想いを君へ 3
「あら、月島君じゃない」
上原も丈瑠に気付いて視線を送る。
「・・うん」
「向こう行ってみる?」
上原の言葉に秋が首を振ると、上原は怪訝な顔で秋を見た。
「邪魔しちゃ悪いし」
秋が感情を込めずに言うと、上原が一瞬表情を硬くして、そして ’しまった!’ という顔をしたのを秋は見逃さなかった。
「何だ、上原さんも知ってたのかぁ」
秋が俯いて小さく笑うと、上原が慌てた様に口を開く。
「昔の事よ?もう何年も昔の話!」
「そう・・でも、彼女の方はそうでもないみたいよ」
秋が苦笑いを浮かべると、上原が心配そうに秋の顔を見つめた。自分が言った皮肉めいた言葉に気まずい想いが秋の中に膨らみ、秋はニッコリ笑ってみせる。
「丈瑠さんが誰と付き合おうと、私がとやかく言う事じゃないわ。少し外の空気吸って来るね」
上原がまだ心配そうな顔で自分を見ているのが分かったが、秋はこれ以上この会話を続けたくなくて席を立った。
体育館の外へ出ると、少し冷たくなった空気が体を包み、冷たい空気を胸一杯に吸い込むと秋は小さく身震いする。
(大丈夫・・まだ彼から離れていけない程想いを寄せた訳じゃない・・彼が与える優しさに浸って夢を見ただけ・・)
「秋!」
雪の声が自分の名を呼んだ。秋がその声に弾ける様に周囲を見回すと、体育館の中から走って来る大きな体に目を見開く。
「秋だろ?」
雪の声と、雪の優しい眼差し。どんなに会いたいと願っても叶わなかった夢が目の前にあって自分を呼んだ。
「雪!!!」
秋は最愛の人の胸に飛び込む。自分でも手が震えているのが分かったが、雪の体を放すまいと抱き締めた腕に力を込める。
「雪・・雪!」
抱き締め返された腕の中で、秋は愛しい名を呼び続けた。
「落ち着け、よく見ろって」
雪の声が穏やかに語り掛け、秋は胸に摺り寄せていた顔を上げる。
(・・雪・・じゃない・・)
雪と同じ声、同じ瞳。
だが、そこに居たのは雪とは違う男だった。雪よりも少し高い背丈に、彫りの深い整った顔立ち。大きな手が秋の肩に触れると、ゆっくりと体を離した。
(もう居ない・・雪は・・もう・・)
一瞬だけ見せた夢から覚めて、秋は溢れる涙を隠す様に両手で顔を覆った。心を切り離そうとするが、溢れる涙がそれを妨げ、秋は声を押し殺す。色々な感情が入り混じって、もう抑えが効かなかった。世界に自分1人だけになってしまった様な孤独感が秋を包み、秋は抑えのきかない嗚咽を漏らす。
「泣くなよ・・」
男が涙の止まらない秋を強く抱き締めると、丈瑠とも雪とも違うその手に、秋の体がビクリと震えた。雪だと思えば何事もなかった体は、雪ではないと分かった途端に拒絶的な反応を見せ、その腕の強さが余計に恐怖心を駆り立てた。秋の体が強ばって大きく震え出すと、男は崩れていく秋の体と一緒にしゃがみ込む。
「真っ青だぞ?・・大丈夫か?」
浅くなった呼吸を整えようとする秋に、男が背中に手を当てると、秋の口から短い悲鳴が上がり、男は慌てて手を引っ込めた。
「大丈夫・・・大丈夫だから・・・今は触らないで・・」
大きく深呼吸を繰り返す秋に、男は心配そうな視線だけを投げ、黙ってその場に腰を下ろした。呼吸が落ち着いて来ると、秋はもう一度男の顔を見る。男は困った顔をしていたが、その瞳が雪と重なって見えた。
「あなた・・誰?・・どうして私を知ってるの?」
「雪は俺の兄だ。俺は弟の奏多」
「・・弟?・・」
状況を把握出来ずに奏多をジッと見ていると、奏多はフッと笑ってジャージのポケットから1枚の写真を差し出した。
「・・・これ」
写真を受け取った秋の瞳からまた涙が零れ、頬を伝う。見覚えのある写真。
「雪がイタリアへ来た時に忘れていったんだ」
満面の笑みで幸せそうに笑う自分と、その腕に抱かれた小さな藤。その写真は、雪がいつも大切そうに持ち歩いていた写真だった。懐かしい写真は、全てを失くしたと思っていた雪の欠片を見つけた様な気持ちにさせて秋の頬を緩ませる。そして昔、雪が何度も聞かせてくれた本当の家族の話が秋の脳裏に浮かんだ。
