第14話 悪意の解剖図
深夜2時。
「聖域」は、死んだような静寂に包まれていた。
あれだけ明るかったサーカディアン照明も、今は夜間モードの淡いブルーライトに切り替わり、施設内を冷たく照らしている。
「……見張りは?」
「監視カメラが動いてる……。でも、私の流したループ映像を見てるわ」
ネオンが端末を操作しながら囁く。
彼女はすでに施設内の監視カメラ網を掌握し、今の静かな廊下の映像をループ再生させてカメラに流し込んでいる。
警備室のモニターには、誰もいない廊下しか映っていないはずだ。
「よし、行こう」
俺たちは足音を忍ばせ、個室を抜け出した。
ルミナは背中のリュックをしっかりと背負い直し、俺の後ろにぴったりと張り付く。
「シケイダ、出力最小で維持してるよ。足音や衣擦れの音くらいなら、ノイズで誤魔化せるはず」
「助かる。……行こう」
俺たちは影のように廊下を滑り、ネオンが特定した「ラボ区画」――最奥の元・薬品貯蔵庫へと向かった。
◆
重厚な防音扉の前。
ネオンが電子ロックにコネクタを接続し、数秒で解除コードを叩き込む。
カチリ、と微かな解錠音が鳴り、扉が音もなくスライドした。
中に入った瞬間、ツンとした薬品の臭いと、焦げたような異臭が鼻をついた。
「……うわ」
ルミナが口元を押さえる。
そこは、地獄の解剖室だった。
広い空間には、無数のケーブルが天井から垂れ下がり、数体のヒューマロットが拘束椅子に固定されている。
耳の裏から大量に伸びるコードは機械に繋がれ、一種の磔台のようだ。
そして、腕に刺さった管は点滴に繋がれ薬剤が注ぎ込まれている。
きっと、まともな薬ではあるまい。
「ひどい……」
ネオンの声が震える。
街で見るヒューマロットは表情に乏しいのが一般的だが、ここにいる彼らの表情は苦悶に歪んでいた。
『警告:強力な干渉波を検知』
『解析:感情リミッターの強制解除、および攻撃性増幅プログラムの書き込み』
A.R.E.S.が冷徹に事実を告げる。
物理的な痛みだけではなく、システム内部から強制的に「不快」や「恐怖」の信号を送り続けられているのだ。
俺は拘束された彼らの一人に近づいた。
痩せた男性のヒューマロットだ。
繋がれたコードを辿ると機械に映し出されたモニターが視界に入る。
映し出されているのは、人間がヒューマロットを虐待し、破壊し、嘲笑う合成映像。
それを繰り返し見せ続けながら、脳内に「憎悪」の信号を焼き付けている。
薬、干渉波、教育用DB。
幾重にも渡る悪意の波が、企業による道徳的障壁を突破してみせたわけだ。
「……あいつら、こんなもので『教育』して、街に解き放っていたのか」
俺の中で、静かな怒りが沸騰する。
故障でも、バグでもない。
純粋な悪意によって、彼らは怪物に作り変えられていたのだ。
「……『自作自演』の証拠ね」
ネオンが吐き捨てるように言う。
その視線の先には施設の端末があり、いくつかのインフルエンサ―にこの連続殺人事件の現場や犯人らしきヒューマロットの影を提供している痕跡を見つけていた。
ここで世間でいう「ヒューマロットによる凶悪犯罪」の犯人を製造した後、実際に暴走させたヒューマロットの犯行映像を編集し、プロパガンダ動画として拡散していたのだ。
「すぐに止めないと。あとはデータも全部いただくわ。……こんなふざけた実験、今日で終わりにする」
ネオンはメインコンソールに向かうと、端末のコネクタを突き刺した。
高速でデータを吸い上げていくプログレスバーが伸びていく。
「あと少し……これで、あいつらの化けの皮を剥がせるわ」
完了まで残り数秒。
俺たちが固唾を飲んで画面を見つめていた、その時だった。
『警告:複数の生体反応が接近中』
『警告:後方、および左右通路』
A.R.E.S.の警報が脳内を駆け巡る。
「しまっ――!」
俺が振り返ると同時に、防音扉が閉ざされ、ロックされる音が響いた。
そして、ラボ内のスピーカーから、ノイズ混じりの不愉快な笑い声が降ってきた。
『いやぁ、いないと思ったらこんな所にいたのか』
ガイルの声だ。
だが、その声色は「侵入者を見つけた警備員」のそれではない。
もっと粘着質で、歪んだ欲望を含んだ響きだった。
『あのシチューに入れた薬は、自我を溶かして従順な雌犬にする特製品なんだがねぇ……。大人しく食べてくれていれば面倒かけずにすんだものを』
