第2章:ぐれた弟をどうにかして3
「な、なんだテメーはぁ!?」
白川守が起き上がると、黒縁メガネでショートカットの女の人が視界に映った。
自身が傷だらけなこともあって、いやに虚勢じみた叫び声になってしまっている。
「まあ、落ち着きなさい」
素行の悪い中学生のガン飛ばしに対しても、
遊佐は怖がる様子を見せなかった。
「う、うっせーぞコラァ!」
「『くっそう!なんでこんな傷だらけの時に、目の前にカワイコちゃんがいんだよ!
どこの学校か気になるぜ……』」
遊佐は、守の心の声を暗唱した。
瞬間、守の顔がひきつったのを彼女は逃さなかった。
「『な、なんだよ、この不気味な野郎は……』か。
せっかく嬉しいこと思ってくれたなって思ったのに、
華の女子高生に対して不気味とは失礼なクソガキね」
「な……ッ!」
「『ガキ扱いしやがって、このアマ!
痛い目遭わしてやろーか、あぁ!?』だなんて。
ああ怖い怖い」
守の顔がみるみるうちに赤くなっていく。
遊佐は守の心を弄ぶようにして、彼の心の声を読んだ。
「この野郎!」
ついに守が右手をあげた。
その瞬間、遊佐の足が思い切り守の股間を蹴り上げた。
「うぐおっ!」
「私はあなたの話を聞いてやろうとしてるの。
あなたが少し大人しくさえしてくれるのであればね」
悶絶する守の心を読む。
「『くっそう、だいたい話を聞くってどういうことだよ?』……か。
うーん……じゃ、まずはどうしてあなたがここでノビていたかを」
しかし守はあまりの苦しさに、まだ口を開けないようだった。
「……どうしてそんなことが聞きたいのか、って?」
突然やってきた見知らぬ人間に話す内容でもない。
「それじゃあなたは話したくないのかしら?」
「うぐ……」
「……ところでお前は何者だ、って?」
「ぐぐ……ぐ……俺の思ってること、」
ここでようやく守は口を開いた。
「ズバズバ当てやがって……」
「さあ?
どうしてでしょうね?」
「とぼけんな!」
「読心術、とでも言っておこうかしら。
別に変な宗教とかじゃないから、安心なさい」
「……」
「なるほど、アンパンが食べたい、と。
あなた甘党なのね。
私も甘いのは好きだけど、どっちかというと辛党なのよね」
「……どうやら本物らしいな、その読心術ってのは」
守は体を起こし、体育館の壁にもたれかかって座った。
「丁度いい。
別にあんただからってわけじゃないが、
ちょうど話し相手が欲しかったんだ」
(『読心術を使うような奴じゃ、虚勢を張ったところで無駄だろう』か。
少しは賢い選択するようになったじゃない)
「……なんだ、何を笑ってる?」
「いいえ、別に。
じゃあ、まずはどうしてそこにノビていたかを教えてくれるかしら」
守は堰を切ったように喋りだした。
調子に乗った1年がいるとのことで、
今日の放課後に呼び出してリンチすることになった。
もちろん守もそのリンチに参加することになったが、
守が体育館裏に来るやいなや、囲まれたのは守だった。
守は全てを悟ったが、時は既に遅かった。
いかに守のケンカが強かったといっても、多勢に無勢であり、
あっというまに守はボロボロにされた。
「俺は、罠にはめられたんだ」
彼は白沢中学校でも屈指の素行不良生徒だった。
同輩や後輩の不良からは慕われていた反面、上級生からは反感を買っていたという。
しかし彼のケンカの腕があまりに強く、
また霊兎寺高校の不良とも面識があると言いふらしていたこともあって、
上級生らも表面上は守への反感を隠していた。
「でも、上級生の中に、実際に霊兎寺高校の不良と顔見知りの奴がいたらしくって、
昨日だったか一昨日だったか、実際に聞いてみたそうだ」
そこで、白川守が霊兎寺高校の不良と面識があるという嘘がバレたという。
「俺も妙だと思ったんだ。
今日の放課後になっていきなり不良仲間から、
『生意気な後輩がいるからシメにいくべ』とか誘われてさ」
守を邪険に思っていた上級生はもちろん、
上級生に逆らえない同輩や後輩も、よってたかって彼をノシたという。
「俺は仲間を失った。
もう、帰る場所はない」
子どもはギャングエイジと呼称されることもあるように、
仲間を非常に大切にする。
正確には、仲間の中に存在している自分を大事にする。
グループから外れることを非常に恐れており、
そうならない為に友達に自分を合わせていくのだ。
周りから悪童として恐れられていた守としても、それは例外ではなかったようだ。
「家は?」
「家?」
守は仏頂面を見せた。
「冗談じゃねえ、あんな頭のお堅い奴ら」
「あなたのご家族、頭がいいのかしら?」
すると守は、自慢げな顔になった。
「ああ。
なんたって親父は一橋大学を主席で卒業、お袋だって慶応のSFCの出だからな。
姉ちゃんだって、霊兎寺高校でトップクラスの成績だ。
それだけじゃねー。
親父やお袋の兄弟はな、皆が九帝一工か早慶の大学出身なんだぜ?」
「自分の家族をそこまで誇れるなんて、立派なことじゃない?」
遊佐の一族は、彼女曰く呪われた一族。
純粋に、自分の一族を誇れる守が少しばかり羨ましかった。
「べ、別に、そんなんじゃねーよ。
それに、俺は一族の面汚しなんだし」
「あら、どうして?」
どうやら嶋村の推測は間違ってはいないようだった。
