第5章:サークルに強制拘束力はあるのか?4
根峰朝希の探偵事務所は、こじんまりとした会社のオフィスのようだった。
窓ガラスが割られたとのことだったが、既に元通りに修繕されていたようにみえた。
「社員は私、慎を含めて5人。
ロッカーも含め、オフィスに私物は置かずに持って帰るように言ってはいるけど、
一応チェックをお願いします」
嶋村たちは一人ずつ、全部で5つあったデスクのチェックをはじめた。
チェックはものの5分で終了した。
「チェック終わりました」
嶋村が指揮をとっている根峰朝希に報告した。
「ありがとうございます。
それでは、ここで3つのグループにわかれてもらいます。
1つは、デスクの引き出しなんかが滑り落ちないように養生テープ(緑色の、粘着力があまり強くないテープ)で固定するAグループ。
1つは、養生テープで固定したデスクや資料の詰まった段ボールを1階のトラックまで運ぶBグループ。
そしてもう1つは、1階のトラックの中で、運ばれてきたものを整理するCグループです」
「根峰さん、」
横槍を入れるように嶋村が口を開いた。
「そのグループ分けについて1つ提案があるのですが、よろしいでしょうか?」
「構いませんよ」
柔らかい口調で語りかける仕草に、嶋村の口元に少し微笑みが出てきたのを興津は見逃さなかった。
ドスッと何気ない肘打ちが嶋村の横腹に刺さった。
「ウグッ!」
何気ないといっても、武道のたしなみがある興津である。
嶋村は思い切り吹っ飛んで倒れた。
「何するんだ興津、仕事の邪魔をするな」
「仕事中にニヤニヤしてたから喝を入れてやっただけよ、私は」
「仲がよろしいのね」
根峰朝希は、皮肉の『ひ』の字も出てこないような微笑を浮かべた。
「それで、何ですか? 提案というのは?」
「はい」
喝を入れられた場所を押さえながらよろよろと立ち上がり、
嶋村はまた口を開いた。
その顔には、僅かながら自信が満ちていた。
「AグループはBやCグループに比べて腕力を必要としません。
そこで、我が『ミレーヴァ』の遊佐を推薦します。
一方Bグループは一番腕力を要するグループです。
僕の見立てですと、慎さんは腕力の強い方だとお見受けします。
彼と、我が『ミレーヴァ』から興津、そして駒田を推薦します」
チラリと駒田の顔を伺う。
駒田が苦い表情を浮かべているのを確認したあと、
嶋村は再び視線を根峰朝希の方へと向かせた。
「Cグループは、僕と東海林が担当します」
「では私はどこへ?」
「根峰さんは、僕の想定ですとAグループにお入りになっていただくことになっています。
それで構いませんか?」
「ええ、私はどこでも構いませんよ。
その案でいきましょう」
「それと、『ミレーヴァ』の皆」
嶋村は、興津たち4人の方へ体を向けた。
その顔は少し厳しげだった。
「『ミレーヴァ』は高校の小規模サークルに過ぎないに関わらず、今回は外部の根峰探偵事務所から依頼を承った。
根峰探偵事務所の根峰朝希さんや根峰慎さんが僕たちを信頼してくださっているのだから、
僕たちはその信頼を裏切らない仕事をしていかなくてはならない。
よって、『根峰探偵事務所の備品にキズを一つでもつけたものは『ミレーヴァ』除名の上、
霊兎寺高校に掲示する』という今回限りのルールを設けることとするが、いいか?」
興津たち4人の表情が少しだけ強張る。
「その、拒否権はないのか?」
「ない」
「思想統制云々とか言ってたじゃないの?」
「これは思想統制じゃない」
「そ、そんな緊張しないで」
根峰朝希の声は上ずっていた。
「普通にやっていただければ大丈夫ですよ。
少しくらいのキズでしたら気にしませんので」
やや慌てながらも、根峰朝希は冷静に付け加えた。
「では、根峰探偵事務所の方の信頼に応えるような仕事をしようか」
嶋村は表情こそ柔らかく、しかしその声はよく通るものだった。
こうして、皆がそれぞれの位置についた。
「興津」
嶋村は、興津の方へ手招きして呼び寄せた。
「なあに?」
「興津は腕力は大丈夫か?」
「そんな心配しにきたの?