モニターの映像が切り替わり、ニヤニヤと笑うガイルの顔が大写しになる。
「……なんでバレたのかしら? カメラはループさせていたはずよ」
ネオンが睨みつけると、ガイルは悪びれもせず、下卑た笑みを深めた。
『簡単なことさ。せっかく可愛いお客さんが来たんだ』
ガイルが舌なめずりをするような音を立てる。
『ちょっと遊んでもらおうかと思って部屋に行ったら、もぬけの空だもんなぁ』
その言葉の意味を理解した瞬間、俺の背筋に嫌悪感が走った。
こいつらは、薬で意識が朦朧としたネオンやルミナを、そういう目的で襲いに来たのだ。
警備のためでも、疑ったからでもない。
ただの欲求不満の捌け口にするために。
「……チッ、下種が」
ネオンが心底軽蔑した表情で吐き捨てる。
その言葉には、捜査官としての正義感以上に、女性としての生理的な嫌悪が込められていた。
『ハッ、威勢がいいねぇ。そんで、こんなところで調べものとは。お前らは本当はどこから来たんだ? 統合監査局? それとも装備からして治安維持部隊か? どちらにしてもここから逃がすつもりはないがな』
「私たちが戻らなかったら応援部隊が強襲する、とか思わないわけ?」
ネオンが冷ややかに告げる。
それは決してハッタリではない。
今回の任務にあたってGPS装置を携帯している。
この施設自体はジャミングが強く、即座に応援を呼ぶことはできないが、通信が途絶えた状態で俺たちが戻らなければ、いずれ治安維持部隊から応援が来るだろう。
だが、ガイルはスピーカー越しに、腹の底から愉快そうに笑った。
『たとえ来たところで、その頃には手遅れだ』
「……なんですって?」
『安心しな。お前らの死に様は、俺が最高に美しく編集してやる』
ガイルの声が、粘着質な熱を帯びる。
『「保護シェルターを凶悪なマーガリン野郎達が襲撃。勇敢な女性隊員たちが無残に引き裂かれる悲劇の映像」……。どうだ? 世論を煽るには最高のプロパガンダ素材になると思わねぇか?』
「……っ! あんた、どこまで……!」
『主演女優の座をやるよ。精々、派手に泣き叫んでくれよなぁ!』
ガイルが指を鳴らす音が聞こえる。
同時に、ラボの奥にある搬入用ゲートが重々しい音を立てて開き始めた。
その奥から聞こえてくるのは、獣のような唸り声と、重たい金属音。
『せっかくだ。お前たちにも実験に参加してもらおうか。……最高のサンプルとしてな』
暗闇の奥から、赤く発光する複数の瞳が浮かび上がる。
それは、リミッターを完全に解除され、体の各所に武器であるサイバネが埋め込まれた「戦闘用改造ヒューマロット」たちだった。
俺は警戒を解かずにルミナに向かって手を伸ばした。
「来る! ルミナ!」
「うん、組み上がってるよ!」
ルミナがリュックから取り出した武器を俺の方に放り投げてきた。
俺は空中キャッチしたそれをピッと前に構える。
握った感触はいつものセラフィムのグリップ。
だが、視界にあるのは全くの別物だ。
幾重にも追加装甲を纏い、延長されたバレルには青白いエネルギーラインが走っている。
まるで猛獣の牙を連想させるような凶悪さを放つ黒鉄の武器。
俺の体格にピッタリだった小銃は、マグナム銃のような、SFめいた兵装へと姿を変えているのだった。
「……ルミナ、こんな時に聞くことじゃないかもだけど、これなに?」
俺の疑問に対し、ルミナはふんすと鼻を鳴らして、高らかに宣言した。
「こんなこともあろうかとパワーアップしといたよ!」
「なんて?」
「セラフィム改め、セラフィム・ヘキサウィング!」
「なんて??」
「今までの3モードにさらに3モードを追加して計6モード! 既存のバレルに強制冷却ユニットを外付けして圧縮励起エアによる『インパクト・カノン』を実装! さらには、別弾倉から放たれる強力な――!」
駄目だ。何も解決しそうにない。
こんな時になんで改造してるんだ、とか、報連相は社会人の基本だよと言いたい気持ちをグッとこらえて、俺は真剣な目で敵に銃口を向ける。
ネオンは眉をひそめながらも俺に向かって言った。
「……ビャッコ、無理はしないでよ」
「善処する。……けど、手加減できる相手じゃなさそう」
俺はセラフィム・ヘキサウィングとやらのセーフティを外すと、構えを取った。
逃げ場なし。交渉の余地なし。 あるのは、下種な欲望と悪意によって作られた怪物たちとの、生存を賭けた乱戦のみ。




