邂逅の二
人生がままならぬのは何も自分だけではないはずだが、こうも自分の思った通りに事が運ばないのは、神様への信仰が足りないとか、呪いを掛けられたとか、言葉の端々にクソ食らえとか言っていたせいかもしれない。
「と思うんですけど、どうっすかね?」
呪いを掛けられるような知り合い、いやそもそも友人自体いない。そんな可哀想な独り言に返ってきたのは木々の葉擦れの音。そして
『仕事中に私語をするな。神がお前なんぞを相手にするか悪魔憑きが』
骨伝導式のインターフェイスからクソ食らえと言われるよりも辛辣な罵倒。
この世に神はいないらしい。
現在俺達ははピクニックという名のお仕事中。
時刻はまだ正午過ぎだというのに分厚い雲と広葉樹の屋根に覆われ散策というには不安になるほど薄暗い。木々に囲まれた山奥は濃密な血と硝煙の香りを漂わせ、かつては人だったものの残骸が緑深いこの場所に花を添えていた。
「お仕事つってもまだ見張るだけでしょ?ちょっと話したくらいでそこまで言わなくても…」
スプラッターハウスのごとき惨状に眉根をしかめつつ、後方でぬくぬくと指示をだしているナビゲーター兼上司へ苦言を呈する。
『二キロ先の標的に動きなし。これより気配遮断を実行。この先の沢から裏回り射線を確保しろ。』
しかし返ってきたのは淡々としたルート指示だけ。
そんなつれないナビゲーターに了解と伝え、慰みにこの事件の発端を思い返した。
――ちょうど二年前、片田舎の派出所に死体が発見されたという通報があったらしい。
犯罪などには無縁で風光明媚な事だけが取り柄のような村に起こったこの事件は、一風変わった事件として各メディアに取り沙汰されていく。
鑑識の結果、犠牲者の体の一部が鋭利な刃物で刮ぎ取られたように欠損。死因は出血多量による外傷性ショック死と判断。まるで球体状に空間ごと喪失したかのように抉られており、欠損部位は未だ発見されていない。争った形跡もなく、死亡後もその場に直立不動だったとのこと。
また恐怖に染まった相貌は見るに耐えなかったとは鑑識官の談である。
そんな事件性としては一般的な部類に入る事件は、静かな寒村で起こった事とその内容も相まって世間の噂話に拍車を掛けていった。
やれ村八分による田舎の闇だとか、村の秘密を知られた村人全員による完全犯罪だとか。山奥に潜む怪物の仕業なんて荒唐無稽な噂まで出てくる始末。
しかしそんな三文小説以下の作り話も訳知り顔のコメンテーターたちが電波に乗せて面白可笑しく脚色してしまえば、一部の一般市民の皆様は義憤に駆られて村人たちを迫害するのは明白というもの。
そうして誹謗中傷とメディアの心無いインタビューに村人たちは追い詰められ、一人また一人と村から出て行くことを余儀なくされたのだ。
結果、一つの死体が村一つを地図から消失させたのである。
こうして事件としての顛末だけを見ればよくある話だが、村一つを消滅させるという稀有な事例と相成った。
しかしこの話には続きがある。
その一月後、犯人が見つからないまま捜査が暗礁に乗り上げようとしていた頃、新たな通報を皮切りに連続殺人事件へと変貌していくこととなる。
今度は都市部から2時間ほど離れた新興住宅街で死体が確認されたのだ。遺体は前回と同様に一部が欠損。箇所は違えど綺麗さっぱりと右大腿骨から下が消失、いや消滅していた。
さらにその三日後には牛舎が襲われたとの通報を受けた警官の皆様は、その家畜の状況を見て理解する。
獲物は人間だけではないのだということに。
その後、続々と新たな通報が入る中、全うに職務に励んでいた警官達は歴々と事件の異常性を思い知らされていく。
被害は獣や家畜だけに留まらず、その道筋には昆虫やさらには草花さえ一部を無くした状態で命を散らしていたのだ。進行方向にあるものを見境無く殺していく。草花に命の概念を持たせたとしても、その異様さは際だっていた。
さらに地面には被害者以外の足跡もなく、犯行の痕跡も遺体以外見当たらない。犯行現場と日数の関係から犯人の動向が中国地方の村落を始めとし四国、中部地方へと移動しているという事しか分からず、行動範囲を予測し人海戦術による網を張るも髪の毛一本引っかかることは無かったのである。
