第10話 下層の歩き方
ホログラムが青い粒子となって霧散し、詰所に元の静寂が戻った。
「捜索開始、か……」
ルミナが大きく伸びをしながら呟く。
しかし、その場にいる三人の誰も、すぐには動き出さなかった。
無理もない。 正規の手順なら統合監査局が動くべき案件だ。
情報も少なければ、捜査権限も曖昧。
丸投げされた側としては溜息の一つもつきたくなる。
(……で、どうすればいいんだ?)
俺は内心、冷や汗をかいていた。
さっきまで脳内Wiki検索に夢中で、肝心の話をほとんど聞いていない。
「ヤバい奴がいるからボコれ」というアレスの雑な要約しか頭にない状態で、何をしろというのか。
「それでビャッコ。……私たちはどう捜査する?」
ネオンの視線が俺に刺さる。
あ、そうか。 小隊長だから俺が指示しないといけないのか。
しかし、捜査と言っても専門外だ。
俺のスキルツリーは「接近して殴る(A.R.E.S.任せ)」という脳筋パラメータにしか振られていない。
(こんな時の、助けてアレスー!)
【……統合監査局の捜査記録へのアクセス権限が与えられています。参照しましたが、犯行現場はいずれも下層区画。監視カメラやセンサーが少なく、データ上の情報が不十分です。現地での情報収集を推奨します】
なるほど。 捜査は「現場百遍」と聞いたことがある。
会議室で資料を眺めるより、現地で靴底を減らすのが昭和からの犯罪捜査の基本だ。
「……下層地区に向かう。ここでは情報が足りない」
俺がそのまま伝えると、ネオンとルミナが露骨に顔をしかめた。
「本気? 下層地区の捜査なんて」
「そーそー。あそこ治安悪いから行きたくないんだよねー」
二人の反応が芳しくない。
「治安が悪い? そのための治安維持部隊では?」
「下層地区と言ってるけど、厳密にはあそこは企業の『正式な管理区画』じゃないんだよ」
ルミナが肩をすくめて説明する。
「企業の管理インフラが及んでない廃棄区画。廃棄物処理場や環境基準以下のプラントがあったりするんだけど、不法滞在者とか、企業を追われた犯罪者のたまり場になっててね。当然、治安維持部隊の詰所はないし、小さい犯罪は見逃されている無法地帯だよ」
「もちろん定期的に統合監査局のブリーチは入っているけれど、それも十分とは言い難いわ」
そう言う二人の表情は硬い。
いわゆるスラム街、サイバーパンクのお約束ってやつか。
詰所から見える外の景色は整然としていて美しく感じるが、その足元にはドブのような世界が広がっているわけだ。
普通なら女の子が気軽に行く場所ではない。
(でも、ちょっと見てみたい気もするな……。未来のスラム街、観光気分で行ったら怒られるか?)
俺は内心の好奇心を隠し、あくまで業務として首を振った。
「関係ない。……現地へ行く」
「……せめて私一人で向かわせてほしいんだけど」
ネオンが真剣な表情で食い下がる。
彼女なりの気遣いだろう。
こんな小さな上司を、汚れた場所に連れて行きたくないという。
だが、そうは言っても戦闘力は俺が一番高い。
ネオンみたいなきれいなお嬢さんを一人で行かせるわけにはいかないだろう。
「問題ない。私も行く。……みんなを守るのも、仕事」
俺の言葉にネオンは目をつぶると、深々とため息をついた。
「……わかったわ。でも、あそこの住民に聞き込みするなら、治安維持部隊の制服は目立ちすぎる。余計なトラブルになるから、変装して」
「変装?」
「そう、変装よ」
◆
そして、数分後。
「……これ、大丈夫?」
俺は更衣室の鏡の前で、自分の姿をまじまじと見つめていた。
ルミナが持ってきた服を着せられた俺の姿は、どう見ても「ちょっとやんちゃなストリートチルドレン」だった。
ダボっとしたパーカーに、ダメージ加工の入ったデニム。
特徴的な銀髪とエルフ耳を隠すための大きなニット帽を目深に被り、顔の下半分は無骨な工業用ガスマスクで覆っている。
ぱっと見では、ヒューマロットだとは分からない。
ただの「怪しい子供」だ。
「あら、似合ってるわね」
「ビャッコちゃんかわいいー! ガスマスク女子、属性盛ってるねぇ!」
