第26話 殻のないかたつむり
「……おかえり。ようやく、殻から出てきてくれたね」
ベネディクトの慈愛に満ちた声が響くと同時に、周囲の『おもちゃの兵隊』たちが一斉に動き出した。
だが、彼らは銃を構えていない。
無骨なマニピュレーターを広げ、笑顔のペイントが施された顔を揺らしながら、まるで迷子を見つけた大人たちのように、よちよちと近寄ってくるのだ。
『さあ、おいで。パパのところへ戻っておいで』
『みんなでハグしよう。あったかいよ』
『おかえり、おかえり、おかえり』
合成音声の不協和音。 殺意を向けられるよりも遥かに恐ろしい、狂った善意の包囲網。
「ひぃっ……! こ、来ないで……ごめんなさい、ごめんなさい……ッ!」
アイリスは地面に額をこすりつけ、ダンゴムシのように丸まって震えていた。
ジャージ姿の小さな背中は、恐怖で完全に萎縮している。
今の彼女には、戦う意思どころか、立ち上がる力すら残っていない。
「っと、助けないと!」
俺は我に返ると、オファニムをホルスターに収め、アイリスの元へ駆け寄った。
これだけの数を相手に、守りながら戦うのは不可能だ。
それに、アイアン・メイデンは既に機能を停止している。
「アイリス、立てる?」
「あ、あう……殺さないで……食べないで……」
「…………逃げるよ!」
俺は彼女の腕を掴んで引き上げようとしたが、腰が抜けているのか、ぐにゃりと崩れ落ちてしまう。 ダメだ、完全に正気を失っている。
俺は一瞬の判断で、彼女の腹の下に腕を通した。
「ごめんね」
「ふぇっ!?」
俺はアイリスを担ぎ上げると、そのまま肩の上に担ぎ上げた。
いわゆる「お米様だっこ」だ。
「うわぁぁぁん! 揺れるぅぅぅ! ごめんなさいぃぃ!」
「少し黙ってて。――撤退する。ネオン先導して。ルミナ、後ろをよろしく」
「ちょっと、本気!? あの機体はどうするのよ!」
ネオンがアサルトライフルを乱射しながら叫ぶ。
「置いていく。今は命の方が大事」
「……りょーかい! 勿体ないけど、命には代えられないね!」
ルミナがアイアン・メイデンを惜しむように一瞥すると、アサルトライフルの弾を敵にばら撒いた。
俺たちは背後から迫る「おもちゃの軍団」に背を向け、灼熱の工場エリアを全力で疾走した。
走りながら、俺は一度だけ振り返った。
紅蓮の炎に包まれて立ち尽くす、黒鉄の巨人。 アイアン・メイデン。
つい数分前まで、アイリスが「最強の自分」を演じるための城であり、外界の恐怖から身を守るための鎧だったもの。
それが今、主を失って置いてけぼりをくらう迷子のように見えた。
(……ごめん。後で助けに来るから)
俺は肩の上で泣き叫ぶ「中身」を担ぎ直し、迷路のように入り組んだ配管の闇へと飛び込んだ。
「ハァ……ハァ……! こっちよ、ビャッコ!」
ネオンの先導で、俺たちは工場の壁面に設置された巨大な通気ダクトの前にたどり着いた。
メンテナンス用のハッチを、ネオンが電子ロックを自分の端末と繋げて猛スピードで解除していく。
「開いた! 早く入って!」
「うんっ!」
俺はアイリスを担いだまま、狭いダクトの中へ滑り込んだ。
続いてネオン、最後にルミナが飛び込み、内側からハッチを閉める。
ドォン!!
