第8章:雑用係にうってつけ2
『ミレーヴァ』の面々は、朝5時頃に起床して、
それぞれ自宅へ帰って行った。
「そんじゃ、また学校でね」
欠伸交じりの興津の声とともに、LINEの通知音が興津の耳を掠めた。
「うん、そんな朝早くからLINE?
早起きの友達いるんだね」
「いや、僕にはそんな人はいないが……なんだろうな」
嶋村はスマホを操作していたが、ほどなくして欠伸をしていた口を止めた。
「どうしたの?」
「植野さんいるだろう。
植野さん、風邪を引いたらしく今日はお休みされるそうだと」
植野絵梨佳という3年とは、とある事件の依頼を通して知り合った。
ひょんなことから、嶋村は、彼女と登校をともにしている。
つい最近は、ほぼ毎日のように彼女と校門をくぐっていた。
「じゃ、今日は久々に1人で学校行くのね」
「ま、そうなるな」
興津は、やにわに自身の脈が速くなるのを感じた。
目覚めた直後のはずだが、頭の中のニューロンというニューロンが行ったり来たりを繰り返していた。
「そ、それじゃ、さ」
「うん、どうした?」
興津は、ずっと昔からこれがやりたかった。
でも、恥ずかしくて言い出せなかった。
更に悪いことに、今では他の子とそれをしているのだ。
最も身近であるのに、いや、だからこそこの一言が、今まで言い出せなかったのかもしれない。
「きょ、今日は一緒に登校しない?」
「え……」
嶋村は、豆鉄砲を食らったような顔をした。
学校へ肩を並べて歩くことを提案されたに過ぎない。
しかし嶋村の表情は、言葉よりも明確に動揺を表していた。
「ま、まあ、別に、かまわんが」
嶋村は、窓の空を眺めながら答えた。
眺めていた、というよりは、目を反らしていたようだった。
嶋村は午前7時40分に家を出た。
家を出て歩くこと数分。
興津とは、この十字路で待ちあわせていた。
「おはよ」
「おはよう。待ったか?」
「ううん。私もさっき来たばっかだから」
その割には、興津の身体は震えていた。
興津の家は、この十字路からそれほど遠い場所にあるわけではない。
「では行こうか」
嶋村は、あえてそこには触れなかった。
なんとなく、無粋だと思ったからである。
「2人で登校するのって、久しぶりだな」
T字路の突き当たりが見えてきた。
そこを左折すれば、嶋村や興津が通っていた小中学校に行ける。
かつて左へ曲がった別れ道を、2人は、右へ向かった。
「そうね。
小学校の頃は、いつも今日の場所で、待ち合わせしてたわよね」
小学校の頃は、ずっとからかいの的になった。
最初は名前で呼び合っていたが、からかいが気になって、互いに苗字で呼ぶようになった。
しかしそれでも、一緒に登校することだけは、毎日続けていた。
どちらかが言い出したわけではないが、それは慣習のように、
小学校卒業まで続けられていたのだ。
中学生になると、お互い恥ずかしくなったのか、
慣習が崩れ、やがて別々登校が当然になった。
当時の嶋村は、これで同輩からからかわれなくなると安堵した反面、
少し寂しくもなった。
興津は、どのように思っているのだろうか。
ともかく、久々に過ごせているこの時間が楽しいと、嶋村は感じていた。
冬特有の喉を乾かす空気も、道行く小学生の声も、
いつもと変わりはない。
いつもと違うのは、傍らに興津がいるかいないか、くらいである。
植野との登校も楽しいが、こういうのもいい。
たかが腐れ縁が隣にいるだけで、登下校とはここまで楽しくなるのか。
しかし同時に、大きな緊張も感じた。
こうやって2人並んで歩いていると、まるで恋人同士ではないか。
決してそんなことはないのだが、周りは当事者の心情を斟酌するほど優しくはない。
「ところで、」嶋村は口を開いた。
何か話さないと、早い鼓動に耐えられないと感じたからだった。
