1 マリー女史。山を越え、森を抜け、盗賊を一日《いちじつ》の師とす
マルローネが聳える不帰山を越えた先、断絶領域と呼ばれる未踏の地で初めて遭遇した「人」は、どうやら盗賊の類であった。
山脈の麓の森をさ迷い抜け、ようやっと道に行きあたったところで、ばったりと男三人と出くわした。抜き身の刃をちらつかせる男達は笑ってこそいるものの、友好的な空気は全く感じられない。
いささかならず残念に思うが、今後を考えればこれは幸運な出会いであるかもしれぬと彼女は思い直した。
老女一人と見てか特に用心することもなく男達が近付いて来る。周囲には他に人の気配はなかったが、念のため、彼女は振り向き逃げ出してみせた。背後から追いかけてくるだけで、回り込んで現れる者はやはり居ない。マルローネは追いつかれ諦めた風を装って足を止め、背嚢を地面に落とした。
先頭に居た男が彼女に理解できない言葉で怒鳴り散らし、怯えて萎縮した様子の彼女に刃物ではなく、手を伸ばす。
「二人は要るか」
そう零した彼女の言葉もまた、男には理解できなかったようで怪訝な表情を作るが、その顔は彼の腕を掻い潜って奔った拳に顎を打ち抜かれて醜く歪んだ。
脳を揺すられ堪らず膝をつく男の横を駆け、袖口から落としたナイフを握りこみマルローネは次の獲物に肉薄する。慌ててそいつは剣を振るが、既に懐に居た彼女は男の脇腹に苦も無く刃を突き立てた。
マルローネは叫ぶ男に更に刃を押し込むようにして突き飛ばすと、最後の一人に対峙する。盗賊は大きく叫んで、剣を振りかぶった。力任せに落ちてくるだけのそれから一歩横にずれ交わし、彼女は外套を翻す。縁に刃でも仕込んであったのか、盗賊の手の甲が骨まで切り裂かれた。
剣を取り落として傷ついた手を抱え込んで喚く盗賊の頭部を蹴り飛ばし、持ち主の方を剣から遠ざけるとそれを拾う。腹のナイフを引き抜き傷口を押さえて蹲る男の背に、拾った凶器を再び突き立てた。
残った一人を見れば、未だふらつく足で立ち上がりはしたものの、歯向うも逃げるも無駄だと諦めたのか獲物を手放し、両手を開いてこちらに向けている。マルローネはそんな男に頷いて正面に立ち、つま先で腹を蹴り上げた。胃の中のものをぶちまける男の背後に回って押し倒し、腰に何本も巻かれた細紐を使って両手両足を縛る。足の方は歩ける用に余裕をもたせた。手の甲を切り付けた方の男にも同じようにする。
それから彼女は彼らの剣で彼らを脅し、指をさして死体を森の中に運ぶように示した。二人が仲間を引き摺って森に入る間に、背嚢を拾い、血の跡を足でならしたりして簡易な隠蔽を施す。
森の中から道を窺える位置に落ち着くと、盗賊達に尋問を始めたが、彼らにとっては最悪の時間だったろう。何せ互いに言葉が解らない。身振り手振りでの質疑応答となったが、質問に応えられなかったり、またマルローネが理解出来なかったりした場合、彼女は折った枝を鞭として容赦無く男たちを打擲した。
数刻が経ち、マルローネは数字や幾つかの単語を彼らから学び、彼らの仲間が近くに後八人居ることを聞き出した。一人が手の出血からか満足に応えなくなったため、彼女はもう一人に彼らのねぐらまで案内させることにする。残す男をそこらの蔦を使って木に縛り上げ、細紐を回収した。運が良ければ誰かに見つけて貰えるのではなかろうか。悪ければ息のあるうちに獣に見つかるだろうが。
男に案内させ進んだ森の中で、彼女は愉悦交じりの複数の怒声と悲鳴を聞いた。
先を歩く男に駆け出す気配を感じた彼女は、躊躇なく手にしていたナイフを掬い上げるように投擲する。男の首筋に刃は過たず埋まった。男が倒れるまでに多少声を出されたが、先の集団の様子に変化はない。
逃げ出そうとしたということは、叫んでいる連中は盗賊仲間だったのだろう。
血を浴びないよう凶器を引き抜き、男の服で拭った。そして彼女は声のする方へと木々の陰を渡って行く。
追いついてみれば、息も絶え絶えといった態で逃げる変わった服装の少年と、彼を囃し脅して囲む男達が五人。男のうち誰かが叫べば、少年は露骨に怯え逃げる向きを変える。それが嗜虐心を刺激するのか、簡単に捕らえることも出来るだろうに男たちは少年を追い立てていた。
限界が来たのか、少年は足をもつれさせ転ぶ。振り向き、迫る男たちから逃れるため座位のまま後退るが、直ぐに木を背にしてしまった。
一人が少年へと近づくと、少年はやみくもに両手両足を振るって阻止しようとするが、男に頬を殴られ押し黙った。男は大きく笑うと下履きを脱ぎ、一物を晒す。そしてあっけにとられる少年へと覆い被さった。何をされるのか理解した少年が再び抵抗するが、膂力の差がどうにもならない。周囲の男達はその様子を見て楽し気に笑った。
マルローネは全員の注意が少年と変態に集中するのを待って動くつもりだったが、少年の拒絶の声を聴いてすぐさま助けに入ることにした。