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「じゃあ、俺は買い物に行ってくるから。ちゃんと寝てなきゃだめだぞ?」



「分かってますよ、兄さん。でも、掃除くらいはさせてください。私、兄さんに迷惑ばっかりかけて……」



「また倒れたらどうするんだ? 病人は寝るのが仕事だろ」



 人間の国『ヘルスト』の地方都市『ケレネ』。

 そこの住宅街に1人の兄と1人の妹が住んでいた。

 兄の名前はオルダー。年は17。中肉中背で、茶色の髪を短く刈り上げている。顔の造形は悪くはなく、どこにでもいそうな普通の青年だ。

 妹の名前はニコ。年は14。小柄な体形で、兄に似た薄い茶色の髪を肩の近くで切りそろえている。小動物を思わせる雰囲気をまとい、男ならば守ってあげたくなるような少女だ。



 ニコは幼いころから体が弱かった。激しい運動はできず、せいぜい、体の調子がいい時に、オルダーに付き添われながら散歩をするのが精一杯。今は体をベッドに預け、上体を起こしている。



「それはそうですが……」



「それに、大人しくしてないと噂の『白仮面』が来ちゃうかもな?」



 しゅんとした様子のニコにオルダーが冗談めかして言う。



 繫殖力に優れるが、個々の能力に劣る人間。子を成すのに時間がかかるが、それぞれが高い能力を備えた魔族。彼らは長い間争ってきた。資源、領土、あるいは名声のために。その結果、土地は荒れ、はかりしれないほどの血が流れた。

 しかし、いつからか、両陣営の指導者たちは気づいたのだ。この戦争に意味はあるのかと。お互いに手を取り合うべきなのではないかと。



 彼らが平和条約を結ぶのに時間はかからなかった。



 そこから現在に至るまで、彼らはそれを遵守し破ることなく過ごしてきた。それぞれの短所を補い合い、共に歩んできたのだった。



 そんな中、1ヶ月ほど前に突然現れたのが『白仮面』だった。白い仮面で顔を隠し、白いローブに身を包んだ正体不明の人物。いや、人間か魔族か、はたまた他の生命体なのかどうかすら分からない。分かっている事といえば、犯行声明もなく、定期的に現れては魔族や魔族関連の施設に危害を加える。治安部隊ですら『白仮面』を捕まえることができなかった。



「でも、『白仮面』は魔族の方々ばかり襲ってるって、兄さんが言ってたじゃありませんか」



「……そうだっけ? なんにせよ、大人しくしてろよ」



 冷静に返され、オルダーは少しばつが悪くなる。そして、照れ隠しか、頬を掻くとやや強引に会話を終わらせた。そんな兄を見てニコはクスリと笑ったのだった。



「はい。行ってらっしゃい、兄さん」



 ◆◆◆



 オルダーの家から歩いて約三十分。オルダーはいつも世話になっている医者兼薬師の家の前にいた。その建物は元々は白い塗装が施されていたと思われるが、所々剥げており、やや粗末な見た目である。



「こんにちは」



 ドアを開けると、白衣を着た()()()()()が椅子に座って一人で新聞を読んでいた。外観とは対照的に、内部は掃除が隅々まで行き届いており、塵ひとつ落ちていない。棚には、素人目には分かりそうもない薬草や液体が規則正しく並べてあり、そこから薬屋らしい独特の臭いがする。他に客らしき人はいない。その魔族はドアが開いたのに気がつくと、顔をオルダーのほうに向けた。



「お、オルダー君か、いらっしゃい。ニコちゃんの薬なら用意できてるよ」



「いつもありがとうございます。ベルフ先生」



 ベルフ先生と呼ばれた魔族は笑顔でオルダーを招き入れた。体つきは人間とよく似ているが、決定的に異なるのが、額に生えた二本の角と緑色の肌だ。身長はオルダーより少し高く、ひょろっとした体格をしており、ぴしりと伸びた背筋は見る者に知的な印象を与える。



「ニコちゃんの調子はどうだい? 何か変わったところがあれば言ってくれ」



 ベルフは自身が調合した、小さなビンに入った液体状の薬を渡しながら言った。その薬は、彼の緑色の肌をとことん煮詰めたかのような毒々しい色をしていた。ニコも最初の頃は気味悪がってたっけ、とオルダーは昔を思い出した。



