第2章:ぐれた弟をどうにかして1
白川が帰ったあと、早速作戦会議となった。
作戦会議とはいっても、高校生の行う会議など知れている。
「どうしようか」「白川さんって頭いいよね」などといった言葉が飛び交い、
会議というよりは会話をしていたといった方がしっくりくるほどのものだった。
「では、こうするのはどうか」
それまで一番口数の少なかった嶋村が、声の調子を変えた。
話し合いがはじまってから、30分が経過していた。
「明日は土曜日だが、白沢中学校は土曜日も授業がある。
興津は明日中学校へいって、白川守の様子を観察。
東海林は、白川家について調べてくれ。
明日の午後3時に、霊兎寺駅前の『セレナーデ』で落ち合おう」
『セレナーデ』とは、霊兎寺学園の最寄駅である霊兎寺駅前北口にあるカフェである。
値段も安めに設定されており、霊兎寺高校の生徒にとっては重要な溜り場の1つだ。
興津は用務員に扮して学校へ偵察しにいく予定だが、
嶋村は、危険を感じたらすぐに学校を出るようにも告げた。
「しかし、興津が中学生不良ごときに負けるとは思えないが」
「僕も同意見だが、念のため、というやつだ。
そういうわけだから、何かあったら自分の命を最優先させてくれよ」
「ま、頭の片隅に入れとくわね」
「あ、」
東海林が何か思い出したような顔を見せた。
「どうした?」
「白沢中学校、だよな?
確か……」
素早く自前のノートパソコンを開き、キーボードを打つ。
10本もの指が、精密機械のように素早くキーボードの上を動いていた。
「やっぱりだ。
明日は学校公開日だそうだ」
嶋村はほくそ笑んだ。
「興津、予定変更だ」
「白川守のお姉さん役として行けばいいのね?」
嶋村ほどではないとはいえ、興津もそこそこ頭は回る。
「よくわかってるじゃないか。
それでは、明日の15時。
霊兎寺学園駅前の『セレナーデ』で落ち合うことにしよう」
こうしてこの日は解散することとなった。
東海林は10分前には現地に到着するように出発した。
強迫観念に縛られたかのように時間に対して厳格であることもそうだったが、
待ち合わせ場所にいち早く到着して、呆然と待っている時間を過ごすのが主たる目的である。
東海林は相手を待っている時の、一見無駄な時間が好きだった。
しかし『セレナーデ』に着くと、嶋村が既に奥の席に陣取っていた。
「なんだ、もういたのか」
東海林としては、肩透かしを食らった気分になった時のような声を出した。
「相変わらず読書家だな」
常日頃から「無趣味だ」と言っている嶋村だが、
昔から本の虫だったためか、暇な時間は本を読んでいることが多いそうである。
興津からはよく、「そんな本ばっか読んでると頭でっかちになるよ?」などといわれたものである。
「ああ。
他にやることがないからな」
嶋村は自嘲気味に笑いながら文庫本を置いた。
その頃、興津もやってきた。
「なんだ、2人とも早いじゃん?」
「俺は10分前行動主義者だからな」
店員が来た。
東海林はコーヒーを、興津はカフェラテを注文した。
「では人数も揃ったことだし、まず成果、というか事後報告を聞こうか」
「ええ」
興津は何枚かの写真を取り出した。
そこには、白川守が煙草を吸っている姿、
生徒を複数でリンチしている姿などが写し出されていた。
絵に書いたような不良少年で、これほどわかりやすい男もそうそういない。
「……って、おい、なんだこれは?」
興津が取り出した最後の写真。
そこには、興津と白髪まみれの男性が、二人揃ってピースしていた。
「ああ、これね。
これは今日の最後に校長先生にお礼しに行った時の写真」
「お礼って、お前どういうことだよ!?」
思わず東海林が大きい声を挙げる。
「ああ、えっと……」
カフェラテの入ったコップを手に取りながら、彼女は目を逸らした。
「写真撮ってたの、見回りしていた校長先生にバレちゃったんだ。
あまりに顔が怖かったから、つい本当のこと言っちゃったの。
『これは白川守を更正させるためなんです』って。
そしたら彼、私の諜報活動を不問にしてくれてさ。
さすがにお礼しに行かないのは礼儀悪いじゃん?」
「それほどまでに白川守の素行に頭を痛めていたんだな、校長は」
「……」
嶋村は、興津の体験談を耳で受け止めながら、
目は写真の方を向いていた。
「……確かに、白川守は途轍もない問題児のようだ。
それも、校長が手を焼くくらいに」
「これは、校長のためにも迅速に解決させた方がよさそうね」
「さ、次は東海林の番だ。
どんなことがわかった?」
「おう」
東海林は自身のバッグからノートパソコンを取り出した。
