第7章:期待しかない新人1
気温が低いとはいえ、今朝は清々しい青空だった。
嶋村の顔も、蒼かった。
師にあたる人間が忙しなく走る時期だが、
嶋村には別段、弟子などいない。
「どうされました?
元気がないようですが?」
「今日、また新たな依頼が来ます。
その依頼者なんですが、駒田の友達でして、ね」
嶋村は、チャラチャラしたいわゆるヤンキー系が苦手である。
今朝に駒田から『俺のダチが今日依頼したいことがあるってっから連れてくる』というLINEが届いて以来、
嶋村の心はげんなりしていた。
「苦手意識を持つばかりじゃいけませんよ」
普段大人しい植野が、珍しく叱咤激励した。
「苦手なものは苦手なんです……」
もっとも嶋村には、苦手意識を相手に悟らせない程度の演技力は備わっていた。
駒田が『ミレーヴァ』に入ってまもない頃も、この演技力で乗り切っていた。
「そういえば、乃亜さんは元気でやっていますか?」
『乃亜さん』とは、先月の終わり頃より新しく『ミレーヴァ』の一員となった魚住乃亜のことである。
「ええ。
周りが先輩だけなので最初は少し不安そうでしたが、
今では『ミレーヴァ』の活動を楽しんでいるようです。
妙な階層制度もなくなって、同期の友達もできたようですしね」
言いながら、嶋村は別のことを考えていた。
昔は照れ半分の気持ちで植野と登校をともにしていたが、
今となってはこれがさも当然のことのように思えている。
基本的に学内では学年が違うこともあって、
植野と出会うこと自体ほとんどない。
登校の時だけ顔を合わせる、ある種不思議な関係である。
(このままでいいのか……)
植野は嶋村のことをどう思っているのか。
そして、嶋村自身は植野のことをどう思っているのか。
これから受験シーズンなこともあって、
植野と登校をともにするのも、もう数えるほどしかない。
「どうしたんです? 突然黙り込んで」
突然の問いに、嶋村は、
「あ、いえ、ちょっと依頼された仕事について考え事を……」
と答えるしか余裕がなかった。
「ちょりっす」
『ミレーヴァ』の教室に色黒な短い金髪の男が入ってきたのはこの日の放課後だった。
外見を見る限り、ヤンキー系というよりもチャラい印象を感じさせる男だった。
「駒田から話は聞いています。
柿沼知也君ですね、どうぞこちらへ」
苦手なタイプに嶋村は内心うろたえながらも、教室の依頼者用椅子(もちろん、普通の学校の椅子である)に座らせた。
柿沼は座るやいなや、依頼する仕事について話し始めた。
「改めて自己紹介するとさ、俺は柿沼知也。
『ミレーヴァ』の駒田のダチなんだけどさ、どうしても頼みたいことがあって来たんだ。
俺はさ、近所の蕎麦屋でバイトしてるんだけどさ、
明日さ、どうしても外せない用事が入っちまったんだよ。
しかも明日はさ、バイト先で宴会が2件入ってるとかで休めねえ。
外せない用事ってのは、妹が……さ、
俺の妹が明日、心臓病の手術を受けるんだ。
俺なんか不良しちゃって毎日のように先公の頭痛めてっけどさ、
妹のことは目の中に入れてグリグリしても痛くないほど可愛くてしょうがねえんだ。
一時は『シスコン知也』なんて冗談で呼ばれてたくらいだぜ、ハハハ。
ともかくさ、明日はあいつのそばにいてやりたいんだ。
だからさ、明日のバイトを俺の代わりとして出てくれねえか?
変装にかかる費用なんかはさ、もちろん全部俺が負担する。
無茶なこと言ってるってのはさ、わかる。
でもさ、どうしても明日は病院へ行きたい。
本当、頼むわ!」
依頼者が帰ると、隅っこで話を聞いていた魚住が目を輝かせていた。
「私にやらせてください!
これでも小学校の頃は地元の劇団に入ってたんです。
演技力なら自信があります」
魚住が説明するまでもなく、嶋村たちは先の一件でこのことについては知っていた。
「そうだな。
魚住、身長をごまかすことはできるか?」
「シークレットブーツですよね?
余裕ですよ」
魚住は引っ込み思案らしくない積極性を発揮していた。
彼女の性格についての情報は、先の一件で既に『ミレーヴァ』全員が把握していた。
東海林が作成した文書によれば『前々から引っ込み思案』だったそうだが、
もしかすると本来は活発な子だったのかもしれない。
そのような推測を頭の中で浮かばせながら嶋村は魚住に指示を出した。
「今は身長についてはいいから、早速柿沼君のモノマネをしてもらおうか」
魚住は明日、柿沼知也として仕事を遂行する。
ここで魚住の演技力が本物なのかどうか、確かめてみる必要があると嶋村は考えたのだ。
「まずはさ、柿沼さんがどういう方なのかさ、」
かぶりを振ったのちに出された魚住の声は、いつもの声色ではなかった。
「その情報がなければさ、真似しようがねえよ」
「おお、そのともかく『さ』をつける辺り、柿沼ソックリじゃん」
駒田が思わず手を叩く。
「あとはさ、柿沼さんの顔マスクを作ってくれば余裕だぜ。
だからさ、柿沼さんの写真をくれねえか?」
咄嗟の対応力に驚愕しながらも嶋村は、心の中で考え事をしていた。
(たったあれだけのコンタクトで柿沼の特徴を掴んだというのか。
まるで彼と話しているかのようだ)
嶋村は1年の頃、柿沼と同じクラスであった。
ゆえに柿沼の口調も人並みに知っていたのだ。
「魚住! お前すげえ、最強だよ!!」
駒田は目の前でバック宙を披露された子どものように魚住を賞賛した。
「よし、明日の仕事については魚住に任せる」
嶋村も内心興奮しながら、おおまかな仕事内容を改めて魚住たちに説明した。
霊兎寺高校から徒歩約7分に位置する蕎麦屋『龍桜』で、
18~22時の間、魚住は『柿沼知也』として働く。
報酬は2000円、変装にかかる諸費、そしてこの日の給料とのことだった。
「初仕事頑張れよ」
「はい!」
「今スマホに送るから、ちょっと待ってろ」魚住は駒田から1枚の写真を貰った。
そこには、金髪の色黒の男が写っていた。
今日のうちに柿沼の大まかな人物像を東海林がワード形式で魚住に送ることを決めたのち、この日は解散となった。
「来年の今頃はお前たち、受験勉強真っ最中だぞ?
