想いを君へ 6
バスが走り出すと、奏多に促されて秋は座席に腰掛けた。耳に残る丈瑠の声。丈瑠が自分からした訳ではない事も、それを望んだ訳でもないのは分かっている。だが、目に焼き付いて消えない2人の姿に、秋の瞳からは大粒の涙が落ちる。
「Voglio parlare con lei」(彼女と話したい)
隣に座る奏多に、年配の男性が声を掛けたのが分かったが、奏多が首を振るとその男性は頷いて自分の座席に戻って行く。
「ごめんね」
秋が涙を拭いながら奏多に言うと、奏多の大きな手が秋の頭を優しく撫でる。
「好きなんだろ?」
秋が小さく頷くと、奏多は目を細めて笑った。
「・・・軽蔑しない?」
「何で?」
「雪以外の人を好きになって・・」
秋が零す言葉に、奏多が切ない表情を浮かべて秋の頭を引き寄せた。
「バカだな・・そんな事気にしてたのかよ」
雪の声が優しく話す言葉に、秋は雪と話している様な錯覚を覚えた。
「今でも雪を愛してる。この気持ちを忘れる事なんて一生出来ない・・でも、丈瑠さんが好きなの・・ごめんなさい」
「それでいいんだって・・秋は生きてるんだからさ・・雪の分まで幸せになって欲しい」
「幸せになっていいのかな・・・?雪を殺したのは・・私なのに・・」
目の前に広がる赤い色。秋は血に塗れた手を見つめる。
「秋、それは違う!勘違いすんな。雪を殺したのはあの男だろ?」
「・・私が・・私が松原君と話さなかったら・・雪は今でも隣に居たのに・・」
消えない赤い色が自分を飲み込んで行く。小さく震えだした手を、奏多が強く握った。
「秋、自分を責めるのはやめろ」
こんなに長い年月が経っても自分を責め続けている秋に、奏多は胸を掻き毟られる様な気持ちが込み上げてくる。
「さよならも・・愛してるも・・最後には何も伝えられずに逝っちゃった・・」
「分かってるよ、ちゃんと分かってる」
目を閉じて奏多の肩に持たれていた秋が、涙を一雫流すと、スゥっと眠りについた。
「PTSDだね」
ユーリが小声で言った言葉に奏多も頷いた。
「・・でもそれだけじゃないと思うよ」
「どういう事?」
「アキに会って、変だと思った所ない?・・アキ、タケルやソータ以外の男が近付くと顔色が変わるんだ」
「・・そう言えば、初めて会った時・・俺が秋を抱きしめたら過呼吸みたいになってガタガタ震えてたな・・それもPTSDの症状なのか?」
ユーリのスカイブルーの瞳に激しい不快な色が見えると、ユーリは奏多を見ながら話す事を躊躇っている様に見えた。
「ユーリ」
奏多が真顔で言葉を促すので、ユーリも真顔で奏多に向き合った。
「アキは誰かに殴られてきたか、レイプされた事があると思う」
「なっ!?」
叫びそうになった奏多に、ユーリが秋を見ながら口に指を当てた。
「僕がクラブに入る前、カウンセラーのバイトをしてたのは知ってるだろ?そこでそんな症状の女性を沢山見て来た・・PTSDっていうよりもそっちの症状だよ、それは」
奏多は隣で眠る秋の頬に残る涙をソっとすくい上げると、その指を舐めた。
「こんなに遅くなったのが間違いだった・・話次第では秋と藤は連れて帰る」
奏多の瞳が激しく燃えると、ユーリが小さく頷く。
「ね、血も繋がってない、初めて会ったアキをそんなに大事に思えるって何で?」
ユーリの質問に、奏多は少し躊躇いながら口を開いた。
「雪が愛した女だったから・・っていうのは建前だな・・一目惚れって信じるか?」
「信じるよ、僕サヤに一目惚れしたからね」
「雪の写真を見た時から、あの笑顔をこの目で見たいと思ったんだよ・・でも、恋心が動く前に木っ端微塵だけどな」
「アキはタケルが好きなんだもんね」
念を押す様に傷口を抉るユーリに、奏多はジロリと睨む。そして、秋に視線を向けると目を細めて微笑んだ。
「この人が笑ってくれるなら、相手は俺じゃなくてもいいんだ・・俺の大事な姉貴には変わりない・・でも、傷つける奴は許せねぇ」
「秋、着いたよ」
奏多に揺り起こされて、秋はうっすら目を開けた。
「ん・・雪、もう少しだけ・・」
「寝ぼけてんのか?」
奏多がクスリと笑うと、隣でユーリも笑う。
「アキ、ホテル着いたよ」
ユーリの声にアキが飛び起きると、2人は声を上げて笑った。
「ここ・・・どこ?」
勢いで付いて来たのはいいが、自分がどこに居るのか、上原と丈瑠はどうしたのか、秋の頭に色々な考えが巡る。
「ここは協会が手配してくれたホテル」
「さっきアキの携帯からサヤに電話入れたから、もうすぐタケルとサヤが飛び込んで来ると思うよ」
ユーリが天使の顔で微笑むと、アキは顔を引きつらせて頷いた。
(絶対怒られる・・・ギャ~・・怖いぃ)
秋は上原の怒った顔が浮かんで身を竦めた。
「ただ待ってるってのも暇だしさ、フロントに言って隣の居酒屋で飲んでようぜ?」
奏多が窓から見える店を指差すと、秋はその指を握って激しく同意した。
(酔ってでもいないと心臓もたない!)
