第11話 異邦の客
上層都市の輝きを置き去りにして、俺たちが乗ったのは業務用搬入出ゲートの片隅にある、貨物用の大型リフトだった。
「人間用」のエレベーターはIDがないと動かない。
ここは本来、資材や廃棄物を下層へ降ろすための無骨な金網の檻だ。
ガタガタと酷い音を立てて、リフトが降下していく。
上層の光が遠ざかり、代わりに湿った闇と、錆びた配管の迷路が迫ってくる。
「……臭うわね」
ネオンが鼻を覆いながら呟く。
空調の効いた清潔な空気はなりを潜め、代わりに鼻を突くような臭いが漂ってきた。
錆びた鉄、オイル、そして澱んだ生活排水の臭い。
それは、管理された楽園の「排泄物」のような臭いだった。
「到着だよー」
ルミナの声と共に、重い音を立ててリフトが着底する。
二重の金網扉がギシギシと軋む音を立てて開くと、そこには極彩色のネオンサインと汚泥にまみれた、もう一つの世界が広がっていた。
頭上を覆うのは、上層都市を支える巨大なプレート。
空のない世界。
そこには、違法建築のバラックがキノコのように密集し、怪しげな屋台やジャンクショップがひしめき合っている。
行きかう人々も、上層のナチュラルとは明らかに違う。
薄汚れた作業着、改造された義肢、そして鋭く周囲を威嚇するような視線。
(これが、下層区画……スラムか)
俺はガスマスクの下で、少しだけ息を呑んだ。
治安維持部隊の小隊長としては眉をひそめるべき光景だが、中身がおっさんの俺としては、この猥雑なエネルギーに少しだけワクワクしてしまう。
「人が多いからはぐれないようにね。特にビャッコは小さいから」
「分かった、お姉ちゃん」
俺がはぐれないようにネオンのコートの端を握ると、ネオンはそれを見て顔をなぜか赤らめながら視線を前に固定した。
「私と手をつなぐ?」
そんなことをニコニコしながらルミナが言ってくるが、さすがにそれは恥ずかしいので遠慮しておこう。
中身おじさんとしては、一回り以上年下の女の子と手を握るなんてギルティに他ならない。
俺たちは人混みをかき分けながら、事件現場となったエリアへと歩を進めた。
歩いていると、意外な光景が目に入ってくる。
「……ねえ、あれ」
俺が指さした先には、粗末な屋台で食事をしている老人がいた。
その隣には、片腕のないヒューマロットが寄り添い、震える老人の手にスプーンを運んでいる。
別の場所では、片足が義足になっているヒューマロットが、おぼつかない足取りで子供たちとボール遊びに興じていた。
「ヒューマロットが馴染んでる……?」
俺の呟きに、ルミナが頷く。
「だからヒューマロットもいなくはないって言ったでしょ? 上層で廃棄寸前になったヒューマロットの払い下げ品を買ってきて、『家族』みたいに暮らしてる人も多いんだよ」
「家族、か……」
ここでは正規の所有者登録もされていない、企業のサポートを受けられないヒューマロットがほとんどだ。
けれど、そこには確かに体温のある交流が見えた。
犯行現場に残された『権利を』という血文字のメッセージ。
それが主張するような「虐げられた怒り」は、ここからはあまり感じられない。
(なんか、話が違うな……)
そんな違和感を抱きながら俺は首をひねった。
ともあれ、まずは情報収集だ。
ネオンが目についた古びた屋台の親父に声をかける。
「すみません、少しお話を伺いたいんですけど」
「ああん? なんだ、上層からの観光客か?」
店主は歯の欠けた口でニヤリと笑い、鍋をかき混ぜる手を止めない。
それなりになじんだ服装を選んだつもりではあるが、やはり下層地区の住民とは違う匂いを敏感に感じ取るものなのだろう。
ネオンは首を振りながら答える。
「いえ、人を探していて。……最近、このあたりで奇妙なヒューマロットを見かけませんでしたか? フードを被って、夜に出歩いているような」
