丈瑠と奏多
「月島さん、何かいい事でもあったんですか?」
協会の職員にそう声を掛けられ、丈瑠はにやけている口元を押さえる。
「あ、昨日の彼女でしょ?」
別の職員がからかう様に笑った。
「い~から!手動かせ!」
そうは言ってもすぐににやける丈瑠に、職員達の冷やかしは続いた。夕方近くになって、丈瑠が外で煙草に火を付けて一服していると、奏多が歩いて来るのが見えた。
「よっ!」
丈瑠の姿を見つけて片手を上げた奏多に、丈瑠も片手を上げて応える。
「今日、別の会場で練習してたんじゃねぇの?」
「うん、さっきまでやってた。ちょっとあんたに話したい事があって来た」
「ふ~ん・・18時位には終われると思うけど・・中で待ってるか?」
「そうする」
奏多が煙草をふかす丈瑠を見ると、その視線に気付いた丈瑠が苦笑いを浮かべる。
「落ち着きたい時に吸いたくなんだよ・・滅多に吸わないんだけどな」
「昨日も落ち着きたかった訳だ?」
「そういう事」
丈瑠が煙を吐き出すと、奏多がニヤリと笑う。
「じゃ、今日は?」
奏多の突っ込みに丈瑠が煙に咽る。
「今日はな~んで落ち着きたい訳?」
ニヤニヤ笑う奏多に、丈瑠が咳き込んで涙目になった眼で睨む。
「お前・・やっぱ雪の弟だわ」
奏多が吹き出して笑っていると、
「貴方達・・目立つわね・・」
上原の声が背後から聞こえて、丈瑠も奏多も振り向いた。
「秋は?」
「昼過ぎの新幹線で帰ったわよ」
「本部寄るって言ってたけど、ビビってただろ?」
丈瑠が面白そうに笑うと、上原も秋を思い出して笑う。
「怯える小動物を前にした気分だったわ」
上原の言葉に3人で声を揃えて笑った。
「妙な組み合わせだけど・・何の集まり?」
上原の問いかけに、奏多が口を開く。
「ちょっと話したくてさ。丁度いいから一緒に居てよ」
上原にも聞いてもらいたい話とは何なのか、丈瑠は疑問に思いながらも2人を残して仕事に戻って行った。
丈瑠が仕事を終え、2人の待つ応援席に行くと意外にも上原が楽しそうに笑う姿が丈瑠を驚かせた。人の中に簡単に飛び込み、その心を開くのは雪も同じだったと思うと、丈瑠は懐かしさに小さく笑う。
「悪い、待たせたな」
2人に声を掛けると、振り向いた2人が席を立つ。
「ここじゃ何だから、すぐ近くの料亭でも行く?個室もあるからそっちの方がいいでしょ?」
上原のこういう気の回し方に丈瑠はいつも感心する。わざわざここに出向いてまで奏多が話したい内容は、恐らく誰にも聞かれたくないであろうと判断した上原の機転に、丈瑠は尊敬に近い感情を持っている。3人ですぐ近くにある料亭に足を運ぶと、丈瑠は雪と2人で来た懐かしい店に一瞬足を止めて不思議な気分になった。
「別の店の方が良かった?」
上原が伺う様に尋ねたので、丈瑠は目を細めて首を振る。
「雪の春高優勝と、就職祝いをした店なんだ。その店に奏多と来たってのがな・・何かちょっと不思議だなって思っただけ」
感慨深げに丈瑠が言うと、奏多が店を見回して嬉しそうに笑った。
店の中の個室へ通されて、注文した料理が来ると、3人は箸を伸ばしながら話し出す。
「で?話って何だった訳?」
丈瑠が奏多に話を振ると、奏多はこれまでの事を話し始めた。雪が藤崎に連れて行かれた時の事、その後母親の母国であるイタリアに渡って移植手術を受けた事、それでも経過が良くならず母親が亡くなった事、そして母親が亡くなった後、父親が病に倒れた事、丈瑠も知らない話に、二人は黙って奏多の話を聞いた。