「白川家は4人家族。
父親に母親、白川舞に白川守だ。
白川守の父親は、㈱初芝本社の営業部長だそうだ。
一橋大学を主席で卒業したエリートで、奥さんは慶応のSFC卒。
そして白川舞は、皆も知ってのとおり、
定期テストで必ず上位3位以内に入ってる」
「典型的な頭脳派家族ね」
「だからこそ、一見平凡な成績の白川守が悪目立ちしてるんだな」
嶋村は2杯目となるコーヒーを一口体内に入れてから、口を開いた。
「なるほど、問題はそれだな。
白川守は、巷でいうエリートな家族に対して、
平凡な自分に負い目を感じていた。
だから、家族を毛嫌いしているような態度をとっていた。
もっとも、あくまで全部僕の推測だが」
「まあ、だいたいそんなトコだろ」
「原因はわかったけど、これからどうすんの?」
依頼内容は、白川守が素行不良に至った原因を解明することではない。
原因を解明し、彼の素行不良を正さなければならない。
しかし、そんな簡単に事が運ぶはずもなかった。
「もしも僕の推測が正しいとするならば、
まずは彼の負い目を深くわかってくれる第三者の存在が必要だな。
家族以外の誰かが、白川守の心の支えとなってくれれば……」
と、ここまで話したところで嶋村は怪訝そうな表情を浮かべた。
「ただ、これはあくまで机上の空論だ。
僕の推論が間違っていたとするならば、却って逆効果になりかねない。
白川守を逆撫ですることになったら、任務の遂行は絶望的だ」
今『ミレーヴァ』がするべきことは、
白川守の本心を探ること。
「白川守の本心さえわかれば……」
他人の本心を読むことなど不可能である。
不可能であるからこそ、友人関係や恋愛沙汰は複雑怪奇で面白いのかもしれない。
「誰か妖怪サトリみたいな能力の持ち主いないの?」
「いるわけないだろ」
妖怪サトリ。
人の心を見透かす妖怪で、その妖怪の前ではポーカーフェイスも意味を成さない。
「よし、この件は一旦保留としよう。
次の月曜の放課後に、またD組の教室で」
嶋村は、早々に会議を打ち切った。
「え、どういうこと?」
「まだ集まったばっかじゃんかよ?」
興津も東海林もわけがわからないといった表情だったが、
会議を切り上げた嶋村の口がこれ以上開くことはなかった。
翌週の月曜日、午前8時。
嶋村は一人、校門前に立っていた。
いや、こう記すと少し語弊があるかもしれない。
校門前に立っていたことに間違いはない。
だが彼は、校門をくぐる際に死角となる木陰に身を潜めていた。
『なんか、全部見られてるような気がして』
『全部見られてるって、そりゃあ目も鼻も口も耳も全部見える部分にあるんだから当たり前じゃない?』
『そういうことじゃないんだよ!
なんかこう……体の内側まで見透かされているような……』
遊佐に会ったときの、東海林の感想を反芻していた。
嶋村は、ひとつの可能性を考えていた。
(遊佐想奈、遊佐想奈、遊佐想奈……)
険しい顔をして、遊佐の名前を頭の中で連呼する。
草葉の陰から道路を眺めると、
道路の方から黒縁メガネにショートカットの女子生徒が歩いてくるのが見えた。
(遊佐想奈、遊佐想奈、遊佐想奈……)
いよいよ嶋村の心拍数が上がった。
遊佐の足音が聞こえる。
コツ、コツ、コツ、コツ、コツ。
足音が徐々に大きさを増していく。
隠れているだけに、こちらからも遊佐の姿は基本的に見えない。
足音だけが頼りだった。
心の中で彼女の名前の連呼を続けた。
やがて、軽いローファーの足音が校門をくぐったような音が聞こえた。
(来るか!?)
彼女の足音は、一度やんだ。
しかし、またすぐに彼女の足音が聞こえる。
嶋村にとっては、これだけで十分だった。
草葉の陰から身を乗り出して、
「待ってくれ」遊佐に声をかけた。
「何?」
遊佐は不機嫌そうに嶋村の方を向いた。
なるほど、間近に見ると確かに端正な顔立ちをしている。
先日の依頼人の気持ちが少しだけわかった気がした。
「僕が隠れていた場所は、校門の方からは完全な死角になっていて、
登下校中にもその姿が見えることはない。
なのに、どうして」
「あなたの居場所がわかったのか、ですって?」
遊佐は意地悪そうな笑みを浮かべると、
嶋村も心の中で、笑った。
(まさかとは思ったが、やはりこの子は……)
「そういうこと」
しかし遊佐は、すぐに険悪な表情になった。
「さてはあなた、
私の正体を暴くためにカマかけたのね」
周りの生徒たちの視線が一気にこちらに集まる。
「……」
遊佐は少しの間考え込んで、
「ちょっと、こっちへ」
といって、嶋村の腕を取って駆けていった。