そんなヤワじゃないってことくらい、嶋村なら知ってるでしょ?」
嶋村はニヤリと笑った。
その表情は、成績優秀で同僚の中でも頭一つ飛びぬけた営業マンのようだった。
「それならば、興津はなるべく段ボールとか、1人で運べるものを積極的に運んで欲しい。
というよりも、2人で運べるものにはなるべく協力しないでほしいんだ」
当然のことではあるが、興津が1人で運べるものを運べば、
2人で運ぶ必要のあるもの(デスクや本棚など)は必然的に駒田と根峰慎が運ぶことになる。
「デスクや本棚なんかは割と重たいからな。
かなりチームワークが必要になるだろう」
「でも、大丈夫?」
「あくまで僕の見立てだが、慎さんも気が短いとはいえ、朝希さんからやれと言われたことはやる。
それにさっきの注意喚起で、駒田も滅多なことではキレだすことはないだろう」
キレて暴れまわれば、当然備品破損というリスクを背負うことになる。
さきほどの過激な警告も、実際にそういう措置を取るというよりも、
駒田に対する抑止の意味が大きかった、と嶋村は説明した。
「もし万が一暴れだすようなことがあれば、興津が止めて欲しい。
とにかく、慎さんが怪我を負うような事態は絶対に避けたい」
「オッケー。任せといてよ」
興津の声を聞いて、嶋村は探偵事務所を出て1階のトラックへと向かった。
「大丈夫なのかよ?」
トラックの中には、まだそれほど備品は運ばれていない。
次の備品が来るのを待つ中、東海林が愚痴気味に嶋村に問いかけた。
「あいつは何のかんの言っても所詮はヤンキー崩れだよ。
慎さんと組ませちゃって、ケンカにでもなったらどうする気だよ?
というか、絶対ケンカになるって」
「ケンカにはならないよ」
一方嶋村は、ゆったりとした声で答えた。
「その確信はどこから来るんだよ?」
東海林は納得いかないような顔を浮かべていた。
嶋村は意味ない虚勢は張らない男であることを、東海林は高1の頃から知っている。
自信満々な嶋村を訝りながらも、東海林はトラックの中のデスクを整理していた。
一方駒田は、根峰慎と本棚を運んでいた。
根峰慎が前、駒田が後ろで、本棚を持ちながら階段を下っていた。
「おい、もう少し低くしてくれ」
「ういっす」
もし万が一備品にキズでもつけたら、除名されるだけでなく晒し者にされかねない。
根峰朝希はそこまで神経質になる必要はないとは言っていたが、
駒田としても、万が一にも晒し者になるのは避けたいという思いがあった。
(しかも、もしここでこの男に手出しすれば、
そのことは遅かれ早かれ風華さんの耳にも入ることになるだろう。
彼女から軽蔑されるのはとても耐えられねえ……)
このグループには、1人で運べる段ボールばかり運んでいる興津もいる。
根峰慎が話さずとも、彼女が話す可能性も十分に考えられる。
そういう思いがあったから、駒田は感情を押し殺して仕事に取り掛かっていた。
「おいテメー! 低くしろって言ってんだろ!
転がっちまうだろが!」
言われて、駒田は慌てて持っていた手を低くした。
(この野郎、口調は乱暴だが、耐えろ……耐えろ、俺!)
将来ブラック企業に就職したら、毎日のようにこういう思いをするんだろうな。
駒田はそう思わずにはいられなかった。
「慎さん、乱暴な口調はやめてください」
階段の下で二人が降りてくるのを待っていた興津の声が聞こえた。
「あんまり酷いと言いつけますからね?」
「うぐっ」
根峰慎は、明らかに嫌そうな表情を浮かべた。
「す、すまねえ」
「いえ、大丈夫す」
言いつける相手は彼女以外には誰も思いつかない。
男は彼女の前ではいい格好をしたい生き物だが、
根峰慎も例外ではないらしいな。
複雑な思いを抱えたまま、駒田は返事した。
「……ん?」
東海林は、フードを目深に被った女性と思われる人物が、根峰探偵事務所のビルの階段を登っていったのを見逃さなかった。
「どうした?」
「いやさ、なんか変てこな奴がビルの中入ってったな、って思ってさ」
「なるほどな」
嶋村の口調から、彼はフードの女性には何ら興味を示していないようだった。
「まあ、だからなんだって話だがな」
東海林としても、それほど強い関心があるわけではなかったようだった。
根峰探偵事務所の扉から、女性が入ってきた。
その女性は頭からフードを深く被り、両ポケットを手に突っ込んでやや前傾した格好をしていた。
「あら、お客様?
