最初の出会い
その日は風の心地良いのどかな春の日だった。あまりの心地よさに草かげでついうたた寝していると、ガサガサと誰かが猛スピードで近づいてくる音がした。
(はあ、せっかく気持ちよく寝てたのに)
寝起きなのもあって少しイライラしながら体を起こす。誰だ人の昼寝の邪魔するのは、などとぶつくさ文句を言っていると、ガンっと足首に何かが勢いよく当たった。ハッとしてぶつかった何かに目をやると、新雪のようにキラキラと陽の光を反射する白銀が視界一面に広がった。
それが人だと気づいたとき、
「風よ、、、」
とっさに体が動いていた。
突然のことで何が起きたのかわからない。気がつくと彼女の顔が目の前にあった。白銀の髪が春のあたたかな風に揺られ、ほんのりと上気した頬に一房の髪がサラリとかかる。艶のある桜の花びらのような唇からは、熱い吐息が零れ落ちた。白磁のようになめらかな首元には珠のような汗が浮かんでいる。伏せられた長い睫毛がふるりと震えると、その下からはルビーのような澄んだ瞳が現れた。
そのきれいな瞳に視線が吸い込まれる。世界に2人だけしかいないような錯覚に陥っていた。
そうしてどれほどの時が経ったのか、ふわりと彼女の髪がなびいた瞬間、
どさり
と彼女の体が落ちてきた。
「びっくりした……」
思わず声が漏れ出た。かけていた風魔法が解けたのだろう。本日2度目の衝撃だった。バクバクと心臓が激しい音を立てて拍動する。それに反して、全身の筋肉は石のように硬直し、脳はショートしたように停止した。そのままじっと固まっていると、真夏日の風鈴を彷彿とさせる、凛とした涼やかな声が聞こえてきた。
「あの、ごめんなさい、大丈夫?……」
熱い吐息が耳にかかる。顔に熱が集まり、ごくりと生唾を飲み込んだ。
しばらくしてから脳を再起動すると、ようやく体の力が抜けた。どっと疲れが押し寄せてきた。腕を脇に放り投げると、彼女はいそいそと隣に腰をおろしたようだった。
よく見ると彼女はアイラ・フォン・ランカスターだった。
牙狼族の麒麟児。
座学にも実技にも優れた天才で、各国から優れた逸材たちが集うこの魔術学院でも不動の一位。その才覚もさることながら、非常に稀有な聖属性魔法に適正を持ち、学生の身で既に各地から引っ張りだこだとか。噂によると牙狼族とエルフ族のハーフらしく、外見は美形の多いエルフ族の血を色濃く受け継いだようだった。その才能と美貌から、番にしたがる男子生徒も多くいる。
そして、9歳の学院入学時から、俺が一度も勝てたことのない相手だった。これまで一度も直接話したことがなかったが、いざ本人を前にすると、悔しさが湧き水のように湧き出てくる。
(どうせ俺のことなんて知りもしないんだろう。)
そう思うと、隠しきれぬ劣等感がにじみ出る。つい挑発するように言ってしまった。
「どこのせっかちかと思えば。学年主席様じゃないか。」
悔しさの滲む声でそう言うと、彼女は気のせいかと思うほどの瞬きの間、怒っているのか笑っているのかよく分からない複雑な表情をした。かと思うと、すぐに不服そうな顔になり不貞腐れて言った。
「そういうあなたは、秀才と名高い学年2位のグレン・ラゴ・シルベストリ―様じゃないですか。」
そう言われてムッとする。だがすぐに、驚きがその感情を上書きした。目を見開いて思わず呟いた。
「俺のこと知ってたのか」
彼女はきょとんとした表情で小首をかしげ、次いで柔らかな笑い声をあげて
「そりゃあ天下の竜人族の跡取りを知らない人はいないでしょう。」
とそう言った。その言葉にまた苦々しい気持ちがこみあげてくる。
(ああ、俺が竜人族の古竜種だからか……)
そう思っていると、彼女は真っ青に晴れ渡った空を見上げてほほ笑みながら言った。
「シルベストリ―さんはいつも自由に伸び伸びと、楽しそうに空を飛んでたから。」
その言葉に、心臓が鷲掴みにされたような苦しさを覚えた。そんなところを見られていたのかと、嬉しいようなな恥ずかしいような複雑な気持ちが体中を駆け巡る。全身がだんだんと強く脈動し、体が熱くなっていく。
いたずらな春風は彼女の綺麗な髪をさらって弄んぶ。彼女は白くきれいな手を目尻にあてると、髪を一房すくい上げて耳にかけた。形の良い耳が日光にの下に晒される。その様子に目が釘付けになった。囲い込んで周りから隠してしまいたい気持ちになる。
こちらの様子には目もくれず、彼女は何かを思い出したようにフッと笑みをこぼして言った。
「昔お世話になった人もね、飛ぶのは楽しいぞって言ってたの。その時の私にはよく分からなかったかったけど、あなたをみて少しはわかった気がしたの。」
緩やかに口角を上げたその微笑は、誰かに向けた溢れんばかりの慈しみで満ちていた。日の光を反射してキラキラと輝くその瞳は、ここではないどこか遠くを見つめていた。きっと俺が知らない誰かを思い浮かべているのだろう。そう思うと、誰とも知らぬその人が、無性に羨ましくなった。
