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9/31 GHOSTS IN THE BRAIN

 朝の空気は蜜が溶け込んだように感じられました。すぐそばに暖かな体を感じました。穏やかな寝息、それから微かに鼻にかかったような曖昧な声。徐々に記憶を思い出します。そういえば、昨日瞳子は……

 

 顔が滅茶苦茶熱くなりました。

 

 何やってるんでしょう。本当、なにやってんでしょうっ!

 

 あ、あんなことするつもりなかったのに、顔から血が吹き出そうです。というか色々流されやすすぎです自分。でも、同時に思います。もしも時間を巻き戻せても、結局瞳子は同じ行動をするでしょう。だから、それは仕方のない事なのです。だって瞳子は、光の事――あぅあぅ。


 顔を上げて、心臓が跳ねました。窓の外は少しずつ白んできています。その光の中に、それは立っていました。


「小山内先輩、確かに死ぬほど恥ずかしいのはわかるけど、いい加減あたしの方を見て欲しいなー」


 真っすぐと伸びた黒い髪は肩にかかるほど。着ているセーラー服は確か、瞳子の通う学校の制服です。整った顔立ち、乱れの無い容姿、けれその中に感じるどうしようものないアンバランスさ。大切な何かが欠けているような。画竜点睛を欠くとでも言うのでしょうか。いえ、そんなことよりも、何より一番おかしいことに、それは瞳子の目にはっきりと映って、人間の形をしていました。


「あれ、本当に見えてないのかな? あたしの考えは間違ってるってこと? もしもーし、先輩?」


「誰、ですか?」


「なんだやっぱり気付いてるじゃん」


 その人物は高い声で言いました。


「分かんない? 半年間も顔を合わせていたんだけどなー」

 

 まあ小山内先輩にとってはそれは意味のない行為かもしれないけどさ。人影は、瞳子に向かって苦笑いを浮かべながら言いました。その声が、瞳子の記憶を刺激しました。

 

「もしかして、歪ですか?」


 その人物は、ふわりと笑い、


「大正解」


 意味が分かりませんでした。


 ****


 歪は挨拶もそこそこにさっきまで瞳子が寝ていた布団に目を移しました。念のために瞳子も同じ場所に目を移しましたけれど、見えたのは少し膨らんだ布団だけです。

 

「お姉ちゃんはいつ見てもきれいだなあ、寝顔もきれい。ほんとなんでこんなにきれいなんだろ? あたしなんかとは全然違うよ。うーん、なんと言うか、お姉ちゃんがいるだけで世界は輝くもの。あたしじゃこうはならないもんね」


 あたりをふわふわと漂いながら、そんな感想を述べます。呑気なものです。


「歪」


「なあに?」


「どうして――」

 

 なにを聞けばいいのでしょう。言いたいことがありすぎて、混乱と驚愕で言葉が喉に詰まります。結局出てきたのは、「どうして、セーラー服なんですか?」

 

 至極どうでもよい疑問でした。


「え、ああ、これ? 別になんでもいいんだけどさ。じゃあこっちに変えようか」


 歪がそう言うと、一瞬でその姿が変わりました。肌色が眩しい水着姿。白いビキニは秋の朝に見るには十分寒々としたもので。


「やっぱり最初のセーラー服がいいです」


 あらそう、残念。答える歪の声は全然残念そうに感じません。また一瞬でセーラー服に戻ります。良く知りませんけど、普通の人間はこんなに一瞬で服を着替えることはできないはずです。だから彼女は普通の人間ではなくて。


「歪?」


「なに?」


「今の歪はなんですか?」


 首をかしげた歪は言いました。「多分、幽霊?」

 

 瞳子に聞かれても困ります。


「まあまあ、ちょっと小山内先輩と話したいことがあるから来ただけだよ。でも、その前に一つだけ言わせて」


「なんでしょう」


「服、着たら」


 ****

 

「小山内先輩はロリで痴女なのね。ロリ痴女、素敵な響きじゃん」


 ひどい言い草です。

 

「仕方ないじゃないですか。だって瞳子、自分が服着てるかとか、見てもわからないのです。気をつけてれば肌に当たる感触で分かるのですけど、でも今はいきなり歪が出てきてびっくりしてましたし」


「はいはい、わかってるって、ロリ先輩」

 

 全然分かってない気がします。一つ溜息をついて瞳子は着るものを探しました。すぐそばに脱ぎ散らかした振袖がありました。とはいえ一人で着物の着付けなんて出来るわけもありませんから、取りあえず昨晩まで着ていた襦袢を羽織って体だけ隠しました。


