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「先生!」
咄嗟にボクは先生と叫んでしまう。そのくらい驚いていた。
すると、ストレッチャーの上で目を瞑っていた先生がゆっくりと眼を開けた。
「……才川、くん……?」
先生はまだ意識がはっきりとしていないようだ。仕方ない、先生には悪いけどこのまま運ばせてもらおう。
「先生、落ちないように捕まっていてください」
ボクは先生の頭の前に立ち、押し始めた。
何度かの放送が入り、通路にいた研究員たちは部屋の中に隠れてしまっていた。おかげで、ボクと先生は悠々と通路を通ることができる。
瑠璃ちゃんによれば、本来ならもうすぐ催眠ガスが通路中に噴射されるそうだ。だが、そこは手を回してくれているはず。なのでボクは、意識の覚醒し始めた先生に質問をすることにした。
「先生。先生だったんですね、加納さんをこの施設に連れてきたのは」
「…………ええ」
先生はか細い声で答えた。
「どうして、この施設に協力するようになったんですか?」
半場答えが分かっている質問だったが、ボクは聞いた。
「……妹を、助けたかったの…………」
雫が、先生の目から頬をつたって落ちていく。
先生にとって妹は……瑠璃ちゃんは、他人を巻き込んででも助けたい大切な人だったんだ。
妹を助けるためには研究に協力するフリをして、内部の情報を少しでも知りたかった。そうすれば、妹に関して何か、掴めると思っていた。
(だけどそれじゃ、奴らの言いなりになってしまっているだけだ)
驚いたのは、被検体集めの協力を瑠璃ちゃん自身が伝えに来たことだった。その時は必死に連れて帰ろうとしたが、瑠璃ちゃんに「今は、まだ」と言われてしまった。推測だが、施設の内情を知りたかったのは先生だけではなく、瑠璃ちゃんもだったらしい。ただ単に逃げ出してしまっただけでは、すぐに見つかってしまうと考えたのだろう。
しばらくして、被検体として入手して欲しい人材が見つかったと連絡が来た。それが加納夢さん。夢さんとの距離が縮まったころ、先生は計画を実行した。あらかじめ用意された廃墟に連れていけばいいだけだったのだが、ここで事件が起こった。なんと、夢さんの妹の千穂さんが一緒に行くことになってしまったこと。拒否すれば怪しまれる可能性だってあるし、その時の私は瑠璃のことで頭がいっぱいだったから、言葉を考える余裕もなかった。
そこからは、ほとんどボクの予想通りだった。
二人を連れてきた廃墟で、どのように施設の奴らが回収しに来るのかは分からなかった。だから、事件が起きた。施設の連中は夢さんではなく千穂さんを連れて行ってしまったのだ。
「兄弟だから、夢さんにやろうとしていた実験が千穂さんにも出来たんですね」
「ええ、これはもう憶測だけどね。私には、そんなテレビで見たくらいの予想しか立てられない……呆れたわよね」
「いえ、そんなことは」
瑠璃ちゃんが用意してくれた出口が見えた。
(着いた)
施設は地下にあったようで、通路は少し傾いていた。その間、先生は先ほどより肩を震わせ、涙を流していた。ヒックヒックと聞こえてくる。
太陽の明かりが強くなり、施設からの脱出に成功した。その瞬間だった。
「……いえ、才川君には言ってないわよ」
そう言うと、先生はストレッチャーから飛び降りて、近くの大きな木箱の後ろに隠れる。
「あの子は……瑠璃はきっと呆れているわ。奴らのいうことを聞くことでしか自分を助けられない無能で、無様な姉だってね!!」
「そんなことはないです!」
施設の奴らから助けた時、拘束を解かせるべきじゃなかったと今更ながらに後悔する。
「ねぇ、才川くん。私ね、この倉庫について知っているの」
木箱の後ろからそう言った先生は、手だけを出した。その手に持っていたものは本来テレビでしか見ないもの。ボクたち日本人の目にはほとんど晒されない凶器、拳銃だった。
「ここは荒っぽい人たちの利用している倉庫。大量の荷物に紛れて隠されているのよ」
「…………」
驚きと恐怖で声が出ない。いつの間にかボクは、金縛りにあっているような状態だった。手足も首も動かない。唯一動く眼でさえも先生の持つ銃から目線を外せない。
「私ね、思いついたの。才川くんとあの廃墟モドキに行ったとき、あなたはだれにも連絡していないはず。あなたは自分一人で行動するタイプの人だから。なら、ここであなたを殺せば、あなたは行方不明の扱いになるわ。もちろん私にはアリバイもなければ、あなたと関わったこともあるので疑いの目は向けられるでしょう。だけど、私があなたを殺した証拠はどこにもない。あなたの死体は施設への反逆を許してもらうため、そして忠誠の証として処理させてもらうわ」
………ボクは、言葉が出なかった。銃口を向けられている恐怖からではなく、長谷川先生の妹を助けるためなら他人をも犠牲にする心に憤怒したからでもない――
ただ悲しそうな顔がそこにあったからだ。長谷川先生はこの状況にふさわしき悪役のような表情ではなかった。だから逆に、なんとかしてあげたいと、そう思ってしまった。一言でも間違えれば、一歩でも動けば殺されてしまう状態で、ボクはこの人を救う方法を考えていた。
「先生。先生は、妹に呆れられているって言いましたよね。でも、本当にそうでしょうか」
「…………」
「ボクに兄弟はいません。一人っ子だったから、兄弟をうらやましく思っていました。兄弟がいる人は邪魔だとか、いらないとか言ったりしますけど……」
「失ってから気づくのよ。いまの私のように」
「だとしたら、妹さんもそう思っているんじゃないでしょうか」
これしかない。今のボクに出来るのは、瑠璃ちゃんの気持ちをそのまま伝えてあげることだけだった。
「そんなこと、あなたに分かるわけないでしょう!?兄弟がいなかったあなたには、推測くらいしか――」
「瑠璃ちゃんはそう言っていました。喧嘩ばかりだったけど、大切なお姉ちゃんだと」
「そん、な……そんなわけない。あの子は私を恨んでいるの!私もこんな方法でしかあの子を助けられない自分を恨んで、恨んで、憎んで……」
「……でも、やっぱり似ていますね」
場の空気が少し和らいだのかと錯覚するくらい場違いな言葉が、突拍子もなく出た。
「なんで、笑っているのよ。銃を向けられて、おかしくなったの?」
いつの間にか、ボクは笑っていたらしい。
「いや、違いますよ。作戦の立て方が似ているなって……。妹は潜り込んで壊そうとした。姉は潜り込んで助けようとした。先生は、加納さんの時もそうしました。仲良くなってから、外側からではなく内側から」
「それが、どうしたって言うのよ……」
先生の銃を持った右手が震えていた。頬を涙が伝っていた。
「二人はやっぱり似ているんじゃないかな。っていう、ボクの勝手な憶測です」




