第2章:ぐれた弟をどうにかして2
同日、8時20分過ぎ、体育館裏。
煙草の吸殻がいくつも落っこちているが、不良もこの時間帯からタムロしてはいないらしい。
この場には、嶋村と遊佐以外のほかは虫などの小動物がいるのみだった。
奥の方では、登校してくる数多の生徒の声がわらわらと聞こえてくる。
静かな体育館裏とは別の世界のようだった。
「あなたが考えている通り、私は人の心を読むことができるの。
それこそ、妖怪サトリみたいにね」
「……」
「とはいっても、私は見ての通り真人間よ。
妖怪だなんてとんでもない」
遊佐の宣言どおり、彼女は人の心が読める。
嶋村が何も言わずとも、会話(というべきかは難しい所だが)は流暢に流れていくのだ。
「下克上が流行った戦国時代初期のこと。
時の守護大名は、自身が下克上に遭うのを恐れて、
下克上が絶対にできないシステムを導入したの。
人の心が読める妖怪サトリの血を人間の体内に取り込むことで、
人の心が読める人間を何人も作り出した。
しかし、その多くはサトリの妖力に精神が持たず死んでしまった。
私の先祖の一族だけがサトリの妖力の耐性を持っていたらしく、
それ以後は、先祖の一族が人間版サトリとして、
下克上を考えている謀反者をあぶりだしていった」
しかし、この守護大名は長く持たなかったという。
サトリとして守護大名に仕えた一族の評判は町中で噂となり、
やがてこの一族は呪われた一族の烙印を押されてしまう。
そのことに激昂した一族は、町に降りて殺戮をしだした。
それに守護大名は腹を立て、一族もろとも皆殺しにしようとしたが、
人の心が読めるサトリと化した一族に勝てるはずもなく、
その守護大名の土地は、サトリの一族を除いて全滅したという。
「そのあと私たちの先祖は、
各地へ散り散りになっていったわ。
もちろん、サトリの能力は隠してね。
そうしなければ、また迫害を受ける。
一族の将来のためには、どうしても隠し通している必要があったの。
今でさえ、私みたく生まれながらにサトリの能力を持った子どもが生まれてくる時がある。
私はね、呪われた一族の一員ってわけよ」
自嘲気味に自己の一族の生い立ちを説明したあとで、
遊佐はしゃがみこんだ。
「人の心が読めるってのは厄介でね。
その人の裏が否が応でも見えちゃう。
だから私は、人間のことが信用できなくなっちゃった。
他の人たちも、私の人間嫌いを察しているのか、
私に近づいてこようともしない」
思わず心の中で、遊佐に同情してしまう。
古くは中国の孟子が性善説を説いたが、嶋村は荀子の性悪説を支持していた。
どれほど綺麗ごとを言おうが、その腹の底は知れている。
「あなたのためを思って」などと安い言葉を使う人間ほど、
その腹の奥で絶え間なく湧き出る汚泥を煮詰めているものだ。
別段嶋村は、それで人間嫌いになるわけでもなかった。
そういった負の側面は人間である以上、避けられない習性なのだ。
腹の底で何を抱えていようと、
互いに利益を被ることができれば十分ではないか。
それに、普通なら相手の心の奥底で湯気を出して沸騰している汚泥は垣間見れない。
意識しようとしなければ、考えようともしない存在なのだ。
しかし、もしそれが可視な存在だとしたらどうなるか。
練られた口説き文句を純真な表情で吐きながら、その奥にある汚い原液を見せられたらどうだろうか。
「……同情してくれてんの?
ま、サトリだってバレにくくなるからこっちの方が都合よかったんだけど」
うつむいた遊佐の顔が、嶋村の方へと向いた。
「まさか、こうも容易くバレちゃうなんて、ね……」
その左手には、鉄の物体――ピストルが握られていた。
「あなたの噂は聞いてるわよ。
嶋村操、あんま目立たないけど、実はIQ180越えの天才高校生ってね」
嶋村は、息を飲んで、彼女の顔とピストルを交互に見た。
「今まで私の正体がバレた人間も同じようにしていたか、ですって?