「雪が殺される3週間前かな・・全日本がイタリアに遠征に来ただろ?俺、ジュニアのクラブに入っててさ、その日雪に会えると思って、こっそり見に行ったんだ。雪の奴、もう試合が始まってるのに・・俺を見た途端、コートから飛び出して来てさ・・」
奏多の瞳から涙が溢れる。
「その夜、久し振りに家族3人で過ごして・・イタリアに来てた1週間、結局雪の奴、一度もホテルに帰らなかったな」
‘イタリアで何かいい事があったみたい’
丈瑠は秋が言っていた、雪の ‘いい事’ が、これだったのかと、小さく笑う。
「秋と籘の事も、その時に聞いた。あ、これ返しとく」
奏多が財布から写真を取り出してテーブルに置くと、丈瑠がそれを手に取った。
「雪がいつも持ってたやつだな…」
「うん・・その写真見せてくれてさ、驚いたよ、やっと再会出来たと思ったら嫁さんはいるし、子供までいるんだから・・しかも、秋のノロケを延々と聞かされてさ。ただ、秋の分析能力の話しだけは面白かったよ」
丈瑠と上原が揃って笑うと、奏多も一緒になって笑った。
「雪が帰る日、約束したんだよ。ワールドカップが終わったら会いに行くって・・」
「そうだったのね・・」
叶わぬ約束になってしまったのが、3人の心を切なくさせた。
「雪が殺されたって報道がイタリアでも流れてさ・・でも、タイムラグがあって俺達が知ったのは実際の日からもう3日も経ってた。すぐに父さんと日本行きのチケットを手配したけど、どの便も取れなくて、キャンセル待ちしてようやく日本に来た時には、もう秋は居なくなってたんだ」
「捜してくれてたんだって?随分派手にやったな?」
丈瑠の問いに、奏多がニヤリと笑う。
「どうしても見付ける事が出来なくて、半分は諦めてたんだ。でも、新しい監督が就任した後、彼が零す言葉で気付いたんだよ。秋はまだ全日本のアナリストなんだってさ。んで、秋を引っ張り出すのに、チームに協力してもらった」
「その監督・・サントス・ロドリゲスよね?何て言ってたの?」
上原が興味深く伺う。
「日本には千里眼を持つアナリストが居るって。俺はそんなアナリストは一人しか知らない。それで気付いたんだ」
上原が納得した様に頷いた。
「ようやく会えたんだ・・ぜってぇ大事にしろよ?」
「おう」
奏多と丈瑠が拳を突き合わせるのを見て、上原は二人がいつの間にこんなに仲良くなったのかと首を傾げた。
「昨日は、あれからどうしたの?」
上原の言葉に、丈瑠の顔が緩むと、奏多が身を乗り出した。
「手ぇ出したんじゃねぇだろうな!?」
「自分の女に手ぇ出して何が悪い!?」
「「出したの!?」」
奏多と上原の声がハモって、二人が顔を見合わせる。
「あ・・いや、まだその段階まではいってねぇよ?」
丈瑠がにやけながら言うと、奏多がホッとした顔で浮かせた腰を下ろした。
「じゃ、何でそんなニヤけてんのよ?」
「やっと想いが通じた」
丈瑠が照れ臭そうに言うと、上原も奏多も‘何~だ’と、ばかりに白けた顔でドリンクを口に運ぶ。
「えぇ?何、その反応!?」
「今日、秋から聞いたし、そもそも二人がそうなるのなんて分かりきってたもの、ねぇ?」
上原が奏多に振ると、奏多も頷く。
「奏多まで!?」
「秋が丈瑠を見る瞳だよね?好き~って出てたじゃん」
奏多の言葉に、今度は上原が頷く。
「出てたかぁ?俺、全然分かんねぇ・・」
「うん、月島君鈍いからね」
「あぁ、分かるわ。だから他の女にキスされんだよな」
「お前らさぁ、 ‘おめでとう’ とか、 ‘良かったな’ とか、ない訳!?」
「おめでとう」
「良かったな」
「棒読みなんだよ!」
