第3話 着任の日
『サクラデバイスコーポレーション自治区41管区治安維持部隊第3詰所』
無機質な建物の外壁に浮かぶ電光掲示板が、網膜にチカチカと残像を焼き付ける。
コンクリートと金属の塊のようなその建物は、周囲のビルに比べて一段と低く、そして薄汚れていた。
必要なのは威圧と効率。
それ以外の装飾をすべて削ぎ落とした、剥き出しの暴力装置。
それがこの詰所の実態だ。
詰所の前を行き交うナチュラルたちは、誰一人として視線を向けない。
まるで「見なければ関係ない」「関わらなければ安全だ」と信じているかのように、足早に通り過ぎていく。
――その建物の内部。
待機室の空気は重く、淀んでいた。
換気システムが古いのか、安物の合成コーヒーの匂いと、過熱した精密機器の焦げたような匂いが混ざり合っている。
壁一面に投影されたホログラム地図だけが、休むことなく街の毒素を色分けして明滅させていた。
区画内の警戒レベル、監視対象のアイコンが忙しなく動き回り、この街の状況を逐一報告してくれている。
その部屋の中央、並べられた椅子に二人の女性が座っていた。
「ネオンちゃーん。表情固いよー。リラックスリラックス」
間延びした声が、沈黙を破る。
赤髪を高い位置でポニーテールにした女性――ルミナが、手元で分解された銃のパーツを弄んでいた。
カチ、カチャリ。
金属同士が噛み合う冷たい音が、規則正しく響く。
「リラックスできるわけないでしょ、ルミナ」
ネオンと呼ばれた女性は黒髪を乱雑にかき上げ、苛立ちを隠そうともせず安物の机を指で叩いた。
カツ、カツ、と乾いた音が、古い排熱ファンの唸り声と重なる。
ルミナはそんなネオンのいらついた様子を気にすることもなく話しかけた。
「もうすぐ新しい小隊長が来るんでしょ? そんな怖い顔してると、相手も委縮しちゃうよ?」
「委縮? ヒューマロットが?」
ネオンは鼻で笑い、不機嫌そうに椅子を軋ませた。
「そんな上等な感情、見せると思ってるの?」
「あー、ヒューマロット差別だー。普段からお世話になってるでしょー?」
「だからよ。普段から世話になってるからこそ、自分の上司になるのが嫌なの」
今やヒューマロットは社会の至るところに存在している。
工場、物流、清掃、介護、そして治安維持。
コストが安く、従順で、文句を言わない労働力。
ネオンは椅子に深く座り直し、吐き捨てるように言った。
「サクラデバイス自治区のヒューマロットは、特にひどい。成長促進処理に教育DBの詰め込み。人格形成なんて二の次。感情を持たせない方が効率的だからって……あれ、もう人間じゃないわ」
「でもさー」
ルミナは銃をカチリと組み上げ、軽く点検しながら言う。
「労働人口減ってるんだし、企業がヒューマロット作ってなければ社会崩壊してたかもよ?」
「……それとこれとは別よ」
ネオンは言葉を詰まらせ、一瞬だけ視線を落とした。
「噂じゃ、基準未満のヒューマロットには違法レベルの改造手術を施して、使えなくなったら……裏で処分してるって」
「わーわーわー!!」
ルミナが慌てて両手を振る。
「ネオンちゃん、それ以上はアウト! クラス違反で即拘束コースだって!」
「……悪かったわよ」
勢いを削がれたネオンは、机に肘をつき、重い溜息とともに視線を落とした。
「分かってるのよ。ヒューマロット自身に選択肢がないことくらい。でも……あんな存在を見てると、何もできない自分が嫌になるの」
その横顔には、深い疲労と憂いが滲んでいた。
ルミナは一瞬だけ真面目な顔をして、それから肩をすくめる。
「ネオンちゃん、昔からそうだよね。正義感強すぎ」
「正義感なんかじゃない。……そういうルミナこそ、考えなしすぎ」
ネオンはちらりとルミナを見る。
