贅沢な存在
「マノ、いいところに。こいつがこの間話したセイガだ」
初めて彼と引き合わされたのは、私が十四になってすぐだった。
話だけは、事前にちらほら聞いてはいたけれど、実際に会うのは初めて。その理由は、辺鄙な地方出身ということもあって、彼が人前にほとんど出ないから。
戦場では容赦なく駆け巡るから、『戦神のセイガ』として名前は知られている。でも、顔と名前が一致している人は、ほとんどいない。わざわざ名乗らないから、なんですって。
見たところ、私とそれほど変わらない年頃かしら。むしろ、私が年上じゃないの? それなのに、戦神と呼ばれているなんて……きっと、相当強いのね。
……でも、私の結婚相手候補として連れてきた割には、ちょっといろいろ問題だと思うのだけど、いいのかしら?
「初めまして、マノです」
「セイガ・タカシツマです」
あら、珍しい。兄さん相手ならともかく、きっちり名乗らなかった私にまで家名を名乗るなんて、あまりいないのだけれど。
それにしても、聞かない家名ね。しかも、すごく無愛想だわ。
ああ、でも、顔立ちは、何年かしたらモテそうな雰囲気ね。
「あなたは、戦場に出ているの?」
「ええ、もちろん」
……ちょっと、会話がちっとも続かないのだけど。
ねえ、兄さん? どうしたらこの人から、言葉をズルズル引き出せるのかしら?
「何年くらい、傭兵をしているの?」
「……そうですね……」
ふふっ、指折り数えているところは、何だか少し可愛いわ。
「もう六年になります」
「……え?」
ゴメンなさい。もう一度、言ってもらってもいいかしら? それとも、今聞いたことは、幻聴の疑いすらないと思っていいの?
戦場に出られるのは、十歳になってから。傭兵として働くのも、当然十歳から。それが、この国の決まりなの。
ということは、彼の申告が正しいなら、彼は少なくとも十六歳で……え? だって、どう見ても、十二、三歳でしょ? 明らかに、私より年下でしょ?
「……ああ、マノ。セイガはこう見えて、十六を過ぎているぞ」
「……そうなの」
呆然としすぎて、返す言葉が出てこないわ……。
確かに、他国へ行けば、実年齢より下に見られることは多いわ。といっても、一、二歳程度だけれど。私が見て、実年齢から三つも四つも下に見える人なんて、この国でもそうはいない……というか、私は初めて見たわ。
「王女様は、俺と変わらないくらいですか?」
「……十四になったばかりよ」
正直に言ってもいい? 私、年上に見られたのも初めてなんだけど。そりゃあ、兄さんとは少し年が離れているけどね。
そもそも、私の年齢を知らないなんて、いったいどんな田舎暮らしだったの?
私は改めて、彼をじっくり眺めてみる。
顔立ちは整っていると思ったとおり、なかなか可愛い感じで悪くないわ。それでいて、口数が少なかったり、俺と言う辺りが、見た目との落差で面白いじゃない?
この人は、どんな人なのかしら?
「ねえ、セイガさん」
見た目は年下だけど、実際には年上。だったら、最低限の敬意は示すべきだわ。
「私、あなたに興味が出てきたの。納得できるまで、しつこくつきまとうつもりだから、覚悟しておいてね?」
「お断りします」
たったひと言で、バッサリと切り捨てられるなんて……ますます燃え上がるというものよ!