それでも3人で笑うと、上原がしみじみと口を開いた。
「秋を頼んだわ…もうこれ以上辛い想いして欲しくないの」
「そのつもりではいる…」
「何よ、煮え切らない返事ね?」
「…もう少し時間掛かるかもしんねぇ」
歯切れの悪い丈瑠の言葉に、上原はピンと来て奏多をチラリと見た。
「ごめん、奏多もあの事知ってんだ」
「話したの!?」
上原が眉を顰めると、奏多が慌てて口を開いた。
「違うんだ!昨日、ユーリが気付いたんだ。あいつ、カウンセラーでバイトしてた事あって、そういう女性を沢山見てるから」
ユーリの名前が出て、上原の眼光が一瞬緩むと、大きく溜息をついた。
「怖がったんだよ…あいつ」
「やっぱ手ぇ出してんじゃねぇかよ!」
奏多が腰を浮かせて身を乗り出すと、
「そんなとこまでいってねぇっての!」
丈瑠も同じ様に身を乗り出す。
「…月島君でもダメだったのね」
一人冷静な上原の声を聞くと、二人は顔を合わせて腰を下ろした。
「それでどうしたんだよ?」
「どうしたもねぇだろ?止めたよ」
「結構いいとこまでいってた訳?」
「全然…そういう雰囲気になってキスした所まで」
「生殺しだな…」
上原が身を乗り出して奏多の頭を叩くと、奏多が頭をさすりながら身を竦めた。
「焦らないであげてね」
「大丈夫、それは分かってっから」
丈瑠が優しく微笑むと、上原が安心した様に微笑み返す。
「なぁ、丈瑠」
「ん?」
「もしも、もしもだよ?秋が丈瑠を受け入れる事が出来なくて苦しむ事になったら、秋をイタリアへ連れて行ってもいいか?」
奏多の言葉に、丈瑠が一瞬目を見開く。
「・・駄目だ・・って言いたい所だけどな・・正直分かんねぇ。我慢させてまでそうなりたい訳じゃねぇし、焦ってる訳でもねぇけどさ・・秋が前の状態に戻るのだけは避けたいんだ。俺との事で、そうなる予兆があれば、それも一つの手だと思う」
丈瑠の言葉に、上原が切なそうに丈瑠を見た。
「それでいいの?」
「良くねぇよ?・・でも、苦しませたくない。それにまだ分かんねぇじゃん?先の事はさ!俺達やっと始まったばっかだし!」
「だな!」
丈瑠と奏多が顔を見合わせて笑うのを見て、上原は心底秋の愛した男が丈瑠で良かったと思った。
昼過ぎの新幹線で家へ帰って来ると、秋は腕時計で時間を確認する。
(15時…美代ちゃん、居るかな?)
真っ先に美代に報告したかった。美代が影でどれだけ自分と丈瑠の為に動いてくれていたか気付いていた秋は、美代の喜ぶ顔が見たくて美代の家を訪ねた。
「お帰り~」
玄関先で美代の笑顔を見ると、秋は ‘帰って来た’ という気持ちが強くなる。
「ありがとね、籘、ちゃんといい子にしてた?」
そう言いながらお土産を渡すと、美代が箱菓子を持ち上げて頭を下げ笑う。
「スゴくいい子だったよ。もう家の息子にしたい位」
「あはは、良かった」
秋が笑うと、美代が秋の顔をジッと見て、ニヤリと笑う。
「まずは上がって。お茶でも飲みながら、ゆっくり聞かせて?」
美代に促されてリビングに通されると、秋は体を小さく丸めて座った。
「で?会って来たんでしょ?」
美代が差し出したお茶を啜りながら、秋も嬉しそうに頷く。
「まず一番先に、これを話したいの。私ね、丈瑠さんにちゃんと伝えたよ!」
秋の言葉に、美代は心底嬉しそうに笑うと
「秋、良かったね!」
そう言って、秋の手を握った。
「美代ちゃんや、ママさんズの皆が居てくれなかったら、こんな日は来なかったと思う。本当にありがとう」
秋が極上の笑顔を見せると、美代が目を細めて嬉しそうに頷いた。