そして捜査の甲斐も空しく連続殺人犯の糸口さえ見つからないまま一年半が経過。
信用が坂を転げ落ちる前にと警視庁は已む無く民間へ捜査協力を取り付けるため懸賞金を掛けるものの、この国最大の機関が人海戦術を以っても証拠一つ挙げられないものに目撃証言など出るはずも無く、未解決事件への仲間入りを果たそうとしていたのだ。
警察が無能の謗りを受けるはめになるのは時間の問題かと思われたそんな時、一つの民間企業が協力を名乗り出たのである。
「境界認識異常者?」
警視庁総監は質問をしつつ、革張りの椅子から怪訝な顔つきをこちらに向けていた。
豪奢すぎる総監室。
調度品に囲まれ、部屋の隅にしつらえた座り心地満点のソファに踏ん反り返っていた俺は視線に気づき、ばちこんと大げさにウィンクを返す。
瞬間苦虫を口いっぱいに放り込み青汁を加え、ミックスジュースにしたものを口に含んだような顔をこちらに向けた。
つまり凄い顔をした。
「えぇ、特徴からいって間違いないかと」
警視総監の向かいに座っている三白眼の美女は粗相した飼い犬を叱り付けるかのように、こちらを睨み付け返答。
「しかし、その境界認識異常者?でしたかな。聞き覚えが無いものだが」
表情を戻した総監は、聞き慣れない単語に首を傾げる。
「えぇ、それはそうでしょう。一般的には知られていませんから。これは過剰に『ある要素』を取り込むことで世界との境界を失った者のことを言います。その結果は心身の喪失、身体機能の変化、異能の発露など様々な異常を…」
「待て待て待て待て!御伽噺を聞きたいわけではない。しかも異能だと?中学生でももっとましな設定を考えるぞ!」
漫画やアニメのような話をしだした所長に向かって警視総監が吠える。
確かに人生にそんな彩りは創作物の中にだけしかなかったような人にとって、所長の話は中二病そのものだ。ってか、中二病くらいは知っているらしい。
「いえ御伽噺などではありません、これは歴とした病気なのですよ。総監殿」
理解に乏しい子供に対して諭すような物言いをしていくスタイル。巨大な権力に対しても媚びるようなことはしない。そこに痺れるけれど憧れはしない。
長いものには巻かれていたい俺とは違いすぎる。
「境界性人格障害という精神疾患をご存知で?ボーダーとも言われますが。その延長線上に彼らはいるのですよ。彼らの見る世界は健常者のそれとは異なります。彼らは独自の世界を持ち、病を拗らせる。そして世界そのものを変容させていく、つまり何にでも成り得るという自己完結の極地ということです」
「ば、馬鹿馬鹿しい。例えそんな症例があったとして、今回の件と何の関わりがある?」
「そのものですよ、総監殿。認識を変えることができるということの意味を理解されていますか?人の目というのは存外あやふやなものなのです」
人体の構造に絶対はない。脳が処理した情報のみを感覚として認識できるのだ。
脳の電気信号の伝達に齟齬が生じた場合、受け取った脳は間違った感覚を伝えてしまう。その齟齬が『ある要素』から大幅に影響を受けると、人としての境界さえ失うに至る。世界を己がままに改変可能ということ。
「この犯人は人の認識を世界ごとズラすことができる、つまり姿を消すことも可能だ、という事です」
「なっ、そんなことができる奴をどうやって捕まえることが…いや、そんなことできるわけがない!今までにもそんな話は過分にして聞いたことがない!」
話を受け入れようとした警視総監様はすぐにその考えを否定する。当たり前だ、いきなり理解しろというのは無理な類の話なのだ。
しかしできるできないの話ではない。やるやらないの話であり、そこに例え漫画やアニメのような類推があったとしても一件の余地として考えなければならないのだ。
これ以上の被害を無くすには推論とて必要なのだから。
「すぐに理解しろとは言いません。しかしながら、案外的外れとはいえないのでは?