居酒屋で目の前にジョッキに入ったビールを置かれると、秋はそれを一気に飲み干す。
「あ・・秋?」
その飲みっぷりに奏多とユーリが唖然として秋を見ていた。
「すみませ~ん、生ビール!大で!」
秋が店員に声を掛けると、2人はお手上げだとばかりに目を合わせてフッと笑った。秋が大ジョッキのビールを4杯飲み干した所で店の扉が勢いよく開いたと思うと、丈瑠が飛び込んで来た。その姿を目で確認すると、奏多がゆっくりと席を立つ。
「ユーリ、秋を頼むな」
「任せて。ソータ、もしも彼が原因なら手加減は要らないからね」
足早に秋に近付こうとする丈瑠に、奏多は秋を隠す様に立ち塞がった。
「表出ろ」
奏多の威圧的な眼差しに、丈瑠の眼にも激しい苛立ちがこもる。
「月島君?」
丈瑠の後を追って来た上原が、奏多と共に入口から出て行く丈瑠に声を掛けると
「上原さん、秋を見てて」
と、秋に視線を投げながら言い、上原が頷いたのを見ると丈瑠は奏多と共に店の外へと消えて行った。
店から少し離れた路地裏に入ると、奏多はいきなり丈瑠の胸ぐらを掴む。
「秋を泣かしてまで他の女と何やってんだ?」
「お前に言い訳する気はねぇ」
丈瑠も奏多の胸ぐらを掴み返すと、2人は静かに睨み合った。
「遊びで手を出すなら、あんたに秋は渡さない」
「誰が遊びだって言った、お前が勝手に決めんなよ」
一歩も引かない丈瑠に奏多の苛立ちが増す。
「あんたがそんなんだから・・」
「あ?」
「あんたがフラフラしてっから、秋が酷い目にあったんじゃねぇのか!?」
奏多は丈瑠の頬を殴り付けた。
「てめぇに何が分かる!?意味分かんねぇ事喚いてんじゃねぇよ!」
後ろによろけた丈瑠が奏多に飛び掛ると、頬を殴り付ける。
「秋を傷つけたのは誰だ?」
奏多の射抜く様な眼差しが丈瑠を捉える。
「だから、意味分かんねぇってんだろ!?」
「誰が秋に手を上げた!?秋をレイプしたのは誰だって聞いてんだよ!?」
一瞬目を見開いた丈瑠に、奏多の膝が腹を蹴り上げると、丈瑠は膝を付いて奏多を見上げた。だが、次の瞬間奏多の背中がザワっと総毛立つ。立ち上がった丈瑠の瞳に激しい殺気が篭められ、奏多は野生の虎と対峙している気分になり唾をゴクリと飲んだ。
「誰から聞いた?」
丈瑠の手が奏多の髪を鷲掴む。
「誰からも聞いてねぇ」
奏多が髪を掴んでいる丈瑠の腕を掴むと、丈瑠が鳩尾に拳をめり込ませる。思わず咳き込んだ奏多の髪を引っ張り、その顔を見下ろすと、丈瑠は殺気を纏ったままゆっくりと顔を近づけて同じ事を聞いた。
「誰・か・ら・聞いた?」
丈瑠の瞳が憎しみに満ちているのを感じると、奏多は丈瑠の気持ちに気付いた。
(何だ・・両思いなんじゃん・・)
「初めて会った時、秋を抱き締めたら様子がおかしかった・・会場でも他の男に見せる態度とかでうちのドクターが気付いたんだ」
「ドクターって、あの赤毛の?」
奏多が頷くと、丈瑠がその手を放してポケットから取り出した煙草に火を付けた。
(こいつ、本職はヤクザだろ・・)
口から煙を吐き出す丈瑠が殺気の篭ってない瞳で奏多に視線を投げると、奏多はその場に座り込んだ。丈瑠がまた煙草をふかす。
「藤崎だ・・藤崎大河」
藤崎の名前が出て来るとは思ってなかった奏多が、愕然として丈瑠を見上げた。
「俺が知ってるって事も、お前がこれから知る事も、絶対に秋に言うな」
奏多が力強く頷くと、丈瑠は上原から聞いた話をそのまま奏多に伝えた。全てを聞き終わると、奏多は両手で頭を抱える。
「別経由でもいいからもっと早くに迎えに来るべきだった!クソッ!」
苛立ちを隠そうとしない奏多の頭を、丈瑠がポンと叩き、顔を上げた奏多に小さく笑う。
「雪の弟か・・よく見るとあんま似てねぇな」
丈瑠の優しい眼差しに、奏多は涙が込み上げて来た。
「あんたは・・悔しくねぇのかよ・・」
「殺してやりたい程憎いよ・・今でもこの気持ちは消えねぇ。でも、さっき一緒に居た人に言われたんだ。秋があいつに見つかったら、秋のこれまでの努力が無駄になるって・・あいつな、俺にも黙って姿消したんだ。もう1回会えたのは2年前だ・・7年も1人で藤を守ってたんだぜ?・・それにな、あれでも少しはマシになったんだよ」
丈瑠が優しく零す言葉に、奏多は涙を拭う。
「秋を・・俺の姉貴を、どう想ってる?」
奏多が真っ直ぐ見つめる瞳が、雪に重なって見えて、丈瑠は雪に向かって誓う様に言葉にした。
「ずっと昔からあいつだけを想ってる。絶対に大事にするから、お前の姉ちゃん、俺にくれ」
丈瑠の真剣な眼差しに、奏多はフッと笑った。
「愛してる位言えよ」
「はぁ!?言えっか!んな事!」
丈瑠が少しだけ顔を赤らめたので、奏多は吹き出して笑う。丈瑠が奏多に手を差し出すと、奏多はその手を取り立ち上がった。