直後、ハッチの外側から重い衝撃音が響いた。 『おもちゃの兵隊』たちが体当たりをしているのだ。
『開けてぇ。遊ぼうよぉ』
『アイリスちゃん、どこぉ?』
鉄板一枚隔てた向こう側から、無邪気な声が聞こえてくる。
だが、このダクトは人一人がギリギリ立ち上がるのがやっとのサイズだ。
あの丸っこい装甲のロボットたちには通れない。
「……どうやら、ここなら安全かな」
俺は荒い息を吐きながら、ダクトの床に座り込んだ。
薄暗い閉鎖空間。 埃と鉄錆、そして微かなカビの臭いが鼻をつく。
外の灼熱地獄に比べればマシだが、それでも蒸し暑いことに変わりはない。
「あー、死ぬかと思った……。なんなのよあいつら、ストーカー集団?」
ネオンが長い髪をかき上げながら、壁にもたれかかる。
ルミナもへたり込みながら、端末で周囲のマップを確認していた。
「とりあえず、ここは旧排気ラインみたいだね。今は使われてないから、熱風が吹き込んでくる心配はないと思うよ」
「了解。とりあえず一安心」
俺は肩の荷物を……文字通り「荷物」を下ろそうとした。 だが。
「……? もう大丈夫だよ」
背中に張り付いた物体は、剥がれなかった。
「いやぁぁ……嫌ですぅ……離れたら死んじゃう……」
アイリスだ。 彼女は俺の背中にしがみつき、首に腕を回してガタガタと震えている。
米俵を解除したのに、今度はコアラのようにへばりついてくる。
こんな状況じゃなければ女子高生(?)に抱き着かれるとそれなりに嬉しくなるのだろうが、残念ながら大量の汗と煤の焦げ臭さと、ついでにこすり付けられた涙と鼻水のせいで、ギリ不快度の方が上回った。
「……いいから下りて」
「ひぃッ! ご、ごめんなさい! 怒らないでぇ……!」
俺が無理やり腕を引き剥がして、彼女を目の前の床に座らせる。
アイリスは膝を抱えて小さくなり、ジャージの袖で顔を隠しながら、壊れたラジオのように謝罪を繰り返した。
「うぅ……ごめんなさい……私なんか助けてもらってごめんなさい……重かったですよね……汗臭くてすみません……生きててすみません……」
「…………」
その場に、重苦しい沈黙が流れた。 俺と、ネオンと、ルミナは顔を見合わせた。
さっきまでの彼女を思い出してみる。
『お黙りなさい!』『ひれ伏しなさい!』『私のダンスを見せてあげるわ!』
――高貴で、傲慢で、自信に満ち溢れていた「黒鉄の女王」。
そして、目の前にいる生物を見る。
毛玉だらけのジャージ。 涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔。小動物のように怯えきった瞳。 そして、口を開けばネガティブ発言の連打。
「……ねえ」
ネオンが、こめかみを押さえながら、心底うんざりした声を出した。
「なにこの、めんどくさい生き物……!」
まさにその通りだった。 アイアン・メイデンを失った彼女は、中身を守る術を持たない、ただの「殻のないカタツムリ」だったのだ。
「あうぅ……めんどくさくてごめんなさい……酸素吸っててごめんなさい……二酸化炭素吐いてごめんなさい……」
「あーもう! 謝るな! 逆にイライラするわっ!」
ネオンが叫ぶと、アイリスは「ひぃっ!」と悲鳴を上げて、今度はルミナの背後に隠れようとした。
「よしよし、大丈夫だよー。怖かったねー。ほら、飴玉あるよ?」
「……あ、ありがとう……ございます……。私なんかに……勿体ないです……」
ルミナに餌付けされ、震える手で飴を受け取る姿は、もはや保護された迷い犬だ。
俺は大きな溜息をつくと、飴玉でほほを膨らませる彼女の前にしゃがみ込んだ。
「落ち着いた? アイリス」
「は、はい……たぶん……」
「なら、話してほしい。あの男……ベネディクトはアイリスを『娘』と呼んだ。あなたも『パパ』と呼んだ。……どういう関係?」
俺の問いかけに、アイリスはビクリと体を震わせた。 だが、もう逃げ場がないことを悟ったのか、彼女は膝を抱えたまま、ポツリポツリと語り始めた。
「パパは……ベネディクトは、私の本当の父親じゃありません。……7年前、このプラントに集められた私たち『孤児』たちの管理者でした」
それはベネディクトの口から語られた内容と同じ。
そして、アイリスは予想通り、そこに集められた孤児の一人だったのだ。
