家族 2
車を走らせて着いた先は海だった。流石に12月の海には人の姿はなく、砂浜には藤達しか居ない。
「海?今、冬だよ」
純一郎が寒さに震えながら言うと、丈瑠は笑う。
「入らねぇよ。純一郎、藤、靴と靴下脱げ」
「え?何で?」
「ここから水際までダッシュな。んで、秋の所までまたダッシュで帰って来い」
「「えぇ~~~~~~~~!」」
藤は純一郎は声を揃えて文句を言うと、
「バカ!練習が休みの時こそ鍛錬すんだぞ?それにな、砂は足に優しいから足腰鍛えるのに丁度いいんだって」
丈瑠の言葉が返って来て、鬼の指導者はここに来ても健在なのだと藤は思った。
「だったら父さんもやりなよ!俺達ばっかりずるいじゃん!」
「お?やるか?誰が一番になるかなぁ」
丈瑠が靴を脱ぎだしたので、藤と純一郎も慌てて靴と靴下を脱ぐ。丈瑠は着ていたダウンジャケットを秋の肩に掛け、
「秋、スタートかけて」
と、楽しそうに言った。秋もそんな丈瑠と、ブツブツ文句を言いながらも走る準備をしている藤と純一郎を見て微笑んだ。横一列に並ぶと、秋の
「よーい、ドン!」
と、いう掛け声と同時に3人で走り出す。藤は足が砂に取られて走りづらかったが、それでも懸命に走った。水際に来るまで丈瑠はそんな2人をからかう様に並んで走ったが、折り返して少しした所でスピードを上げる。藤はどんどんと遠くなって行く丈瑠の背中を追い掛ける様に必死に走った。その時、横からすごい風が吹いて、藤と純一郎は横によろけながら足を止めた。すごい風の中、丈瑠はそれをものともせずに、一直線に秋に近付いて行くと、その勢いのまま秋を抱き上げる。2人が何かを言い合いながら、はしゃいで笑っているのを、藤は涙が出そうな気持ちで見ていた。藤は母が男の人の前で声を上げて笑っている姿を初めて見たのだ。
「秋ちゃん、笑ってるね」
藤の泣ける程嬉しい気持ちを察したのか、純一郎が語りかける様に優しく言った。
「俺、あんなお母さん初めて見た・・・」
藤は嬉しくて、嬉しくて、涙が溢れそうになったが、それを気付かれたくなくて
「純一郎、競争!」
と、言って走り出す。
「あっ!ずるいぞ!」
純一郎も走り出し、2人も楽しそうに笑った。
夕食の買い物を済ませて家へ帰って来ると、藤と純一郎はドッと疲れてリビングの絨毯の上に座り込んだ。
「疲れた~」
丈瑠も2人と同じ様に、大きな体をソファの上に投げ出して寝転ぶ。結局あの競争の後、30分も砂の上を走り回っていたので、3人はグッタリしていたが、海で走っていない秋だけが、そんな3人の様子を見て笑いながらキッチンに消えて行く。藤と純一郎は揃って絨毯の上に横になると、ウトウトとし始めて、丈瑠の寝息が聞こえるとそれを合図にしたみたいに眠りに落ちた。
藤が目を覚まし、辺りを見回すと純一郎はまだ眠っていたが、ソファに丈瑠の姿はない。藤が寝ぼけ眼を擦りながらダイニングへ行くと、その奥のキッチンで秋と丈瑠が楽しそうに夕食を作っている所だった。下味に染み込ませてあった鶏肉を、秋が片栗粉に絡め、丈瑠はその横でそれを油で揚げている。揚げ終わったそばから丈瑠がつまみ食いするので、
「ちょっと!さっきから全然お皿に増えていかないじゃない!」
と、秋が怒っていた。
「マジで美味い」
丈瑠は自分の食べ掛けの唐揚げを秋の口に放り込む。
「うん、美味しく出来たわ」
「だろ?」
「何、自分が作ったみたいに言ってるの」