「それで、歪の話ってなんですか?」


「うーん、別に話すほどのことでもないんだよね。というか、小山内先輩とこうして会えただけで目標は達成できたというか、そのついでにお姉ちゃんと先輩が仲良くなれたのも見れたし、もう満足というか」

 

 もう帰っちゃおうかな、言葉と共に歪の体の色がすこし薄くなったような気がしました。


「待ってください。瞳子は何にも理解できていません。ちょう混乱中です。少しくらい説明してくれても罰は当たらないと思いますよ」


「そうかな。あたしは随分と罰あたりな存在だと思うのだけど」

 

「それでも、です。それに瞳子は歪に聞きたいことが山ほどあるのです」


 はあ、しょうがないなあ、と歪はわざとらしくため息をつきその場で足を組みました。なにもない場所で足を組んで佇んでいる女子。シュール。ちょうシュールです。ちょうシュールって言葉も意味不明ですけど、それくらいぶっ壊れています。

 

「それじゃあちょっとだけ、真犯人の話をしよっか」そう言って、歪は話し始めました。


 ****

 

「あたしは小山内先輩の視覚については会った時から疑問に思ってたんだよ。だって先輩、お姉ちゃんに全然惚れないんだもん。小林秀雄だっけ。『美というものは、現実にある一つの抗し難い力であって、妙な言い方をする様だが、普通一般に考えられているよりも実は遥かに美しくもなく愉快でもないものである』なんて言葉もあるけど、まさにお姉ちゃんの美しさはこれだよ。どんな心でも犯す最強の精神兵器。知ってた? 政府じゃあ本当にお姉ちゃんをそういう方向に使えないかって研究もされてるんだよ?

「だからそんなお姉ちゃんに惚れない先輩は、絶対何かを隠してるって思ってた。疑問に思えば後は総当たりだよ。ほら、例えばエロ本見せたこともあったよね。確か、米倉浩二の自殺の調査で、学校調べてていた時。先輩はまだ生きているアイドルのグラビアには何にも反応しなかったけど、エロマンガには真っ赤になって私を罵った――もっともこの時点ではもう先輩の嘘は何か確信してたから、これはちょっとからかっただけなんだけど――とにかく、あたしは先輩の嘘を知った。だから、出来るだけ自然にお姉ちゃんにそのことを気づいてもらいたかった」


「なぜですか? 瞳子が光を騙しているのが気に食わなかったからですか? それなら自分で教えれば良かったのに……」


「それじゃあ先輩がお姉ちゃんから離れるだけどと思った。多分お姉ちゃんのことだから先輩の嘘を私から教えられても、きっと自分から先輩に告げることはできないと思ったの。お姉ちゃんは、肝心なところでヘタレだからさ。まあそれも仕方ないとは思うんだけど。だってお姉ちゃん、美少女だから今まで困ったこと一度もないんだもん」


 ヘタレ。ヘタレですか。

 

「でも嘘をつくのも下手だし、そうなるとお姉ちゃんが変に先輩に気を使って、余計な距離を作るだけかなって思った。それはお姉ちゃんが望むことでは無いだろうし。だから自力で気がついて欲しかった。けど、お姉ちゃんは全然、先輩の嘘なんて考えもしないんだもん。

「毎日先輩に会えるだけで楽しいって、それ以上考えようとしないんだ。だからあたしは」


 光のために、一肌脱ぐことにした。

 

「それに、ちょうどいいかなって思ってたんだ。いい加減、お姉ちゃん以外の人を見るのもきつくなってきたかなって思ってたし」


 歪の声は、決して暗くありませんでした。むしろ当たり前のことを言っているように、淡々としていました。瞳子は、押し黙って歪を見ました。その顔には悲壮感もなにもなかった。なにも、ありませんでした。


「以上が、真犯人の動機だよ。じゃあ先輩あたしはそろそろ帰ろうかと思うんだけど」


「待ってください。まだ歪は話していないことがありますよ」消えようとする歪を、瞳子は引きとめます。


「何?」


「今日は、なぜここに来たのですか?」


「それは最初に言ったじゃん。ちょっと気になったことがあったって」


「気になること?」


「うん、それは」


 小山内先輩の視覚の本当の意味について。


 歪はその場で意味もなく回転しました。スカートがふわりと広がり、瞳子の視界を惑わしました。


 光が微かな寝言と共に、体を少し動かしました。けれど、まだ起きる気配はありませんでした。


「本当の意味?」


「小山内先輩はさ、生きている人間が見えないんでしょ?」


「ええ、そうです」


 歪の言葉は正しい。瞳子には細かい原理はわからないけれど、生きている人間が見えません。認識できません。そういうバグがあるのです。


「でも死体は見えるんだよね。これは凄くおかしいよ。だって、視覚っていうの、基本的に入射してくる光から作られるんだよ? でも、生きている人間と、死んでいる人間とで――死体がよほど激しく損壊していない限り――見た目的にそんなに大きな違いは出ないでしょう? それなのに、どうして見え方に違いが出るの?」


