表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/20

8/9

 

 米倉浩二の兄、米倉隆は弟の一歳年上、つまり高校二年生の男子で瞳子たちの先輩にあたります。彼との遭遇は全くの偶然の産物でした。


 関係者に事情聴取に行く前に一度、米倉浩二の墓参りをしようと言いだしたのは光でした。瞳子はお葬式にも出ているのですけど、彼には随分失礼なことをしているわけで、もう一度くらい謝りに行ってもいいかもしれないと思って光の提案に賛成し、歪は光の提案に反対するわけがないので日取りを選んで三人で向かうことになったのです。初盆の前に行っておこうということで、数日のうちに行くことになりました。


 薄緑の光の透ける竹林の中にその墓地はありました。墓地の入り口に立つ一本の百日紅が鮮やかに目に焼きつきます。そしてその下を通るころには、瞳子たちは先客がいることに気がついていました。真新しい御影石の前に立つ誰か。


「こんにちは」


 瞳子の声で初めて気がついたように、その人物は振り返りました。


「小山内さん、とそれから……」彼は言葉を区切り、息をのみ、唾を飲み込んで、「光様……」かすれる声でそう、言いました。


「初めまして、ええと、誰かしら?」光が問うた。


「隆です、クラスメイトだった米倉浩二の兄の」


 それが米倉隆との出会いでした。


 ****

 

「ちょうど良かったわ。私あなたに会いたいと思っていたの」


 墓参りも終わり早々に、光は彼にそう言いました。


「僕に、光様がですか?」心底信じられないかのように繰り返しました。


「ええ、そうよ。ちょっと聞きたいことがあって、でも私の質問はもしかしたらあなたを傷つけるかもしれないし、かなりぶしつけなことを聞くから不快に思うこともあると思うわ。だから答えたくないなら答えなくてもいいし、聞きたくないと思ったらはっきりとそう言って欲しい。それでも、私の質問に答えてくれるかしら?」


「僕に答えられることなら、なんでも」隆は間髪いれずに答えました。


「死んだ、弟さんに関するものでも?」


 彼は弟の墓参りにくらいですから、きっと弟思いの兄だったのだと瞳子は思います。だから、光の問いに彼が二つ返事で快諾したのは少し意外でした。


「それで、何が聞きたいのでしょうか?」


「そうね、じゃあ最初に聞くけど、あなたは弟の死は自殺だと思う? 他殺だと思う? それともそれ以外の何かだと思う?」


「間違いなく自殺です」


「つまり私が振り向かないのが辛くて死んだと?」


「ええ。でもそんなの当たり前じゃないですか。光様が近くにいるのに自殺するとしたら、他に原因はあり得ません」


「そうでしょうね。質問を変えるわ。あの晩、つまり八月一日の晩何か普段と違うことはなかった? 弟君がなにか変なそぶりを見せていたとか、例えば妙に電話を気にしてるとか、そわそわして落ち着かないとか」


「さあ、強いて言うなら浩二はいつもより饒舌だったと思います。普段から明るい奴じゃないし、あんまり感情の起伏が激しい人間じゃないですけど、肉親の僕にはわかります。あの時の弟は少し、なんというか、浮かれていたと思います」


「浮かれていた?」


「ええ、でもまさか、死ぬことがそんなに嬉しかったのか。俺も自殺する直前はテンションあがるのかな」


「それは多分、死のうとしてみないことにはわからないことだわ。他には何か思い出すことはない?」


「特には、ええないです」


「ちなみにあの晩のあなたの行動を教えてくれるかしら?」


「ご飯を食べ終わったのは、確か七時くらいだったと思います。それからあいつは、浩二は二階の部屋に行って、きっと一人でネットでもするんだと思いました。あいつアイドルが好きで、色々そういう画像とか集めてましたから。もちろん、光様ほど可愛い人なんてどこにもいないって、よく言ってましたけど」


 米倉隆は流れるように話した。十日も前のことをよくおぼえているものだと、瞳子は一人感心していました。あるいは、それくらい何度も話しているのかもしれません。


「浩二が部屋に上がってからも僕は一階でテレビを見てました。八時までテレビを見てから、それから風呂に入りました。上がったのは、確か八時三十分くらい。その後は自分の部屋に上がって、勉強をしていたら九時過ぎに電話がかかってきて」