2人が笑う。いつの間にか目を覚ました純一郎が、藤の隣で藤と同じ様に2人を見る。起きて来た子供達に気付かないまま、秋と丈瑠は笑い合っていた。藤はそんな2人をずっと見ていたかった。これが当たり前の日常ならどんなにいいだろう、そう思う。
「帰りたくないな・・・」
純一郎が、本当に小さな声でボソリと言うので、藤は純一郎も同じ気持ちでいてくれた事がとても嬉しかった。
「本当の家族みたいだ」
藤も純一郎に言う。そんな2人に気付いた秋と丈瑠が、振り向くと優しく笑った。
「藤、純一郎、もうすぐで出来るから手洗っておいで」
秋の言葉に、2人はくすぐったい気持ちになりながら笑って頷く。手を洗って食事の支度を手伝うと、益々家族っぽくなって、2人ははしゃいだ。
秋がテーブルの上に山盛りの唐揚げと、野菜が沢山入ったスープ、サラダに小鉢に入った煮物を並べると、他の3人から歓声が上がる。
「これ美味しい!」
純一郎が秋特製の唐揚げを食べて感動した様に言うと、秋は嬉しそうに笑う。
「だろ?お母さんの唐揚げすごく美味しいんだ」
純一郎は口一杯に頬張りながら、何個も箸を伸ばした。
「丈瑠さんのせいで随分減っちゃったけどねぇ」
秋が意地悪く笑うと、丈瑠も笑う。
「秋も食べてたじゃん、共犯だろ?」
「丈瑠さんの食べ掛けじゃないよぉ!」
2人のやり取りが面白くて、藤と純一郎は声を上げて笑った。だが、目の前にある料理が段々と少なくなっていくにつれ、藤と純一郎の口数が減る。これが無くなったら帰る時間になってしまう事が堪らなく寂しかった。そんな想いを真っ先に口にしたのは藤だ。
「またこんな風に4人で遊んだり、ご飯食べたり出来る?」
藤のしょんぼりした口調に、
「2人共、今日楽しかったか?」
丈瑠が優しい声で聞いたので、藤も純一郎も頷いた。
「じゃ、またやろうな」
2人は弾かれる様に丈瑠と秋を見た。秋も優しく笑って、
「次は何がいいかな?」
と言う。今日が終わってしまうのはとても寂しいけれど、また次があると思うだけで、2人の胸にワクワクした気持ちが湧き上がる。
「俺、次は動物園行きたい!」
藤が言うと、純一郎も
「俺ね、遊園地!」
そう言って、2人は次々に行きたい所を上げた。
「俺は・・そうだなぁ・・鍋食べたいだろ?中華もいいなぁ」
丈瑠の言葉に、
「父さんは食べ物の事ばっかり!」
と、純一郎が言って皆で笑う。丈瑠は秋に優しい顔を向けると、
「これから土曜日はこういう日にしないか?」
と言った。藤と純一郎は、何となく恥ずかしい気持ちになる。丈瑠の言葉が、告白の様に聞こえて自分達がここに居てもいいのか分からなかった。
「じゃあ、私の行きたい所も付き合ってくれる?」
秋が嬉しそうに返すと、
「秋の行きたい所ってどこ?」
丈瑠も嬉しそうに聞く。
「ウィンドゥショッピング」
「「「却下!!!」」」
3人が声を揃えて言った。
2人が帰った後、藤は片付けをしてる秋に声を掛ける。
「ね、お母さん?」
「ん?」
「丈瑠さんの事どう思う?」
「え?どうって?」
「だってお母さん、丈瑠さんだけは怖がってないじゃん。今日だってあんな風に笑ってるお母さん初めて見た」
藤は思っていた事をそのまま伝えた。
「そうだねぇ・・う~ん・・丈瑠さんは特別だからかな?」
「特別?どんな?」
藤は期待を込めて聞いた。
「お兄ちゃんみたいだよね」
秋は嬉しそうにそう言ったが、藤はガックリと項垂れながらその場を離れた。
(違う・・違うんだよ、お母さん・・・そんな答え求めてない)