とはいえ、この後に続く単語がなかなか出てこない。
絞りに絞って出てきたのが、これだった。
「僕ら、どうやって知りあったんだっけな?」
「え、いきなし何かと思ったらそんなことなの!?」
興津は、やけに大きな声を出した。
「そりゃあ、あれよ。
確か……幼稚園で、お姫様と王子様の役やったときからじゃない?」
その時の劇は、悪い魔法使いに拉致されたお姫様が脱出して、
婚約者である王子様のもとまで旅をするというストーリーだった。
「なぜか、操がお姫様で、私が王子様。
よーく覚えてるわ。
最後には、変てこな踊りをおどったわ」
小学校にあがっても、中学校になっても、高校に進学しても、
2人はたった1年の例外もなく同じクラスだった。
「小学校の頃なんかは、なかなか苦労したよな」
話しているうちに、嶋村は、自身の心臓の高まる鼓動が気にならなくなった。
「ほんっとに。
周りが囃し立てるもんだから、なんだか名前で呼ぶのはずかしくなっちゃったし」
「まったくだ。
中学校の頃なんか、公然と夫婦って揶揄されたしな」
こんなエピソードがある。
嶋村が同じクラスの男子たちと話していた時のことだった。
『やっぱさ、男である以上、女を守れるようになりたいよな』
『まったくだな。そうでなきゃ格好がつかない』
『でもよ、嶋村はその必要ねえだろ?』
『ん、なぜだ?』
『だってよ、格闘技やってる興津だぜ?
むしろ嶋村、お前が守ってもらえるじゃん?』
「はっは。
確かにその通りかもね」
「僕としては、少し悲しくなったぞ」
嶋村も、1人の男の子である。
女の子を守れるくらい強くなりたいとか、そういったことを人並みに考えることもある。
「それとも、なに?」
興津は、少しいたずらっぽく微笑んでみせた。
「操が、私を守ってくれるの?」
「う、それは……」
経済的に、あるいは、社会的に、であればできるかもしれない。
しかし、今求められている答えではない。
「ま、まあ、何かあったら、相談ぐらいにはのってやる」
極度の運動音痴というわけではないが、
別段腕が立つわけでもない。
目の前の女性を力強く守ると言い切れない自分が、嶋村にとってはもどかしかった。
「まあ、あれよ。
むしろ、私が守ってあげるから」
興津はさりげなく肩を叩いたつもりだったが、
その痛みは嶋村には大きく響いた。
「はぁ」
昼休み、嶋村は生徒会室に出向いた。
昨日依頼を承った鳴瀬川から、直々に話を聞くためである。
しかし、その話を聞く立場にある嶋村は、ため息を繰り返し吐いていた。
「ねえ、『ミレーヴァ』さん」
鳴瀬川はパック飲料の紅茶を啜りながら、けだるげな目を嶋村に向けた。
「入ってきてからため息ばっかだね」
「なあ鳴瀬川」
「ん?」
「格闘技をやってる女性だとしても、やはり自分を守ってくれそうな男の方がいいのだろうか?」
嶋村は、朝の興津とのやりとりをいまだ根に持っていた。
「言ってる意味がよくわからないんだが」
「……すまん、なんでもない。
ともかく、依頼内容を細かく教えてくれ」
心情はともかく、体裁だけは繕わないと。
嶋村は、悩める男の子から『ミレーヴァ』統括役の顔になった。
「うん。
ま、昨日のLINEでも言った通りだけど、
卒業式直前に配る冊子を作る為に、書類の集計を手伝ってくれって話」
興津に託したLINEだったが、
嶋村はそのやりとりに目を通しておいた。
「報酬はもちろん払うよ。
昨日言った通り、2万円で」
「たかが集計に2万とは、かなり大盤振る舞いだな」
「たかが集計って、24クラス分あるんだよ。
40人分×24も集計するんだが」
「まあ、鳴瀬川がそれでいいというなら、それに従うが」
「おっけ。じゃ、決まりね。
今日か明日の放課後にでも、生徒会室来てよ」
この日は東海林と魚住の都合が悪いことを、既に聞いている。
