表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

今思うこと

作者: 七草せり

私が生まれて何十年いう月日が経ち、

今思うこと……。

父のこと。一緒に暮らす、母のこと。


母は、四人兄弟の次女、田舎から都会に

出て就職をし、人生を楽しんでいる中、

父と知り合った。


四人兄弟の長男の父。田舎を出て、都会で

暮らす叔母の家に居候しながら、大学に

通っていた。学費以外は、アルバイトを

しながら、生活していたと言う。


そんな、父と母が偶然出会い、父の大学

卒業と、就職を待ち、結婚した。

その時既に第一子が母の中にいた。

私の姉である。

父は一生懸命働き、母も子育てに追われて

いた。

そして、ほどなく、私が生まれた。


しかし、私が幼稚園卒園間近、父が

交通事故に遭い、身体の半分の自由が

奪われた。父、三十五歳の年。


元々横暴、暴力的な父、仕事はできたが

浮気をしたり、気に入らない事があれば

暴力にうったえた。

喧嘩の絶えない家庭……。安らぎのない

毎日。


そんな父が、自分の身体の半分の自由を

失ってしまった。奪われた人生。

どんな気持ちであったか。どんな思い

であったか。

悔しい。悲しい。そんなありきたりの

言葉などでは、きっと片付けられない。


毎日、父の病院へ看病に向かう母。

一生懸命父を支えたけれど、返ってくる

言葉は、ありがとう。ではない。

暴言ばかり。


そんな生活に疲れ果てるのに、そう

時間はかからなかった。


父と母の結婚に、反対していた父方の

祖父母。これ見よがしに母に嫌味を

言っただろう。

愛人問題に交通事故。家庭不和。

これでもかと、現実が目の前に壁となり

立ちはだかる。


父は、働き者だった。なので、お金には

困らなかった。

生活自体、何も変わらない。

私は幼稚園に通い、姉は学校。

そして私は幼稚園の後、父の病院へ。

そんな毎日。

病室に響く、父の怒鳴り声。

怯える私に向ける父の優しい顔に、少し

ホッとする。

考えもしなかった。父の身体が治らない

事、この先自分の生活環境が変わる事。


自由のきかない身体、それを支える苦労。

何も考えない、幼い私。


ほどなく、父はリハビリを兼ねて、自分の

実家に戻った。

勿論私達も。私の幼稚園卒園を待って。


何もない田舎の祖父母の家。

小さい商店を営んでいた。

みんな忙しい。


姉は、転校という形。すぐに新しい環境に馴染んだ。

私は、田舎の小学校に入学。

全く馴染めなかった。

祖母は、少し厳しい人で、遠くから

私を見ていた。

祖父は優しい人で、お店の配達に連れて

行ってくれたり、畑に連れて行って

くれたり、気にかけてくれた。

いつも笑っていた様な気がする。


父と母は、治療の為に、あちこち病院

など駆け回っていた。

海外まで足を運んだり。


寂しい夜、馴染めない家で過ごす。

家に帰りたい。そう思っていたけれど、

父と母の姿をみていたら、言える訳など

ない。


幼い子供二人抱え、父のリハビリを

母一人でできる訳ない。

だから、父の実家で暮らす事になった。

敵陣に乗り込む覚悟で。


しかし、田舎でも、父と母の喧嘩は

絶えない。

不自由な身体でも、父は母に手をあげ、

暴言をはき。

行き場のない感情をぶつけていた。


敢えてそんな二人に口を挟まない祖父母。

どんな気持ちでいたのか。

何故、仲良く暮らせないのか。

私には分からない。色々な事情があった

のか。


けれど、父は父の為に、母は父の為に

懸命にリハビリを続けた。

土手沿いを何往復も歩いたり、車の

運転もした。一生懸命だった。


母は、嫁としても、務めなければ

ならない。

家の家事をこなす。私達の面倒をみる。

舅、姑のいる中、厳しい環境の中、

嫁として振る舞う。

父の妹達とは折り合いが悪く、いがみ

合っていた。

気に入らない嫁だからだろう。

祖母は勿論味方などしない。父も

見て見ぬふり。


そんな暮らしが一年と少し経った頃、

父の身体は良くならないが、日常の

生活は何とかできるし、母の限界も

相当だったし、父は、仕事の目処を

付け、私達は都会へ戻る事になった。


都会に戻り、私は転校した。

姉は元の学校に戻った形に。

一軒家を借り、新しい生活をスタート

させた。


しかし、やはり父と母の喧嘩は

絶えず、私は母とよく家を出たりした。

新しい生活には何とか馴染めたが、

家庭不和は嫌だった。

父と母は何故離婚しないのか。私も

不思議であったし、母は周りに離婚を

勧められていた。

喧嘩をし、家を出る。しかし、また

戻る。

母の気持ちは分からない……。


父は、小さな会社を経営していた。

母も父の会社を手伝った。

姉と二人で過ごす夜。寂しい気持ちは

あまりなかった。


私は友達と遊んだり、何かと楽しく

日常を送っていたし、そういう事に

慣れていたのかも知れない。


自分が置かれた環境に慣れなければ、

やっていけない。

そういう思いがどこかにあったのか。


それからも、様々な事が私達の周りで

起こり、波風止まぬ家庭の中、日々は

過ぎていった。


時は流れ、私もそれなりの年齢に

