秋の過去 3
それから丈瑠と上原、後藤は今後の事に、秋には何も知らない振りを通す事、そして仕事の仲介を丈瑠に任せ、その都度秋の様子を伺う事、秋が少しでも日常を取り戻せる様にする事などを日が暮れるまで話し合った。
仕事の仲介を上原から丈瑠にシフトするまでには色々な調整が必要となり、それが実現したのはこの話し合いから1ヶ月も経っていた。なにせ大っぴらに出来ない事が、余計に時間を掛けていたが、ようやく準備が全て整ったので、後は上原がそれを秋に告げるだけになっていた。
昼の休憩中に丈瑠の携帯が鳴る。着信の相手は秋だ。丈瑠は上原が連絡を入れた事が分かって、ニヤリと笑って携帯を取った。
「おぉ、秋。どした?」
丈瑠は知らぬ振りをして言う。
「どうしたじゃないでしょ?上原さんから聞いたよ?私の担当にしてくれって会長に直訴したって」
「あぁ、それな」
「何で?」
「丁度お前ん所に持ってくDVDあるから、そん時話そうぜ」
秋は話を先送りにされて納得してない様子だったが、それでも
「分かった・・」
と了承した。
丈瑠が秋の家へ着くと、玄関から怒った様な表情を見せる秋に丈瑠は薄く笑う。
「秋、顔が怖いぞ」
頭をポンっと撫でて、丈瑠は勝手に家の中へ上がってリビングに座った。
「どういう事?」
「え?どうもこうもないけど・・俺が近くに居るんだし、本社から毎回宅急便ってのもコスト掛かるしな。支部のサーバーに送ってもらえば時間も掛かんないし、受け渡しも楽だろ?」
「それは・・そうだけど」
秋はまだ納得出来ないのか、丈瑠の様子を探る。
(こいつ相手だけは神経使うな・・)
下手に嘘を付いても、秋はその微妙な表情の変化に気付く。丈瑠は嘘で固める事をせず、真実だけを話した。肝心な部分だけは黙って・・。
「また一緒に仕事出来んじゃん、嫌なの?」
丈瑠が秋に視線を向けると、
「嫌じゃないよ。それは嬉しいけど・・」
秋は即座にそれを否定する。
「けど?」
秋は気まずそうに俯いた。
「・・私、きっと丈瑠さんの重荷になる・・」
秋が俯いたままそう零すと、丈瑠は秋の前へ立って顔を覗き込んだ。
’秋は貴方にだけは変わった自分を知られたくないと思う’
丈瑠は上原に言われた言葉を思い出す。
「バカじゃん」
いきなり悪口を言われて、秋はムッとして顔を上げた。
「だって、もう昔とは違うんだもん!昔の私とは・・違う・・」
「関係ねぇって。お前はお前だろ?」
丈瑠の言葉に、秋は言葉を失くした様に丈瑠を見つめた。
「何が違うのか知んねぇけど、俺にとってはそんな事どうでもいい事なんだよ。7年だぞ!?7年も捜したんだ、少しは俺に甘えろ!」
「・・・丈瑠さんに甘えだしたら・・私、きっと迷惑掛けちゃうよ?」
秋の瞳から大粒の涙が落ちる。丈瑠は秋を腕の中に包んだ。
「掛けろ、掛けろ。んなもんこの7年に比べりゃ何て事ねぇよ」
「根に持ってる~」
口調こそおどけていたが、秋が丈瑠の背中にしがみつく様に腕を回したので、丈瑠は堪らない気持ちになった。
(このバカ女・・1人で抱え込みやがって・・)
その日を境にして、丈瑠は秋への仕事の仲介を口実にして、週1回のペースで昼間に秋の家を訪ねた。
「最近、やたらこき使ってない?」
秋は急に増えた仕事に文句を言ったが、
「そうかぁ?」
と、丈瑠はとぼける。仕事が忙しくなったせいか、丈瑠が側に居る安心感からなのか、秋は少年バレーの保護者とも打ち解け、楽しそうにする姿が多くなった。もっともそれは母親限定だ。忙しい母親の代わりに、子供の送迎をしている父親もいたが、秋は決して近くへ寄ろうとはしなかった。それは秋が仲良くしているママさんズの夫も例外ではない。近すぎない距離であれば、普通に話す事もあったが、いきなり距離を詰められたりすると、秋は怯えた様に体を硬くする。だが、秋が怖がるからと、ママさんズは自分達の夫ですらも秋に近付けようとはしなかったので、丈瑠はきっと美代が上手くやってくれたのだろうと思って、美代の気持ちに感謝した。
