第弐話 陰陽姫認定試験(上)
試験開始の銅鑼の音
後一ヶ月で陰陽姫の試験を受ける。
その言葉に舞は固まった。
「えっ…と」
舞の戸惑いを見ても大戌は済まないと言うように目を伏せて動じない。
「む、無理ですよ!だって、試験って五分間に妖を五十匹でしょう!?わ、私簡単な呪しか使えませんし、それに、式だっていませんし…」
「解っている。承知の上だ。御前の不利を見越して、大辰殿にも話はつけている」
大辰太夫は、大戌の所属する干支太夫衆を束ねる太夫神である。
干支太夫衆の凡百事柄の最終決定権は彼女に有り、陰陽姫の認定に置いてもそれは同じである。
「事情を話して、五分間に中型の妖三十匹で合格とするそうだ」
「何にも変わってないじゃないですかぁ!」
思わず大戌に食ってかかる。それくらい舞にとっても緊急事態だ。
「御前、大型から中型に変わった上に二十匹も減っただろう。これでもかなり粘ったんだぞ」
「そりゃ…そりゃあ、ちゃんと陰陽の器を持った人なら中型三十匹なんて余裕かもしれないけど…私小型にすら三十秒もかかるのに…無理ですよ…それに…丸腰ですし…」
「案ずるな」
そう言うと、大戌は舞の前に1本の脇差を差し出す。
「わっちのお古だ。御前に貸そう」
「ええ…」
もう恐らく泣いても喚いても無駄だろう。
大戌は話をつけてきてしまったようであるし、付けてなかったとしても九割このような結果になっていただろう。
舞は渋い顔をしながら脇差を手に取る。
赤い漆の鞘には、鞘の口から終わりにかけて一直線に金の石が埋め込まれている。
多少傷はあれど手入れをしていたようだ。
「当日までに御前が使える呪と刀の振り方は詰め込んでやる」
「ありがとうございます…」
何も有難くないがとりあえず頭下げておいた。
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一月も先の試験に向けて悩んだ為か、昨晩はろくに眠れなかった。
唸りたくなるような気持ちを抑えながら、昇降口から靴を履き替えて、二階にある教室へ向かう。
教室のドアを開けた瞬間、それまで和気あいあいと喋っていた生徒達は一斉に舞を見る。
舞は全クラスメートから見つめられ、たじたじになりながら、一体何があったんだと考えを巡らせる。
色々考え、ふと見た教卓で合点が行った。
仕方ない事である。入学早々電車に轢かれ生死の境を一週間さまよいそこから三日で退院し怪我ひとつ無くケロッと学校に来る強者がいれば誰だって注目する。
ギクシャクしながら席に向かう。生徒達の内緒話がこそばゆい。舞は思わず泣きそうになる。まだ何の思い出も作ってないまま己の高校生活は終わったと確信したからだ。
席に着くと、前の席にいた生徒がくるっと舞の方を向き、その友達も舞を囲むように集まった。
「おはよー」
「お、おはよう、ございます」
「大変だったねー。入学早々事故なんて」
「うん…」
「ねえねえ何がどうなったの?だって先生も一緒だったんでしょ??」
生徒のひとりが興味津々に聞くと、もう1人の生徒がコラ、と口を塞ぐ。
そんな内容まで広まっていたのか。まあでも学校に担任が来てなければそれはそれで学校側から通達があっただろう。
「ごめんなさい…私も、よく覚えてなくて…」
「あーゴメンゴメン!嫌な話だよね、無理矢理聞いちゃってごめんね?」
俯いてしまったためか、嫌な思いをさせたと思われたらしい。ごめんねーと繰り返す生徒はお詫びに飴をくれた。
「休んでた間のノートとか、何か出来ることあったら言ってね、協力するから」
「あっありがとうございます…!」
クラスメート達は長く休んでいた舞に委員会振り分けや授業のノートなど思っていたよりかなり良くしてくれた。
舞は初めて人の暖かみを知ったような顔をした。
噂によれば、担任だった教師は、数週間前から少しずつ鬱の傾向を見せ始め、頻りに薬物投与や自傷などを行っていたらしい。
恐らく、あの生成りは宿主に依存しすぎた為に、宿主自身をパンクさせてしまったらしい。
殺されかけたとはいえ、担任も心にストレスがなければ、このような結果にはならなかったと思うと、何だか悲しくなってしまう。
もう何を思っても、過ぎた事だと考えを振り落とした。
久々の学校は特に滞りなく終わり、家に着くと、大戌太夫がいつもより軽めの着物を腕まくりして中庭に待っていた。
その光景に少しげんなりする。
「なんだその顔は、すぐ着替えてこい」
ものの5分ほどで私服に着替えさせられ、脇差を持って中庭に降りる。
「まず、刀を構えろ。その刀は陰陽の術を増幅させる金剛石の力を鞘を通して常に当てている。御前の少しばかりの力でも多少増幅できるという訳だ」
構えてみると思っていたよりも軽く感じた。丸腰でないだけ、これでも安心感はある。
「脇差という小さめの刀だからな。大太刀よりも威力は劣るが、子周りは聞く。それに-…」
大戌太夫は片手を刀の背に添わせ、片足を引くと目の前の的を見据えた。
『遠吠!!!』
放たれた刀の一振は赤い閃光となり、まるで犬の遠吠えのような音ともに、目の前の的と隣の桜の大枝を切り落とした。
「刀そのもので切らずとも、呪を斬撃と共に飛ばすことも出来る。まだこれは難しいかもしれんがな」
呆気に取られてしまう。これが本当に自分に出来るのだろうか。