荒れ狂う鼓動を落ちつけようと、手の甲を口元にあてて息を吐くと、彼女がこちらを見て笑うのが見えた。花が綻ぶような笑顔だった。こちらの胸中を知りもせず「シルべストリーさんでも照れることがあるんだね」なんて言っている。 "シルべストリーさん" というその壁を感じる呼び方に、また胸が苦しくなった。
「グレンでいい」
思わずそう言うと、彼女はキョトンとした後、くしゃりと笑って言った。
「私もアイラでいいよ」
そう言った彼女の微笑みは、笑っているはずなのにどこか泣いているように見えた。
――ああ、ダメだ、と思った。
もう後戻りはできそうになかった。
胸の中で情愛と独占欲が混ざり合う。
火照った体を冷ますように、冬の名残を残した春風が通り過ぎて行った。
***
「ぅわっっ」
追いかけることに夢中になりすぎて足元の段差に気がついていなかった。 ”こける” と思い、とっさに手を突き出して顔をそむける。ドクドクと鼓動が早鐘を打つ。思わず体をこわばらせるが,ふわりと風が顔に当たっただけで、なかなか衝撃が来なかった。
不思議に思いそっと伺い見ると、すべてを飲み込む業火のような瞳と目が合った。いつも退屈そうに細められているその瞳は、今は真ん丸に見開かれている。艶のあるサラサラの短い黒髪が真っ赤な瞳を引き立てていた。
グレン・ラゴ・シルべストリー
同じ学年で秀才と名高い男子学生。獣人族の中でも最強と謳われる竜人族。その中でもさらに別格の強さを誇る古竜種の跡取り。その能力もさることながら、男女問わず人を惹きつける不思議な魅力を持っている。女子の間では ”抱かれたい・癒やされたい男子No.1” だともっぱらの噂だった。
あまりの驚きに思考が停止していると、ふと、体が重くなり
どさり
と体が落っこちた。突然のことに、心臓が飛び出しそうだった。頭が真っ白になって動けずに固まっていると、耳元から声がした。
「びっくりした……」
秋の木立を思わせる、低く落ち着いた声だった。ざわざわとした木々ののざわめきが遠くなり、互いの息遣いだけが聞こえてくる。手の平からはドクドク拍動する力強い鼓動が伝わってきた。
数秒か数分か。
カチ、コチ、という時を刻む秒針の音だけが不自然に大きく聞こえてきた。
しばらくそうしていると、暴れていた心臓がゆっくりと規則的に拍動しだす。だんだんと周りの音が戻ってくると、ようやく状況を理解した。どうやら正面から彼に抱き留められたようだった。はっと我に返り慌てて退こうとするも、彼の腕に固定されて動けない。
「あの、ごめんなさい、大丈夫?……」
そう言うと、ビクリと彼が反応した。ごくりと唾を飲み込む音がする。少しして腕の下で硬直していた体が弛緩すると、背に回っていた腕が横に放り投げられる気配がした。体をゆっくりと退けて、ストンと隣に腰を下ろす。なんと声をかけるべきか、気まずさで一人悶々としていると、チクチクと肌に突き刺さる視線を感じた。恐る恐る視線を合わせる。彼は切れ長の目をゆっくりと細め、皮肉っぽく口角を吊り上げた。
「どこのせっかちかと思えば。偉大な学年主席様じゃないか。」
どこか嘲笑するような響きだった。
「そういうあなたは、秀才と名高い学年2位のグレン・ラゴ・シルベストリ―様じゃないですか。」
不満げにそう言い返すと、彼は不服そうな顔をした。ワンテンポ遅れてゆっくりと驚きに目を見張る。
「俺のこと知ってたのか」
そりゃあ獣連合国の未来を背負って立つとも噂される古竜種の跡取りを知らない人はなかなかいない。
それに――
「シルベストリ―さんはいつも自由に伸び伸びと、楽しそうに空を飛んでたから。」
真っ青に晴れ渡った空を見上げてそう言った。昔を思い出して思わずフッと笑いがこぼれる。
「昔お世話になった人もね、飛ぶのは楽しいぞって言ってたの。その時の私にはよく分からなかったかったけど、あなたをみて少しはわかった気がしたの。」
微笑みながらそう言うと、隣からふうっというため息が聞こえた。彼は頬をほんのりと赤く染め、手の甲で口元を隠していた。気のせいか耳も赤くなっている。少し照れているのかもしれなかった。フフッと笑い声が漏れてしまう。彼が照れるなんて珍しい。私の気持ちに賛同するかのように、穏やかな春風がふわりと吹いた。風に揺られて草木が歌う。
しばらく心地よいその歌に耳を傾けていると、ぼそりと声が聞こえた。
「グレンでいい」
突然のことで、なんのことだかよくわからなかった。そのままキョトンとしていると、理解していないことが通じたのか、彼は嫌そうに目元を歪めたあと、「名前」と言った。
今度は私が目を真ん丸にする番だった。けれど、その驚きからすぐに覚めると、じわじわと胸のあたりが暖かくなる。つい口元がほころんだ。嬉しいような、泣きたいような不思議な気持ちで、「私もアイラでいいよ」ってそう言ったら、
彼はくしゃりと破顔して、
あの頃と変わらない、おひさまのような笑顔で言うのだ。
「ああ、よろしく。アイラ」
それが、彼との15回目の出会いだった。




