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 がちゃりと音がして、診療所の戸が閉まった。オルダーが玄関から出たのだ。何かをするわけでもなく、口を半開きにして、ただその場に突っ立っていた。辺りは街灯の光がちらついていて、ひっそりと静まり返っている。ここにはオルダーがたった一人いるだけだった。



 そのままでいると、やはりと言うべきか、オルダーの頭の中には、ニコのことが走馬灯のように浮かんできた。昨日までの自分に対する視線、声、距離感……。すべては過去のものになってしまったのだ。



「うう……あああ……」



 オルダーの目から涙が止めなくあふれ出てきた。今感じられるのは、今までの人生で味わったことのない程の喪失感と悲しみだけだった。それらにどう対処すればよいのか、見当もつかなかった。



「お前はもう、俺を兄さんとは呼んでくれないのか……?」



 いや、一つだけついたのだ。



 オルダーはオブリビオンを自身の心臓の位置に強く押し当てた。どくりどくりと、一定周期で脈を刻んでいるのを感じた。現実から目を背けるために、引き金を引――



「この愚か者がー!」



 ――けなかった。なぜならば、オルダーは頬を殴り飛ばされたからだ。突如としてそこに現れた人物によって。



 オルダーの体は何度か地面を転がった後、仰向けになって止まった。全身、特に頬の痛みに耐えながらも、自分が元いた方向に目を向けた。



 第一印象は『黒』。真っ黒な髪を腰まで伸ばし、これまた真っ黒なドレスで全身を覆っている少女。対照的に肌は透き通るほど白い。小柄で、ちょうど彼女の頭がオルダーの肩と並ぶくらいだ。特筆すべきはその雰囲気だった。普通の人間とは一線を画す畏怖を感じさせるのに、それでいて、無性に近づいてみたくなる……。



「やっと、この姿に戻れたか……」



「お前は一体、何者なんだ……。なっ!?」



 オルダーは声の震えを抑えることができなかった。状況的に、彼女に殴り飛ばされたのは明白だった。彼女にオブビリオンを向けようとして、気がついた。ついさっきまでは確かに握っていたはずのそれが、いつの間にか消えてしまっていたのだ。どこかに落としたのかとも思ったが、地面にもない。



「私の名前はオブリビオン。忘却拳銃オブリビオンだ」



 力強く、その存在に誇りすら感じさせる声だった。そして、オルダーはこの声に聞き覚えがあった。最初にオブリビオンを使ったとき、頭に流れ込んできたものと全く同じだった。



 オブリビオンはオルダーのところに、ずんずんと歩み寄っていった。ちょうど彼を見下ろ

 す位置だ。オルダーが顔を上げると、オブビリオンと目が合った。



「それよりも聞きたいことがある。お前、今何をしようとしていた?」



「何って……」



 有無を言わさぬ口調だった。オルダーは答えに窮した。自殺しようとしていた、とはおおっぴらに他人に言いにくかったからだ。しかし、それを隠すことに意味はないとすぐに感じて、半ば投げやりになって言い放った。



「ああ、そうだ。死のうとしてたんだよ。こんな世界、嫌になった」



 オルダーは俯き、目を伏せた。これは偽らざる本音であり、今のオルダーの脳は、深く物事を考慮することを拒否していた。であるから、この少女とあの武器が同一人物、あるいは、同一武器であるかもしれない、ということは、オルダーにとってどうでもよいことだったのだ。



 オブビリオンはしばらくの間、沈黙を貫いていたが、ただ一言だけ呟いた。



「顔を上げろ、オルダー」



「え?」



 オルダーは特に思考を挟むことなくその通りにした。次の瞬間、オルダーの目には自分の首元に向かって伸びてくる、しなやかな腕が写りこんだ。



「ぐっ」



 それは異様な光景だった。年端もいかぬ少女が、自分よりも体格が勝る相手の胸倉をつかみ、引き寄せたのだ。しかも、腕一本で。両者の顔の距離はとても近かった。



 オブビリオンはオルダーを鋭く睨みつけたが、オルダーはその視線から逃げるように目をそらした。ここ最近、よく暴力を振るわれる――。そんな場違いな考えを抱きながら。



「私を一度握った以上、この道から逃げることは許されない!」



「この道だと……?」



「そう。この世界から忘れ去られ、それでもなお、孤独に戦い続ける道だ」



「勝手なことを! もうニコは俺のことを覚えていないんだ。そんな世界で、戦うもなにもあるものか!」



 オルダーの怒鳴り声が響いた。オルダーはただただ不愉快だった。先ほどまでの生気のない目とは打って変わり、血走った目がオブリビオンを睨みつけた。しかし、当の本人にそれを恐れている様子は全くない。



「ならば、残されたお前の妹はどうなる! 一人でこれからを生きていけるのか? いや、できないだろうな。なぜならば、それを許さない者たちがいるからだ」



「……おい、それはどういうことだ」



「見ていなかったのか? お前は首を絞められて殺されかけたが、妹のほうは、眠らされ、抱きかかえられていたんだぞ。つまりは、誘拐されかかっていたということだ」



「ゆ、誘拐……」



 オルダーの顔から一瞬で血の気が引き、額には脂汗が浮かんだ。よくよく思い返してみると、あの状況はまさにオブリビオンの言う通りであった。オルダーは恐怖した。もし、あのまま自殺していたらニコはどうなっていたのか。そして、そのことを指摘されるまで気づけなかった自分の浅ましさを呪った。



