さぁずらかろう木曜日
今日もカズ達の目をかいくぐり、あの裏庭の基地へやってくると、先に来ていた赤いロボットが出迎えてくれた。来たというより、居ついているのかもしれない。裕也はちょっとだけ嬉しくなってロボの隣に腰を下ろした。
「今日ね、ボクのとこの先生、目の下にクマできてたんだよ」
ロボはちょっと停止すると、手を頭の上につけて少し傾いた。
「うーん・・・その熊じゃなくて、なんて言うんだろ。疲れてるときとか寝てないときに、目の下が黒くなるの。といってもキミ、ロボットだから・・・疲れることある?」
機械は途端に腕を振り回し、あちこち飛び跳ねる。その極端な動きに裕也は可笑しくなった。
「あはは、そうだね。元気だね」
それから、カバンの中から今日の宿題を取り出す。計算ドリルが2ページ。これならすぐできるだろう。終わったら何しようかな?ロボはいつの間にか裕也の隣に戻ってきて、前に貸してあげた絵本を開いていた。
そよそよと辺りの草が揺れ、遠くで小鳥がさえずり車が通り過ぎる音が聞こえる。気温は仄かに暖かく、本当に一日中いてもいいくらい居心地が良かった。
宿題が終わったので、携帯ゲーム機を取り出そうとカバンを探すと、はずみで携帯電話が転げ落ちる。その物音を聞いて、ロボは絵本を横に置き小さな機械を眺めた。触ろうかどうしようか迷っている風な動きに、裕也は笑ってしまう。
「あ、それケータイだよ、ケータイ電話」
ふたを開けて画面を見せてあげると、ロボは目を輝かせて(もともと光ってるけど)食い入るように待ち受けの画像を見つめた。
「あんまり使わないんだけどね。・・・ほら、アドレス帳にもお父さんとお母さんとかなえちゃんのしか入ってないでしょ」
ついついため息がこぼれる。
裕也の家は共稼ぎだ。しかも普通のレベルじゃなく、両方ともハードな職業の。今週一週間を振り返ってみると顔を見たのは1回か2回ぐらいで、そのどちらも満足に話する時間がなかった。
とりあえず、両親は少しは家に帰ったりしているらしい。作り置きのオカズが増えていたりするし、テーブルに学校からのプリントを載せておけば、次の日には、読んだとメモ付で戻ってくる。それに、「何かあっては」とケータイを持たせてくれるのは自分を心配してくれているからで、大事にはされているのだ。
それは分かるんだけど・・・裕也はたまに不安になる。
ボクは邪魔なんじゃないだろうか?ボクがいるから、あんなに働かなくちゃならないんだろうか?
連休や夏休みにどこかに連れて行ってくれる。そういうことじゃなくて、もうちょっと一緒に過ごしたい、話したいし一緒にご飯も食べたい。けれど、それを言ったらお父さんもお母さんも嫌な気分になるのかな?
まぁ、でもこんな話したってロボも困るだろうし。
「かなえちゃんはね、一緒の班なんだ。この前来た、カズ君と稔君と同じ仲間だよ。後、美香子ちゃんっていう子もいるの。皆いい人だよ」
あんまりケータイを触りたそうにしているので、ロックをかけて手渡すと、ロボは興味深そうにグルグルといじった。やっぱり機械なだけに、同じ機械に関心があるのだろうか?
そっとしておく事にして、裕也は携帯ゲームをはじめた。
ああ、まったりとしたこの空間。
「まぁた、お前は!」
裕也ははじかれたように顔を上げた。小さい声だけど、なんか聞き覚えがある・・・そっと聞き耳を立てる。
「だってさー、ちょっと見てみたいじゃん。裏庭どんだけ広いのか。あの時、追いかけられたから納得いくまで探検できなかったんだよね」
これはカズの声だ。どうやらまた今日も、この家の主に会いにやってきたらしい。裕也も人のことは言えないけれど、よくまぁ続くものだ。
周囲が静かだからか、ちょっと注意するだけで話の内容も聞き取れる。カズがいるということは・・・
「うん、それは分かった。けどな、許可を取ってからにしろ。いきなり挨拶もなしに庭に突っ走るんじゃねーよ」
やっぱりさっきのは稔君の声だった。いつも大変だなぁ・・・て、ちょっと待った。
裕也は焦った。
裏庭探検の許可を取るという事は、2人に自分がここにいるのを発見されるという事だ。それはマズイ、非常にマズイ。何でここに来ているのかという説明も、基地のこともロボのことも、上手く話せる自信がない。何より怒らせたらどうしよう。カズにしてみれば抜け駆けのようなものだ。
どうすればいいか。いつ裏庭に現れるか分からない以上、2人が家に入ったと同時にダッシュでこの区画から離れるしかないだろう。裕也はそっと立ちあがり、こちらを窺っているロボの頭を撫でた。
「ボク、今日はもういくね。また明日」
こそこそと草の道を抜けて、忍者のように家の壁にぴったりくっつく。顔だけ出して玄関の方を見ると、カズと稔がちょうど中へ入っていくところだった。
今のうち!