「やっぱりそうだったんだ」
「はい。表向きは職業訓練校の生徒として集められました。……でも実際は、汚染区域での作業要員として集められた、身寄りのない子供たちです」
アイリスの瞳が、暗い過去を見つめるように揺れた。
「最初は……優しかったんです。温かいスープをくれて、仕事の仕方を教えてくれて。……でも、ここの熱が、パパをおかしくしてしまった」
「熱がおかしくした?」
俺の問いかけにアイリスはコクリと頷く。
「ここの空気には、目に見えない毒が混ざっています。重金属、ナノマシン、化学物質……。それに絶え間ない熱気でおかしくなったんだと思います。少しだったら平気かもしれませんが、パパは私がここに来るずっと前から働いていたから……」
アイリスは膝を抱えたまま、震える声で続けた。
「防護服を着てても完全に安全という訳じゃない。私たちの中からも毒で倒れる子が出始めました。でもパパは言ったんです。『この子たちは選ばれたんだ』って。皮膚がただれて、高熱でうなされる仲間たちを見て、彼は嬉しそうに笑っていたんです」
『あはは、見てごらん。みんな熱に抱かれて、とろとろになって幸せそうだ』
彼女の脳裏に、あの日の光景が蘇る。
作業場の隅で、動かなくなった友達が次々と台車に乗せられていく。
それは死体の山ではない。ベネディクトにとっては「完成した家族」のコレクションだった。
「私は……怖かった。溶けたくなかった。だから、必死で息を止めて、隠れて……それでも、熱は体の奥まで入ってきて……」
アイリスが自分の細い腕をさする。 その白くなめらかな肌の下には、かつて死線をさまよった記憶が刻まれているのだろう。
「でも、私だけは死ななかった。どれだけ熱を浴びても、どれだけ毒を吸っても、体が適応してしまったんです。……それを知ったパパは、狂喜しました」
『素晴らしい! アイリス、お前は特別だ! お前は熱を愛し、熱に愛されているんだね!』
ベネディクトは、ただの生存本能と偶然の適応を、「運命的な愛」だと解釈した。
「パパは言いました。私を『プリマドンナ』にするって。……街を全て熱で飲み込んだ後は、このプラントの心臓部、一番熱い炉心の中で、パパと手をつないで一緒に燃え尽きる。それが最高の『家族団欒』なんだって」
「……心中の相手に選ばれたってこと?」
俺が呟くと、アイリスは小さく頷いた。
「計画を知った私は怖くなって……逃げ出しました。排熱ダクトの一部を切ってあいつに浴びせて、そして、あいつが転げまわっている隙に逃げたんです」
先ほど見たベネディクトの姿を思い出す。
だからここに来る途中でアイリスの口から「死んだはず」というセリフが出たんだろう。
半分焼けただれた無残な姿。それでもなお熱に対するあの執着は異常性の証明とも思えた。
「必死で走って、廃棄区画で見つけたのが、あの機体でした。環境保全用の重装甲スーツ……あれの中にいれば、熱も、パパの手も届かない」
彼女はジャージの裾をぎゅっと握りしめた。
「外に逃げた後は、あの子に乗って用心棒や地下闘技場とか色々やりました。それで、もらったお金でまた少しずつ改造して。あの硬い殻の中にいる時だけは、私は強くなれた。誰にも脅かされない、気高くて強い『女王様』でいられたんです。……でも、一歩外に出れば、私はただの……弱くて、汚くて、親に捨てられた惨めな孤児に戻ってしまう……」
「だから、降りられなかったのね……」
ネオンが珍しく同情の色を浮かべて呟く。
彼女の潔癖症も、傲慢な態度も、すべては「弱くて惨めな自分」を隠すための虚勢だったのだ。
殻がなければ生きていけない。文字通り、彼女は殻のないカタツムリだった。
「……ごめんなさい。偉そうなこと言って、本当はこんなに弱いんです。……同じ孤児の仲間を置いて逃げ出したクズなんです。あの子がいないと何の価値もないカスです……」
アイリスは涙をポロポロとこぼしながら、自嘲気味に笑った。
その姿はあまりにも痛々しかった。
だが、俺は彼女の頭にポンと手を置いた。
「がんばったね」
「……え?」
アイリスの涙に濡れた瞳がこちらを見上げる。
「仲間が死んで怖かったよね。でも、アイリスは一生懸命頑張って生き残ったんだ。それは誰にも責められることじゃない」
俺は彼女の目じりに溜まった涙を、親指の腹で優しく拭った。