いいえ、そもそも私の正体がバレたことなんか、なかったのよ?」
嶋村の考えていることを瞬時に読んでは、
妖しい笑顔を浮かべながら彼の疑問に答える。
「さあ、今のうちに念仏でも……」
「取引をしようじゃないか」
「取引?」
遊佐は顔をしかめながらも、拳銃を引っ込めることはしなかった。
「『ミレーヴァ』のことは、きっと君の耳にも入っているだろう。
僕がこんな手の込んだことをしたのも、
全ては君を獲得するためだ」
遊佐は嶋村の顔をジロリと睨む。
「……ふん。
命乞いをしようとして咄嗟に考えたようなものではないらしいわね」
「あなたならば、そのくらいのことはできるでしょうに」それでも遊佐は警戒心を緩めてはくれない。
「もちろん君が望まないのであれば、
君がサトリと同じような能力を持っていることを隠匿する。
だから、『ミレーヴァ』に……」
「フフ」遊佐がニヤリと笑った。
あくどい女が男に本性を現す際に見せるような笑顔。
パァンッ!という音が辺り一面に響いた。
「……どういうつもりだ?」
嶋村は、怪訝そうな目つきで遊佐を見る。
遊佐の左手には、拳銃が握られたままだった。
「フッ」遊佐はここで初めて、年相応の女の子の笑顔になった。
「ハハハッ、あなたともあろう方がこんな簡単に騙されるなんて。
そもそも法治国家の日本で拳銃なんか持てるわけないでしょ」
「……どこまでが本当の話だ?」
「『私に近づいてこようともしない』って所まで」
遊佐から拳銃を渡される。
引き金を引くとパァンッ!という効果音が流れる、ただの玩具だった。
「別にバレようと構わないわよ。
この科学文明の時代に、誰も本気で信じないだろうし」
常識的に考えればそのようになるだろう。
きっと「頭のおかしい奴だ」と思われて、それきりなのかもしれない。
「それよりも……『レミーヴァ』だったっけ?」
「『ミレーヴァ』だ」
「ああ、そうだったわね。
私を勧誘しようと思ってたんでしょ?」
タチの悪いいたずらに少々むかついていた嶋村だったが、
遊佐の言葉で本来の目的を思い出した。
「読心術のある人を探していたんだ。
入ってみる気はないか?」
「そうね……。
ま、断る理由は特にないわね」
「……」
「……ん?
どうしてこの人は、今自分が考えていたことがわからないのか、って?」
嶋村は、さっき東海林のことについて考えていた。
遊佐に会った直後の東海林は、何か怖がっていた。
彼が怖がっていたものの正体はわかったが、
東海林が遊佐に再び会ったとき、なんと言い出すだろうか。
「……ああ、そのことね。
彼には少し悪いことしちゃったわね……。
それと私、普段は人の心読まないようにしてるのよ」
常に人間の本心がとめどなく自分の心に流れてくるのを想像してみなさい、と彼女は言った。
嶋村の頭脳を持ってしても、それがどういう状態なのかは皆目見当がつかなかった。
ただ、それがとても疲労を伴うものであるということは予想された。
「そう、とっても疲れるのよ。
寿命が縮まるわよ」
「そんなこともできるのか、君は」
「苦労したのよ。
この術を身につけるのに3年くらいはかかったわ」
ここで、始業を告げるベルが校内中に響いた。
「それじゃ、今日の放課後に2年D組の教室まで来てくれ。
詳しい話はそこでする」
「了解したわ」
遊佐と別れると、嶋村は急いで教室へと駆け戻った。
同日、放課後、2年D組教室。
嶋村の考えていた通り、遊佐の姿を見て東海林は恐れを成したような表情を浮かべた。
しかし自己紹介が終わると、いつのまにか打ち解けていた。
ちなみに自己紹介では人の心が読めるということも話したが、
興津も東海林も、それで彼女を邪険にしようとはしなかった。
2人とも、自分と違う特性を持った人間を排除するような器の小さい人間ではなかったのだ。