それから私は、セイガさんを見かけるたびに、全力で駆け寄っては声をかけてみた。
といっても、彼は時々戦場に出向いているし、私も傭兵の仕事でいなかったりで、月に二回も会えたらいい方だったけど。
「セイガさん!」
「近寄らないでもらえますか?」
いつもいつも、たったひと言を冷たく言い放つ。
そんなセイガさんは、声をかけるだけなら、その程度だった。でも、そんな生活が半年少々過ぎた頃だったかしら。
ある日私は、何となく、彼に声をかけたついでに、背中をポンと、軽く叩いてみたの。
戦場じゃ、手を打ち合わせたり、頑張った人の肩を叩くなんて、よくあること。それと同じ、軽い調子で叩いたのに。
「触るな!」
セイガさんは全身全霊で拒み、私の手を思い切り、容赦なく払いのけた。パシン、といい音がしたし、叩かれた手はジンジンして、しばらく感覚がなくなってたもの。
呆然とする私には目もくれず、セイガさんは蔑むようなため息をついて行ってしまった。
それからずっと、顔を見せるだけで冷ややかな視線を浴びせられた。今までより慎重に、距離を取って声をかけるだけの日々が続いたわ。
……だって、もうこれ以上、セイガさんに嫌われたくないから。
「ねえ、セイガさん」
「……何だ?」
一年近くたってやっと、声をかけても「寄るな」とは言われなくなったけど。彼の態度が少しずつ軟化してきたのがわかっても、なかなか近寄る気にはなれなくて。
うっかり触ったらまた、ちょっと近寄るだけで冷たい視線を向けられるかも。そう思うと、顔を見て声は聞きたいけど、ふとしたことで触りそうなほど近づきたいとは思えないでしょ?
その間、他にも兄さんが目をつけた婿候補には会ったけど……興味は湧かなかった。だって、セイガさんじゃないから。
どんなに冷たくされても、徹底的に蔑まれても、本当はセイガさんがいい。
でも、いつまでもそんなわがままは言えないわ。
あとふた月もしたら、私は十六になる。婚約者を決める期限は、だいたい十七になる前かしら。だから、あと一年……。婚約したら、十八の半ば……遅くても十九になる前には、私は『セイライ国の王女』として結婚しなきゃいけないし。
父さんも母さんも、その辺りは無関心だから、兄さんが必死になってるんだけどね。
引き合わされた人のほとんどは、有名な傭兵の一族だったり、戦場には出ていないけど、国政を担っている重要な人物の子息だったり。兄さんはそういうの、苦手だと思っていたけど……ずいぶん頑張ったのね。
彼らと少し違ったのは、セイガさんだけ。正直、通り名しか知らない人だったから。
ああ、私は主要な人間関係を全員、きっちり把握しているわ。どうせ、基本的には国内に留まるのだし、いずれ即位する兄さんを助けられたら、と思って。私、人物把握は割と得意なの。
だけど、セイガさんは、いまだによくわからない。
こんなに心がかき乱されることなんて、今まで一度もなかったから。
そうね……すっぱり諦めるために、きちんと未練は断ち切っておかなきゃ。恋心を引きずって結婚された相手も、迷惑だもの。
玉砕しても、せめて泣かないように。その覚悟だけは決めて、セイガさんが戻ってくる日を待って。
「……ねえ、セイガさん」
「何だ?」
「……隣、座ってもいい?」
「好きにしろ」
私の顔は見ないで、木に背中を預けたまま、セイガさんはぶっきらぼうに言う。そんなところが、セイガさんって人が見えてきて、好き。
いつでも剣は手放さなくて、服もきっちり着込んでて。生真面目な人なのかな、って思う。笑った顔なんて、まだ一度も見てない。いっつも怒ってるみたいな、すごい仏頂面なんだもの。
セイガさんとの間に一人、別の人がゆっくり座れるくらいに隙間を空けて、私は正座を崩して座る。足はもちろん、セイガさんとは反対側に出して。
だって、言う前に触っちゃって、怒られたくないでしょ?
ああ、でも、いざとなると、緊張するわ。
戦場にいたって、手や足が震えたことなんてないのに。今は、自分でわかるくらい、手も足も震えてる。
どうしよう……怖くて、声が出てこない。
膝の上に乗せた手を、服を巻き込んでギュッと握り締めてみたけど……やっぱり怖い。
バッサリ振られないと前には進めない、ってわかってるのに。
「……なあ。どうしてそんなに離れて座るんだ?」
セイガさんから話しかけてくれたの、初めてね。
すごく嬉しい……もう、本当に、思い残すことなんてない。
「私が触ると、セイガさんは怒るでしょ? これだけ距離があれば、うっかり触っちゃうことなんて、よっぽどないじゃない?」
ものすごくびっくりしたって顔で、セイガさんが私を見た。
どうして、そんなに驚くの? 初めて触った時に、あんなに容赦なく、私の手を叩き落としたくせに。
触られたくない人なんだって、その時知ったわ。勝手に触った私のこと、きっと嫌いになっただろうな、って。もっともっと嫌われて、顔も見たくない、なんて言われたくないから、頑張って近づかなかったのよ?