「オルダー、お前は妹のためならば命を懸けられると私に言ったな。今こそが、その命の使い時なのだ。愛する人のために」



 オルダーは無言で地面を見つめていたが、蚊の鳴くような小さな声を出した。



「……ニコやベルフ先生の記憶が消えたのはお前のせいか?」



「そうだ。私を使ったが最後、その者に関しての記憶を世界から消し去る」



「失われた記憶を取り戻す方法はあるのか?」



「私の知る限りでは、無い」



 オブリビオンはきっぱりと答えた。そこに怒りや悲しみ、申し訳なさといった感情は含まれていなかった。しかし、そこにオルダーは彼女の突き抜けた芯の強さを感じ取ったのだ。



 オルダーは力いっぱいに瞼を閉じた。この際、記憶の復元については横に置いておくべきだと結論付けたのだ。失われた過去よりも未来のために。



「ああ、俺はあの時誓ったはずだ。たとえ、ニコに何度忘れられたとしても、それでニコの未来が保証されるのならば戦い続ける。あらゆる手段を使ってだ!だから、お前の力を貸してほしい。お前の力が必要なんだ」



 オルダーはオブリビオンの目をまっすぐに見つめた。オブリビオンはふっと笑って表情を緩めた。そして、今まで胸倉をつかんでいた腕を放し、オルダーの目の前に差し出した。

 オルダーはその手を取って立ち上がった。



「武器は使い手によってその存在意義を示す。逆に、使い手は武器によってその強さを示す。私たちは対等な関係だ」



「契約は成立したというわけか」



「そういうことだ。で、これからお前はどうするつもりだ?」



 オブリビオンの問いに、オルダーはすぐには答えなかった。顎に右手を当てて考え込んでいたが、すぐに答えを出した。



「まずはベルフ先生に、昨日起きた出来事を相談する。彼は信用できる。今晩中が理想だが」



「まあ無難な選択だな。しかし、もう夜も遅い。話を聞いてくれるのか? あいつは、お前と今日初めて会ったと認識しているんだぞ」



「そこは大丈夫だろう。あれはニコに関しての問題でもある。俺たち兄妹と先生の付き合いはそれなりに長い。無下にはしないはずだ」



「なるほどな」



 オブリビオンは頷いた。会話は一旦終了したかに思えた。ただ、オルダーはどうしても気になっていたことがあった。



「最後に教えてほしい。どうして俺のところに来てくれたんだ? 目的はなんだ?」



 その質問を、自分よりも小柄な少女に向けるのには、少しの勇気が必要であった。どのような答えが返ってくるのかが怖かったのだ。万が一、もしも万が一、この先、ニコの命を要求されるようなことがあるなら――。そんなことは想像もしたくなかった。



 オブリビオンを見つめるオルダーの視線に、若干の険が混じった。しかし、オブリビオンはにやりと口の両端をつり上げた。まるで、そう聞かれるのを予期していたかのようだった。



「言っただろう? 武器は使い手によってその存在意義を示す。お前にはそれを成し得る動機とセンスがあるんだよ、オルダー」



 オルダーは黙った。その言葉に、ごく僅かではあるが、確かな焦りを感じたのだ。それをこの場で問い詰めるのは、まだ関係が浅すぎることも。ただ、最悪の答えではなかったことに安堵した。今はそれでよかった。



「そろそろ戻ろう。あまり長居しすぎると怪しまれる」



 突然、オブリビオンの体が一瞬だけ青白く光った。オルダーが驚く間もなく、そこに少女の姿は無く、あの真っ黒な拳銃があるだけだった。



「なるほど。こうやって人型から武器形態に移行するのか」



 オルダーはオブリビオンを拾い上げた。その黒色は今までみたどんな夜よりも深かった。そして、外に出てきた時と同じように、そのグリップを握りしめた。



『もう予想できていると思うが、銃形態の時はこんなこともできる。便利だろ?』



 オルダーの頭の中に、ついさっきまで聞いていたのと同じ声が流れ込んできた。オルダーは初めてオブビリオンと接触した時のことを思い出した。



『口に出さなくても会話ができるということか』



『そうだ。伝えたいことを考えれば、それがこちらに伝わる。逆もまた然り。当然だが、これは互いの思考が筒抜け、というようなものではないから安心しろ』



 オルダーは興奮を隠せなかった。単純な殺傷能力のみならず、いわゆる、テレパシー機能までついているときた。こんな武器は世界広しといえども、そうそうないだろうと。



 オルダーはドアノブに手をかけた。行きと帰りでこんなにも気分が変わるとは思いもしなかった。いや、そもそも、帰ってくるという気持ちさえなかったのだ。あの不可思議な少女兼武器に説教されるまでは。



 がちゃりと音がして、診療所の戸が開いた。オルダーは確信したのだ。今この瞬間が、自分、そして、ニコの人生においての大きな転換点になることを。


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