第5章:サークルに強制拘束力はあるのか?2
「この場にいらっしゃった方たちのためにも、改めまして自己紹介いたします。
私、こういう者です」
席につくと、女性は1枚の名刺を教室にいた3人に渡した。
名刺には、『根峰探偵事務所代表 根峰朝希』と書かれてあった。
「悪いな、俺は名刺なんてもん作ってねえから口頭でやらせてもらう。
俺の名前は根峰慎。
根峰朝希の弟で、一応事務所の社員という扱いになってる」
事務所の代表である女性とは対照的に、
社員の根峰慎は横柄な座り方をしていた。
「少しばかり喋り方とか動作とか雑なところがあるがよ、慣れてくれ。
昔っからこの喋り方してっから」
「構いませんよ、それにしても探偵事務所の方が私たちに依頼ごとをされてくるなんて」
『ミレーヴァ』は最近評判が上々であるとはいえ、所詮は高校生のサークルに過ぎない。
探偵業で食費を稼いでいる人たちが、
わざわざ自分たちの業務をアマチュアにやらせることはしないだろうと嶋村は考えていた。
「もちろん、依頼者の方に頼まれた仕事を任せようと思ってお伺いしたわけではありませんよ」
嶋村の考えを読み取ったかのように根峰朝希は受け答えした。
「では一体?」
「探偵事務所の移転作業……要するに、引越しの手伝いをやってくれねえか、ってことだ」
根峰慎は組んだ腕をほどくことなく、嶋村に言い放った。
「引越しの手伝い、ですか?」
嶋村は少し不穏な表情になった。
探偵事務所のようなオフィスは、オフィスのある地域に根ざしてこその業務であり、
あまり移転をしないのが一般的である。
「実は少しばかり、わけありでして」
根峰朝希が左手を口元にやった。
嶋村は灰皿を彼女の目の前に置きたい気持ちにかられたが、
学校という特殊な建物の中である以上、いかに客といえど喫煙させるわけにはいかない。
(その辺の不良や先生の一部は吸っているのに不公平だな)
と、嶋村は心の中で毒づいた。
「まああれだ。
嫌がらせっていうか、な」
ここ数ヶ月の間に、根峰探偵事務所には多くの悪戯メールが送られてきた。
「赤い絵の具で『シネ』とか『コロス』とか。
もっともそれだけであれば私も、大して気には留めなかったのですが」
探偵事務所はその職務の性質上、他人から恨みを買われやすい商売である。
こういった悪戯の類も慣れっこだったのかもしれない。
「つい1ヶ月くらい前だったかしら。
事務所の窓ガラスに石が投げ込まれたんです」
その際に飛び散った破片で、社員が2人怪我をした。
「その数日後に『ザマアミロ』って書かれた手紙をもらってよ。
胸糞悪いったらありゃしねえが、どこのどいつかもわからねえ」
「そんなわけで引越しを決意した次第です」
探偵稼業も楽ではないな、と嶋村は思った。
「それにしても、どうしてまた私たちのところへ?」
引越し業務を請け負う会社はいくらでも存在する。
「もちろん私たちとしてはとても嬉しいのですが」
「まあ、普通はそうだわな」
当然だと言わんばかりの顔で根峰慎が受け答えした。
「俺たちは別に貧乏こいてるわけでもねえ。
一般の引越し業者に頼んでもよかったし、本来はそうするべきなんだろう。
だがな、その……」
そこで根峰慎の言葉は途切れた。
「この人ね、私が通ってる道場の先輩の恋人なのよ」
口を開いたのは嶋村の隣に座っていた興津だった。
興津の話では、根峰慎は興津の先輩である道場の先輩から『ミレーヴァ』について聞かされ、
どのようなサークルなのか、興味を持ったという。
その折にタイミングよく事務所移転の話が舞い込んできたので、
ためしに依頼してみようということで、今回に至ったのだそうだ。
「この人、こう見えても風華さん(興津が通う道場の先輩)にベタ惚れでねえ」
「おまっ……!」
いままで仏頂面だった根峰慎の顔が見る見るうちに赤くなっていった。
その反応で興津の加虐嗜好が更にかきたてられたのか、
彼女の口元が更に緩んだ。
「彼女も慎さんにベタ惚れだからいろんな話を聞いてますよ?
こないだだって、彼女の誕生日の時にバラの花束持って道場まで来てね。
いやあ、巷でよく言うバカップルって慎さんたちのことを言うんだなって思いながら聞かせてもらってます」
「それ以上言ったらタダじゃおかねえ!」
「く、くっそー!
お前だったのか、風華さんの彼氏だってのは!」
かつて興津の先輩に憧れを抱いていた駒田が拳に力を入れて、勢いよく立ち上がった。
「ああその通りだよ。悪いか金髪チビが!」
「あんだとコノヤロー!」
「駒田、落ち着きなさいよ」
「申し訳ございません、うちのサークル員が粗相をしてしまいまして」
「慎さんも少し気を落ち着けてくださいって!