「良くも悪くもいつも通りです……。先生、ニコはこの先もずっと体が弱いままなんですか? このままじゃ……」



 オルダーは過去に幾度となく尋ねたのと同じ質問をした。返ってくる答えが、前の答えと違っていることを信じて。



「何とも言えない。彼女の体自体に問題はみられなかったんだ。でも、原因がわからない」



 しかし、ベルフの答えはいつもオルダーが耳にする答えと何ら変わりなかった。



「そうですか……」



「すまない」



 短いやり取りの後、二人の間に沈黙が訪れる。ふとオルダーが窓の外を見ると、空が夕焼け色に染まり始めていた。



「そろそろ帰ります。お金、ここに置いておきますね」



 気まずい空気から逃げ出すかのようにオルダーは言った。事実、この後は夕食の準備をしなければならない。ベルフに背を向け、ドアに触れた時、ベルフがあ、そうだ、と何かを思い出したかのようにオルダーに声をかけた。



「この前、美味しそうなビスケットを買ったんだ。ちょっと遠くの高級お菓子店のやつ。次の定期健診の時に三人で食べよう。ニコちゃんもきっと喜ぶ」



 それを聞いたオルダーは、ベルフが人々から慕われる理由が分かった気がした。



「それは楽しみです。ニコに伝えておきます。それでは先生、さようなら」



 オルダーは笑顔で別れを告げた。



 ◆◆◆



 オルダーが帰るころには辺りはすっかり暗くなっていた。人通りの少なくなった道には魔法を動力源とした街灯が灯る。民家からは楽しそうな声が聞こえ、飲食店には昼間とは違った活気が溢れている。



(だいぶ遅くなったな。ニコに何もなければいいが……)



 喧騒を抜けて、住宅街に入り、何回か角を曲がると家が見えてきた。

 いつもと変わらない、ニコが待っている家。父親と母親が死んでから二人で一生懸命に生きてきた家。



「ただいま。ニコ、遅くなってごめん。今、夕飯の用意を……」



 しかし、オルダーは家に入ってすぐに違和感を感じた。



 昨日まではあったはずの『おかえりなさい、兄さん』という声がなかった。それだけではない。家の中には何者かが土足で歩き回ったかのような足跡があった。



「何だ、これは……」



 オルダーは視界がぐにゃりと歪んだ気がした。買ってきた薬が手から離れ、その場に落ちて嫌な音をたてて割れた。冷や汗が噴き出る。思わずその場にしゃがみ込む。荒くなった息を整える。そして、立ち上がってオルダーとニコの寝室がある二階へと駆け出した。



(頼むから無事でいてくれ、ニコ……! お前がいなくなったら、俺は……!)



 全速力で階段を上っていく。ここにも一階で見た足跡があった。途中、何度か階段を踏み違えそうになったが、何とか二階へとたどり着いた。ドアノブをつかみ、躊躇なく引き、呼びかける。



「ニコ! いるのか!? 返事を――」



 オルダーの言葉は最後まで発せられることはなかった。



 なぜなら、オルダーは突然首を絞めらたからだ。



(なんなんだこいつは!? いきなり……いや、俺の部屋からでてきたのか!)



 オルダーは拘束されつつも相手の容姿を観察した。人型で体格や身長はオルダーと同じくらいだが、黒色の肌を持ち、驚くべきことに腕一本でオルダーを持ち上げられるほどの力を持っている。体毛はなく、衣服らしきものも着用していない。



(見た目からして人間ではないだろう。ということは魔族か……?)



 そのうち、魔族は腕に力を込め始めた。オルダーも必死で抵抗するが、力が緩む様子はない。



(まずい、息が……)



 『それ』は終始無言で、その顔には、人間を痛めつけるのに何の感情も浮かんでいないように思われた。ただ淡々と任務をこなし、障害を排除する優秀な兵士のように。



(ニコ……、ごめん……)



 オルダーの意識はふわふわとした曖昧なものになっていた。



 だからだろうか。オルダーは誰かの声が頭の中に直接降ってきた気がした。



『……前。そこのお前。お前には自分の命よりも大切なものはあるか?』



 凛とした女性の声だった。どこから語り掛けられているのかは分からなかったが、オルダーはそれに答えた。



(これは幻聴なのか……? ならば……せめてニコの声を聴かせてくれ……)



