第11章:脱法の毒牙2
卒業式が終わって2日が経った。
この日は卒業式明けの最初の定期活動日だったが、春というよりも初夏のような暑さだった。
「さて、今日は非常に大事なことについて話そうと思う」
暑さのせいか、教卓に置かれた嶋村のお茶のペットボトルは既にほとんどなくなっていた。
「4月から1年生が入る――というよりも、僕らが3年生になる」
日本の受験制度のおかげで、全国の高校3年生は早ければ4~5月には、
遅くとも夏頃までには部活を引退するのが通例となっている。
もちろん依然小規模サークルの『ミレーヴァ』においても例外ではない。
「もしアタシたち全員が引退したら……」
興津がチラリと目をやった先には、不安そうな魚住がいた。
「まさか、私だけですか?」
「そういうことになる」
「えっ、ちょっ、無理ですって!
だって私、演技力だけの人間ですし!
次期統括役だなんてそんな、滅相もない!」
魚住は、余計な所まで否定しにかかった。
しかしその否定も、嶋村によってあえなく潰されることになる。
「とはいっても、ぽっと出の新入部員に統括役を任せるわけにはいかない。
つまり候補はお前しかいないんだ」
「そうね、一応一通りの仕事はわかってきたでしょ?」
興津も嶋村に同調する。
「ま、まあ……だいたいはわかるようになってきましたけど……」
魚住は戸惑いながら答えた。
目線を嶋村たちに合わせず、よく晴れた青空に向けていた。
「よしっ、それじゃあ決まりね!」
興津が元気よく言った途端、前と後ろにある教室の扉が勢いよく開いた。
「『ミレーヴァ』、助けてくれ!」
「お願いします、友達が……!」
2人の声は同時に嶋村の耳を駆け抜けた。
2人してあまりにも切羽詰った声をだすものだから、嶋村もつい慌ててしまった。
「わ、わか、わかりました!
ひとまず順番にお話を聞くとしましょう」
すると今度は2人して自分の依頼を話す始末である。
「ええとだな……その、名前順で話していただけないでしょうか?」
嶋村がこの提案をしたのも、2人の依頼者がどちらも嶋村にとって顔なじみだったからである。
「まずは植野さん、次に柿沼君でいかがでしょうか?」
嶋村の提案通り、植野から口を開いた。
「去年に私たちが来たとき、私と一緒に来てくれた人を覚えていますか?」
「確か……霜田さんという方でしたか?」
「はい。
その霜田澄枝が1週間前に私と下校している時、突然倒れたんです」
その時に病院で運ばれたがしばらく意識が戻らず、
卒業式にも出席できなかったという。
「卒業式、澄枝と一緒に出たかった……」
涙ながらに語る植野を見て、一度決心した嶋村だったが心がぐらつく自分を感じないではなかった。
しかし嶋村はそれを顔に出すことはなかった。
男に二言はないのだ――そう自分に言い聞かせた。
「それで、澄枝なんですが……。
ついこないだお見舞いに行った時にこんなこと言ったんです」
植野の呼吸が荒くなった。
「『私、薬物に手ェ出しちゃったんだ……』って」
植野の話では、霜田澄枝はあまり成績が芳しくないとのことだった。
霜田澄枝の親が学歴社会論者であったことも災いし、
必死で勉強したが成績が伸びず苦しんでいたところ、
街中でたまたま無料配布していた『癒し薬』に手を出してしまったという。
「澄枝ったら、こんなこと言ったんです。
『絵梨佳を裏切っちゃったから、もう私は友達じゃいれないよね……』なんて。
そんなことないのに。
確かに澄枝は馬鹿なことをしたと思う。
それでも、友達は友達です」
彼女は現在、施設で闘病生活を送っているという。
植野の目つきが急に鋭くなった。
「澄枝を酷い目にあわせた『ルシファー』とかいう薬も、それを売った奴も。
地獄に突き落としてやるわ」
いつも穏やかな植野らしからぬ口調に、嶋村も絶句するほかなかった。
「『ルシファー』? まさかそれって……」
隣で座っていた柿沼が勢いよく立ち上がった。
「『ルシファー』って名前のクスリ、ですか?」
「ええ。
まさかあなたもご存知で?」
柿沼はこれまた勢いよく数回頷き、
再び嶋村たちの方に目線を向けた。
「あのさ、2年H組の大塚宗郎って知ってる?