「聞いたわよ。開発部門に行けたのに、企業幹部のユニットを勝手に改造してここに飛ばされたんでしょ?」
「あー、それはほら。ちょっと性能盛りたくなっちゃって」
「“ちょっと”で済む話じゃないでしょ……」
「だってさ、イジれそうな機械あったら触ってみたくなっちゃうじゃん?」
そんなこと言うルミナに、ネオンは冷たい視線を向ける。
しかし、ルミナは悪びれる様子もなくネオンに返した。
「……そういうネオンちゃんこそ、中央演算部門だったのにクラス違反疑いで飛ばされたって聞いたけど? 何したのさ」
「……ノーコメントで」
不貞腐れたようにそっぽを向くネオンを見て、ルミナは声を上げて笑った。
「まあまあ。こんな問題児二人の上司になるくらいだし、どうせ来るのは飛び切り厳しい、四角四面の典型的ヒューマロットでしょ」
「あー……憂鬱だわ」
その瞬間だった。
自動ドアが、わずかに軋む音を立てて左右に割れる。
最初に視界に入ったのは――あまりにも小さな影だった。
待機室の白い照明が、わずかに揺れた。
「……?」
ネオンが視線を上げる。
子供。それも飛び切り美しい少女だった。
少女が歩くたびに、リノリウムの床と軍靴が擦れる、
キュッ、キュッという正確な音が響く。
まばたきの回数が極端に少なく、焦点が合いすぎている瞳に、ヒューマロット特有の柳葉型の耳。
どう見ても十歳程度の背丈しかない。
少女は部屋の中央、二人の前でぴたりと止まった。
「私はSFTS1005。第41管区治安維持部隊、小隊長として呼ばれた。……今日からよろしく」
感情の抑揚がない、澄んだ鈴のような声。
そのあまりのアンバランスさに、ネオンの眉が大きく跳ねた。
(――小隊長? この子が?)
「えっ、ちょ、待って待って!」
先に声を上げたのはルミナだった。
「うそでしょ? 迷子……じゃないよね?」
絶句するルミナに対し、少女は小首を傾げた。
その拍子に、エルフ耳が柔らかく揺れる。
「……大丈夫。業務に、問題ない」
“業務”。
命のやり取りが日常である治安維持の現場を、この小さな少女が「問題ない」と言い切った。
ネオンはその瞳の奥に、何か得体の知れない「違和感」を感じていた。
ヒューマロット特有の虚無じゃない。もっと別の、何か――。
「……名前を、もう一度」
低く問いかける。
少女は一瞬だけ言葉に詰まり、それから答えた。
「SFTS1005。……でも、番号で呼ばれるのは、あまり好きじゃない」
少女は一瞬だけ言い淀み、それから、感情の死んだはずの顔で少しだけ目を伏せた。
「ビャッコ。……そう呼んでくれると、ありがたい。自称だけど」
その言葉が、ネオンの胸をちくりと刺した。
「番号で呼ばれるのが嫌だ」という意志。
それは、徹底的に個を奪われてきたはずのヒューマロットから漏れ出た、微かな「生の叫び」に聞こえた。
「そ、そっか!」
空気を察したルミナが、慌てて明るい声を出す。
「じゃあビャッコちゃんね! あたしはルミナ、よろしく!」
ビャッコは一瞬、その手を見つめ――そっと、壊れ物を扱うように握り返した。
「うん。一緒にお仕事、がんばろ」
その幼い言葉に、ネオンは思わず目を逸らした。
“お仕事”。
この小さな手が、これからどれだけの「粛清」という名の汚れ仕事に染まっていくのか。
そう思うと、やりきれない思いが込み上げた。
部屋に、重たい沈黙が落ちる。
――だが二人は、そして感情抑制モジュールでさえも、知らなかった。
ビャッコの胸の奥では今、
(うっひょおぉ! 美少女二人! 赤髪ポニテと黒髪クール系とか、属性のバランス神かよ! 仲良くなれれば、これマジで青春始まるんじゃね!?)
と、前世の社畜おじさんの思考が、全力でステップを踏んでいることを。




