#1.祝福は、雨音と共に沈む
0話【天使になった少年】①
──まただ。
悪夢が、首根っこを掴んで引きずり下ろしてくる。
眠っているはずの頭の奥で、勝手に幕が開く“再放送”。
流れるのは、毎回同じシーンだ。
前ぶれなんてない。
まるで誰かが心臓の奥に隠したリモコンを押したみたいに──
ズン、と視界と感覚が切り替わる。
で、例の音が始まる。
──ゴロゴロゴロ……
──ザーッ、ザーッ……
骨に響く雷鳴。皮膚を叩く雨の粒。
耳の奥をジンと痺れさせるほど、嵐が近い。
次に瞬きをしたときには、白いテーブルの前に座っていた。
湯気がふわりと立ち、甘い匂いが鼻の奥をくすぐる。
ケーキ。スープ。ステーキ。皿の上には幸福の見本市みたいな色と香りが並んでいる。
壁には、少し歪んだ折り紙の星や輪っか、ふくらみの足りない風船。
子どもの手で作られた、不器用で真っ直ぐな飾りつけ。
──誕生日だ。
しかも、オレの。
テーブルの向こうで、二人の大人が並んで歌っている。
「ハッピバースデー・トゥーユー♪」
横では小さな男の子が、ぴょんぴょん跳ねながら叫ぶ。
「にぃにーっ! はっぴちゅーゆー!!」
……惜しい。惜しいけど、可愛いから許す。
頬が勝手にゆるみ、笑いがこぼれる。
──ああ、これが家族か。
部屋のあたたかさも、空気の甘さも、オレの知らない“当たり前”なのに、
胸の奥が、じんわり満たされていく。
……けど、わかっている。
このあと何が来るのか。
もう何度も、見てきたから。
──ザッ。
ノイズが走った瞬間、映像が歪む。
テーブルが、料理が、飾りが、ぐにゃりとねじれて、
墨をぶちまけたみたいに、黒く滲んでいく。
音も匂いも、すうっと引いて──
気づけば、オレは玄関にいた。
床に、二人の大人が倒れている。
目を閉じたまま、動かない。
さっきまで歌って、笑って、祝ってくれていたはずの人たちだ。
足元へと広がってくる、濃く煮詰まった赤黒い液体。
粘りを帯びた液体が、じわじわと近づいてくる。
その傍らに──誰かが立っていた。
ひょっとこのお面。
空気に似合わなすぎて、逆に不気味だ。
手に持っているのは、赤く濡れた包丁。
ポタ……ポタ……
滴の音だけが、やけに鮮明に響く。
何も喋らない。
でも、わかる。
お面の下で笑っている。
くしゃくしゃに顔を歪めて、楽しそうに。
見えないはずなのに、そうだと確信できるほどはっきりと。
その手が、こっちに伸びてきた。
──やばい。逃げろ。
叫べ。動け。
……動かない。
呼吸も、声も、体も、全部が置き去りにされる。
──殺される。
心臓だけが、狂ったみたいに暴れまわる。
次の瞬間、口元に布が押し当てられた。
ツンと刺す匂いが肺の奥まで染み込み、世界がひしゃげる。
足元から力が抜け、沈む。
底のない沼に引きずり込まれる感覚と、押し寄せる暗闇。
──そして、完全な闇。
その先は、わからない。
だって、いつもここで目が覚めるから。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
いきなり悪夢からのスタートでしたが、なぜ同じ夢を繰り返すのか──そして“ひょっとこ”の正体は何なのか。
少しずつ明らかになっていくので、ぜひ次の話も覗いてみてください。