なった頃、父が病に倒れた。

母はまた、父の看病。


父は病気であっても、変わらぬ性格で、

母は大変だっただろう。

毎日毎日大声で怒鳴られ、八つ当たり

され、わがままを言われ。

私は、そんな父に、思ってはいけない

と分かっていても、病気は自業自得。

そう思ってしまった。


母の性格は、明るくもあり、執念深くもあり、負けず嫌い。

多面性性格……。

水と油の二人が、何故一緒にいられる

のか。理解し難いが、お互いがお互いを

必要としていたのだろう。

色々な意味で。


父は病気の手術後、帰宅した。

太り過ぎていた父の身体は、痩せ

細り、痛々しい。

それでも、療養後は仕事に復帰した。

私はその後結婚し、母となった。

束の間の平和があった。


子供を持って思うことは、子供は勿論

私物ではない。親の責任は果たすけれど、

自由意思を尊重したい。

私の父と母にはなかった考え。


昔から、何かと父と母に振り回され、

養ってもらっている身分なのだが、

物事に対して、頭から押さえ付けられ

ていた。

自分の気持ちのままに生きられた時は、

自由を感じた。


ほどなく父の病気が再発。私が二人

目を宿した時。

入院やら、自宅療養やら、バタバタし、

手術は見込めないので、父は自宅で

終末療養を選んだ。

その際父は、死にゆく準備というものを

色々した。

葬儀屋の手配、仏壇選び、遺言。

私達が困らぬ様に、考えに考えてくれた。

しかし、体力の限界か、結局病院へ

戻った。


母の話だが、病院へと向かう救急車

の中、父が窓を開けて欲しいと言って、

窓を開けてもらった。

ネオン輝く夜の街。

「これで見納めか」 ポツリと呟いた

と言う。


見慣れた街の景色の中、夜の輝き。

これで見納め。

死期を悟っている自分。

父の言葉、私には分からない思いが

そこにあったのだろう。


父の死後、しばらく色々忙しく過ぎた。

父の死と言う現実が、分からなく

なってもいた。


ホッと一息した時、遺された私達は、

父と言う大きな存在に、初めて気が

ついた。

がむしゃらに生きた父。身勝手で、

わがままで。

けれど、大きな存在の中にいたから

こそ、不安なく生きてこれたのか。


父の他界後の母は、病を患った。

そして、父同様わがままになった。


元々身軽でもなく、献身的であったが

わがままな人間でもあった。

疲れが出たのだろう。

長年の疲れ。

そう思っていたが、段々と様子が

おかしくなってきた。


父が決めた遺産など、色々な不満が

爆発し、事ある度に、色々管理している

姉に対して、お金を要求するように

なった。

母の親戚や、姉弟が、母にお金の無心

をする様になり、母は大盤振る舞い。

ばら撒いた。

周りの様子もおかしくなり、母は

それに応じ、足りなくなれば、姉に

脅迫まがいにせまる。


父は見越していた。人は変わると。

母に任せれば、一気にお金がなくなる。

なので、細かな指示を姉にしていた。

母の親戚などが寄ってくる。

母は受け入れる。

困らぬ様に決め事をしていた。


母はそれが不満だった。

何故自分の好き勝手にできないのか。

容赦なく、姉を、父を罵倒する。

今はいない父を。


母に任せていたら、きっと大変な

事になっていた。

我慢するしかない。


確かに母は、父の事で苦労した。

言い表せないほどの思いもある。

片麻痺の父、子供の世話など、本当に

大変な人生だっただろう。


しかし、お金は違う。

父のお金だ。事故に遭い、片麻痺に

なっても働き、遺したお金だ。

私も含め、大切にすべきなのに、

気に入らないとは……。


親のそれぞれの思いがある。

理解はできるだけしなければ。


母は、悪口を色んな人に言いふらす。

私達の事が、気に入らないとなると、罵倒し、罵声を浴びせて、他人に触れまわる。

私達だけではない。

気に入らない相手にはそうする。


母の何かが変わってしまった。

理解しなければと思いつつ、やはり

理解し難い事が多い。


お金に対しても、私達の言動に対しても、

気に入らないと標的になる。


最近やはり、身体以外の部分の

病も進行しつつある。

母の態度はそれに当てはまる。

輪をかけて厄介……。

実の親、一緒に生活する母だからこそ、

母の変化に戸惑う。


母に対して、感謝の気持ちはない。

できた人間ではないからか、まだまだ

未熟なのか、恩知らずなのか。


先を思うとやりきれない。

それが、私の現実。今思うこと。


母の人生を考えれば、言葉はないが、

やっぱり、一緒に生活する者として、

向き合って欲しい。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 〉未熟なのか、恩知らずなのか。 未熟でもないし、恩知らずでもありませんよ。 夫婦の事は、夫婦でしか分からない事もありますよね。ましてや子どもからしたら理解出来ない事も。 七草せりさ…
2014/02/09 09:25 退会済み
管理
[一言] これ、本当にあったことですよね? 私なんかが感想なんて書いてもいいんでしょうか? でも、すごく読みやすかったです。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