『幻聴などではない。現実だ。そのニコという奴が、お前にとっての失い難い存在なのか?』



(あぁ。ニコのためなら俺の命なんていくらでもくれてやる。まぁ、その命も、こうして消えかかっているが……)



 オルダーは迷いなく言った。

 その声はさらに問う。



『死ぬより辛い思いをしてもニコを助けたいか?』



 それはオルダーにとってわざわざ返答する価値のないほどに簡単な問いだった。



(愚問だな。俺の答えは変わらない。なぜならば、ニコは……たった一人の、俺の家族だからだ!)



 そうオルダーが答えた瞬間、声の調子が変わった。ほんの少しだけ嬉しそうに。



『ならばお前に私の力を授けよう。この世界には存在し得ない、不可逆の理を超越した力。私が見込んだ男だ、使いこなせるはず。だが覚えておかねばならない。大きな力には必ず大きな代償が付きまとう。この法則からは誰も逃れられない。もちろん、神でさえも』



(いいだろう。大いなる代償、上等だ! その力を使って、俺はニコを守る!)



 オルダーが謎の声とやりとりをしている間、周りは時が止まっていたかの様に静かだった。そして、いつの間にかオルダーの右手には武器が握られていた。つややかな黒色をまとい、箱が二つくっついたかのような不思議な形。携帯性に優れた大きさと重量。



『その武器は私そのもの。名前は【忘却拳銃オブリビオン】。使い方は簡単。攻撃したい方向にオブビリオンを向け、狙いを定めて引き金を引く。すると、銃口から高速の銃弾が発射される。それだけだ』



 オルダーは言われた通り、オブリビオンを魔族の頭部に向けた。彼の時間は止まっていないようだ。一方、それは石像のごとく、動き出す気配はない。



『そろそろ時が進む。少しの間は話せなくなるが……』



(丁寧にありがとう。世話になったな)



『あぁ、うまくやれよ……』



 声が聞こえなくなると同時に世界が動き始める。魔族は唐突に出現したオブリビオンに対し、初めて困惑した様子を示した。



「――!」



 動物としての本能からか、魔族はさっさとオルダーを殺すことに決めたようだ。それは、普段であれば全く問題ない判断だったであろう。



 両者の視線が互いに重なり合う。



「死ね」



 しかし、()()()()飛び出した弾丸は、オルダーが絞め殺される前に、魔族の額を貫いた。魔族は自身に起きた事を理解する間もなく、傷口から黒色の体液を吹き出しながら後ろに倒れた。片腕から解放されたオルダーは酸素を求め、大きく咳き込む。そして、動かなくなったそれに油断なく数発の銃弾を浴びせた。



「引き金を引くだけでこの威力、これがオブリビオンの力……。そうだ、ニコッ!」



 オブリビオンの殺傷能力に驚愕しつつも、オルダーはニコの部屋へ突入した。



 ベッドと棚、そして小さな机と椅子が置いてあるだけの簡素な部屋。確かに、ニコはそこにいた。



 先ほど戦ったのと酷似した魔族に抱きかかえられながら。



「ニコを放せ!」



 すばやくオブリビオンを構え、殺意を込めて発砲する。ニコが巻き込まれる可能性も十分にあったが、その銃弾は、オルダーの方に振り向きかけた魔族の顔面に穴をあけた。



 支えていた魔族が倒れ、ニコの体が落下する。しかし、床にぶつかる寸前のところでオルダーは自身の体を間に割り込ませた。



「ニコ、しっかりしろ、ニコ!」



 目立った外傷はない。オルダーはニコの肩を揺すり、口元に耳を近づけた。気絶していたが息はあった。



(よし、まだ生きてる! 取り敢えずベルフ先生のところに――)



「うぅん……」



 オルダーがニコをベルフのもとへ連れて行こうと背負った時、ニコがうっすらと意識を取り戻した。オルダーの目には涙が浮かび、笑みが零れる。しがし、喜んでばかりはいられない。



「気がついたのか!? 今――」



 ニコの目がオルダーの顔を捉える。オルダーも顔をニコのほうに向ける。



「……あなたは誰ですか……?」



 オルダーは、『代償』の意味を、まだ知らない。


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