第1章:イタいほどに貴方が好き1
『何でも屋サークル』として『ミレーヴァ』が発足して1週間が経った。
このあたりで、改めて『ミレーヴァ』について解説していきたい。
『ミレーヴァ』とは、嶋村・興津・東海林の3人によって設立された何でも屋サークルである。
依頼者は『ミレーヴァ本部』のメールアドレスにメールするか、
下駄箱に置かれた『依頼箱』に自宅もしくは連絡可能な電話番号もしくはメールアドレスとともに依頼を投書するか、
もしくは木曜日の放課後に、直接2年D組の教室を訪れることで仕事を依頼する。
その後、3番目の方法でなかった場合はメールや電話を使って落ち合う曜日・時間(基本は放課後)を決めた後に、
直接依頼者と『ミレーヴァ』のサークル員が会って、
依頼者はサークル員に依頼したい仕事の具体的内容を伝える。
また報酬についての交渉、報酬を渡す日時・場所決めもここで行う。
この対談が終わると、『ミレーヴァ』のサークル員が依頼された仕事を行う。
仕事が終わり次第、サークル員は依頼者に連絡する。
依頼者は自己申告した額の報酬とともに、『ミレーヴァ』のサークル員と落ち合う。
サークル員が報酬をもらって、ひとつの仕事が完了する。
仕事をさせるだけさせて報酬を故意に渡さない者が現れた時の対策として、
ポスターには、『正当な報酬を払わない者は名指しで晒す』と記載しており、
よほど図太い神経がないと報酬の持ち逃げはできない仕組みになっている。
『ミレーヴァ』についての説明はこのあたりにして、本編へと戻ろうと思う。
教室では東海林が両足を投げ出して座っていた。
一週間が経ったが、いまだに依頼は来ない。
「一週間経って千客万来という状態の方がおかしい。
ある程度、こうなることは予測できてた」
閑古鳥が鳴いていても、嶋村はちっとも泣いていなかった。
「まだ周りは様子を伺ってる、ってこと?」
「そういうことだな」
放課後の2年D組の教室を、窓越しとはいえ容赦なく日差しが襲う。
9月もそろそろ終わりになろうという最中、
東京は未だにうだるような暑さに苦しんでいた。
「すみません……」
3人が暑さでうなだれていると、教室の右の後ろの方から扉の開く音とともに、
おずおずとした男の声が嶋村たちの耳に入ってきた。
「『ミレーヴァ』の方……ですか?」
「はい!」
「ようこそミレーヴァへ!」
『ミレーヴァ』にとっては初めての依頼者である。
興津も東海林も暑さにうなだれていたことも忘れたように語勢を強くして、
依頼者のもとへ近寄った。
「二人とも落ち着け。
さ、こちらに座ってください」
自分の中からこみ上げてくる熱いものをどうにか抑えながら、
嶋村は自分の座っていた席の隣に、男を座らせた。
「上履きの色からして、僕らとタメのようだが?」
「うん。
その……頼みごとがあって来た」
男子生徒は、もじもじとした様子で手紙のようなものを嶋村に手渡した。
その手紙の封筒は、ハートマークのシールで封をされていた。
「まさか、」
「嶋村……」
傍目で見ていた2人は固唾を飲んだ。
「お前、男を誑かすだなんて……。
いろんな意味で罪な男だ」
「男同士だなんて、男子校限定だと思ってたけど」
「何を言ってるんだお前たち!」
「はじめての依頼客に対してなんと無礼な振る舞いを」と言い掛けた嶋村を遮ったのは、依頼者である男子生徒だった。
「その……、これを、」
男子生徒はキョロキョロと辺りを見回しながらも、
決して目線を嶋村に合わせようとしなかった。
(……まさか)
ゴクリ。嶋村はそっと、息を飲んだ。
あらためてこの男子生徒を見ると、いかにも線の細い男の子といった外見である。
そもそも最近の恋愛事情はかなり多様化しているといっても過言ではない。
男子生徒が閉じかけた口を開いた瞬間、
嶋村の呼吸は完全に止まった。
「ある人に渡してほしいんだ」
「……」
嶋村は、自分の考えていたことのあまりの浅はかさに、
耳まで真っ赤になった。
恋というのは色のついた水のようなものである。
恋に溺れた者は周りの景色もよく見えず、ただただもがき苦しむ。
男子生徒の大まかな依頼内容こそわかったが、
彼の話す内容は、そのほとんどが彼が恋した女の子の話だった。
いちいち彼の台詞を書き連ねるのは文章量の無駄なので、
要約だけ記すことにする。
彼は1年の頃に同じクラスだったある女の子に一目惚れしていたが、
結局何もできぬまま2年を迎えてしまい、クラス替えで離れ離れとなった。
彼はC組だが、その女の子はA組にいるという。
自分で行くのは恥ずかしいからといって、
その女の子にラブレターを代わりに渡してくれ、ということだった。
「その子の名前は、遊佐想奈。
ショートカットで黒縁のメガネをかけている子だね?」
「うん。
報酬は500円でどうだ?」
「500円?
