、いささか不思議な気分で隣に座った妙を見た。椅子の背が高いおかげで、まなと妙の目線がずいぶんと近い。まなはそれがなんだか嬉しかった。

 ほどなくして、千夜子が揚げたてのフライと千切りキャベツ、ポテトサラダが乗せられた大皿を運んできた。他に、きんぴらとミツバのおひたしの小鉢、ご飯とわかめの味噌汁が付いている。

「たくさん食べてね」

 千夜子にそう言われ、目の前の料理に目を輝かせていたまなは大皿に手を伸ばした。――文字通りに。

「これこれこれこれ」

 伸ばした手を、慌てて妙が制すとまなはぽかんと妙を見返した。なぜ、手を止められたのか全く分かっていない。

「素手で掴もうとする子があるかい。箸かフォークを使いな」

「ん?」

「これが箸、こっちがフォークだよ。使ったことないのかい?」

 妙が手元に置かれていた子供用の箸とフォークを指し示すと、まなは首を傾げた。

「手で食べていいものもあるけどね、大概はこういった物を使って食事をするんだよ。少しずつ慣れておいで。ほら。手を貸して御覧」

 妙はまなの手にフォークを握らせ、

「これは、こうやって」

 まなの手に自分の手を添え、海老フライにフォークを突きたてさせた。フォークに刺さった海老フライをまなは目を丸くして眺めている。

「で、口に運ぶんだよ。ほら」

 口元に持ってこられた海老フライをじっと見つめて、意を決したようにかじりついた。

――フォークごと。

 がちっとにぶ目の音がして、まなは眉をしかめた。

「大丈夫かい?」

 うなずき、今度はフォークをかまないように咀嚼する。揚げたての衣がサクサクと口の中で音を立てた。

「刺したものを口に入れたらフォークはいつまでも咥えてちゃ駄目だよ。箸もね。お行儀が良くない」

「お、ぎょーぎ」

「そう。口にものを入れたまま喋るのも駄目。ちゃんと飲み込んでからにしな。分ったかい?」

 言われて、まなは慌てて口を閉じ大きく頭を上下に振った。

「適当に切り分けるから食べたい物をお食べ。ただし、この野菜は残さず食べるんだよ」

 妙はまなの取り皿にきんぴらなどを少しずつ盛り付けていく。盛り付けられたそばから、まなはきんぴらに手を出した。

 最初はうまくフォークに刺せずにいたが、少し考え、刺すことは止め、引っかけて掬うことに成功した。ささやかな達成感と共にきんぴらを頬張ると、甘みと香ばしさが口の中に広がった。

「どうしても食べられなかったらそうお言い。好き嫌いは良くないが、食べることが楽しくなくなるのも良くないからね」

「お、いし」

「もう少し食べるかい?」

「うん」

 元気に返事をしたのと同時。まなの左手が水の入ったコップに当たり、カタンと軽い音と共に転げたコップからこぼれた水がテーブルに広がった。

「ああ、やっちまった。千夜子さん、布巾くれるかい」

「はいはい。おお、大洪水だ」

「悪いねえ」

「ははは、小さい子には良くあることだよ。水だったら可愛いもんだ」

 千夜子はテキパキと手際良くテーブルの水を拭き取り、倒れたコップを起こすと新しく水を注いだ。

「まなちゃん、濡れてないかい? ……まなちゃん?」

 呼ばれてもまなは返事をしなかった。目を見開き、コップを倒した時のまままるで凍りついたように固まっている。

「まな。どうした」

 妙が声をかけると、まなの体が大きく跳ねた。

「まな?」

「ごっ……」

「ん?」

「ご、め、んな、さ、い」

 堅い声でたどたどしく言葉を紡ぐまなの目は、テーブルに向けられたまませわしなく動き回わり、硬直していた体が今は小刻みに震え、浅く短い呼吸の音が漏れている。まなは激しく動揺していた。

「ご、めん、な、さい」

「……ああ。手が当たるようなとこにコップを置いてたあたしも悪い。お互いさまで、次から気をつけよう」

「ごめん、な、さい」

「もういいよ」

 まなの目が、ぎこちなく妙に向く。目にはまだ動揺の色が濃く滲んでおり、妙の様子を窺う気配も感じられた。

「あ……、う……」

「もういいから、お食べ」

「……」

「食べたくなくなっちまったかい?」

 問いかけに、全身で否定するまなだが、フライが盛り付けられた皿と妙を何度も何度も交互に見るばかりで、どうした訳か一向に手を伸ばす様子はない。しばらくはまなが食べだすのをじっと待っていた妙だが、このままでは埒が明かないと悟ったのか行動に出た。

「フライは熱いうちがうまいんだよ」

 まな用に切り分けたメンチカツをさらに小さく切り分け、箸でまなの口元へ運ぶ。

「ほれ、あーん」

 言いながら妙は大きく口をあけてみせる。まなはためらいがちに妙を真似、口をあけた。雛鳥よろしくあけられた口に、妙はメンチカツを放り込んだ。

 反射的に口を閉じたまなは、口の中のものをどうしたものか考えたものの、口に放り込むだけ放り込んで何事もなかったように隣で食事を再開する妙に習いゆっくりと咀嚼し始めた。口に広がるメンチカツの味に、色を失っていたまなの表情が緩んだ。口の中のものを飲み下すと、まなは恐る恐る妙のシャツを引いた。

「た、べて、も、い?」

「お食べ」

 簡素な答えにまなはまだ少し迷い、それでももう一度自分からフライに手を伸ばした。妙は自分の食事を進めながら、最初よりもずっと慎重に食べ進めるまなの姿を、横目に何度も何度も確かめた。


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