仕事の性質上、ひとりでも多いほうがいいと判断した嶋村は、
翌日の放課後に生徒会室へ来ることを伝え、退室した。
1クラス平均40人のクラスが24個。
合計960枚もの書類を捌くのは、なかなかに難儀した。
『ミレーヴァ』のメンバー6人と鳴瀬川を入れて7人でやっても、
ひとりあたり130枚以上もの量をこなせばならなかった。
せめてもの救いは、鳴瀬川が集計結果をまとめ易くする為の表を用意してくれていたことだった。
それでも全て集計が終わる頃には、夜の7時を回っていた。
「いやあ、ありがとね。
助かっちゃった」
「なに、『ミレーヴァ』をご利用いただき感謝する」
大量の書類との戦いを経て疲労が溜まったのか、嶋村の声も低かった。
「それにしても、どうして他の生徒会員を呼ばなかったんだ?」
生徒会役員は、嶋村の記憶では5~6人いたはずだ。
全てかき集めれば、労苦も半減したことだろう。
特に怒りは沸かなかったが、嶋村は、純粋に疑問を感じた。
「いやね、あんまり臨時会とかしたくないんだよね」
鳴瀬川は悪びれもせずに答えた。
「それに、一度『ミレーヴァ』を使ってみたかったってのもあるし」
淡々とした表情のまま、鳴瀬川は、茶封筒を嶋村に渡した。
「報酬の2万だよ。
皆でおいしいものでも食べといで」
「すまんな」
嶋村は短い返事で封筒を受け取った。
その時、風に揺れた窓が音を立てた。
「うわあ、外寒そう……」
興津が苦い顔をした。
「そういえば、今夜は雪が降るとか行ってました」
魚住の言うとおり、天気予報では、今晩から明け方にかけて降雪の可能性があるとのことだった。
「あらー、そうなの……」
鳴瀬川は、けだるげな目つきのまま窓の外に首を向けたが、
すぐに嶋村たちに視線を戻した。
「さ、あなたたちも風邪ひかないうちに、早く帰んなさいな」
「もちろんそうさせてもらうが、鳴瀬川はまだ帰らないのか?」
彼女は、いつのまにか机に書類を散乱させていた。
「生徒会長ってのは、地味に忙しくてね。
ま、ちゃっちゃと終わらすわよ、こんくらい」
鳴瀬川は椅子に座ったまま、左手を軽く振った。
すっかり伸びたベージュのセーターで、左右に動く左手の半分が隠れていた。
嶋村は、「なにはともあれ、『ミレーヴァ』のご利用ありがとうございました」の言葉とともに踵を返した。
興津たちも、嶋村についていく形で生徒会室を去った。
―――
嶋村たちが生徒会室を去って10分あまりが経過した。
「失礼します、生徒会長」
1人の男子生徒が生徒会室を訪ねてきた。
「お、円威君か。
お疲れさん」
円威邦孝。
2年A組の生徒で、生徒会役員である。
「こんな夜中まで紙切れと睨めっこしてるアンタのが、お疲れさんっすよ」
円威はケラケラと笑った。
男にしては少し長めの黒髪が、彼の笑い声とともに微かに揺れた。
「んで、どうだったのさ?」
パック飲料の紅茶を啜りながら、鳴瀬川は何かを問うた。
「それが、どうにも。
ま、アンタの予想通りだったってことだ。
俺にとっては残念ながら、ね」
「そう……」
鳴瀬川は表情を変えなかった。
「ま、君はしつこく嗅ぎ回ってたようだけど、
やっぱり違ったってことだね」
「隅から隅まで探させてもらった。でも、やっぱり違った。
俺は怪しいと思ってたんだがな。それができた時から」
「目新しいものは必ずしも悪徳ってわけでもないんだが」
「でも、」鳴瀬川は今一度、ストローで紅茶を啜った。
「この学校の生徒会である以上、放ってはおけないよね」
なんか、もう今年も6分の1終わりましたね。
今に始まったことじゃないんですが、私には「やたら考えすぎる」クセがあります。
別に凝ったものを作るとかそういうことじゃなく、どうでもいいことをグダグダ考えているんですよね。