「私はセイガさんが大好きだけど、セイガさんは私のこと、嫌いでしょ? 好きな人にこれ以上嫌われたくないから、自衛しているの」
……本当は、もっとうんと近寄って、ベタベタ触ってみたかったわ。
そういえば、セイガさんは、誰かに触ることもなかったわね。落とし物を拾っても、誰かから物を受け取る時も、触らないように気をつけてたもの。
「……俺がいつ、嫌いだと言った?」
「え?」
「近寄るな、触るな、とは言ったが、嫌いと言った覚えはないぞ」
「……だ、だって、ずいぶん前だけど、私が背中を軽く叩いた時、手を叩き落とした上に、蔑むような目で見たじゃない」
だからてっきり、あの時に嫌われたんだと思ったのに。
セイガさんはばつが悪そうな顔で、でも、私をしっかり見てる。
「……それは、謝る。すまなかった」
体ごと私に向き合う形になって、しかも正座で、セイガさんはちょこんと頭を下げた。
「あ、いいの。私、謝って欲しいわけじゃないから」
謝罪なんていらない。
一番欲しいのは、好きだと伝えた時に、同じ気持ちを返してくれること。
でも、それが期待できないことも、わかっている。だから、きっぱりと、私に興味がないんだって言って欲しい。
「私、セイガさんが大好き。結婚するならセイガさんがいいと思ったけど、セイガさんは違うでしょ? この際だから、はっきり言って欲しくて」
セイガさんの目は、ぐーっと見開かれた。
……図星、だったのかな? うん、そこはわかってたでしょ? 今さら……今さら、傷つかないって、決めたじゃない。
涙が込み上げてきて、慌てて下を向く。絶対にこぼさないように、瞬きもひかえて。
……感情を、できるだけ揺らさないようにしなきゃ。
衣擦れの音がしたから、セイガさんが身動きしたのね。きっと、居住まいを正したんだわ。
私の知ってるセイガさんは、そういう人だから。
「……っ!」
いきなり腕を引っ張られて、全然抵抗できなくて。気がついたら、ギュッと抱き締められていて。
「……お前なら、この意味がわかるだろ?」
布越しですら、他人と触れないよう気をつけていた。
そのセイガさんが、私に触ってる。
それって、つまり……。
「……期待、して……いい、の?」
「ああ」
「…………どうして、って……聞いていい?」
嬉しい、とか、幸せだって、返せばいいのに。私ってば、何で時々、妙に現実的なことを言っちゃうのかしら。
理由なんて、今すぐ聞かなくっても……ううん、やっぱり、今すぐ聞きたい。
「いつだったか、背中に触られた時は、本気で嫌だと思っての行動なんだが……いつの間にか、距離を取って話しかけられることが、妙に堪えるようになったんだ。時々、他の男といるお前を見かけるようになって、無性に腹が立ってな」
声にちっとも感情がこもっていないところが、いかにもセイガさんらしいわ。
「今日なんて、やけに思い詰めた顔で来たと思ったら、一人分はゆうに空けて座っただろう? 何ごとかと思っただろうが。おまけに、俺の気も知らないで、勝手に決めつけてくれたしな」
背中に回された腕に、少しだけ力が込められた。その分、私とセイガさんの距離は、グッと近づいて。
硬い革鎧と、私の額がコツンとぶつかる。
「それにな……さっき、殿下から正式に申し込みがあって、承諾したところだ」
「……え?」
何、それ。ちょっと、兄さん? 私、何も聞いてないのだけど? 当事者なのに事後承諾って、それはあんまりじゃないの?