過去あなた方警察が立証できないような犯罪、常識では考えられないような不可解な事件はありませんでしたか?常識に囚われた結果、時効になった事件も多いと聞きますが?」
ウチの主人は少しでも余地があれば、チクチクと痛い所を突いてくる。姑も裸足で逃げ出すわ。
「…それは、我々もそれは目の当たりにしてきた事実ではある。
事実ではあるが、しかし空想妄想と呼ばれる類のものをおいそれと証拠として挙げることはできんのだよ。
我々は警察なのだ、常識の象徴であり、またその誇りもある。そんな象徴としての我々が易々と非常識を受け入れてはならぬのだ」
過去の未解決事件が脳裏に過ぎるのであろう。
俯く表情には非常識な事象があり得てしまっていると感覚的に理解できても、それに縋ることはできないのだろう。職務という理性がその感覚を否定しているのが見て取れた。
「そこで我々なのです、有村総監殿。異常という名の事象を認識し、かつ殲滅することのできる我々が」
説明はここまでと言わんばかりに立ちがる我らが所長。
「証拠など不要。全て現行犯で殲滅のみが我々の仕事です。
異常者が認識されないというのであれば、そちらにとっても好都合というものでしょう?異常者は異常者のまま、認識の外で存在ごと消えてもらえばいいのですから」
右手を腰に当て、所長は総監にのみ聞こえるように顔を近づけ、最後の言葉を投げかけた。
「今までもそうでしたでしょう?総監殿。過去の摩訶不思議な事件はその後も続きましたか?」
ハッと顔を上げる有村総監。逡巡は一瞬。
「…捜査を頼む。」
「承りました。報酬は『神月派遣事務所』宛てにお願いします。」
ここに依頼が成立した。
さて、お仕事お仕事。あとは関連部署との調整だけだ。そうして所長と共に部屋を辞そうとドアを開けたところ、
「神月所長。…最後に一つ聞いてもいいかね?」
総監からの問いかけ。
「なんでしょう?」
「境界認識異常者、だったかね。その説明に出てきた『ある要素』というのは何なのだ?」
それに対しウチの所長は、
「――悪魔、ですよ」
ドヤ顔を決めたのである。
その後は会議室に移動し報酬の内訳やら、警官隊の配置やらについて決定。終わった頃には外は夕闇に包まれ、帰路に着くために地下駐車場へと足を向けていた。
善良な一般市民である俺には馴染みのない場所にキョロキョロと忙しなく辺りを伺いつつ歩いている。
「ところで、ナツメ」
所長から何やら剣呑な雰囲気が漏れ出していた。
こういうときは即反応。パブロフの犬の如き反射で答えておくのが吉である。
「うっす、神月所長なんでございましょう」
従順ですよと態度で示す。ちょっとでも反抗的と思われれば斬られてしまう。暗喩でなく直喩的に。
「お前、会議中何をしていた?」
咄嗟に言い訳を考え、その全てが斬られる運命にあることを悟った俺は思考を放棄。
ありのまま起こったことを話す。
「最近巷で噂のソーシャルゲーム『白犬物語』なぞを嗜んでおりました」
『白犬物語』とは白い犬を題材としたカードゲームで、自分の犬小屋を構築し最大10匹の犬たちと聞くも涙語るも涙な物語を進めていくのだ。犬なら何でも白くすればいいと言うキチコンセプトのもと、親愛度などの設定も盛り込んだもふもふパラダイスを堪能できる珠玉の作品となっている。
現在俺の犬小屋は重課金による灰スペックデッキのため、他課金者を圧倒。現在イベントの『金牙コラボイベント、黒カブトを討伐せよ』にて一位独走体制に入っていた。
頭の良くない俺が会議に参加できるわけも無く、会議室の隅っこで大人しくしていたのは進行の妨げになると思ったからで、別に「ふふ、俺の秋田犬(白)のランちゃんが火を噴くぜ」なんて楽しんでたわけではない。
「…今月の給料は減給な」
しかし、現場の判断はコストカット。
現実は非常である――。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
減給はちょっと、ホント勘弁してください。課金しないと現在二位のユカリン・ワンワン・アイラブユーさんに追いつかれてしまいます。なんて恩情を訴えつつ、手荷物の受領を済ませるために守衛室へとたどり着いた俺たちは周りがざわざわとしているのに気づく。
「あ、神月さんですね、手荷物の件でちょっとお話が…」
守衛さんに呼び止められ、我々は話を聞くために守衛室へと案内された。
「このバックなんですが…」
何の変哲もないトートバック。
これは大手スーパー二階の衣料品コーナーで2980円。大きさもお値段もお手ごろとあって購入したマイフェイバリットバックだ。
それがどうしたのかと言おうとして、バックからバスバスと跳ねるような音が聞こえてきた。
「…何か入ってますよね?」
困惑気味に問われた守衛さんの一言。
俺は後ろ足で逃れようと、――残念、回り込まれてしまった。
ゴムのように伸びてきた所長の腕。こちらを見てもいないのに、指先だけで正確に俺の頭を掴み上げる。
