表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

9/42

#3.笑う弟と記憶のない兄

0話【天使になった少年】③

 

 ────


 七時二十分になると、朝ごはんの時間だ。


 食堂は、すでにざわざわしてる。


 正面の扉を開けた瞬間、ひんやりした空気と、

 香ばしいパンの匂いがふわっと鼻をくすぐった。


「オレもっと大盛りがいい!」

「え、またこれ? 昨日もパンだったじゃん!」

「それオレの席ー!」


 ……はいはい、うるさいうるさい。


 朝から元気フルスロットルな幼児たちのテンションは、もはや自然災害。耳にダメージくる。


 目をこすりながら、配膳の列に並んでいると──


 列の途中に、ひとり“透けてるやつ”が混ざってた。


 園児たちの服を着て、普通に笑ってるけど──

 よく見ると、後ろの壁がうっすら透けて見えてる。

 最初の頃は見分けつかなかったけど、今はもう慣れた。


 たぶん、ずっとここにいるんだろう。


 誰とも話さないし、パンも取らないけど、

 毎朝こうして、列に並んでる。


 ……別に悪さするわけじゃないし、どうでもいい。


「にぃに〜〜っ!!」


 ……うわ出た。

 一番めんどくさいのが来た。


 ちっちゃいのが、足バタバタさせながら突進してくる。


 黄色いTシャツに、恐竜の絵。

 ズボンはちょっと大きめで、ズリ落ちそうになりながら走ってくる。


「おはよう、にぃに!!」


 ──名前は、(れん)


 3歳。オレの“弟”……らしい。


 ……って言い方になるのは、オレがそのへんの記憶を持ってないからだ。


 でも、煉のほうはまったく疑いもなく、毎朝フツーに「にぃに」って呼んでくる。


 ナチュラルすぎて逆に困るくらいのテンションで。まるで、ずっと昔からそうだったみたいな顔で。


 オレがよく見る、あの夢の中──


 たいてい、こいつも一緒にいる。


 一緒にケーキ食べてたり、笑ってたり。


 だから、たぶん本当に弟なんだろうな……とは思う。


 頭では、そう理解してる。


 でも──感情の方が追いついてこない。


 ……記憶喪失ってやつだ。


 大人の話によると、オレと煉は、

桜城県(さくらぎけん)・児童連続バラバラ殺人事件」っていう、やばすぎる事件の、生き残りらしい。


 ……サスペンスドラマかよ。って言いたくなるような名前だけど、ほんとにあった話らしい。


 被害者二十人以上。

 しかも、まだ見つかってない“部分”もあるとか。


 ……えぐい。


 父親と母親は、オレたちを庇って──

 そいつに殺されたらしい。


 でも、何も覚えてない。


 オレの最初の記憶は、

 真っ暗な闇の中で聞こえた、女の人の声。


 その次が、病院の白い天井。


 医者には「ショックで記憶が飛んだんだろう」って言われた。


 そして、ここ──未来園に預けられたってわけ。


 世間を相当騒がせた事件だったようで、まわりの大人たちは、やたらと同情してくる。


「かわいそうだったね」

「辛かったね」


 ……でも、わかんない。

 なにがどう“かわいそう”だったのか、オレにはわからない。


 だって、覚えてないんだもん。


 記憶のない“悲劇”を悲しめって言われても、それは無理だ。


 例えるなら──

 カレー食ったことないのに、カレーパンの味についてプレゼンさせられてるようなもん。


 だから、煉に対しても最初は、どう接していいかわかんなかった。


 たったひとりの、血のつながった家族。

 でも、心の距離だけは、ずっと遠いまま。


 それでも──

 煉は、毎朝変わらず笑ってる。


「にぃに!」って手を伸ばして、

 オレの袖をちょんってつかんで、にこって笑ってくる。


 その笑顔に、オレはどうしていいかわからなくなる。


 わかんなすぎて、気まずくて。


 ……結局、今日も。


「おはよう」


 その一言だけで、済ませてしまった。



 ────



 今日の朝ごはんは、


 レーズンパン、二個。

 ソーセージ、一本。

 ぬるいコーンスープ。

 レタスとコーンのサラダ。


 ──そして、納豆。


 ……いや、待て。なんで納豆?


