第23話 深淵への再突入
翌日の夜のブリーフィング。
ネオンがいつになく晴れやかな表情で(目の下のクマはまだ消えていないが)、モニターに一枚の地図を映し出した。
「ここよ。地下45階層、旧浄水プラントのさらに奥。……ここに、今回の事件の、あの警備ロボットたちの大元がある」
「特定できたんだ。あそこら辺、ジャミングがひどくてドローンも飛ばせないって言ってたのに」
ついでに言うと、毎回ろくに調査が進んでなかった気もするけど。
俺がそんなことを思いながら感心して尋ねると、ネオンはチラリとルミナの方を見た。
ルミナはエッヘンと胸を張る。
「それはね、ビャッコちゃんのお手柄なんだよ!」
「私?」
「うん。昨日、ビャッコちゃんが『オファニム』できれいに倒してくれたロボットいたでしょ? あれのメモリーバンクが生きてたの! 解析したら、定期巡回ルートと帰還ポイントのログが残ってたんだよ~」
なるほど。
今までアイリスが派手に粉砕していたせいで、敵の残骸は文字通り「鉄屑」になってしまい、そこから情報を引き出すことができなかったのだ。
皮肉な話だが、俺の「地味な戦い方」が、膠着していた戦況を動かしたことになる。
俺がドックにいるアイアン・メイデンにチラリと視線をやるが、彼女は我関せずというか、悪びれた様子もなく動かない。
「というわけで、今回の作戦は敵拠点の『制圧』および『首謀者の確保』よ」
ネオンが表情を引き締め、そしてドックの方向へ鋭い視線を向けた。
「……で、問題はあんたよ、アイリス」
ドックの片隅で体育座りをしているアイアン・メイデン。
その黒い巨体に向かって、ネオンはきっぱりと言い放った。
「今回は長丁場になるし、敵の本拠地となればどんな罠があるかわからない。……だから、今回は指揮に従ってもらうわ。勝手な暴走は厳禁。弾薬の温存を最優先。いいわね?」
『嫌よ』
即答だった。 スピーカーから、不機嫌さを隠そうともしない声が響く。
『どうして私が、あなた達のような庶民の指図を受けなければなりませんの? 私のダンスのステップを決めるのは私よ』
「はぁ……そう言うと思った」
ネオンはこめかみをピキピキとさせながら、懐から自分の端末を取り出した。
「いい? これは交渉じゃないの。業務命令。もし、どうしても嫌だって言うなら……」
彼女は端末を操作し、ドックのシステムにアクセスする画面を見せつける。
「あなたのその『お城』の外部ハッチ制御権限、こっちで強制的にクラックして、そのフタを無理やりこじ開けてあげるわよ。中身を引きずり出されたくなかったら、大人しく従いなさい」
『……ッ!』
アイアン・メイデンのセンサーが一際強く赤く輝く。
同時に、右腕のパイルバンカーがガシャリと音を立ててネオンに向けられた。
『無礼な……! そんなことをしてみなさい。ハッチが開くより先に、その生意気な頭を胴体から切り離して差し上げますわ!』
「やるならやりなさいよ! その鈍重な鉄屑が動く前に、こっちがハッキング完了させるわよ!」
一触即発。
ネオンとアイリス、文字通り火花を散らす女同士の戦いに、ルミナがおろおろとしている。
まさか本当に味方を攻撃するとは思わないが、この光景は胃に悪い。
俺は小さく息を吐くと、二人の間に割って入った。
「二人とも、やめて」
「ビャッコは危ないから下がってて」
『退きなさい! この女に礼儀を教えてやるのですわ!』
「アイリス」
俺は静かに、しかし強く彼女の名前を呼んだ。
そして、アイアン・メイデンの頭部にあるメインカメラを、じっと見つめた。
「お願い。……小隊長命令だと思って、呑んでくれない?」
『…………』
俺の視線を受け、機体は沈黙した。