 それで弟が死んだことを知った。隆は淡々と語ります。まるで目の前にある文章をただ読んでいるかのような、そんな錯覚すらおぼえます。


「米倉浩二は誰かに怨まれていたり、誰かとトラブルを起こしたりしていなかった?」


「僕の知る限りでは、特には」


 最後に米倉浩二と親しかった人物の名前を聞き出して、光は礼を言いました。


「ありがとう、助かったわ」


「いえ、お役に立てたのなら、僕は世界で一番の幸せ者です」


 光は一瞬、押し黙った。


「あの、最後に一つ聞いてもよろしいでしょうか?」米倉隆は最後に光に問いました。


「いいわ」


「なぜ、光様は弟のことを調べているのですか?」


「別に、ただの暇つぶしよ」


 とそれだけ言ってから光は「答えにくいことまで教えてくれてありがとう。それじゃあ」と。光はもう用はないようです。踵を返す光に瞳子が声をかけます。


「あの、すこし瞳子も個人的に米倉さんに聞いてみたいことがあるのです。少しだけ待っていてくれませんか」


「なぁに、それなら今ここで聞いたらいいじゃない」


「光たちがいるとちょっと聞きにくいです」


「私たちがいたら聞きにくいことって何よ」


「それは、秘密です」


 その返答は光の気分を害したかもしれません。光は一瞬沈黙して、その間隙を縫うように言葉を発したのは歪でした。


「分かったよ。じゃああたしとお姉ちゃんはあの木の下で待ってるから」


「ちょっと歪」


「それが一番いいと思うよ。あんまりしつこいと小山内先輩に嫌われちゃうよ」


「うぐぐ、米倉隆」


「はい」


「瞳子を傷つけたら、怒るわよ」


 歯ぎしりしながら光はそう言って、鼻息荒く墓地を出て行きました。入口の辺りで立ち止まって時間をつぶすようです。


「小山内さんは」瞳子よりも先に、米倉隆が口を開きました。


「小山内さんは、光様と仲がいいんだ」


「仲がいいのでしょうか。瞳子はあの人に随分迷惑をかけられていますけど」


「それってつまり、迷惑をかけられるくらいは仲がいいってことだと思う、それはかなり」


 かなり羨ましい。米倉隆は羨望を隠さず言いました。


「米倉先輩は光と仲良くなりたいのですか?」


「言うまでもないことだと思う。多分光様と面識のある人間全てがそう思っている」


「それはなぜでしょうか?」


 瞳子はずっと昔から不思議でした。どうして光はこんなにもモテるのか。


 どうして彼女の要求にこんなにも唯々諾々とヒトは従うのか。


 例えばさっきの米倉隆の言動。瞳子の常識から判断すると、亡くなってから十日も経っていない親類について、よく知りもしない同じ学校の生徒が根掘り葉掘り聞いてきたら、普通怒ります。そんな失礼な奴に懇切丁寧に教えてやるのはよほどの馬鹿だけです。だから瞳子は端から聞き込みなんて上手くいくはずないと考えていました。なのに。米倉隆は光の質問にあっさりと答え、自分の弟の死なんて特に気にしていないように振舞いました。でももしも本当に弟の死をつゆほどにも感じていないなら、こんな場所にいるはずがありません。


 矛盾しています。


「そりゃ、今、光様が見えない場所にいたら、いくらなんでも失礼だと思うし、あそこまで答えなくてもいいじゃないか、と思わないでもないよ」米倉隆はまるで自嘲するかのように笑い、答えました。「それどころか弟は、浩二は光様に振られて死んだようなものだ。憎みこそすれ、慕うようなものではないと頭では理解している。でも」


 でもダメなのだ、それでも光のことを一瞬でも考えると、彼女を好きにならずにはいられないと、あの人に嫌われるなんて死ぬよりイヤだと、米倉隆は淡白に言いきりました。


「あの人の、光様の笑顔を思い浮かべると、弟の死なんてどうでもよいものに思えてしまう。それどころから、あの人が弟の死について何か調べているという噂を聞いて、俺は、俺は、浩二のことを羨ましいとさえ、思っちまったんだ。そしたら本当に俺の所に光様が来てくれた。今までなにをしても――一人だけ目立ちたくて髪染めたって、弟と二人しかない化学部でコンテストに優勝したって――それでも一瞥すらくれなかった光様が、わざわざ俺の所まで来てくれた。それだけで俺は、どれだけ舞いあがったことか」


 小さく笑い、兄貴失格だな、と乾いた声で付け加えました。しかしそれでも。


 それでも米倉隆は檻場光に好かれたいのだ。


 理解できませんでした。


「でも、なぜそこまで光が好きなのですか?」


 幾度となく己に問うた問いを、初めて瞳子は他人に投げかけました。米倉隆の答えは簡潔で、聞き間違えようのないもので、


「だってあの人は、世界で一番美しい」


 こいつもか。


 米倉隆は、何かに陶酔しきった声で、間髪いれずにそう答えました。


 ****

 

 おかしいのは瞳子なのか、世界なのか。


 そんなの、決まっています。世界は事実の総体であり、それ自体に正しいとか間違っているとか問うことはできない。もしもそれがあるとしても、それを決めるのは世界の外側の何かであり、少なくとも瞳子が語りえるものではない。だからもしも何かが間違っていると瞳子が感じるとしたら、それは瞳子自身以外にあり得ない。


 なんちゃって。


 そんなのずっと前から知っていました。


 瞳子がおかしなことくらい。

  

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