煤で汚れた頬を撫でると、そこには機械の冷たさではない、生きている人間の確かな熱があった。
「それに、価値がないなんて言わないで。私は――」
俺は屈みこみ、彼女と視線の高さを合わせた。 濡れた瞳が、俺を映して揺れている。
「今、こうして泣いたり震えたりしている、あなたが大切だよ」
「あぅ……」
アイリスの時が止まった。 涙で濡れた頬が、見る見るうちに林檎のように赤く染まっていく。 恐怖で震えていた体が、別の種類の熱を帯びていくのが分かった。
「わ、私……汚いし、ジャージだし……鼻水も……」
「関係ない。私はアイリスが大切」
ちゃんと夜勤はがんばってくれてたし、書類は綺麗だし。
優秀な部下は中間管理職にとってなによりも貴重だ。
俺がそう思いながら見つめると、アイリスの瞳孔がキュッと収縮した。
彼女は言葉を失い、パクパクと桜色の唇を開閉させた後――感情の堤防が決壊したように、俺の胸に飛び込んできた。
「うあぁぁぁ……! しょうたいちょぉぉぉぉ……!」
ドン、と柔らかい感触が俺の胸に押し付けられる。
彼女は俺のジャケットを両手で強く握りしめ、胸元に顔を埋めて泣きじゃくった。
「怖かったですぅ……寂しかったんですぅ……! ずっと、ずっと一人で……!」
「よしよし。もう一人じゃない」
俺は赤子をあやすように、彼女の背中をゆっくりと撫で続けた。
華奢な背中から伝わる心臓の鼓動が、トクトクと早く、そして力強く俺の手に響く。
これが「黒鉄の女王」の正体。 ただの、愛に飢えた一人の少女。
とその時、ルミナが操作していた端末が警告音を発した。
「ちょっと二人とも、いい雰囲気になってるところ悪いんだけど……状況は最悪だよ!」
ルミナがホログラムマップを展開する。 プラントの中枢エリアが、真っ赤に染まっていた。
「ベネディクトの奴、本気だ。炉心の制御リミッターを解除してる。このままだとあと数十分で炉心が臨界突破して、超高熱のエネルギーが都市のパイプラインを逆流するよ!」
「つまり、都市が丸ごと『家族団欒』に巻き込まれるってこと?」
冗談じゃない。 地上の人間を全員道連れにして、巨大な火葬場を作る気だ。
「止めるには?」
「直接、中枢制御室に行って、システムを物理的にシャットダウンするしかない。……つまり、ベネディクトの目の前まで行く必要があるよ」
ネオンが嫌そうな顔をする。
「げっ、またあのパパと会うわけ? しかも『おもちゃの兵隊』の大群がまだいるのよ?」
「でも、やるしかない」
俺は立ち上がり、オファニムの弾倉を確認した。
そして、床に座り込んだままのアイリスを見下ろした。
「アイリスはどうする?」
アイリスはビクリと肩を震わせた。 顔面は蒼白で、唇は震えている。
トラウマの元凶である「パパ」の元へ戻るなど、彼女にとっては死ぬより怖いことだろう。
ここに隠れていれば、少なくとも数時間は生き延びられるかもしれない。
「無理しなくていい。ここは安全だから」
俺はそう言って背を向けた。
震える子供を守りながら戦えるほど、この先の戦場は甘くない。
だが。
クイッ。
俺のジャケットの裾が、弱々しい力で引かれた。 振り返ると、アイリスが立ち上がっていた。 膝はガクガクと笑い、涙目で、今にも気絶しそうな顔をしている。
それでも、彼女の手は俺の服を離さなかった。
「……ひとりぼっちは、嫌です」
消え入りそうな、けれど確かな声。
「暗いのも、狭いのも、もう嫌……。私……私も、行きます」
「ここから先は守ってあげられない」
「盾くらいには……なります……たぶん……」
「ならないわよ。あんたみたいなふにゃふにゃの盾がなんの役に立つの」
ネオンが呆れたように割り込んだが、その口元は少しだけ緩んでいた。
彼女は自分の腰にあった予備のハンドガンを抜き、アイリスに放り投げた。
「ほら、お守り。自分の身くらい自分で守りなさいよ、元・女王様」
「あ……ありがとう……ございます……」
アイリスは両手で銃を受け取り、大事そうに胸に抱いた。
ジャージ姿の少女と、無骨なハンドガン。
似合わないことこの上ないが、その瞳には、先ほどまでの「死んだ目」ではない、小さな光が宿っていた。
「うん、じゃあ皆行こうか」
俺がそう宣言すると、みんな力強くこくりと頷くのだった。