さっきまでドヤ顔だった守の顔は、一気に暗い表情になった。
「親父もお袋も姉ちゃんも、みんな頭がいい。
そんな中、俺は期末テストだって赤点ばっかだし。
なんだか情けねえや」
「……どうやら思ってることはそれだけじゃないようね」
ここまで聞き出したのだから、遊佐としては全て吐き出させてやろうと考えた。
「……」
ここで虚勢を張ったところでどうしようもない、そう守は感じたのだろうか。
「ああ。
親父とかお袋とか、姉ちゃんにも……その、こんなダメ息子で、
申し訳ないなって」
「誰かにそう言われたの?」
「誰にも言われてねーよ。
ただ、皆の肩書きとか考えると、どうしても……」
遊佐の心の中には、守の言わんとしていることが次々入ってきた。
しかし遊佐は、黙って彼の話を聞いていた。
守本人の口から聞き出したかったからである。
「俺は、ダメ息子だよな。
こんなエリート一家の中で、不良みてーなことばっかやってさ」
「そうね」
遊佐の言葉は、冷たさを感じさせるものだった。
「勝手な思い込みで勝手に劣等感持って、
その挙句勝手に拗ねてるんだもの。
どうしようもない超絶ネガティブ過去思考のクソガキだわね」
少しばかりガサリ、という音が聞こえた。
遊佐の激しい言葉に、草葉の陰で隠れている嶋村たちも焦らずにはいられなかったのだろうか。
「……」
遊佐は表情を崩さない。
チラリと守の方を見る。
彼は体育座りのまま、微かに体を震わせて顔を両膝にうずめていた。
「ま、本当の愚か者は自分の愚かさには気づけないものよ」
「……」
彼は言葉を返さない。
もっとも言葉を返さなくとも、遊佐に限っては会話が途切れる理由にはならないのだが。
「これからどうするか。
時間はまだたっぷりあるから、ゆっくり考えなさい」
そういって遊佐は立ち去ろうと足音を立てる。
「待ってくれ」
顔が上がらぬまま、守の声が遊佐の耳に入った。
「あんたの名前を教えてくれ」
「遊佐想奈。言いづらいけど我慢してね」
「あんたのお陰で、俺は目が覚めることができた。
ありがとう。遊佐……さん」
最後まで守が顔を上げることはなかった。
しかし遊佐には、彼の言葉や心から、
精一杯の感謝をしていることは伝わった。
「何かあったら、また霊兎寺高校に来なさい」
遊佐はその場を立ち去る。
茂みに隠れていた嶋村たちも、
守に気づかれないようにそっと遊佐に合流する。
今日の夕日は、いつもよりも澄んでいた。
あれから1週間が経った。
依頼者が入ってきた放課後の2年D組には、南に面した窓がある。
そこから夕日が入り込んで、教室の一部分が赤く染まっていた。
「白川舞さんですね?」
「はい、先日はありがとうございました」
白川舞の満面の笑顔で、嶋村たちは依頼された仕事の成功を確信した。
「先週、弟が家族で話し合いたいと言い出したんです。
そこで弟は、自分が家族に対して劣等感を抱いていると話してくれました。
私たちは、人間は頭だけじゃないから劣等感を抱く必要はない、と言いました。
まだぎこちない部分はありますが、
徐々に家族仲も修復しつつあります。
ダメもとで『ミレーヴァ』に頼んでみたけれど、本当によかったです!」
「いえ、我々としても白川守君が改心してくれて喜ばしい限りです」
「そうそう、報酬なんですが……」
そういって白川舞は、一枚の封筒を渡した。
「私から5千円、両親からそれぞれ1万円ずつです。
本当であればこの3~4倍の金額くらいはお礼として出したい、
とお父さんは言っておりましたが……」
「いえいえ、とんでもない。
所詮は高校生の同好会です」
嶋村は予想外の報酬金額に戸惑いながらも、
なんとか理性を保って受け答えした。
「また何かありましたら、ぜひ『ミレーヴァ』をよろしくお願いします」
「はい、ありがとうございました」
同じ学年だというのに、白川舞は丁重にお辞儀をして去っていった。
合計2万5千円もの報酬は、
嶋村の独断で、興津・東海林・遊佐にそれぞれ7千円、
活動費として2千円、残りの2千円を嶋村のポケットマネーとした。
興津たちはこの決断を一度は断ったが、
「僕は別にお金に困ってるわけじゃない。
それに毎回こうするわけじゃない」
といって結局、嶋村以外に7千円ずつ渡った。
「誰か会計係をやってくれる人を獲得しなければ、な」
高校生のサークルとはいえ、お金を扱う活動である。
会計を取り仕切る存在が不可欠だった。
辺りを見回す。
「そういえば興津は数学が昔から得意だったよな?
次回から会計係をお願いしたい」
「私でいいなら構わないわよ。
それよりも、武力担当がせめてもう一人くらい欲しいわね」
「そうね。
これからどういう仕事が舞い込んでくるかわからないし」
「まだまだ新規同好会だからな。
とにかく人材を集めないと」
嶋村は頭を捻った。
(まだ船は動き出したばかりだ。
皆の言うとおり、まずはサークル員を集めないとな……)
「皆の言うことにも一理ある。
これから1週間は新人獲得強化期間として、
あらゆる方面から有力な新人を見つけ出す。
東海林、これから1週間、有力なデータを備えた人材を探し出してくれ。
僕らは直接声をかけたり、学校生活を俯瞰して有力候補を探す」
「了解」