申し訳ありません、本日は事務所移転作業なので休業日となっております」
女性からは何の返事も返ってこなかった。
その代わり、女性の呼吸が徐々に荒くなっていった。
「どうされましたか?」
「……あんたたちのせいよ」
女性が顔をあげると、根峰朝希の表情が大きく変わった。
ポケットに突っ込んでいた右手が空気に晒される。
その右手には、果物ナイフが握られていた。
「テメー、何者だか知らねえが」
「待ちな」
殺気立つ駒田を制したのは根峰慎だった。
「たまにいやがるんだ、こういう逆恨みヤローが。
テメーで浮気しといて、それがバレて家庭がメチャメチャになったのを人の所為にしやがって。
おおかたこないだ石を投げ込んだのもテメーだろ、おい?」
根峰慎が喋るたびに、女性の顔が見る見るうちに怒気を帯びたものになった。
「うるさい!!」
女性は果物ナイフを投げるという奇行に出た。
そのナイフは、駒田めがけて飛んできた。
駒田は迫ってくるナイフを目に捉えながらも、恐怖から体が動かなかった。
駒田は突然浮遊したような感覚を覚えた。
その瞬間、刃物が皮膚にめり込む音が駒田の耳を掠めた。
駒田は、自身の体を丁寧に見回した。
ナイフは確かに刺さっている。
しかしそれは駒田の体ではなかった。
「慎!」
根峰朝希の驚愕した声が駒田の両耳をすっぽ抜けた。
その根峰慎だが、背中で刃物を受け止めつつ駒田に寄りかかっていた。
ここでようやく駒田は、根峰慎が刺されたと認識できた。
「な、なんで俺なんか庇ったんすか!?」
駒田は根峰慎にいい感情を抱いていなかった。
根峰慎もそれに重々気づいていたはずだ。
「そりゃあオマエ……」
根峰慎は口調の割に弱々しい声だった。
「嫌いだからって、目の前で死なれちゃ気分悪いだろうがよ……。
それくらいだったらオマエ……、俺自身がくたばっちまった方が、
気持ち的には……ラク、なんだよ……」
根峰慎がこの世を去る。
駒田は不意に、根峰慎の彼女である黒河風華のことを考えた。
もし彼が死んだとしたら、彼女は悲しむに違いない。
興津の話では、この2人は悪く言えばバカップルのような関係である。
その悲しみのあまり、彼女も後を追うように自害するかもしれない。
考えれば考えるほど、ある感情が駒田の心を支配した。
「さあ、社長さん。
次はあなたの番よ!」
フードの女は狂気じみた笑い声とともに左手を取り出した。
その左手には、スパナが握られていた。
「おい!」
根峰慎を抱えたまま、駒田のダミ声が響いた。
「何よ?
もしかして新入社員かしら?
ともかく、外野は黙っててちょうだい!」
駒田は根峰慎を静かに寝かせたあと、両拳を構え、全体を小刻みに揺らした。
「ふざけてんじゃ……」
駒田は素早くフードの女の懐に入った。
女も負けじと左手のスパナを駒田めがけて振り下ろす。
「ねえ!」
女のスパナが駒田の頭を直撃した。
しかし、それより少し遅れて駒田の右拳が女の顎を砕いた。
駒田と女は同時に倒れた。
「あれ? 何があったんですか?」
興津が事務所に入ってきた。
彼女はさっきまでトイレにいたので、これまでの経緯を今はじめて知ることになる。
「ちょっと……え、なにこれ、どうなってんのよ!?」
「もう救急車も警察も呼んだわよ」
遊佐はことのほか、落ち着いていた。
「慎は見たところ致命傷じゃないけど、駒田君は頭をやられています。
無闇に動かさないで!」
ここで嶋村と東海林が来た。
いつまで経っても次の備品が来ないことを不審に思っていたのである。
「お、おい! 慎さんに駒田まで!」
「救急車や警察は呼びましたか?」
「ええ、呼んでいます」
程なくして救急車も警察も来た。
駒田は根峰慎とともに搬送され、
意識を取り戻したフードの女は傷害罪で緊急逮捕という形で警察に連れて行かれた。
1時間くらいして、病院から連絡が来た。
駒田にも根峰慎にも命の別状がないとのことだった。
移転作業自体は、残った人数でやることにした。
予定していた時間よりも少しオーバーしてしまったが、仕事自体は成功に終わった。
「あなたがたに頼んでよかったです。
約束の報酬ですが、予め申しておきました金額よりも、
時間がオーバーした分多めに支払わせていただきます」
依頼者の根峰朝希は、駒田の医療費分も出してくれた。
「元々原因は私たち探偵事務所のトラブルです。
そんなトラブルに巻き込んでしまって、本当に申し訳ありませんでした。
同時に、犯人を確保していただきありがとうございました。
そう、駒田君にも伝えてくださればと思います」
「……」
東海林は、駒田が病院に運ばれてからというものの、
ずっと何か物思いにふけているようだった。
「どうしたんだ、東海林?」
見かねた嶋村が尋ねる。
「俺……あいつに、駒田に謝ってくる!」
「おい……」
少し時間は戻る。
救急車で搬送されるなか、根峰慎は気絶しているであろう駒田に話しかけた。
「オマエを最初見たときはクソクラエって思ったさ。
俺はヤンキーみたく、口だけで何もできやしねえ奴らが一番嫌いだからな。
でも……」
駒田の耳に届いているかわからない。
いや、きっと聞こえる。
そう思いながら、粗暴ながらも言葉を慎重に選んでいた。
「オマエは見所あるよ、サンキューな」
「慎……さん……」
駒田の微かな声が聞こえた。
「俺……つまらないことで、慎さんに変な敵対意識持ってて……」
途切れ途切れの声だった。
「つまんねえことなんかじゃねえさ……」
根峰慎は笑っていた。
「同じ女に惚れた同士じゃねえか」
駒田も、ニヤリと笑った。
「元々俺たちは似てるんすね」
それきり駒田は口を閉じた。