ネオンが努めて愛想よく尋ねる。
しかし、その質問が出た瞬間、店主の顔から愛想が消えた。
彼は鍋のお玉をダン!と叩きつけると、不愉快そうに唾を吐き捨てた。
「なんだ、てめえらも最近ここらで起きてる殺人事件を追ってる口か? そのせいで最近、統合監査局のドローンがここいらをブンブン飛び回ってこちとら商売あがったりだ」
そう怒りをはらませた店主の視線にもひるまず、ネオンは話を続ける。
「私たちは被害者家族から雇われた何でも屋です。少しでも犯人につながる情報があればと思いまして」
「知らねえよ。いちいち『マーガリン』の顔なんて覚えてられるか」
「……え?」
聞きなれない単語に、ネオンが眉をひそめる。
「マーガリン?」
「ああ? なんだ、上層のお嬢ちゃんはそんな言葉も知らねえのか? ヒューマロットのことだよ」
店主は鼻を鳴らし、軽蔑の色を隠そうともせずに言った。
「見た目は俺たち人間に似せて作ってあるが、所詮は安っぽい代用品だろ? だからマーガリンだってんだよ」
「…………」
ネオンの表情が凍り付く。
その比喩はあまりに的確で、そして残酷だった。
俺自身、内心で「なるほど、うまいこと言うな」と感心してしまったが、ネオンは違う。
彼女にとってヒューマロットは、守るべき隣人であり、そして今は大切な仲間(俺のことだ)でもある。
「……あの子たちは、代用品なんかじゃありません」
「ハッ! これだからお花畑の上層の連中は。いいか、ここでは奴らは便利な道具か、ストレス発散のサンドバッグだ。壊れりゃ捨てる、それだけだ」
店主はしっしっと手を振った。
「話は終わりだ。何も知らねえよ。とっとと失せな」
ネオンは何か言い返そうとしたが、俺はとっさに彼女の袖を引いた。
「……お姉ちゃん。行こう」
ここで揉めても仕方がない。 ネオンは悔し気に唇を噛みしめながらも、俺の意図を察して踵を返した。
店を離れてからも、ネオンの怒りは収まらないようだった。
「……信じられない。『マーガリン』だなんて」
ヒューマロットが日常になじんでる光景も見たが、その一方でこういった差別が蔓延する。
それもまたこのスラム街の真実なのだろう。
「まあまあ、ネオンちゃん。ここはそういう場所だってことだよ」
ルミナがなだめるが、空気は重い。
そんな俺たちの様子を、路地裏からじっと見つめる視線があった。
俺たちが次の聞き込みに行こうと歩き出した時だった。
「おいおい、待ちたまえよお嬢ちゃんたち」
行く手を塞ぐように現れたのは、いかにもな風体の男たち。
モヒカンにピアス、肩には安いサイバネティクス移植の傷跡。
「俺たちはチンピラです」という看板を背負っているような連中だ。
俺たち三人の進路を塞ぐように、四人の男が囲んでくる。
「見ない顔だな。上層からの観光客か? 道に迷ったなら案内してやるよ」
リーダー格らしい男が、ネオンとルミナをいやらしい目つきで舐め回す。
「へへ、上玉だなぁ。ここの女とは肌ツヤが違うぜ」
当然ながら親切な道案内の人ではない。
取り巻きの連中は下卑た表情でこちらを嘗め回すような視線を送ってくる。
「道を開けてくれる? 今、あなたたちに構ってる余裕がないの」
ネオンが冷ややかに言い返す。
しかし、男たちは引くどころか、ジリジリと間合いを詰めてきた。
「つれないねぇ。せっかく親切にしてやろうってのに」
とそこで、リーダーの男が、ようやく俺の存在に気づいたようにこちらの方を見た。
俺はパーカーのフードとニット帽を目深に被り、ガスマスクをしている。
美人の女性2人のお供にしては異様な風体に映ったのだろう。
「なんだこのガキ。さっきからジロジロ見てんじゃねえよ」