しばらく無言の睨み合いが続く。 だが、俺は目を逸らさなかった。
君を信じているし、君が必要だ。そんな思いを目力に込める。
やがて、スピーカーから深い溜息のようなノイズが漏れた。
『……チッ。わかったわよ』
パイルバンカーの銃口がゆっくりと下ろされる。
『今回だけ……今回だけですわよ。小隊長の顔に免じて、私の高貴なステップを少し抑えてあげるわ』
「ありがとう、アイリス」
俺はホッと胸をなでおろした。
これでようやく、スタートラインに立てた気がした。
◆
地下への潜行は、順調に進んでいた。 いつものコンコースを抜け、さらに奥、地図上で「N/A」と記されていたエリアへと足を踏み入れる。
空気の質が変わった。
今までのカビ臭さと湿気に混じって、薬品のようなツンとする刺激臭と、古びた機械油の匂いが漂ってくる。
壁面のパイプからは正体不明の廃液が滴り落ち、足元のコンクリートはヘドロでぬかるんでいる。
「うわぁ……最悪な環境だね」
ルミナが顔をしかめる。 俺たちは警戒しながら、一本道を進んでいく。
だが、先頭を歩くアイアン・メイデンの様子が、少しおかしかった。
『…………』
いつもなら、雑魚敵を見つけるや否や突撃していく彼女が、今日は妙に大人しい。
いや、それ自体は命令通りなのでありがたいのだが、大人しいというよりは……足取りが重いように思える。
時折、分岐路に差し掛かるたびに、センサーカメラをキョロキョロと動かし、何かに怯えるような挙動を見せるのだ。
『……この道……見覚えが……』
微かな呟きが、通信越しに聞こえた。
「どうしたの? アイリス」
『ッ!? ……な、なんでもありませんわ!』
俺が声をかけると、彼女は過剰なほど驚いた反応を返してきた。
『ただ、あまりにも環境が悪すぎて、吐き気がしただけですわ』
「そう……? ならいいんだけど」
俺はそう返したが、違和感は拭えなかった。 静寂に包まれた通信回線には、彼女の機動音に混じって、 『ハァ……ハァ……ッ……』 という、荒い息遣いがずっと響いているのだ。
「大丈夫? アイリス」
『何がですの?』
「いや、息が上がってるみたいだし、様子がおかしいから……。具合が悪いなら少し休む?」
『ふん! おかしいのはあなたの頭の方じゃなくて?』
彼女は強がって見せたが、その声にはいつもの覇気がなく、どこか震えていた。
『私は機甲兵のパイロットよ? こんな散歩道で疲れるはずがありませんわ。……いいから、さっさと進みなさいよ』
まるで何かに追い立てられるように、彼女は足を速める。
俺たちは顔を見合わせ、無言のまま彼女の後を追った。
進めば進むほど、俺の中にも奇妙な胸騒ぎが芽生え始めていた。
この通路の構造、床のタイルの配置、壁に無機質に並ぶ管理番号のフォント。
それは、俺が生まれたSDC社の清潔な施設と、驚くほど設計思想が似ていた。
もちろん、ここは泥と油にまみれた地獄のような場所だ。
だが、効率だけを重視した通路の角度や、人間を単なる「部品」として扱うような無機質な空間構成には、冷徹な合理主義の匂いが染み付いている。
(……SDCの関連施設か? だとしたら、あまりに古すぎるけど……)
足元に転がっている錆びついた機材の破片に、目を凝らす。
分厚い煤に覆われてはいるが、そこには確かに、見慣れた『SDC』のロゴが刻印されていた。
なぜ、こんな最下層の掃き溜めに、巨大企業の刻印があるのか。
そしてなぜ、アイリスはこれほどまでに怯えているのか。
その「点」と「点」が、最悪な形で繋がろうとしている予感に、俺は胃の奥が冷たくなるのを感じた。
そして、長い通路を抜けた先。 巨大な防爆扉の前で、アイリスが立ち尽くしていた。