「よかったね、あの二人のこと心配してたんでしょ?」
「ああ、杞憂に終わって助かったよ。
……って、興津、なんでそれを知ってる?」
「さあ、なんとなーくそんな表情だったからさ」
「まさか、お前も心が読めるとか」
「んなわけないじゃない、腐れ縁特有の以心伝心ってやつ。
なにせ10年間も一緒に行動してりゃイヤでもわかってくるわよ」
興津の視線が窓に行った。
嶋村と興津は小学校の頃から同じクラスで、
家も近所だったため何かと仲がよかった。
頭脳派の嶋村と武道派の興津。
一見あわなそうに見える2人だが、
一緒にいる年数が長いと、
恋愛的な意味でなくとも自然とくっつくものなのかもしれない。
嶋村は2人を見た。
東海林と遊佐は、すっかり2人だけの世界に入っているようだった。
さっきまで怖がり怖がられの関係にあったことなど、微塵も感じさせない。
「さて、話が盛り上がっているところ悪いんだが、
早速仕事内容について説明する」
ここで、もう一度仕事についておさらいしておこうと思う。
依頼者は、霊兎寺高校2年生の白川舞。
依頼内容は、依頼者の弟である白川守の素行不良を正すこと。
白川家は両親ともに高学歴で、舞自身もクラスの成績は常にトップである。
守がそのことに劣等感を抱いている可能性を考えたところで、
進展は止まっている。
「なるほど。
つまりは、私に白川守が考えていることを見抜いてほしいってわけね」
「そういうことだ。
やってくれるかい?」
「造作もないわ」
「更には、彼の心の支えともなってほしい」
「私はお母さんじゃないのよ」
「ま、やるだけのことはやってみるけど」遊佐は溜め息交じりに承諾した。
同日、16時半頃、白沢中学校校門前。
帰路を行く中学生が、嶋村たちを怪訝そうな目つきでチラチラ見ている。
高校生が4人も中学校に入り込んでいるのだから、
ごくごく自然な反応ではある。
「白川守!?
か、彼を探しているんですか!?」
「確か、放課後に調子に乗ってる下級生をしめるとか何とかって、」
「体育館の裏にいるかと」
体育館の裏へと向かいながら、嶋村は考えていた。
この4人の中で、戦闘力を持っているのは興津だけである。
相手の人数にもよるが、十数人が一斉に攻めてきたとしたら、
いかに興津といえど持たないだろう。
そして、万が一遊佐や東海林、もしくは嶋村自身が人質に取られたらどうすればよいのか。
そういった事態も考えると、
白川守とその集団に至近距離で接するのは自ら火中の栗を拾う以上の意味はないように思える。
そんなことを考えていると、体育館の裏からぞくぞくと素行の悪い生徒が出てくるのが見えた。
「あの中に白川守はいるか!?」
4人で唯一、白川守を裸眼で見たことのある興津である。
しかし彼女は3秒ほど集団の顔を見たのち、首を横に振った。
「あの中に、白川守はいないわね」
「何?
とにかく、体育館の裏まで行ってみよう」
足の速い興津が一番最初について、
「おっと!」
と声を上げた。
やがて嶋村たち3人も興津に追い着く。
そこには、血まみれの中学生がひとり横たわっていた。
「これはだいぶやられたわね」
「ここまでボロボロにするなんてひでえ奴らだな」
「いや……」
東海林の呟きに異議を唱えたのは興津だった。
「彼よ。
ここで倒れているのが、私たちが探していた白川守よ」
「う、う~ん……」
のびていた茶髪の少年が意識を取り戻したようだった。
「遊佐だけがここに残って、
僕たちは向こうの茂みに隠れよう」
嶋村は敏速に指示を出す。
「そうね。
あまり大人数で囲うよりも、1対1の方がやりやすいし」
「健闘を祈る」
そういうと、嶋村たちは素早く茂みに身を隠した。
遊佐は、嶋村たちの隠れた茂みに向かって親指を突き立てる。
嶋村たちも呼応して、彼女に親指を突きたてて見せた。