 朝から妙にベトベトする謎の混線メニューに、思わず食べる前から心が揺れる。


 パンに納豆って、敵対関係じゃなかったっけ?


 ついでに言えば、白ごはんにナポリタンの日もあったし、焼き魚にイングリッシュマフィンっていう、“和洋ぶつけ本番”みたいな日もあった。


 どう考えても、献立作ってるヤツは、宇宙人かあみだくじとかだ。


 でも、文句を言ったところで──


「栄養バランスだよ」

「たんぱく質、大事だからね」


 っていう、聞き飽きたテンプレが返ってくるのがオチだ。


 ……おとなって、つえぇな。


「さて、命をくれたものに、心をひとつ。黙祷。今日も感謝をこめて──いただきます」


 食堂のいちばん前で、所長が手を合わせる。


 松野所長。

 ぽっちゃり体型に、しわだらけの白シャツ。

 メガネの奥の目は細くて、いつもにこにこしてる。


 ぱっと見は“やさしい町のおじちゃん”だけど、

 実は未来園のボス。いちばんエラい人だ。


 ちょっと変な決まり文句だけど、これを無視して食べると怒られる。

 前に、我慢できずにパンをかじった新入りがゲンコツ食らってたの、オレは見た。


 そのあと、各班からばらばらに「いただきます」が飛んでくる。


 中には、誰が一番早く言えるか、

 こっそり競い合ってる班もあるらしい。


 ……元気だな、おまえら。


 すぐに、いろんな音が食堂に広がってくる。


 カチャカチャ。カンカン。くちゃくちゃ。ずるずる。


 ……これが、いつもの朝ごはんの音楽。


「今日のソーセージ、長くない!?」

「レーズンまずっ!!」

「オレの納豆、タレついてないよ!!」


 テーブルごとに飛び交う文句も、ツッコミも、

 どれも似たり寄ったりで、毎度の事ながらくだらないと思う。


 オレはというと、パンをちぎって、ゆっくり口に運ぶ。


 レーズンがやたらと端っこに寄ってて、なんか半分損した気分になった。


 ────


 食べ終わると、次は学校の準備だ。


 二階の男子棟に向かうオレと、

 三階の保育室に向かう煉。


 ──で、ここからが毎朝の恒例行事。


「にぃに……やだぁぁ、行かないでぇぇ……」


 このタイミングで、煉は必ずグズる。

 ……毎朝恒例、煉の別れの儀式だ。

 涙と鼻水と「にぃに」がセットでついてくる。


 こっちはもう慣れっこだけど、

 “またか”って流せない気持ちも、毎日ある。


 煉には、記憶障害なんてない。

 事件のことも、家族のことも──

 オレが忘れてる全部を、ちゃんと覚えてる。


 だからたぶん、余計に寂しいんだと思う。


 オレが煉を忘れてるってことが、

 いちばん煉を傷つけてる。


 でも、だからって──

 兄貴っぽいことなんて、言えやしない。


「……毎日言わせんなよ。オレ、学校なんだよ。夕方には帰ってくるからさ」


 しゃがんで、煉と目線を合わせる。


 煉は、口をぎゅっと結んで、

 うん……と、小さくうなずいた。


 泣きそうなの、バレバレだったけど──


 オレは、見なかったふりをして、

 そのままランドセルを背負った。



ここまで読んでいただきありがとうございます。


ちなみに、日本で「記憶喪失(健忘)」の症状で医療機関を受診する人は、年間およそ数万人。

その中でも、事故や事件などで“自分の名前や家族を忘れるレベル”の解離性健忘は、推定で年に100人前後らしいです。恐ろしい。


なお作者は、冷蔵庫の中身を記憶しておく事が出来ずに、いつも生卵を買ってしまい、増えてく一方です。

記憶喪失かもしれません。病院には行ってません。

感想とかブクマとか、お待ちしてます。作者のボケ防止に効きます。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