カーテンを開けると、ルミナとネオンも着替えを済ませていた。
ネオンは、くすんだ色のロングコートに無地のシャツとパンツスタイル。
化粧っ気はないが、素材の良さと凛とした立ち振る舞いが相まって、「仕事のできるフリーランスのエージェント」といった雰囲気だ。
ルミナの方は、油汚れのついた作業ズボンに、上着を腰に巻き、タンクトップ一枚というラフなスタイル。
制服の時は気づかなかったが、ルミナは、こう、胸部装甲が非常に豊かで……元男としては目のやり場に困る。
(いや、今は俺も美少女だ。同性の特権として堂々と見ても……いやいや、セクハラだろ)
内心の葛藤を悟らせないように、俺は努めて冷静な声で尋ねた。
「こんな服、どこにあったの?」
俺の疑問に対し、ルミナはニヤニヤしながら答えた。
「私たちのはたまに使う潜入用の備品なんだけど、ビャッコちゃんのはねぇ……。ネオンちゃんがこの前、『ビャッコは私服を持ってなさそうだから、いつか渡す』とか言って、こっそり通販で買ってたやつなんだよー」
「ルミナ! 余計なことは言わないでいいの!」
ネオンが顔を真っ赤にして叫んだ。
「ち、違うわよ! これはあくまで『備品』として! 経費で落とすつもりで……!」
(そうか……。俺、部下に私服の存在すら疑われていたのか……)
まあ、実際、支給品の制服数着しか持っていない。
「機能的だし楽だからいいや」と思っていたが、年頃の娘さんから見れば「着たきり雀の可哀想な子」に見えていたのかもしれない。
上司として情けない限りだ。
「……ネオン。ありがとう」
俺がガスマスク越しにくぐもった声で礼を言うと、ネオンはさらに赤くなってそっぽを向いた。
「……ふん。業務に必要なだけよ」
ネオンはごほんと咳ばらいをして、空気を切り替える。
「とにかく、私たちはこれから聞き込みをするけど、治安維持部隊だとバレないようにすること。特にビャッコは、絶対にヒューマロットだということを悟られないで」
「下層にはヒューマロットっていないの?」
「いなくはないけど……あなたは目立ちすぎるのよ」
そういえば普段は意識していないけど、小学生サイズのヒューマロットなんて、この世界でも異端らしい。
ルミナが装備入りのリュックを背負いながら補足する。
「そうそう。もう一部の裏社会掲示板では、『治安維持部隊に子供に偽装したヒューマロットの死神がいる』って噂になってるし」
「……死神?」
「そうだよ。小隊長殿、思った以上に有名人なの」
「ちなみにどんな噂?」
「ん-。『出会ったら3秒で関節を外される』とか?」
(なんだその物騒な噂は。俺は平和主義者だぞ)
有名税を払うほどいい目には遭っていないと思うのだが。
とりあえず、俺はニット帽を深く被りなおして、しっかりと耳が隠れていることを確認した。 ネオンはその様子に満足げに頷いた。
「とりあえずの設定はこうよ。私とルミナの二人は、被害者家族の依頼で下層まで事件を調べに来た民間の『何でも屋』。統合監査局の調査は信用できないから、自分たちで調べようとしている……という体でいくわ」
その設定に、ルミナが嬉しそうに頷く。
「その感じ懐かしいね。昔、よく私とネオンちゃんで探偵ごっことかしたなぁ」
「あなたに無理やり連れまわされたの間違いでしょう?」
ネオンはジト目で返しながらも、懐から旧式の実体拳銃を取り出し、コートの内側に隠した。 その手つきは慣れている。
「私の役目は?」
俺が尋ねると、二人は俺を見下ろしてしばらく考え込んだ。
「現地で雇った道案内の子……にしては、下層住民特有の『汚れ』がないのよね……」
「あっちの子供たちはもっとアグレッシブだからねぇ。ビャッコちゃんはお行儀が良すぎるし」
少し考えて、ルミナがポンと手を打った。
「まあ、順当に考えると……私かネオンの、妹役ってところじゃない?」
「妹、か」
俺は少し考え込んだ。 中身がアラサーのおっさんである俺が、年端も行かない(といっても俺の今の肉体よりは年上だが)娘さんを「お姉ちゃん」と呼ぶ。