黒いリーゼントのやつなんだけどさ」
名前こそわからないが、黒いリーゼントの頭など今の時代にはそうそういない。
嶋村も興津も、顔自体は知っていた。
「そいつもさ、『ルシファー』ってクスリに手を出してるんだ」
柿沼は苦虫を噛んだ表情で席についた。
「今はまだ禁断症状とか見たこと無いんだけど、
なんかヤバそうな連中とつるんでてさ」
教室中に重たい空気が漂う。
同じ学校で2人も薬物中毒がいるという衝撃の事実。
(いや、)嶋村は首を振った。
(もう1人、いたか)
永澤公孝。
先日、東海林が行ってくれた調査によれば、
永澤公孝も『ルシファー』という薬物に手を出しているそうだった。
「本当に無理なお願いだというのは十二分に承知しています!」
「でもさ、ほっとけないんだ!」
植野と柿沼は同時に立ち上がったことで、嶋村は我に帰った。
2人は一斉に立ち上がったかと思うと、その場で両膝を折り畳んだ。
「「『ルシファー』ってクスリをこの学校、いやこの街から一層してください!」」
これには嶋村も返答に仕方に迷った。
薬物の後ろにはいつだって、得体の知れないグループがいる。
安易に承諾すれば『ミレーヴァ』のみならず、霊兎寺高校全体に迷惑がかかる場合も考えられる。
嶋村は、地べたに額をこすりつけた2人を直接見ないようにしながら「考えておきます」という曖昧な返事のみをして、
2人を帰らせた。
「いかに何でも屋といっても、所詮は高校生のサークルだ」
嶋村は肩を落として首を横に振った。
「どうしてよ? どうにかならないの?
薬物よ? そんなもんが学校で出回ったら……!」
「それは重々承知している」
「元々何でも屋って時点で、こういう仕事が来るのかなってのは覚悟してました」
魚住も興津に負けじと強気に出た。
「私にどんな被害が降りかかろうと構いません」
「下手をすると『ミレーヴァ』だけじゃない、霊兎寺高校の関係者全員が被害を受けることになるんだ」
「でも……」
未だ煮え切らない想いを抱えたまま興津は拳を虚空に振った。
「……あれ?
そういえば今日は東海林先輩たち、いないんですね」
魚住に言われて嶋村は改めて教室を見回した。
教室内にいるのは嶋村、興津、そして魚住の3人だけだった。
「それぞれ用事があるんだろう」
と言ってはみたが、嶋村としても3人同時の無断欠席は気にせずにはいられなかった。
「ともかく、この件については慎重に考えなくてはならん。
東海林たちも交えて、6人で話し合おう」
興津も魚住も、歯の奥にものが詰まったような顔を崩すことはなかった。
―――
鳴瀬川は、椅子にもたれかけて腕を組んでいた。
両耳には、白いイヤホン。
『『ルシファー』ってクスリをこの学校、いやこの街から一層してください!』
2年D組の教室には、だいぶ前から盗聴器を仕掛けておいた。
『考えておきます』
嶋村の返事は重かった。
依頼を承るか留保する意志が込められているようだった。
(そう、それでいいの)
『ルシファー』が学校内で出回っていることは、今年からの出来事ではない。
去年の12月初旬には、既に校内で『ルシファー』を持ち出している奴がいた。
円威邦孝は突然発足した『ミレーヴァ』自身を怪しんでいたようだが、
『ミレーヴァ』が薬物騒動に1枚たりとも噛んでいないことは、既に調査済みである。
去年の暮れに、『ミレーヴァ』にアンケート集計の仕事を依頼した。
『ミレーヴァ』のメンバー全員が生徒会室で作業を行っていたが、
その際、円威邦孝に2年D組を調査するよう依頼した。
もし『ミレーヴァ』が薬物騒動の裏で糸を引いているのであれば、
彼らの活動場所である2年D組の教室に何か痕跡があると踏んでいたのだ。
現に鳴瀬川が盗聴しているのも、その時に円威邦孝が盗聴器を忍ばせたからだった。
しかし、結局、『ミレーヴァ』が薬物を捌いていることを証明するようなものは出てこなかった。
現在もこうして盗聴を行っているが、『ミレーヴァ』を怪しんでいるからではない。
『ミレーヴァ』がいつ麻薬騒動を把握するのかを確かめるためである。
彼らがそれを知るのは、鳴瀬川が考えていたよりも、かなり遅かった。
とはいえ、把握しないならば把握しないで欲しいとも思っていた。
もっとも、統括者である嶋村があまり乗り気でなさそうなことは、不幸中の幸いだった。
『どうしてよ? どうにかならないの?
薬物よ? そんなもんが学校で出回ったら……!』
興津の声だ。
正義感の強い彼女らしい。
鳴瀬川は、なんとなく安心した。
しかし、である。
「一介の同好会が手に負えるような問題じゃないんだよ」
机の引き出しを出す。
白いイラスト付きの錠剤が3粒、小さいチャック袋におさめられていた。
試験もそろそろ間近だというのに、
2日間で5冊も本を買ってしまいました。
大学の授業で聞いた「無知の涙」がどうしても気になったのに加え、
ふらりと立ち寄った本屋には「書店ガール」の新巻。
最近は新書系ばっかだったんです。
物語が恋しくなってきた頃にこれですからね。
金がなくなるわけですね(笑)




