#2.施設で暮らす少年
0話【天使になった少年】②
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──鳥の声がした。
山のほうじゃない。
もっと近い。たぶん、窓のすぐ外。
……朝か。
オレは、天井をにらむ。
見慣れた天井。
古びた板が、何枚も重なってるやつ。
あっちこっちに、シミ。
あれはたぶん、雨漏りの跡。
でも、親子が手つないでるみたいな形にも見える。
見るたびに形が変わるから不思議だ。
まあ、オレの目が悪いのか、想像力が過剰なのか、そのへんはノーコメントで。
のそのそと上半身を起こして、壁の時計を見た。
──六時五十分。
うげ。あと十分で起床時間じゃん。
寝直すには短すぎるし、
起きるには……テンション、足りねぇ。
原因はハッキリしてる。
あの夢のせいだ。
何回見ても、内容は毎回一緒。
始まりも終わりも全く同じ。
……再放送にも限度ってもんがある。
しかも、夢のくせに音も匂いもリアルすぎんだよ。
五感までしっかりサービスしてくる悪夢って、どんな嫌がらせだ。
でも、たぶんあれ、オレの記憶だと思う。
オレの中にいるもう一人のオレが、
「おい、これ忘れんなよ」って毎晩上映会してる感じ。
やめてほしい。上映、もう十分だ。
──しょうがねぇ。起きるか。
身体を起こすと、ベッドの足元に、今日もいた。
手足が妙に長くて、顔が逆さを向いてるオッサン。
何をしたいのか、よくわかんない。
毎朝そこにいて、じーっとオレのこと見てるけど──
特に何もしてこないし、別に話しかけてこないから放ってある。
ふと視線を落とすと、部屋の隅を何かがふよふよと漂っていった。
白っぽくて、足がない。
たぶん、小さい子ども。
でも、布団のどれにも入ってないから、ここの住人じゃない。
……ま、いいや。邪魔しなきゃ気にしない。
布団をめくった瞬間、空気がむわっと首筋にまとわりつく。
七月って、空気の中に湿気という名のスライムでも入ってんのか?
……ってくらい、背中がすでに、ベタベタだ。
さて、ここがどんな場所かっていうと──
三段ベッドがふたつ。つまり六人部屋。
のぞきこむと、みんなの布団が、それぞれの呼吸に合わせて、ゆっくり上下してるのが見える。
中には、頭までくるまってるヤツもいて、誰が誰だかわからない。
こんなに蒸し暑いのに、信じられない。
オレの寝床は、左側のいちばん上。
三段ベッドのてっぺん。
見晴らしはいいけど、天井が近すぎて座れない。秘密基地っていうより、天井直通のデスゾーンだ。
しかも、鉄のフレームが年季入りすぎてて、
ちょっと動いただけで「ギィィ……ギィィ……」って音が鳴る。
夜中にトイレ行きたくなったら、忍者かスパイか体操選手みたいな動きが必要になる。
……わりと命がけ。
で、扇風機。
あいつは最初こそ涼しい顔してるけど、上に届くころには、風がぬるくなってる。
しかも、だれかがこっそり“自分だけに風が当たる角度”に直してるのも、オレは知ってる。
エアコンくらい設置してくれよ。もしオレが将来総理大臣とかになったら、絶対エアコン必須にする法律作ってやる。
それが最近の、ちょっとした不満。
──さて。
ここ、“未来園”って名前の施設。
漢字で書くと、未来に生きる園。
ポジティブ感ぶち上げネームだけど、正体は──
児童養護施設。
要は、親がいない子どもたちが、いっしょに暮らしてる場所ってこと。
建物は三階建て。
一階に職員室と食堂と大広間。
二階が男子。三階が女子。ちゃんと分かれてる。
玄関の黒板には、毎日「今日のひとこと」が書かれてるし、掲示板には、誰かの誕生日カードが週イチペースで貼られる。
でも、それ見て「家みたいだな」って思うやつは、あんまりいない。
ここは──そういう場所で。