裕也は全速力で駆けだした!こんなに早く足を動かすのはいつ以来だろう?運動会の時でさえ、ここまで真剣に走ったことはない。
すれ違った男の人が、びっくりした顔で振り返ったのが、ちらっと見える。
あ~あ、もうちょっと、あそこにいたかったなぁ・・・。
※※※
チャイムを押して行儀よく待っていると、りんねさんがドアを開けてにこやかに迎えてくれた。
「来ると思った、あがってあがって。あれ、昨日一緒だった彼女はいないの?」
「カノジョ?あー、かなえなら今日これないって。昨日のパウンドケーキがうまかったから、今日のオヤツも楽しみにしてたのにって悔しがってたよ。僕も楽しみー、今日は何、何?」
カズはあっけらかんと返事を返す。
「へぇ、ホント?今日のは見てのお楽しみ。」
「・・・ホントすいません。ずうずうしくて」
居間で本を読んでいたお爺さんが2人へ顔を向けたが、さすがにもう「また来たのか」とは言わなかった。(そりゃ三日間通いづめであるから、もう諦めた、ともいえる)
ただ「もう片づけるところはないぞ」といって本へ向き直る。
「おとといと昨日とで大分はかどったからな、家の中はおしまいだ。後は外の壁を直したり雑草を刈ったりするぐらいだから、もう手伝わなくていいぞ」
「えー、あの草刈っちゃうのか。残しておいてくれると嬉しいんだけどな」
「バカ言うな、なんのために」
「あそこまで、もっさり生えてんだから巨大迷路とか作ったら面白そうじゃん」
「おーいいな、それ」
大勢で遊んでいる様子を想像して、稔は相槌を打った。わいわい騒ぎながら、もしかしたら草の壁をぶち抜いて進む奴も出るかもしれない。ゴールに景品用意するのもいいかも。なにより草を踏みしめて道を作るのが面白そうだ!
だがしかし、家主は首を横に振った。
「却下」
「あー、じゃぁ基地作る、基地。俺らしか使わないからさー。もったいないじゃん、あそこま・・・」
突如、部屋の中にチャイムの音が響き、カズは言葉を切った。
「・・・来客か?」
不審げに爺さんが玄関の方を見る。「特にそんな予定もないんだが」
「カズ君たちのお友達でも来たのかな?」
「来るっていってたかなぁ」
訪問販売だったら嫌だから居留守を使おうか、などと話している間にも、チャイムは鳴り響く。諦める気はまったくないらしい。やがて、りんねがため息をついてソファから立ち上がった。
「うるさいなぁ・・・仕方ない、私出るわ」
その後ろをカズが何食わぬ顔でついていくので、慌てて稔も後を追う。
戸を開けると知らない大人(30代ぐらいだろうか)が立っていて、軽くお辞儀をしてきた。そうして、一瞬邪魔そうな表情を浮かべカズと稔を見る。いけ好かない野郎だな。
「どちら様ですか?」
りんねが硬い口調で尋ねると、男は口元だけでにこりと笑った。
「あ、いやぁ、なかなか年季の入ったお宅だと思いましてね。私、こういう古い構造の建物に興味があるものですから、それでつい色々聞きたくなりまして・・・ここ、御嬢さんの家ですか?」
「ええ、そうですけど」
「ご両親やご親戚の方などは住んでいらっしゃる?」
男はそういいながら、背伸びをして居間を覗き込んだ。(居間の戸を開けっ放しだったから、丸ミエだ!)失礼な奴だ。先ほどから相手が気に入らない稔とカズは、その視界を遮るように体をずらす。
「お教えする必要はないと思いますが。私だと何か不都合でも?」
「いえいえ、これは失礼いたしました。ただ詳しい人にお話を伺えたらなーっと思ったものですから」
「まぁ、それは残念ですね。そんな知識のある人、住んでおりませんので」
そう言って玄関を閉めようとするりんねを遮り、体をドアと壁に挟めるようにして、男は更に食い下がってきた。