 瞳子はゆっくりと前を見ました。目の前にはふわふわと浮かぶ、檻場歪がありました。


「それに小山内先輩に視覚が変化した理由も意味深だよね。だって、小山内先輩は、家族が死んだ直後に生きている人が見えなくなったんでしょう? さらに言ってしまえば、今、小山内先輩はあたしが見えているらしい。そういうの全部含めると、小山内先輩の瞳って、生きている人を認識しないというよりもむしろ――」


「止めてください!」思った以上に大きな声が出て、自分でびっくりしました。「もう、いいです。ありがとうございます」


「全部仮説だよ。あたしはこれ以上何かするつもりはないよ。ただ自分の座りがいいように現実を解釈しただけ。こう考えたからって、新しい予言が出来るわけじゃないし、ただ一つ聞きたいんだけど」


 家族には、会えた?


 その問いに瞳子は答えませんでした。その代わりに、


「歪、質問があるのですけど、いいですか?」


「ご随意にどうぞ」


「幽霊っているんでしょうか?」


「あたしが存在する、って事実じゃダメ?」


「例えば、今見えている歪は瞳子の幻覚かもしれません。あるいは夢なのかもしれません。幽霊と幻覚に違いはあるのでしょうか?」


「ベタな話だけど、例えば幽霊は幽霊自身しか知らないことを知ってるんじゃない? 幻覚はそれを見た人の知識から引っ張ってきてるだけだから、その人が知ってることしか知らないはずでしょ? もしもそれが本当に幽霊なら、見た人が知らなくて、生前の死者だけが知ってる情報があるんじゃないかな。その有無で判定するとかどう?」


 それは確かにベタな話です。ですけど、それには同じくらいベタな反論がありました。


「でも例えば今、瞳子が歪しか知りえない事実を教えられても、それが本当に歪しか知りえない事実なのかどうか、判定するすべはありません。だってそれは歪が瞳子に話した時点で、瞳子も知っている事実となるのですよ。瞳子は自分が知らない事実を知りえませんから。だから――」


 くすくすくすと、歪は悪戯好きの妖精の様な笑い声を上げた。


「先輩は問題を設定を間違えてると思うんだ。本来先輩が問うべきは」


 幽霊と、生きている人間の違いじゃないの?


 布団を見る。そこに見えるのは、人一人分のふくらみだけ。いつの間にか外は白くなっていました。屋敷の向こうでは、お手伝いさんが外の掃除をしているのが聞えてきていました。光ももうそろそろ起きるでしょう。


「じゃあね、ロリ先輩、あたしはそろそろ行くよ」


「行くってどこに?」


「分かんないけど、行きたい場所に」


 そう言って歪は、空気に溶けるように消えていきました。


 瞳子はもう一度布団にもぐりこみました。そして暖かなその体に抱きつきました。


「ぅあ、とうこ? どうしたの」


「光、起きたのですか?」


「ううん、まだ寝てるわ」


「じゃあ瞳子もまだ寝てるのです」


「ということはこれは夢?」


「そうです、夢なのです。夏色に染まったきれいな夢――夢じゃ嫌ですか?」


「別に夢でもなんでもいいわ」光は当然のことのように言いました。「どこにいたって、私は瞳子と一緒にいたいと思うもの。そのためには何だってするし、なんだってできると思うの。もしもここが夢の中だとしても、だからって手を抜く理由にはならないでしょ? じゃあどっちでも同じだわ」


 夢も現実も、等価であると光は言います。無茶苦茶で、自信過剰。光はやっぱり光です。歪は光を甘く見過ぎなのです。


 瞳子は体を光にめいっぱい押しつけました。光の体は暖かく、汗で少し湿っていて、瞳子の肌とぴったりとくっつきました。もう何なのよ、光が言います。別になんでもありません、瞳子が答えました。


「そう言えば良く聞く言葉だけど、夏色ってどんな色なのかしら?」


 そんなの決まっているじゃないですか。光は夏を見たことがあるのですか? 問いに光はそりゃないわね、と呟いた。そうです。夏は誰にも見えません。だから。


 夏色は誰の目にも映らない。


 ここまで読んでいただけたことに、心より感謝いたします。本当にありがとうございました。


引用:小林秀雄『モオツァルト・無常という事』(新潮社 昭和36年)p.20

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