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斯くて世界は回り出す

「で?リアを連れて行くと?」


 森に響く虫の音にカンテラの優しい暖色の灯り。

 ロッジと造りの似た部屋は木の香りが漂ってくる。

 そんな自然と心が落ちつき、懐かしささえ覚えそうなこの場所に所長と俺は向かい合っていた。


 ここは街から離れた森、その入り口にあるリアナの家。

 街で準備を済ませた俺たちは彼女の好意で宿泊させてもらうことになったのだ。

 当のリアナは現在夕食の準備中。

 何か手伝おうかと申し出たが大丈夫ですと頑なに断られてしまっため、手持ち無沙汰な神月派遣事務所の面々はリビングで夕食を待っているのである。


「はい、彼女の住める街まで…」


 所長は足を組み、肘置きに頬杖を付いて真っ直ぐに視線を投げてくる。その何もかもを見透かすような瞳は俺の何を見ているのだろう。


「お前にしては至極真っ当な理由だな。…まぁ構わんよ。あの子には借りがあるからな。」


 所長は少し思うところがあるのか、機嫌はあまり芳しくない。


「…ただな、ナツメ」


 勿体ぶるように言葉を切る所長。

 何か駄目なトコでもあっただろうか。確かに俺たちの目的はヤツを探すことであり、その道中の危険性は承知しているが、このままリアナを置いていくことは俺が許さない。それに約束をしたのだ。あのオッサンと。


 しかし、俺の予想は違った形で裏切られることになった。


「■■に■■を■■■■?」


 所長が何を言っているのか俺には分からなかったのだ。


 言葉を理解できないという意味ではない。そもそも今まで普通に話していたのだ。口の動きは分かるものの音だけが聞こえない感覚。まるで無声映画を字幕なしで見ているような。そんな不気味な違和感に何故か焦燥感だけが募っていく。


「な、なにを…?」


 絞り出すように声を出す。

 何故いきなり声が聞こえなくなったのか思い当たる節も無く、ただその現象に混乱は増していくばかり。口の動きをで言葉を連想しようにも生憎と読心術は心得ていないため予測も付かない。

 本当に?俺は何も分からないのか?


「お前、まさか…、」


 そんな俺の様子に所長は目を見開く。何故かさっきまで聞こえなかった所長の声は今は聞こえている。

 しかし、そんなに驚くことだろうか。


 ――■■を忘れていることなんて。


「痛っ!」


 何かが頭を過ぎったような気がして、しかしその内容は頭の痛みで霧散した。

 なにが起こっているのか。

 思い返そうとする度に痛みに侵されていく。

 段々と思考に霞が掛かり頭痛は酷くなる一方である。

 とうとう痛みに耐えられなくなった俺は、座っていたソファからズルズルと崩れるように落ちていった。


「おい、ナツメ目を見せろ!」


 そう言って所長は乱暴に手を掴み覗き込んでくる。

 俺は痛みに思考を奪われ、認識はあやふやに。


 そんな状態になっていたにも関わらず、俺はただ所長の真剣な表情を見て、ああ黙っていれば美人なのに勿体ないなどと考えながら、されるがままに身を委ねたのだった――。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「…ふむ」


 所長が納得したような声を上げた時には、痛みは大分引いていたがこんな酷い頭痛は初めてだ。何か病気にでも罹ったのか。


 だんだんと思考がクリアになるにつれ、ようやく所長の行動に思い至る。

 ――ああ、もしかして綻びが生じているのか?


「…術式は大丈夫なようだが、記憶に影響が出てるな。今日はもう安静にしていろ」


「記憶って。大丈夫なんすか?これ。めっちゃ痛いんですけど…」


 ジクジクと蝕むような痛み。二日酔いの方がまだマシなレベルだ。


「頭痛はすぐに治る。まぁ思い出したくないんだろうな」


 よく分からないが痛みは治まってきた。まぁ、術式に問題がないということであれば大したことではない。所長のお墨付きでもある。もう忘れよう。

 カワイイ娘の手料理を食べられるのだから、万全にしないとな!