ずいぶんと高いわね……」
仕事の割に高い報酬を掲示されて、呆気にとられたように興津は口をポカンと開けた。
確かに何の感情も抱いていない人間に物を渡すこと自体、
それほど難しい作業ではないようにも思える。
「俺にとっては彼女に俺の気持ちが伝わるってだけで、
万金に換えがたいんだ。
それほどまでに俺が彼女を想う気持ちが強いってことなんだ」
「熱いな……そういうの、嫌いじゃないぜ?」
恋の病に冒されすぎて少し痛々しくなっているようにも見れる依頼人だが、
東海林はそんな依頼人を純情と見なした。
「わかった、引き受けよう」
嶋村は、二つ返事でこの仕事を引き受けた。
(やれやれ、ノッケからこんな仕事が来るなんてな)
嶋村は青春を満喫している依頼人を少し羨んた。
依頼人は少しばかりイタい人かもしれないが、
嶋村の持っていない青春を彼は持っていたのだ。
男子生徒から預かったラブレターは、東海林が遊佐に渡すことになった。
東海林が1年の頃、彼と同じクラスだった者が現A組には多く、
A組の教室内では一番行動し易いだろうという判断だった。
「それじゃ、行って来る」
「おう、頼んだ」
「健闘を祈るわよ!」
ラブレターを預かった次の日の休み時間、
東海林は行動に出た。
C組、B組の教室前を通って、A組の教室へ入る。
「おお東海林、久々だな」
東海林が1年の頃によく行動を共にしていた加瀬良造が声をかけてきた。
加瀬は野球部に所属していたが、その中身は典型的なアニメヲタクだった。
「おう久しぶり。
なあ、このクラスにショートカットで黒縁のメガネかけた女の子っているか?」
ショートカットで黒縁のメガネをかけた女の子。
昨日の男子生徒の様子からして、
多少恋に踊らされていた感じは否めないことを考えてもきっと美人なのだろう。
そんなことを勝手に想像していたこともあって、
東海林は遊佐に会えることを楽しみにしていた。
しかし加瀬は少し微妙な顔を浮かべた。
「もしかして、遊佐さんのこと、か?」
「そう!」
「……」
加瀬がけだるそうな視線を投げかけた先には、
周りの女子生徒が世間話をしている中、一人読書にふける女の子。
その子は、短い髪で黒縁のメガネをかけていた。
「なんつーか……顔はそこそこ可愛いかもしんない、いや普通に可愛いんだけど、
何考えてるのかよくわからないんだよな……」
「……」
クラスの輪に馴染めず、本と向き合っている少女。
これが架空の世界であったならばいかにもフラグが立ちそうなシチュエーションである。
「萌え、だな……」
「いや、まあ二次元だったらそうなんだけど、
いざこうして同じクラスにいるとな」
東海林は、遊佐に向かって歩き出していた。
依頼された仕事を遂行するため、というのは間違いではない。
だがこの時東海林は、彼女に魅了されていた。
『仕事のため』というよりは『彼女に魅了されていた』から、
東海林は彼女の元へと歩み寄っていた。
(まさに画面の中から出てきた美少女、じゃないか……)
彼女が東海林に気づいてこちらを向いた瞬間である。
東海林は、突然体中を冷や汗が流れたような感触がした。
彼女の目は別段鋭いものではなかった。
むしろ、ただ東海林の方を向いているだけのようにみえた。
しかしこの時東海林は、何か言いようのない不安に襲われていた。