「だから、誰が何を言おうと、俺はマノをもらい受けると決めている」
あっ、名前! ……初めて、呼んでくれた……。今まで言われたどんな言葉より、ずっとずっと嬉しい!
もう堪えきれなくって、涙がワッとあふれ出た。
「あ……な、泣くな……頼むから……」
セイガさんを困らせたくないから、手のひらでグイッと目を拭う。それでも涙は、勝手にあふれてきて、簡単には止まってくれなくて。
「……私は今、すっごく嬉しくて泣いてるんだもの。その涙を、無理に、止めなくってもいいでしょ?」
渋い顔になったセイガさんを、下からそっと見上げる。
やっぱり、どう見ても、私より年下よね。変な気分だわ。
「泣き止んでくれるなら、一度だけ言うことを聞いてやるから……」
ふふっ、セイガさんったら、よっぽど泣かれるのが嫌なのね。本当に、優しい人。
どうしよう……急に、うんと困らせたくなってきちゃった。
「……じゃあ、キスをして。場所は、セイガさんに任せるから。そうしたら、きっと、涙も止まると思うの」
この国には、他人にキスをする時、した場所によって意味があるの。たとえば、額なら祝福を願い、頬は親愛の証、といった具合にね。
あ、もしかしなくても、すっごく動揺してるのかしら? セイガさんが、完全に固まっちゃってるんだけど……。
……私、真面目な人に、無茶を言いすぎたのかも。
「ゴメンなさい、やっぱり……」
言いかけた瞬間、グッとセイガさんから引きはがされた。
それまでくっついてて、温かかったのに。すうっと入ってきた空気が、すごく冷たい。
グイッと顎を持ち上げられて、近づいてきたセイガさんの唇が、私の唇にしっかりと触れた。
ほんの一瞬じゃなくって、何度も瞬きができるくらい、長い時間。ずっと、触れ合ってて。
息ができなくて、心臓の音がどんどん大きくなってく。
「……は」
やっと離れて、私は止めてた息を吐いて、思いっきり吸い込む。もう一度吐き出して、ちょっとは人心地がついたかしら。
「ああ、止まったな」
あっけらかんと言い放ったセイガさんは、照れてるとか、恥ずかしそうとか、そんな素振りは何にもなくて。
……私だけ、ドキドキしてたってこと?
「これから先、泣く時は俺の前だけにしろ。そうしたら、今みたいに止めてやるから」
顎に当てられていたセイガさんの手が、私の頬をそっと、優しくなでていく。
……ひょっとして私、セイガさんのこと、勘違いしてたの? この人、真面目なだけじゃないわ。ちょっとだけ、女たらしとか入ってない?
「泣いていても綺麗だが、俺は笑っているマノがいい」
カアッと、一気に顔が熱くなる。
ちょっとだけ、この人を選んだこと、後悔しそうだわ。でも、好きって気持ちは、全然消えてない。むしろ、たっぷりと増えてるかも。
でも、いいわ。ただ振り回されるだけの男なんて、退屈しのぎにもならないでしょ? 私を振り回せるくらいの男でなきゃ、一緒にいてもつまらないもの。
手の上で転がして遊ぶなら、兄さんでも他の人でもかまわないし。
「じゃあ、私がいつでも笑っていられるように、セイガさんはできるだけ長生きしてね? 戦場でもどこでも、私より先に死ぬのは、絶対に許さないから」
「ああ、約束する」
「絶対よ?」
念を押したのに、セイガさんは言葉で返してくれなかった。代わりに、私の唇は、またしっかりとふさがれてしまう。
離れた後、セイガさんはニッと笑った。
「俺はマノを手放さない。この世に存在するすべてのものに、誓ってもいい」
耳に息がかかるくらい近くで、しっとりと囁かれて。悔しいけど、今の私は夕焼けより真っ赤に染まってるはず。
だけど、こうやって生きるのも、きっと案外悪くないわ。
時として、荒波に飛び込む覚悟も必要だもの。
私が本当のセイガさん──自宅は散らかし放題、家にいると服は着ない、剣も平気で手放しているような、とんでもない人だと知るのは、これから少し先のこと。