「ナツメさん!?大丈夫ですか!」


 そうして何事も無くソファへ座り直そうとしたところ、横合いからリアナの声が聞こえた。

 そこには少し焦ったような感じのリアナ。もしかしたらタイミングの悪い所を見られてしまったかもしれない。だが心配を掛けないようにしなくては。


「あ、あのな、リアちゃ…」


「ユカリさん!!」


 立ち眩みでもしたとの言い訳はしかし突然の剣幕に遮られてしまう。

 なぜかリアナは両手を腰に当て、私怒ってますのポーズ。

 普段お目にかかれないポーズだが、リアナがやると可愛らしさの倍率アップ。怒っているのに可愛いとかハンパじゃない。


「へ、私?」


 そして何故怒られているか分からない所長。かくいう俺も分からない。



「ナツメさんをイジメルのはだめです!」


 リアナは相当お冠の様子。

 その言葉で気づく。

 膝を付き頭を下げて所長に腕を捕まれているこの俺の状況。

 ふむ、なるほど。

 口角が吊り上がるのを感じた。


「い、いや、これは違うんだ、リア!こいつが具合が悪いと…」


 所長は必死に弁明しようとするが、もう遅い。

 さらにここで俺式トラップが発動。


「…イタイヨ-、イタイヨ-」


「き、きさま!」


 このチャンスを逃す手は無い。さも痛そうな演技でリアナにすり寄る。


「やっぱり!」


 やっぱりらしい。リアちゃんが素直過ぎてやばい。

 憤慨するリアナは所長から俺の手を奪い取り、さらに悪者から守るように俺の頭を抱え込んだ。


「何があったかは知りませんが暴力はいけません!」


「ち、ちがっ!」


 リアナの言葉に後退る所長。あの所長がタジタジだ。

 あんな所長は見たことが無い。愉快愉快。

 ナベちゃんは遊んでいるように見えたのか、尻尾をフリフリしながら俺に飛びついてハシャイでいる。

 でもだめ!ナベちゃん、凄いニヤケ顔になっているからこっちを見ないで!


「リ、リア、君は物凄い勘違いをしている!」


 慌てる所長。


「勘違いって…、ナツメさんこんなに痛がってるじゃないですか!」


 聞く耳を持たないリアナ。所長は最早涙目だ。

 そりゃそうだ。あの可愛いリアナに怒られているのだ。あれが俺だったら闇に落ちて世界を破壊してる。


「リアちゃーん、イタイヨ-」


 調子に乗ってリアナの腰に手を回してしがみつく。

 ふぁ、やばい柔らかいぃ。しかもイイ匂い。クンカクンカ。


「お、おい!ナツメ、貴様離れんか!」


「だ、大丈夫ですか?どこが痛いんですか?」


「リアちゃん、ボク頭痛い。…フヒッ」


 ふふ、これでは所長も手を出せまい。完璧な護身。

 俺はリアちゃんのナデナデに恍惚となり、この状況を思う存分堪能する。

 なんだこれ、ナンダコレ!極楽はここにあったんだ!


「…リア。そいつの顔を見てみろ」


 俺の痴態に少し冷静になった所長はリアちゃんに忠告。

 堪能しすぎたのか、顔が元に戻らない。


「え?顔?」


 見られないように顔を隠そうとするが、頭はリアナに抱えられている。

 リアナは顔を傾げるように覗き込み、蕩けきった俺の顔を間近で見てしまった。


「へ?ひゃっ!」


 驚いて俺から離れるリアちゃん。それに抱擁も解かれてしまう。

 ああ、俺の…


「…ナツメ」


 背後からの怨嗟の声。即座に逃亡を図ろうとするが、時既に遅し。

 頭が万力のような力で締め付けられていて動かない。ミシミシという頭から鳴ってはならない音が響き、しかも声の方向に振り向こうにも肩にも手が置かれ、骨が砕かれそうな程の力で掴まれていた。

 つまり今の状況を端的に表すならば、絶体絶命ということである。


「あ、あの、所長…!?」


「どうした?ナツメ。情けない声を上げて」


 精一杯に言い訳をしようとして、息をのむ。

 有無を言わせぬ声色に冷や汗が止まらない。

 左肩に置かれた手は固定され、頭はゆっくりと回っていく。


「ちょっと!?洒落になりま、痛い痛い!これ以上は無理っ!」


「頭が痛いんだろう?少し待ってろ。すぐに取ってやる」


 既に首は九十度ほど回って、所長の凄惨な笑みが見えている。

 あかん、この人マジや。


「リ、リアちゃん!止めて!この人止めてぇ!これ以上はLEGOになっちゃう!」


 そうして、この騒ぎは夜の森へ響き渡るのだった。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 見上げる空は快晴。


 ――ゆっくりと視線を戻す。


 辺りの森には日の光が差し込んでいる。


 ――丁寧に丁寧に、景色を心の奥へ仕舞うように見回す。鮮明に、一欠片も零さず、想い出せるように。


 朝の静謐な空気は森の中に在ろうとも失われることはなく、地面近くの朝靄にはキラキラと光が散っていた。


 ――視界は十数年一緒にあった我が家へ。


 思い返すのは師匠との暮らし。

 いっぱいの愛情と、厳しくも優しい教え。

 走馬燈のように思いが溢れ出し、声がすぐ近くから聞こえてくるようで目の奥が熱くなる。


 ――目を閉じるように振り返り…



 「もういいのか?」


 暫くの間、いやもしかしたら帰って来ることはないのかもしれない。私はこれから遠い場所へ行くことになる。

 ユカリさんはその事を気に掛けてくれているようで、優しく声を掛けてくれる。


「時間は気にしなくていいから、ちゃんとお別れしないとな」

「わふ!」


 ナツメさんとナベちゃんも、荷物を載せているリヤカーの縁に座って私の事を待ってくれていた。


「はい、もう大丈夫です」


 最後に我が家を仰ぎ見る。

 寂しくないわけじゃない。

 だけど、この人達と一緒に旅をするのだから寂しさを感じることはないだろう。

 だから大丈夫。

 今度また帰ってくることが出来たなら、その時は報告しよう。


 ――楽しく愉快な冒険譚を。



「行ってきます!」


 笑顔で別れの挨拶を済ませ、ナツメさん達の元へと走り出す。


 行ってらっしゃい。


 師匠の声が聞こえたような気がしたけれど、振り返りはしない。

 だって今度は後ろめたい気持ちはないのだから。



 そうして、私の運命は回り出すのだった――。



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