でなきゃもっと恥ずかしいこと言いますよ?」
「貴様!」
「慎」
喧騒にまみれた雰囲気を一瞬で鎮火させたのは、根峰朝希の一声だった。
「風華ちゃんとイチャつくのは勝手だけど、自分の身分をわきまえてるわよね?」
「う……」
根峰慎の顔が歪んだ。
「受験勉強の気晴らしも兼ねて社員と同じ待遇で仕事させたりしてるけど、
結局は、あなたは浪人中の身分よ。
そのあなたを養ってあげてるのは他ならぬ私なんだから、
せめて私の顔に泥を塗らないで頂戴。
とにかく、次回は受かってくれるんでしょうね?」
「……チッ」
長い沈黙の後に舌打ちをしながらも、根峰慎の態度にはどこか自信が満ちていた。
「やるべき事やってねえわけねーだろ。
こないだも模試の成績見せたろ?
だいたい姉貴は過保護なんだよ」
「ま、大して心配はしてないわよ。
なんせ、私の弟なんだから」
根峰朝希の顔にも、皮肉っぽさの感じられない笑顔が宿る。
(この姉弟はよくわからないな)
嶋村は、率直にそう思った。
それとも、場を沈める為にわざと説教じみたことを言ったのだろうか。
「ああ、とりあえず俺のせいでゴタゴタになってすまねえ」
「いえ、大丈夫ですよ慎さん」
興津は、未だに暴れる駒田を羽交い絞めしながら答えた。
「俺のエンジェル・オブ・ソウルがー!! なんであんな奴にー!!」
「彼は傷心のあまり気が動転しているだけです。
どうか放っておいてくださればと思います」
嶋村は背後から聞こえる怒号を無視して、依頼内容についての細かい内容を聞いた。
東京都の中央に位置する穣布市のオフィスビル。
そこから、北東方面に約10km進んだ先の桧並区の萩窪駅前に探偵事務所を移転するとのこと。
オフィス用品をトラックに詰め込む作業と、
トラックからオフィス用品を出して新しい事務所に配置する作業を『ミレーヴァ』にお願いするとのことだった。
「トラックは私たちで借りて、慎が運転してくれます。
5人は私が送迎します」
引越しの日は、あさっての土曜日。
午前9時に穣布駅(前回の事件でも使った駅だ)で待ち合わせということになった。
「それでは当日はよろしく」
根峰姉弟が去ってから嶋村が後ろを向くと、
いまだに駒田は羽交い絞めされていた。
興津たち3人が総出で、駒田を押さえつけていたのである。
「お前たち、依頼者の話を聞いていたか?」
誰もが首を縦には振らなかった。
「俺はやりたくない!」
根峰姉弟が去って翌日の放課後も、
臨時で来た外部からの告白の斡旋の依頼を引き受けるため『ミレーヴァ』は活動していた。
嶋村と興津が依頼遂行のために学校の近くの公園まで行っており、
教室内には東海林、遊佐、駒田の3人が待機していた。
「そんなこと言ったってよ、しょうがないだろうが。
ワガママ言うなよ」
「しょうがないのはわかってんだよ!
でもなあ、行きたくねーもんは行きたくねーんだよ!!」
東海林と駒田は、昨日の件について言い争いをしていた。
「昨日俺は、『自分にとって興味ないと思った依頼仕事でも、思い切り楽しめ』と言ったはずだ」
「それとこれとは話が違ーんだよ!」
「私は」
それまで2人を無視するように文庫本に目を通していた遊佐が、不意に口を開いた。
「駒田の気持ち、少しだけわかるかも」
無論、これはその場凌ぎの取るに足りない意見ではない。
先天的に人の心が読める遊佐にとっては、他人の気持ちを知ることは造作も無いことなのだ。
「なっ……遊佐まで!!
オマエ、昨日『仕事に楽しいもへったくれもない』とか言ってたよな!?」
遊佐が駒田の側についたと知るやいなや、
東海林は明らかに感情的になった。
「ええ、言ったわ。
でも考えてみて頂戴よ。
駒田は、興津の先輩とやらに並々ならぬ感情を抱いていた。
そして私たちは何でも屋である以上、依頼された仕事を遂行している間は否が応でも、依頼者の部下となって働くの。
当然明日の仕事をしている間は、その先輩の恋人の下につくことになる」
憧れていた先輩に恋人がいた事は駒田も事前に知っていたとはいえ、
互いにベタ惚れだという事実を突然聞かされ、
そのうえその先輩の恋人を訪ねる。
生まれながらに読心を体得していた故に、それがどんなに辛いことなのか、
遊佐はよく理解していた。
「いかにお金を貰っているとはいえ、所詮は学生のサークル。
強制するのは反対だわ」
「ふざけるなよ!
そういうのはな、怠慢ってんだ!」
「ああ、怠慢かもしれねえ。
でもな、」
駒田は徐ろに東海林の胸倉を掴んだ。
「オレの気持ちがわかんねーからそんなこと言えるんだろ?」
「テメエ……」
不良だった駒田の睨みに呼応するかのように、東海林も歯を食い縛って怒りを露わにする。
互いに一歩も譲らない一触即発の雰囲気が教室中に蔓延しかけたが、
駒田は睨む東海林の胸倉を離すと、カバンを持って教室を出て行った。
「チッ、所詮不良は不良か」
「彼の気持ちもわかってやんなさいよ」
一触即発の雰囲気こそ霧散したが、
今度は居心地の悪い空気が教室を支配した。