そういう朝が、ただ繰り返されていくだけだ。
◇◇◇
──七時になった。
廊下から足音。
だんだん近づいてきて、バタンとドアが開く。
「朝だぞー、起きろー!」
豪快な声といっしょに入ってきたのは、周平兄ちゃん。
高校三年の十八歳。年長組のエース。
上半身ハダカで、肩にくしゃくしゃのタオルひっかけて、髪はぺっちゃんこの寝ぐせヘア。
寝起きのくせにテンション高すぎて、見てるだけでちょっと疲れる。
「……ん? 紅之介、もう起きてたのか。相変わらず早ぇなお前は」
「うん。おはよう」
返事をしたら、どっかの布団が「もぞっ」と動いて、「ううー……」と誰かがうなった。
止まってた空気が、ゆっくり流れはじめる。
周平兄ちゃんは、ベッドをひとつずつ回って、ぽんぽんと布団を叩いていく。
力は優しいけど、テンポは容赦ない。
この施設には、二歳から十八歳まで、ぜんぶで六十人くらいの子どもが暮らしてる。
小学生チーム、中高生チーム、ちびっこチームって感じで分けられてて──
オレは、小三~小五の男子部屋。ちょうどど真ん中。
十歳。小学四年生だ。
十歳を超えると、「当番」ってやつが始まる。
朝の点呼係、廊下掃除、配膳係──
曜日でローテーションが組まれてて、地味に忙しい。
あと、季節イベントがあるとさらに増える。
夏はプール掃除。冬は薪ストーブ当番。
ストーブ係って言うと聞こえはいいけど、実質“薪の番人”。重いし、熱いし、地味だ。
まあ、年上が多く負担する仕組みだから文句はないけど、かといって面倒な事に変わりは無い。
でも、誰も言わない。
言ったところで、なにも変わんねぇから。
やがて、ギシ……ギシ……と、ベッドの揺れる音がしはじめる。
みんなが這い出してきて、布団をばさばさと畳む音が、部屋じゅうに広がっていく。
ピシッときれいに伸ばすヤツもいれば、
ぐしゃぐしゃのまま丸めるヤツもいる。
ちなみに後者は、あとで先生にフルボッコタイム。
布団が終わると、次は洗面所……の前に、トイレだ。
この階、トイレがふたつしかない。
つまり朝のサバイバルレースが開幕する。
早い者勝ち。腹痛リスク高いやつは、ガチで命がけ。
タイミング悪けりゃ朝メシに間に合わない。
だからオレは、夜はなるべく水を飲まないようにしてる。
知恵ってやつだ。生き抜くための。
洗面台の前に立って、蛇口をひねる。
水が出た瞬間、鏡の中のオレと目が合う。
白い髪に、てっぺんだけ真っ赤な髪。
最初は「ニワトリ」だの「焼きそばパン」だの言われたけど、もう慣れた。
名前は──
緋月紅之介。
鏡の中のオレは、あくび寸前の顔してた。
で、そのすぐ後ろに、女の子が立ってる。
なんでか知らないけど肩まで髪が濡れてて、服がべちゃべちゃ。
顔はよく見えないけど、こっちをじーっと見てる。
でも──この階は男子部屋しかない。
てことは、たぶんこいつも“そっち側”のやつだ。
毎朝、だいたいこのタイミングで映ってるけど、
何もしないし、動きもしない。
ただ鏡の中で、ずっと、こっちを見てるだけ。
害はなさそうだから、これも基本スルーしてる。
……でも、ああやって真正面に立たれると、
顔洗うタイミングが微妙にズレるから地味に困る。
冷たい水でバシャッと顔を洗って、
タオルでガシガシ拭く。
ぼんやりしてた頭が、やっと少しだけ動きはじめる。
次回──
『未来園、沈む』
突如現れた巨大ロボ「ゴロちゃんMk-II」が、施設の三段ベッドをなぜか一本ずつ食い始め、
謎の転校生・バチカンから来た無口な少年「神父くん(13)」が赤ワインを片手に参戦。
紅之介は、便所サンダルに宿った古の霊と契約し、覚醒──!
そして鏡の中の少女がついに喋る!
「キミの昼メシ、わたしがいただいたわ」
怒号が飛ぶ未来園食堂……!
散らばるコロッケ……!
次回、『食堂防衛戦(前編)』
──嘘です。