美代達と居る秋は、本当に楽しそうだ。だが、楽しそうに笑っていたかと思うと、1人離れて苦しそうな表情で座り込んでいる秋を丈瑠は何度か見掛け、自分にも覚えがある秋の行動に丈瑠は切なくなる。
雪も秋も居なくなった後、丈瑠の胸にはポッカリと穴が開いた様な侘しさがあった。自分がもっと気を付けていれば・・・あの時、こうしていれば・・・そんな考えが胸を締め付け、丈瑠を苦しめる。考えても仕方のない事だと分かっていてもその気持ちは消える事はなかった。2人が居なくても日常は続き、段々とそれが当たり前になる。丈瑠にはその事も耐えられなかった。雪の事も、秋の事も考えたくなくて、行きずりの女と関係を持つ事すらあった。上原に呼び出されたのは、そんな時だ。
「飲みなさい」
連れて行かれた居酒屋で、上原の注文した生ビールが目の前に置かれると、上原が抑揚のない声でそう言った。丈瑠はそんな上原を不審に思いながらも、ビールに手を伸ばす。その隣で上原もビールを流し込んだ。上原はしばらく無言でビールを煽っていたが、丈瑠が一杯目のビールを飲み干すのを見るとその口を開いた。
「ヤケになって人生を棒に振るのはバカのする事よ」
丈瑠は上原らしい厳しい口調に、小さく笑った。
「説教する為に呼んだの?」
「そうよ。雪ならそうするもの」
「雪の話はいいって・・聞きたくない」
「なら、秋なら何て言うかしら?」
「秋も雪も、もう居ねぇだろ!」
丈瑠が出した大きな声に、一瞬店の中がシンとなったが、すぐに喧騒が2人を包む。
「月島君、今の貴方を見て雪は喜ぶかしら?」
上原の声が優しくなったので、丈瑠は自分が苛立ちをぶつけた事に気まずくなった。
「私はね・・貴方達3人を見てるのが好きだったの」
上原が思い出した様にクスリと笑う。
「お互いがお互いをとても大事にしていて、こんな関係もあるんだなって思った。貴方が秋に想いを寄せる様になって、そんな関係が変わってしまうんじゃないかって心配した事もあったわ」
丈瑠は上原がそんな気持ちで自分達を見ていた事に驚いた。いつもロボットの様に冷静で無駄な動きをする事のない才女が、素の自分を晒している。
「でも貴方は最後まで雪と秋にそれを気付かせなかった。そんな貴方だからこそ、荒れるのは当然だと思う。私もこんな性格じゃなかったら、貴方と同じ事をしているのかもしれない・・。でもね、私信じてるの」
「信じてるって・・何を?」
「もう一度秋に会える事」
丈瑠は上原を見る。
「その時、秋に合わせる顔のない自分で居たくないの」
上原のその言葉は、丈瑠の胸に響いた。雪にはもう二度と会えない。これだけは変わらない現実だが、秋は違う。諦めさえしなければいつかきっと会える・・。上原の言葉は、自暴自棄になっていた丈瑠の胸に小さな希望の灯りを運ぶ。丈瑠はフッと笑った。
「やべぇ、あんたがいい女に見えて来た」
「あら、私はいつだっていい女だけど」
丈瑠の軽口もサラリと躱して微笑む上原に丈瑠は笑った。
「ありがとな・・諦める所だった」
「どういたしまして。あ、後ね・・自分を責めても起こった事は変えられない。前を向きなさい。雪ならそうするわ」
そうだった・・雪はいつも前だけを見ていた。家族から引き離されても、大河に抑え付けられていても、雪はちゃんと前を見据えていた事が丈瑠の記憶を巡る。
「じゃ、私これから用事があるから帰るわね」
上原が席を立つのを見送って、丈瑠は深く息を吸い込んだ。
今にして思えば、秋の居場所を知っている上原が、秋に会えると思うのは当然の事なのだが、丈瑠にはその時の上原の言葉は胸に刻まれている。
’自分を責めても起こった事は変えられない。前を向きなさい’
上原はこの言葉を秋にも言ったのだろうか。苦しそうな秋の表情を見ていると、上原の言葉に自分が救われた想いを、秋にも届ける事が出来たらいいと思った。