「お爺さんやお婆さんは、こちらに来るご予定ないんですか?きっと色々知っていると思うのですが」
「さあ、予定なんてないですけどねぇ」
しつこい、と稔は思った。この図太さ、カズといい勝負だな・・・。
いや、でも大きく違う点がある。カズのそれは大抵『好奇心』(それも迷惑な話だが)が原動力だが、この男はどちらかというともっと機械的な感じ。そう、『損得』で計算して動いているような。
「よければ、ちょっと連絡を・・・」
「おっさん、しつけーぞ」
ついにカズが動いた。
「そんなに古い話聞きたいんなら、図書館行きなよ。原っておばちゃんがそーゆーの詳しいからさ。善良なる一般市民に迷惑かけるなよ」
原なんておばちゃんいたっけ・・・?また適当な事言っているな、と思いつつ玄関を見た稔は、体温が音を立てて下がる音を聞いた気がした。男の顔から表情が消えたのだ。何の感情も現れない、冷たい顔。
「そう嫌われちゃしょうがない。出直しますよ」
気が付くと、男の顔はまた先ほどの笑顔に戻っている。あれはほんの一瞬だったのだろうか?りんねもカズも見ていなかったのか、まったく動じている様子ではない。
「あぁ御嬢さん、親御さんが帰ってきたら、また伺いますと伝えておいてくださいね。それくらいならできるでしょ」
「覚えていればね」
りんねは、男の鼻先を巻き込むかのように、思い切り玄関のドアを閉めた。
「何、アイツ」
りんねは不快な表情を隠そうともしない。ぐるりと身をひるがえし、居間へ歩いていく。
その後ろでウンウンと頷きながら、カズがいつもと変わらない調子で返事を返した。
「春だから変なのが多いんだよね」
「もう秋になりかけだろ。ともかく、警察に届けた方がいいんじゃないですか?火でもつけられたりしたら大変ですよ」
稔は先ほどの『尋常じゃない顔』を思い返した。絶対あれは奇人変人の部類だ。
わざとらしい笑顔を浮かべ何するか分からん常識の通用しない人を人とも思わず行動にはすべて裏がありいけ好かないドロドロした粘着性のある能面のような、ええとなんだ、とにかく悪い奴だ。
「それはないな」
いつの間にか、お爺さんが後ろに立っていた。
「そんな行動するならワザワザ顔は見せないさ。それに、また来るだろうが、そのころにはこの家は空っぽだ」
「からっぽ?」
予想しない単語に、3人の頭がそれこそ空っぽになる。お爺さんはそんなこともお構いなしに、孫へと向き直った。
「りんね、明日ここを引き上げるぞ」
「でも、おじいちゃん・・・」
「片づけは済んだしな。壁は後で業者に依頼すればいい」
お爺さんはりんねの反論を遮って、断言した。これでは何を言っても駄目だと思ったのだろう、彼女は腕をくんで何かを思案しはじめる。稔もカズも、余計なことは言わずに事の成り行きを見守っていた。
誰も何も言わない、動かない。まるで全てが停止したかの様な空間に、居間の壁掛け時計の秒針の音だけが、時の流れを感じさせる。
「・・・うーん、けど明日、は難しいかな。急すぎ」
やがて、りんねが考えながらも口を開いた。
「車手配する関係もあるし」
「ふむ」
「なー、そんな急に帰らなくてもいいじゃん」
「だから、ここでの用事は済んだんだ。手配が付き次第帰る。そもそも、ここ最近うるさくて落ち着かんわ」
『落ち着かん』の言葉にカズは口をとがらせたが、それに反論はしなかった。うるさい要因が自分であることは自覚しているらしい。稔も何か一言いうべきかどうか迷ったけれど、特にセリフも思い浮かばなかったので黙っていた。
近いうちにここに来ることもなくなるのか・・・ほとんど日課になっていたんだけど。
「もー、何?この雰囲気、暗い暗い!さ、気分転換にオヤツにしよ」
りんねはそう言って、台所へと入って行った。