「さて!詳しく聞かせてもらうわよ~。ここまで来るのに長かったんだからね」
美代のからかう様な口調に笑いながら、秋は東京で起きた事を美代に話した。塚本の話になった時は、美代は憤慨していたが、それでも秋が事の展開を話すと、秋と一緒になって笑う。全てを話終わると、美代が頬杖を付きながら
「雪君の弟かぁ…きっと王子様顔なんだろうなぁ…見たいなぁ」
と、零したので、秋はクスリと笑った。
「世界バレーが終わったら来るって言ってたよ。でも、奏多君は王子様っていうか…王様?」
「王様?」
秋の例えに、美代がクスリと笑う。
「顔はね、やっぱり雪に少し似てるんだけど…オーラ?雰囲気が王様なの。同じチームのドクターは ‘ライオン’ って言ってたし」
「やだぁ、益々会いたいわ~!」
二人でそんな話で盛り上がって、次は丈瑠の話になると、美代が軽い調子で
「この分じゃ、二人の結婚も近そうね」
そう言った言葉に、秋の表情が固まる。
「美代ちゃん」
「どした?」
「私…出来なかった」
「何を?」
「セックス」
秋の言葉に、美代は飲んでいたお茶を吹き出した。
「秋がそういう言葉をハッキリ口にするなんて珍しいね」
美代はそう言ったが、秋は真剣な顔を崩さず言葉を続ける。
「大河じゃないのに、丈瑠さんなのに・・いざそういう雰囲気になったら、怖いって思っちゃったの・・」
「月島は?」
「私の反応が悪かったのかな・・途中で止めてくれて・・飯食おうって・・その時はホッとしたんだけど・・私、このまま出来なかったらどうしよう・・」
「焦らないの!時間が解決してくれる事もあるんだから」
「いつまでもこんな調子でいたら、丈瑠さんどっか行っちゃうもん・・」
秋が机に突っ伏すと、美代はそんな秋に目を丸くする。秋は知らないのだ、自分がいかに丈瑠に愛されているのかを、美代はそう思った。だが、秋が分からないのも無理はない。丈瑠の愛の中心にいるのは秋で、他の女に見せる態度など、決して秋には見せた事がないのだから。
「あ、それ絶対ないから」
美代がスパンと言い切ったが、秋は体を起こしてしょげながらお茶を啜った。
二日後、丈瑠が出張から帰って来ると、その夜は4人で晩ご飯を共にした。二人の間に流れる空気が、甘くなっている事に気付いた籘と純一郎は二人で顔を合わせてシシっと笑う。
「どっちが告白したの?」
純一郎の突然の質問に、食後のお茶を啜っていた丈瑠と秋は目を合わせた。
「ねぇ、どっち?」
籘がキラキラした瞳で食いつく。秋と丈瑠はお互いを指差した。
「えぇ!?嘘だぁ!」
秋が声を上げて立ち上がると、丈瑠が意地悪く笑う。
「ねぇ、秋ちゃん。父さん何て言ったの?」
純一郎がニヤニヤ笑って、丈瑠に視線を送りながら尋ねたので、秋もニヤニヤと笑って丈瑠に視線を投げた。
「ぜってぇ言うなよ・・」
丈瑠が凄みを効かせて言うと、純一郎は怯んだ顔を見せたが、秋はそんな丈瑠に笑う。
「どうしよっかなぁ~。言っちゃおうかなぁ」
「だぁ!言うなって!・・あんな事言わなきゃ良かった」
「え~・・私は嬉しかったよ?丈瑠さんは違うんだ・・」
秋がショボンとして後ろを向くと、その姿に何度も視線を送っていた丈瑠が、そのまま振り向かない秋に近寄る。
「いや・・そうじゃねぇじゃん・・言って良かったと思ってるよ?」
丈瑠が伺う様に言うと、
「だよね?」
秋が意地悪く笑ってパッと振り返った。
「お前なぁ!」
丈瑠が秋の頭を掴んで、二人ではしゃぐ姿に、
「尻に敷かれそうだな」
「うん、間違いないね」
籘と純一郎はそんな二人を見ながら、冷静に言った。