倫理的にも精神的にも、なかなかにハードルが高いミッションだ。
「……無理がない?」
「そう? ビャッコちゃんも今の服装なら、生意気な妹分くらいには見えるよ」
ルミナが無責任に言う。
「でも、演技できるの? いつもの『了解。問題ない』みたいな口調じゃ、すぐにバレるわよ」
ネオンが腕を組んで、疑わしそうな目を向けてくる。
確かに、俺の普段の口調はアレスの影響もあって事務的すぎる。
ここは一つ、前世持ちの適応力を見せる時か。
俺はコホンと一つ咳ばらいをすると、少し首を傾げ、上目遣いでネオンを見た。
「……お姉ちゃん、……こんな感じ?」
瞬間。 ドサッ、という音がした。
「ネオン!?」
見ると、ネオンが胸を押さえてその場にうずくまっていた。
顔は真っ赤で、肩が小刻みに震えている。
「大丈夫!? 敵襲!?」
俺が慌てて駆け寄ろうとすると、ネオンは震える手を突き出して俺を制した。
「くっ……ち、違うわ……! なんでもない……! ただ、破壊力が……想定外だっただけ……!」
「破壊力?」
俺がさらに首を傾げると、ネオンは「ううっ」と呻いてさらに小さくなった。
どうやら体調が悪いわけではないらしい。
不思議に思っていると、横から影が落ちてきた。
「きゃー!! もう、ビャッコちゃんかわいいー!!」
「むぐっ!?」
言うが早いか、ルミナが背後から俺を思い切り抱きしめてきた。 逃げる間もない。
圧倒的な質量の暴力が、俺の背中と後頭部を包み込む。
「な、なに!?」
「もうそのままでいいよ! ネオンちゃんの妹じゃなくて、そのままうちの子になってー!!」
ルミナは俺をぬいぐるみか何かのようにグリグリと頬ずりしてくる。
そのたびに、背中に当たる「柔らかい感触」が形を変えて俺を圧迫する。
(ちょ、これ、マズいって!)
俺は内心で悲鳴を上げた。
今は美少女の体になっているとはいえ、中身は健全な(?)成人男性だ。 薄着のルミナの、その豊満な果実の感触をダイレクトに感じるのは、理性の回路がショートしかねない。
心拍数が跳ね上がりそうになるのを、アレスが強制的に冷却しているのが分かる。
【再度心拍数上昇を検知。さらなる鎮静効果を追加しますか?】
(いらん! というかルミナさん、力強いよ!)
「く、苦しい……!」
俺がガスマスク越しに呻くと、ようやく復活したネオンがルミナの襟首を掴んで引き剥がした。
「ルミナ! 遊んでないで離れなさい! ビャッコが窒息するでしょ!」
「えー、だってー。今の『お姉ちゃん』聞いた? あれは反則だよー」
「……確かに、威力は高かったけど」
ネオンは咳ばらいをして、服の埃を払うように立ち上がった。
まだ少し顔が赤い気がするが、努めて冷静な表情を作っている。
「とにかく、その演技プランで行くわよ。いいわね、ビャッコ。外では絶対に敬語禁止。私のことは呼び捨てか………………、まあ、お姉ちゃんでもいいけど……」
「……了解。じゃなくて、分かった」
俺は自分のパーカーの袖を引っ張ってみた。
指先まですっぽりと隠れてしまう長さだ。
うむ。自分が萌え袖をする日が来るとは思わなかった。
俺は極力子供っぽく見えるように意識しつつ、ネオンに顔を向けた。
「よろしくね、ネオン、……お姉ちゃん」
「っ……! だ、だから不意打ちはやめなさいって!」
ネオンは再び顔を赤くして怒鳴った。
どうやらこの「妹作戦」、思いのほかネオンへのダメージが大きいらしい。 前途多難である。
「よし、準備完了だね!」
ルミナが装備リュックを背負い直し、ニカっと笑った。
「それじゃ、行こうか。私たちの『庭』じゃない場所へ」
その言葉で、場の空気が少しだけ引き締まる。 ここから先は、企業の加護がない無法地帯。 何が起きても、誰も助けてはくれない。
「……出動」
俺が短く告げると、二人は力強く頷いた。 俺たちは、輝く摩天楼の足元に広がる、深い闇に乗り込むのだった。
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どうかなにとぞ!