「ナツメ、貴様アレを入れているな?」
握力だけでリンゴをジュースにした逸話は伊達ではない。
「タンマ!タンマ!マジ出ちゃう、中身出ちゃう!」
ギリギリと締め付ける激痛に腕をタップするも止められるはずもなく、足が宙へと浮いていく。
「あれほど連れてくるなと言ったよな?なんだ?今日はやけに調子がよさそうだなナツメ。どうやら減給だけでなく死に急いでもいるらしい。お望みならこの場で始末してやるよ」
気温がここだけ絶対零度と化す。
「ちが、違いましゅ、だって可哀想じゃないですか!お留守番なんてさせてたらきっと不逞の輩に攫われてしまう!」
必死に正当性を主張するも、その主張は唾棄され、力が緩まるどころか次第に力が入っていく。
どうやら所長ルートの選択肢は全てバッドエンド直行らしい。来世ではトップブリーダーを希望します。
そろそろ頭がトマト祭りになってしまいそうにした時、
「あ、あの、一応中身を拝見しても?」
守衛さんの一言で惨劇を回避。
さすがに無視する訳にもいかないのか、所長は舌打ちと共に俺をリリースした。酷い扱いを受け這う這うの体でマイバックに縋りつくと、所長が顎をしゃくって開けろの命令。
俺はコクコクとその命令に従いファスナーを開放したのだった。
そして中身に注目が集まる中、
「わふ」
現れたのは、何を隠そう我らがアイドル、ラブリーエンジェル・ナベちゃんであった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
現在午後九時を過ぎたところ、俺は首都高速から流れる夜景を助手席から横目に眺めていた。
といっても、低すぎる車体のおかげで風防しか目に入らないのであるが。
あの後は大変だった。
よほど寂しかったのか千切れんばかりに尻尾を振り、顔をべろべろと舐めてくるナベちゃんを宥めすも、落ち着いたナベちゃんはそのアイドルっぷりを遺憾なく発揮し、守衛室をゆるふわ空間へと置き去りにしたのだ。
皆を正気に戻すのにだいぶ手間取ってしまったが、なんとか守衛室を後にしたのである。
「助手席に出すな。抜け毛が落ちるだろ」
俺の膝の上で寛ぐナベちゃん。
それを横目にトントンとハンドルを指先で叩くは神月所長。完全に八つ当たりのそれなので、俺は強気で返答する。
「え?もしかして、もう一度あんな狭いトコに押し込めるって言ってます!?ホントあんたの血は何色だ!紫か?それだと緑色の人たちに失礼か。だいたいそんな性格だから未だ独り身なんですよ!」
ここぞとばかりに普段言えないような言葉を浴びせていく。
段々と指先から流れるビートか激しくなり、あふれ出る気配は邪気のそれ。
もう臨界点を突破しようとするのを確認し、
「ほら、ナベちゃん、あの冷血女に言ってあげな!一人は寂しいって!」
そう言って、ナベちゃんを所長へ差し出すように向ける。
「わふ」
くりくりお目々に見つめられる神月所長。
寸前まで放たれていた暗黒闘気は霧散消滅。変わりにピクリと指先が動くも、視線を前方に戻して何も無かったかのように振る舞うことにしたようだ。
「…次からは気をつけろ」
俺は知っている。
あれはナデナテしたいが、俺の前なのでナデナテをキャンセルしたのだ。つまりはナデキャンが発動したが故の動きであることを俺は知っている。
俺は知っている。
あれは一年前、已む無くナベちゃんを事務所にお留守番させてしまった時のこと。
忘れ物を思い出し急いで事務所へ引き返したところ、事務所から怪しげな声が聞こえてきたのだ。
すわ犬攫いか、許すまじ。もしナベちゃんに傷一つ付いたなら、この世の地獄を見せてやる。と意気込んで扉に近づくと声の主はどうやらウチの所長らしい。不審に思った俺はそっと気配遮断を実行し、扉の隙間から中を窺うと
「ナベたんはカワイイでちゅねー、モフモフ♪」
あまりの衝撃に心臓麻痺を起こしそうになりかけた。
意識が超新星爆発するほどの衝撃をどうにか受け流し、弱み、もとい所長の新しい側面を動画に収めるべくその後も観察を続けたのだ。
それはもうデレデレだった。
スライムさえもっとマシな形状を保つわってくらい顔が蕩けきっていた。しかも幼児対抗までしていた。
抑圧された人間ほど解放した時のエネルギーはすごいというが、これほどの破壊力はないだろう。
よくよく見れば、ちょっとナベちゃんが嫌そうな顔をしている。大天使であるところのナベちゃんでさえ、このモードの所長は対処できないのかもしれない。
俺はそんな一人と一匹を存分に堪能して事務所を離れたのだった――。
そんな様子を俺は知っている。
つまり何が言いたいのかというと、所長はナベちゃんを無碍にできないということ。証明終了。
まったく素直になればいいのに。
そうして俺たちはナベちゃんを挟んで仲良く?帰路に着いたのであった。
そういえば神月所長の下の名前って「ゆかり」だったっけか。
…まさかね。