変化する想い
4月になって、藤達が5年生に進級した頃。秋はリビングで熱心にDVDを見てる藤を見て声を掛けた。
「何見てるの?」
突然声を掛けられた藤が飛び上がって驚くと秋はプッと吹き出す。藤は口を尖らせてそんな秋をジロリと睨むとすぐに画面に視線を戻した。
「あ・・これ・・」
「うん、丈瑠さんから貰ったんだ。父さんと丈瑠さんの全日本時代のDVD」
画面に懐かしい、愛しい人の姿に秋の瞳が濡れると、藤が慌てた様に
「もう消すね」
と、テレビを消そうとしたので、秋はその手を優しく掴む。
「お母さんも観たい」
秋が笑うと、藤も嬉しそうに頷いた。
「やっぱり凄いや・・」
「うん、色んな試合を観て来たけど、このコンビを超えるのは未だにないよ」
2人で食い入る様に画面を見ていると、雪のサーブ場面で秋の胸がドクンと音を立てる。
(このサイン・・)
高校生の時に雪が言い出した秘密のサイン。
「サーブでさ、ここは決めたいなって時、サイン出すからちゃんと見てろよ?」
「どんな?」
「ボールを前に出して、人差し指で2回叩くだろ?その後、秋の事見るから」
「私がどこにいるか分からなかったら?」
「秋がどこに居ても、会場の中に居てくれさえすれば絶対に見つけられるから大丈夫」
「何か嘘くさい~」
真っ直ぐな雪の言葉が照れ臭くて茶化して誤魔化したんだっけ。秋は雪の懐かしいサインに目を細めた。サーブが相手コートのリベロを弾き飛ばすと、藤がリモコンに手を伸ばし巻き戻す。藤が何回もその場面を見ているので、秋は首を傾げた。
「ねぇ、お父さん、これどこを見てるの?」
藤が不思議そうに聞いてくると、秋はクスクスと笑った。
「これね、雪が考えたお母さんとのサインなの」
「え!?」
「ここは絶対に決めたい!ってサーブの時、ほら、ボールを片手で掴んで人差し指で2回叩くでしょ?その後、お母さんを見てるの」
秋がふふっと笑うと、藤もクスリと笑った。
「でも、これ結構効いたのよ?雪がこのサイン出したサーブは外した事ないんだから」
「へぇ~」
感心した様に画面を見ている藤に、
「ねぇ、藤?」
秋は優しく言葉を掛ける。
「ん?」
「雪の・・お父さんの話、これからは沢山しよう。今まで話せなかった分、沢山」
「・・・うん」
藤は秋を振り向かなかったが、その後 藤が鼻を啜るのが聞こえて、秋は藤の頭を撫でた。
秋のその言葉通り、秋は藤に雪の色んな話を話して聞かせた。そんな時、藤は決まって目を輝かせる。もっと辛くなるかと思っていた思い出話は、1つ1つ紐解く様に秋の心を軽くしていく。そして、秋の中の雪への想いは静かに穏やかに胸に積もっていった。
本格的に夏が始まると、体育館は熱帯と化す。窓を開けてはいるものの、まとわり付く様な熱気が包み、子供達の汗がコートの中に落ちる。練習中も汗で滑らない様にモップを片手にボール拾いをしていた秋は、丈瑠の様子がいつもと違う事に気付いた。
「ねぇ、具合悪そう・・大丈夫?」
「んぁ?そうか?」
普段から体を鍛えているからなのか、丈瑠が体調を崩す事は滅多にない。多少体調が悪くても突き進んでいく内に治ってしまう事もあってか、丈瑠は自分の健康に無頓着だ。秋はジッと丈瑠の顔を見上げると、丈瑠の服を引っ張った。
「やっぱり!今日はもう帰って寝て!」
「大丈夫だって」
「大丈夫じゃないってば!」
秋が丈瑠の体を押してコートから引き離すとその様子を見ていたママさんズが集まってくる。
「どした?」
「丈瑠さん、熱出す一歩手前だから今日は帰ってもらう」
「だから、大丈夫だって」
秋の頭を撫でながらコートに戻ろうとする丈瑠を秋は睨む。
(言う事聞かないったら・・)
「丈瑠さん?」
静かにそう言ってニッコリ微笑む秋に、丈瑠が足を止めて頭を掻くと、秋は出入り口を指差した。
「純一郎は家に泊めるし、後でご飯持って行くから、帰って、寝て」
笑顔を崩さない秋に、ママさんズが息を飲む。
「出た・・激怒10秒前の微笑み・・」
「ほら、月島!今の内に言う通りにしな!」