舞の不安はそっちのけで、大戌太夫は何故か活き活きしながら、舞に刀の子技や多少威力の強い呪を教えてくれた。どれも舞のレベルに合わせた物で、この攻撃を繰り返せば舞の体力でもバテないだろうと言っていた。
試験までの間、舞は只管努力した。
教えて貰った刀術、呪術を覚え、物にしようと必死だった。
大戌太夫の為でもあるが、自分の為の理由もあった。
母のように強くなりたい。そう思った。
無理なのは承知だ。でも、考えを変えれば、この試験はチャンスなのだ。
もしかしたら、死に物狂いでやれば、合格を貰えるかもしれない。
そうすれば、母に一歩近づける。
そう考えれば、刀を握る手に、自然と力が篭もった。
たとえ落ちるのが目に見えていても、自分のベストを尽くそうと舞は心に決めていた。
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そして、あっとゆう間に試験当日となった。
試験は普段太夫衆の会議などでも使われる高天原は、干支天満宮の格闘場にて行われた。
次々同じ試験者が順番に試験を受けていくなか、心做しか舞の巫女服の裾を握る拳は震えていた。
大戌太夫はその拳をそっと手に取る。
「大丈夫だ。ずっと、修行していてくれたのだろう?有難うな。御前なら、きっと大丈夫」
その大丈夫が、「死なずに帰ってくることは出来るから、それだけでも大きな成長だから大丈夫だ」の意味であることは、大戌太夫の瞳が物語っていた。
「ありがとう」
刀を握りしめる。ここまで来たのだ。やるしか道はなかった。
「次の方、犬鳴家より、犬鳴舞様。試験場へお入り下さいませ」
どこかの神社から来たのだろう。自分とは違う巫女装束を着た巫女が、五色の布をまくりながら呼びかけていた。
中へ進むと、四方を鳥居で囲まれた試合場があった。
右手には巨大な硝子を挟んで、大戌を除いた太夫衆が座してこちらを見ている。太夫衆を見たことは無いが、皆大戌太夫と似た花魁の着物を着ており、それぞれ人間と異なる動物的な特徴を持っているため、多方想像がついた。
1番高い席に座るのが、恐らく指揮役の大辰太夫だろう。
錚々たる顔ぶれの前に緊張にながらも、試合場の真ん中へ進み一礼する。
「犬鳴神社、犬鳴総本家より参りました。犬鳴舞と申します。宜しくお願い致します」
「ああ、君が舞ちゃんか。話は大戌から伺っているよ。試験は君のハンデを考慮して特別形式にしてあるから。頑張ってね。あ、緊急の場合はきちんと助けるから安心して。ただし、救助が入った時点で、試験は失格になるから気をつけてね」
大辰太夫の声は、部屋の角につけられたスピーカーを通して聞こえてきた。
高くなく、低過ぎず。喋り方も相まって男とも女ともつかない、中性的な優しい声だった。
「いいよー。じゃあ妖を入れて」
その言葉の後、向かいの鳥居から成人男性の身長に頭五つ足したような大きさの妖がわらわらと群れとなって現れた。腕や足はゴツゴツの筋肉で覆われ、口元から牙が覗いている。鬼の類だろうか。
そのスケールに思わず竦む。
「…二十七、二十八、二十九、三十…、よし揃っているね。舞ちゃんも用意はいいかな?」
舞は怯む足をなんとか立たせ、頷く。
「良さそうだね。では、始め!」
銅鑼の音が鳴り響いた。
試験開始と共に、妖達は舞の頭を噛みちぎろうと雄叫びを上げ襲いかかってきた。
『斬燕!』
呪を唱え短い斬撃を指先から飛ばす。とりあえず地道に攻撃を重ねるしかないと今は考えた。
片手に守護印、片手に呪を結びながら苦戦する。視野が足りず頭がふたつ欲しい気分だった。
「いっっ…!!」
妖の爪が舞の二の腕に切込みを入れる。じわりと血が滲む。
埒が明かない。刀を鞘から抜き、応戦した。
試験も残り二分を切った。妖は未だ5匹ほどしか倒せていない。
それに増し、舞の体力もジリジリと削られて行く。
受けたダメージが多すぎた。
体力は底なしの妖達は、舞にどんどんと迫ってくる。
今や、刀で凌ぐのが精一杯であった
「きゃあッ!!!」
一匹の妖に蹴飛ばされ、壁に激突する。
壁に叩きつけられた熱さと砕けた破片が刺さる感触が背中を覆う。
力なく地面に落ち、這い蹲る。骨が二三本折れたかと思ったが、意外なことに外傷のみのようだ。
とはいえ衝撃でカタカタ震える体と靄のかかる視界ではもうまともに戦えない。
「残り、一分」
そのアナウンスに促され、ずりずりと移動しながら妖と距離を置く。
なんとか立ち上がり、刀を構える。妖達は少しずつ距離を詰めてくる。
「残り、三十秒」
もう、舞に勝機はなかった。せめて、悪あがきでも戦いたい。刀を落としそうな掌をぐっと握る。
せめて、あの群れを一網打尽にできる力があれば良かったのに
震える指先で呪を結びながら考える。
いや、待て。あった気がする。
唯一、大戌太夫の見せてくれた、大技が。
『刀そのもので切らずとも、呪を斬撃と共に飛ばすことも出来る。』
自分の僅かな力でもできるか、自信はなかったが、やるしかないと奮い立たせる。
あの時の大戌太夫を思い出す。
片足を引き、刀を体の横に伏せ、刀身の背に手を添える。
指先から刀に呪を流し込む。
手に着いた水を手を振る振動で振り払うイメージだ。
出来るかわからない。このやり方であっているのかもわからない。只、やるしかない。
できる可能性を捨てて帰りたくはなかった。
構える舞に妖の群れは襲いかかってくる。
舞の目が、群れを見据えた。
『遠吠!!!!!!!!』