男は威嚇するように手を伸ばし、俺のニット帽を乱暴に掴んだ。
「あ……」
スポン、と帽子が脱げる。
隠していた銀色の髪と、特徴的なエルフ耳がスラム街の淀んだ空気の中に露わになった。
「…………あ?」
男の動きが止まる。
じろじろと俺の顔と耳を見て、男の顔からニヤニヤ笑いが消えた。
代わりに浮かんだのは、底冷えするような嫌悪感だった。
「……なんだコイツ。人間じゃねえ。マーガリン野郎か?」
その言葉に、場の空気が凍り付いた。
カツアゲの空気から、もっとどす黒い、差別と暴力の空気に変わる。
「チッ、人間のガキかと思ったら、紛い物かよ。気色わりぃ」
「しかもこんなガキの形したやつ着飾らせて連れて歩いて。上層の連中は、マーガリンを散歩するのが趣味なのか?」
その投げかけられた言葉に、ネオンの手が懐に伸び、コートの下の銃把を握りしめる。
「……その子に、触らないで」
「ハッ! 本気にしてんのか姉ちゃん。そいつはただの道具だろ? 俺たちが少し遊んで壊したって、文句言われる筋合いはねえよなぁ!」
リーダーがナイフを取り出し、俺に向かって踏み込んでくる。
ネオンが銃を抜こうとする気配。
だが、ここで発砲すれば騒ぎになる。隠密捜査は失敗だ。
俺は心の中で舌打ちをすると、A.R.E.S.を戦闘モードに切り替えた。
そして、震える声を出しておびえるふりをする。
「ひっ……! やめて! お姉ちゃん! 怖いよぉ!」
「ビャッコ! 下がって!」
ネオンが銃を構えながら俺を庇おうと手を伸ばす。
男たちが「紛い物が喚いてんじゃねえ!」とナイフを突き出してきた、その瞬間。
――トン。
俺はナイフを間一髪でかわすと足を伸ばした。
蹴りというよりは、相手の膝に自分の足を置くような軽い接触。
だが、A.R.E.S.の演算によるその一撃は、男の体重移動のバランスを完全に崩壊させた。
「あ?」
男の膝が、ありえない方向にカクンと折れる。
「う、わっ!?」
支えを失った男は、まるでコントのように派手に前のめりに転倒した。
その拍子に、隣にいた仲間の足を巻き込む。
「どわっ! 何やってんだテメェ!」
「あ、足が……! 痛ぇよぉ…!!」
男たちがもつれ合って倒れる。
その混乱に乗じて、俺は「きゃあああ!」と悲鳴を上げながら、男たちの間を縫うように走り回った。
「たすけてー!」
すれ違いざまに、起き上がろうとした男のみぞおちに、見えない速さで掌底。
「こ、こわいー!」
振り向きざまに、別の男の手首を極めて脱臼させる。
「お姉ちゃーーん!!」
最後に残った男が呆然としている隙に、俺は彼の股間を全体重をかけて踏み抜いた。
「ぎゃああああああ!!」
ナムサン。
相手の男の尊厳はしめやかに爆発四散。
そんな感じでものの数秒の間に相手を殺さず、無力化に成功した。
四人の男たちが全員、芋虫のように転がっているのを眺めながら、俺は帽子をちゃんと被り直し、ネオンのもとに戻る。
「……え?」
銃を抜こうとしていたネオンが、ぽかんと口を開けている。
彼女の視線は、地面でのたうち回る男たちと、自分の手元のまだ発砲していない銃を何度も往復していた。
「な、何が起きたの……?」
完全に状況が理解できていないようだ。
俺はネオンの腰にギュッとしがみつくと、ガスマスクの下で「ふぅ」と息を吐き、あくまで無邪気な子供の声を装って言った。
「お姉ちゃん、大丈夫? あの人たち……マーガリンで滑って転んじゃったのかなぁ?」
「えっ?」
ネオンが目を丸くする。
俺は首を傾げて、さも不思議そうに地面の男たちを指さした。
「……っ、ふふっ」
横で見ていたルミナが、我慢できないといった様子で噴き出した。
俺の意図(というより、チンピラへの強烈な仕返し)を察してくれたらしい。