普段おっとりした秋が、怒った時に見せるこの微笑みは、その後10秒のカウントダウンと共に般若へと変わる。子供達や、ママさんズはその怒りの凄まじさを知っているだけに、慌てて丈瑠に声を掛けた。
「帰る!帰るから・・」
丈瑠がジリジリと後ずさりを始めると、秋はニッコリ笑って頷きながらジリジリと距離を詰める。丈瑠が向坂に声を掛けに行くと、秋の顔から微笑みが消えたので、一同はホッと胸を撫で下ろした。
「熱が出る一歩手前って何で分かったの?」
琴美が不思議そうに聞くと、秋がクスリと笑う。
「昔からね、熱が上がる前になると瞼が二重になるの」
「へぇ~!」
琴美が声を上げると、
「気付かなかったなぁ」
美代も感心した様に言う。
「夏風邪はしつこいって言うし、酷くならないといいけど・・」
斗貴子の言葉に秋も頷いたが、練習が終わって秋が丈瑠の家を訪ねた頃には、丈瑠の熱は39℃近くまで上がっていた。
「食べられそう?」
「食う・・ってか、寒ぃ」
ベットの上で布団に包まっている丈瑠が震えながら言う言葉に、秋も心配になってくる。
「熱冷ましの薬だけ飲んで。明日、病院でちゃんとした薬貰って来よう?」
「ん・・」
大人しく雑炊を食べている丈瑠に声を掛けながら、その額に手を当てると、熱は益々上がって来ていて、秋は丈瑠を自宅に帰した事を後悔した。
(家に連れて行くべきだったなぁ・・夜、1人で大丈夫かな・・)
「子供達待ってるから帰るけど、1人で大丈夫?」
「ガキじゃねぇっての」
丈瑠がフッと笑うと、秋も小さく笑って頷いた。
玄関の閉まる音が聞こえると、丈瑠は震える体に布団を巻きつけ、ベットに倒れ込む。
(きっつ~・・こんなの何年振りだよ・・)
頭が重い。瞼を閉じると意識が遠くなってそのまま眠りについた。
まどろんだ意識の中、熱くなった体から汗が流れるのを感じる。顔を流れた汗が顎から落ちると、丈瑠はハッとして周囲を見渡す。
(・・雪)
満場の体育館、湧き上がる歓声、雪の視線が丈瑠とぶつかる。丈瑠はニヤリと笑った。Aパスから雪に向かって早めの並行。
(ここだろ?)
雪が軽やかに舞い上がる最高打点に合わせたトスに、雪の口元が上がるのが分かった。
(ドンピシャ!)
ブロックが揃う前に振り下ろされた腕から強烈なスパイクが放たれると、それは超インナーを抉った。歓声と共にガッツポーズを見せる雪が走り寄って来て、丈瑠に飛びつく。雪を抱きとめた腕から込み上げる快感。コートに立つ誇らしさ、観客の熱、自分のトスに躍る雪の躰、そしてそれが決まった時の喜び。丈瑠は自分の手を眺めて小さく笑った。
(夢だ・・これは夢)
「丈瑠さん、秋が手振ってる」
雪が観客席を指差すと、秋の満面の笑みがあった。
「バカ、ありゃお前に振ってんだよ」
秋を見ながら目を細める丈瑠に雪は笑う。
「何言ってんすか?丈瑠さんに振ってるに決まってるでしょ?」
当たり前の事の様に言う雪に首を傾げながら秋を見ると、その視線が合わさった。愛しい人を見る秋の瞳。いつも雪に向けられていた眼差しが自分を捉えていた。
「・・・・・を頼みましたよ?」
「雪?」
雪の声が遠くに聞こえると、真っ暗になった眼前に、丈瑠は深い闇に沈んでいく様な気がした。
(暑い・・)
首筋を流れる汗を拭こうと思うのに、その手が動かない。
「神経への損傷も見られます・・今後バレーを続けるのは・・」
(夢だ・・これは夢だ!)
冷たくなっていく汗が不快感を伴いながら背中を冷やしていく。
「・・・・はもう駄目だな」
「次のセッター候補は・・」
(嫌だ!まだやれる!ボールに触りたい、コートに立ちたい・・)
想いは強いのに、その腕はピクリとも動かない事が丈瑠の絶望を大きくしていく。
「動くよ・・大丈夫」
(秋?)
柔らかい手の感触が腕に触れると、その感触が分かった事に丈瑠はホッとした。
「汗拭こうか」
秋が冷たいタオルで丈瑠の汗を拭いていく。
(気持ちいい・・な・・)
ひんやりした感覚の気持ちよさに、丈瑠の体はゆっくりと漂う様に落ちて行った。