勉強もせずに遊んでばかりいるから……」
この日も物理の山鳩は、難しい問題を興津に答えさせようとして長ったらしい説教をしていた。
そのため休み時間になるやいなや、
興津は前の席に座っている嶋村を定規でつついて愚痴をはじめた。
「だいったい何なのよあのオヤジは!
あたしが物理苦手なの知っててああやって毎回毎回いびるんだから!」
「山鳩は興津みたく気が強い女の子をイジメるのがご趣味だからな。
でもな興津、お前も少しは物理を勉強した方がいいぞ?」
「私、別に物理受験に使わないしー」
言いながら興津は、もう大学受験のことを考えなくてはいけないのかと少し陰鬱な気持ちになりかけた。
「そもそもどうして数学ができるのに物理ができないんだ?」
「アタシが知りたいわよ……。
ああもう、物理なんてこの世からなくなればいいの!」
興津は世界の破滅を願う壮大な願望を語ったのちに、またうな垂れた。
「荒れてるな。
全く、僕が何か奢ってやるから少しは落ち着け」
「……」
突然興津が顔を起こして、嶋村の両目を突き通すような視線で見つめた。
「な、なんだ、どうしたんだ?」
さりげなく言った言葉に過剰反応されたので、
思わず嶋村も顔が赤らみかけた。
「じゃ、じゃあ、さ」
嶋村を見つめる興津の顔も負けないくらい赤かった。
「その、今日の……えーと……なんというか、ですな」
「今日の昼ご飯か?」
「違う!
今日のよ、よ、よ……」
興津がここまでどもることなど、滅多どころか全くといっていいほどない。
それだけに嶋村の心も平静ではいられなかった。
「今日の夜ご飯、どこか食べに行こうよ!」
ようやく絞り出した興津の声は教室中をこだまし、
教室中の視線が2人に集まった。
何人かは冷やかすような言葉も吐いていた。
「ひゅーひゅー」だの「やっとフラグが立つのか」だの、
そういった野次を、嶋村の聴覚は完全にシャットアウトしようとした。
が、それができるほど嶋村は落ち着いてはいなかった。
「な、なんだ」
40人弱の視線が集まったことで嶋村にとっては、
この提案を断りづらい状況になってしまった。
今日の夜、彼は蕎麦屋の龍桜へ行って、
柿沼として身代わりバイトをする魚住がきちんと職務を果たしているかどうかを偵察しに行こうと思っていた。
一瞬騒がしかった空気もすぐに静かになり、
76もの目が二人の成り行きを見守っている。
「すまんが今日の夜は行く所が、」
バツが悪そうに言いかけて、しかし思い出した。
(いや待て。
『ミレーヴァ』の仕事として行くんだから、別に興津がいたって何ら不自然じゃないよな。
それに1人で食事するのも何だか味気なくはあるし)
相変わらず周りはことの状況を固唾を呑んで見ている。
「いや、一緒に行こう」
一旦は平静を装っていた周りのギャラリーが、急に騒がしくなった。
「本当? やったー!」
興津も思わずガッツポーズをとった。
周りが喧騒に包まれるなか、嶋村は1人居心地の悪さを感じながら休み時間を過ごした。
「ゆーさ! 私やったよ!」
昼休みの屋上、開口一番興津は興奮冷めやらぬ状態で遊佐に言った。
「あら、嶋村を誘えたのね?」
「これで植野さんに一歩リードできるわ!」
興津は、「よっこらせ」と言ってだらしなく地べたに座り込んだ。
「興奮するのはいいけど、もう少し女の子らしく座ったら?
見えるわよ?」
「別にいいわよ、そもそもこの場には私と遊佐以外いないじゃない?」
風が直接入り込んでくるのはいただけなかったが、
興津としては一々かしこまったように脚を閉じて座るよりも、
嶋村を誘えた喜びに少しでも浸っていたかった。
「ま、あそこのブルーシートに誰か盗撮野郎でもいれば、
今頃バシバシ撮られてるでしょうけどね」
学校の屋上では、水捌けをよくするために最近工事が行われている。
興津の目の前にも、ブルーシートで包まれた鉄パイプや角材の類が置かれていた。
「まさか……。
こんな寒いなか、好き好んであんな所に入って待ってるような奴、
よっぽどの変てこな奴よ」
瞬間、カラスが大きな鳴き声をあげて屋上の空を舞っていった。
興津も遊佐もそのカラスの方に視線を向けたので、
ブルーシートがかすかに音を立てたことに、微塵も気づかなかった。