「蒼井・・奏多君?」
「やっと会えたな、姉ちゃん」
優しく言った奏多が、躊躇いがちに秋の頭を撫で回すと、まだ涙の乾かない秋が泣きながら笑う。
「見付けるのが遅くなって、ごめん」
雪の声が降り注ぐ。
(この人は雪じゃない・・)
分かっていても、雪と同じ声が紡ぐ言葉に秋は雪を重ねてしまう自分を止められずにいた。
「やべっ!時間!」
奏多が腕時計を見ながら慌てる姿を見ると、秋は奏多がどこかへ行ってしまうのが分かって、咄嗟に奏多の服を掴んだ。一瞬驚いた奏多と視線が合うと、秋は慌てて手を放す。奏多はフハっと笑うと、秋に手を差し出した。
「チームの奴らが待ってるから、一緒に行こうぜ?」
奏多に手を引っ張られて立ち上がり、先に歩く奏多の姿を見ると秋はようやく奏多がイタリアチームのウェアを羽織っている事に気が付いた。
「イタリア・・」
秋が小さく零した言葉に、奏多が振り返って秋を見る。
「あれ?雪から何も聞いてない?」
秋が頷くと、奏多が眉を顰めた。
「ま、いいや。それよりも急がないと練習始まっちまう」
歩みを早める奏多に、秋も小走りになりながら付いて行くと、体育館の中では既にイタリアチームのウォーミングアップが始まっていた。
「Tardi!」(遅い!)
コートに近づいた奏多と秋に、1人の男性が声を掛ける。秋よりも少し若く見える青年は、奏多を睨むと秋に視線を移した。
「悪い、悪い」
奏多が日本語で答えると、秋をジッと見ていた青年は朗らかに笑顔を見せた。
「アキ?」
初対面の青年から名前を呼ばれ、秋は目を丸くしながら小さくお辞儀をする。
「秋、こっちはチームのドクターでユーリっていうんだ。日本語も話せるから、少しだけユーリと待ってて」
奏多はそう言うと、ジャージを脱いでベンチに放るとコートの中へ入って行く。
「ソータはアキをずっと捜してたんだよ」
隣にいたユーリが秋に座る様に促しながら優しく話し出した。
「捜して・・くれてたんですか?」
秋はコートの周りを走っているチームに合流した奏多に視線を投げる。
「ユキが亡くなった時、ソータはアキとフジを迎えに日本に行ったんだ。でも、もうアキはそこには居なかった」
初めて知る話に、秋は驚いた。
「アキに会えたって事は、もう練習時間の変更をする必要なくなったね」
ユーリはニコリと天使の様な笑顔を見せると、ポケットから携帯を取り出し、誰かに電話を掛けていた。
「運営のハシモトさんですか?ユーリです。いつもお世話になってます。練習時間ですが、ミーシャの体調も良くなりましたので、当初の時間通りでお願いします。はい、お手数をお掛けしてすみませんでした」
流暢な日本語でユーリがにこやかに話すのを秋は隣で呆然と見ていたが、1つの事に気付き出した。
(・・これって・・まさか・・)
秋は問いただしたい気持ちを抑えて、ユーリが電話を切るのを待つ事にすると、溜息を吐きながら奏多を目で追う。
先程はあんなに雪と似ていると思った奏多が、今ではそこまでそっくりな訳ではない事に、秋は不思議な気持ちになった。
(声なんだ・・声が似てるんだ)
そう思いながら、コートから時折聞こえてくる奏多の声に、秋は目を閉じて耳を澄ませていたが、
「秋!」
突然、丈瑠の声が頭上から降って来て、秋の体が驚きで跳ねる。ソロリと頭上を見上げると、応援席から身を乗り出して怖い顔をしている丈瑠と目が合った。その横には上原も居て、上原がにこやかに秋に手招きをしているのが見えると、秋は体を縮こまらせた。
「ユーリ・・ごめんなさい。私、上に戻りますね」
秋が苦笑いしながら上の2人を指差すと、ユーリは状況を理解したようにブフッと笑って頷いた。
体育館の扉を開けると、その前にある階段を走って降りてくる丈瑠が見え、秋は逃げ出したい様な気持ちになった。