「ここが、最深部……」
ネオンが手元の端末を確認し、頷く。
間違いない。ここが震源地だ。
俺が扉のロック解除パネルに手をかざそうとした時、扉の方が勝手に反応した。
重々しい駆動音と共に、分厚い隔壁が左右に開いていく。
プシューッ……。 開いた隙間から、猛烈な熱気と、蒸気が噴き出してきた。
「うわっ、熱っ!?」
「なにこれ……サウナ!?」
俺たちは思わず腕で顔を覆った。
防毒マスク越しでもわかる、甘ったるい腐臭が、熱風に乗って鼻腔を突き刺す。
そして、その奥に広がっていた光景を見て、俺たちは言葉を失った。
そこは、実験室などという生易しい場所ではなかった。 巨大な「炉」だった。
天井が見えないほど広大な空間には、直径数メートルはある太い排熱パイプが血管のように張り巡らされ、そこかしこからシューシューと蒸気を上げている。
中央には、赤熱した巨大なタービンが心臓の鼓動のように重低音を響かせながら回転し、その周囲では――
『あはは、あつい、あったかいねぇ……』
『パパ、おしごと、がんばるよぉ……』
ボロボロの防護服を着た人間たちが、よろよろと働いていた。
背丈から見るに子供だろうか。彼らはナニかを台車で運んでいる。
それは黒く焼け焦げた人型の――。
「な、なに……あれ……」
ルミナが震える声で呟く。 ゾンビよりも、お化けよりも恐ろしい。
ここには「人間の尊厳」など欠片もなく、あるのはただ、狂ったナニか。
『……ッ、ア、アア……ッ!!』
背後で、アイリスの機体がガタガタと震え始めた。
彼女の視線はまっすぐにその光景に向けられている。
だが、それは異様さに怯えているわけではなさそうだった。
「ようこそ。我が愛しの『家族』」
不意に、蒸気の向こうから声が響いた。
それは、場違いなほど美しい、透き通るような合成音声だった。
中央のタービンの上。 鉄格子で組まれたキャットウォークに、その男は立っていた。
全身を覆うのは、油汚れと煤で真っ黒になった、旧式の生命維持スーツ。
背中からは何本ものチューブが伸び、プラントの配管と直結している。
その姿は、この地獄のような工場の支配者というよりは、工場そのものに縛り付けられた囚人のようにも見えた。
男はゆっくりとこちらを振り返る。 ヘルメットのバイザーは割れており、そこから覗く素顔は―― 半分が焼けただれ、人工皮膚と金属端子がむき出しになった、無惨な火傷跡に覆われていた。
「ゲホッ、ゴホッ……! ……あー、すまないね。空気が悪くて」
美しい合成音声に、喉の奥から絞り出したような、老人の掠れた咳がノイズとして混じる。
男は、愛おしそうに目を細め、震える黒い機体を見下ろした。
「……探したよ。本当に、心配したんだ」
彼は両手を広げた。 その手には、指の代わりに無骨なコネクタ端子が移植されている。
「あの日、君だけが『暖房』をつけてあげられなかったから。……寒かっただろう? 寂しかっただろう?」
『や、やめ……こないで……!』
アイアン・メイデンのスピーカーから、アイリスの幼い悲鳴が漏れる。
男は気にする様子もなく、諭すように優しく語りかけた。
「でも、もう大丈夫だ。パパが、とびきり暖かい部屋を用意して待っていたからね」
彼は背後の赤熱するタービンを指さした。
「さあ、おいで。その硬くて冷たい『殻』を脱いで……みんなと一緒に、一つになろう」
『……ベネディクト…………パパ』
アイリスの口から、無意識にその単語がこぼれ落ちる。 それは絶望の呼び名だった。
アイアン・メイデンが、糸が切れた人形のように膝から崩れ落ちる。
巨大な鉄塊が地面に叩きつけられる轟音が、地獄の工場に虚しく響き渡った。