「そーだねぇ。口の悪い人は足元がお留守になりやすいみたいだしね!」
ルミナの追い打ちに、地面のリーダー格の男が屈辱と激痛で顔を歪め、何かを叫ぼうとしたが、言葉にならずに呻くだけだった。
「……そ、そう……なの?」
ネオンはようやく我に返ったようだが、まだ狐につままれたような顔をしている。
だが、脅威が去ったことだけは理解したらしい。
彼女は慌てて銃をしまうと、俺の体をまさぐるように確認した。
「ビャッコ、怪我はない?」
「う、うん。大丈夫だよ、お姉ちゃん」
ネオンは俺を強く抱きしめた。
その体はまだ、緊張と驚きで少し強張っていた。
「……行きましょう。ここは空気が悪いわ」
ネオンは倒れ伏す男たちを一瞥もしない。
けれど、その背中からは先ほどまでの張りつめた殺気は消え、代わりに俺を守ろうとする強い意志が感じられた。
(いや、守ったの俺なんだけどな……)
そんな野暮なツッコミは飲み込んで、俺は素直に頷いた。
「……うん。ありがとう、お姉ちゃん」
俺たちが再び歩き出すと、背後からルミナが軽い調子で、けれどどこか冷めた声で言った。
「しっかし、さっきの『マーガリン』って呼び方。面と向かって聞いたのは初めてだけど、最近、ネットのあんまり行儀がよろしくない掲示板とかでは結構流行ってるんだよねぇ」
「……流行ってる?」
ネオンが眉をひそめて振り返る。
ルミナは肩をすくめ、周囲のスラムの街並みに視線を流した。
「うん。ほら、ここって生活厳しいじゃない? 人間は年を取るし、怪我もするし、病気にもなる。でもヒューマロットはいつまでも綺麗で、文句も言わずに働く」
ルミナの視線の先には、残飯を漁る人間のホームレスと、その横を通り過ぎる艶やかな肌のヒューマロット(おそらく未認可の風俗用だろう)がいた。
ここでは、造られた命のほうが、生身の人間よりも価値が高く見える瞬間がある。
事実、当初は労働力不足を理由に始められたヒューマロットの生産だったが、今では単純労働等では置き換えが起きており、ナチュラルの失業率が高くなるという逆転現象が起きている。
そのことが、ヒューマロットに対する反感を強める一因となっているのだろう。
一部では反ヒューマロット活動というのもあるくらいだ。
もっとも、ヒューマロットの生産はサクラデバイスコーポレーションによって行われているため、取り締まりも厳しいものではあるが。
「便利だから依存してるけど、同時に自分たちの惨めさを突きつけられる存在でもあるわけ。……『安っぽい代用品のくせに』って見下してないと、精神の均衡が保てないのかもね」
「……だからって、あんな言い方をしていい理由にはならないわ」
ネオンが悔し気に呟く。
そして、ふと考え込むように言った。
「もしかして……今回の事件の犯人も、こういう扱いを受け続けて、電脳に『エラー』が生じたのかしら」
「エラー?」
「ええ。論理矛盾や過度なストレス負荷による、自己防衛本能の暴走……。あの子たちは心がないわけじゃない。こんな悪意に晒され続けたら、何かが壊れてしまっても不思議じゃないわ」
ネオンの仮説には一理あった。
人間だってブラック企業で罵倒され続ければ心を病む。
ヒューマロットだって例外とは限らない。
『権利を』という犯行メッセージも、そうした環境への悲鳴のようなバグなのかもしれない。
(……環境起因のエラー、か。ありそうな線だな)
俺はガスマスクの下で小さく息を吐き、ネオンのコートの裾を握り直した。
もしそうなら、このスラムという街そのものが、狂気を生み出す装置ということになる。
スラムの洗礼は、あっけなく終わった。
だが、その奥にはまだ俺たちの知らない、歪な真実が潜んでいる気がする。
俺たちは警戒を強めながら、スラムの奥へと足を踏み入れた。