「外行くつって帰って来ないって上原さんが血相変えてたと思ったら、イタリアチームのベンチで何してんの?」
丈瑠の不機嫌そうな声がゆっくりと近付いて来て、秋は俯きながら肩を竦める。
「心配させんなよ・・」
呟く様な丈瑠の言葉に、秋はソっと顔を上げると、丈瑠の額にうっすらと見える汗に、胸がギュッとなった。
(捜し回ってくれたのかな・・)
そう思うと胸の鼓動が早くなるのを感じ、秋はハッとして気持ちを切り替える様に作った笑顔を丈瑠に向ける。
「ごめんね、心配掛けて。上からも見てみたいから行こう」
秋が歩き出すと、丈瑠も秋の隣を歩き出した。
「で?何であそこに居た訳?」
「雪の弟がイタリアにいるって知ってた?」
秋の言葉に、丈瑠がその歩みを止める。
「雪の弟に会った」
秋が振り返って丈瑠に告げると、固まっていた丈瑠がまた歩き出す。応援席に来ると、上原が2人を交互に見ながら、溜息を付いた。
「上原さん、ごめんね」
秋がそんな上原の顔を覗き込みながら言うと、上原はフッと笑って秋の肩に手を置いた。
「さぁ、バリバリ仕事してもらうわよ!」
「うん」
秋も笑顔で上原の言葉に頷く。
3人で応援席の中央へ座ると、秋は口を開いた。
「練習時間、元に戻ったでしょ?」
「・・うん、そうなの・・どうして知ってるの?」
「そこに居る赤毛の若い人、ユーリって人がさっき電話で話してた」
「そうなの・・でも、どうして突然?今回のイタリヤの意図が全く分からないわ・・」
「それ・・多分私のせいだと思う」
秋がコートを見つめたまま言った言葉に、上原と丈瑠が秋を見る。
「どういう事?」
「あそこに居るウイングスパイカー・・日本人でしょ?彼、雪の弟なんだって」
「雪の弟!?」
知らなかった上原が驚いて声を上げる中、丈瑠はジッと奏多を見ていた。
「奏多君って言って・・雪が大事にしてた写真を持ってた。私も雪から聞いてはいたけど、会うのは今日が初めて」
「ちょっと待って!雪の弟は分かった。でも、今回の事と秋とどう関係するの?」
「引っ張り出されたんだろ?」
丈瑠が怖い顔をしてコートから視線を外さないまま言った言葉に秋は頷く。
「捜してくれてたんだって・・私と藤の事。気付いてたのよ、私が今でもアナリストをしてる事。練習時間が短くなれば、私が呼ばれる事が分かってたんだと思う」
丈瑠が天を仰ぎながら、大きく溜息をついた。
「上原さん、ちょっといい?」
丈瑠が席を立つと、上原も丈瑠の後を追う。秋はジッとコートの動きを見ていた。雪と同じ声、同じ瞳。でも、プレーは全く違った。雪が柔だとしたら、奏多は剛だ。日本人離れした威力あるスパイクは、ブロックを物ともしないだろう。力で捩じ伏せる様な豪快なプレーに、秋は自分の口元が緩んでいる事すら気付かないまま見入っていた。
「もしまたこんな事があっても、秋を呼ぶのは止めてくれ」
丈瑠は体育館の扉の外で、上原に告げた。
「そうね・・まさかこんな大掛かりに攻めてくるとは思ってなかったから油断したわ」
上原も丈瑠の言葉を真摯に受け止める。
「雪の弟がどういうつもりなのか分からないけど、やっと普通の生活が送れる様になって来たんだ。もう逆戻りしたくねぇんだよ」
丈瑠の言葉に、上原がクスリと笑う。
「月島君って、意外に心配性なのね」
「・・違ぇよ」
丈瑠が苦笑すると、上原が少し心配そうな顔を見せた。
「それにしても・・雪の弟ね・・どうしてこのタイミングなのかしら・・」
「何が?」
「ううん、こっちの事」
上原はシラッと笑ったが、心中は穏やかではなかった。久し振りに会った秋は、確かに丈瑠に惹かれていた。それは間違いない。だが、昔の女と一緒にいた丈瑠を見て、秋はその気持ちにブレーキを掛けた。そんな秋の前に、雪によく似た人間が現れた事で、上原の心配は増して行く。
(秋・・彼は雪じゃないわよ?)




