第三十話 女神の加護
ガードナー将軍視点のお話です。
ガードナー将軍の陣幕からは、夜半を過ぎても煌々とした灯が溢れていた。
王太子殿下の重傷という衝撃的な報告を王宮に送った後も、前線の状況は刻一刻と悪化していた。そして今、決定的な悪報が届いたところだった。
「将軍、近衛騎士団奇襲隊から緊急連絡です」
通信魔術具を操作していた魔法士が血相を変えて報告した。
「繋いでくれ」
「ガ、ガードナー将軍...こちら奇襲隊、副隊長のアーサーです」
魔術具から聞こえる切迫した声は、明らかに動揺していた。
「どうした、アーサー。報告せよ」
「申し訳ありません。目標の補給集積所は...何もありませんでした。それどころか、敵兵が待ち伏せしており...」
将軍の表情が険しくなった。
「待ち伏せだと?」
「はい。明らかに我々の到着を予期していました。半数以上のものがその場で討死。隊長は行方不明。生き残った者も重傷を負い、現在は散り散りになって逃走中...うああ」
通信が途切れた。
将軍は拳を握りしめた。前途有望な騎士たちが、なぜこんな目に。
「情報が漏れていた?いや、密偵の情報自体がブラフだったのか...?」
「将軍!」
陣幕の外から声がした。
「何事だ?」
「夜陰に紛れて怪しい行動をしていた者を捕縛しました」
連れてこられた男を見て、将軍は目を見開いた。
「お前は...奇襲計画を進言した近衛の者ではないか!奇襲隊と共に出発したのではなかったのか!?なぜここにいる?お前の部下たちは全滅したのだぞ!敵国と内通していたのか!?」
男は観念したように膝をついた。
「申し訳ありません!私はヴァンダール伯爵に大恩があり、逆らえませんでした!」
「裏切り者め!」
将軍の声が陣営に響いた。
「お前のせいで前途ある有望な騎士たちが命を落としたのだぞ!そのうちの一人は先日子が生まれたばかりだった!お前の部下たちだ!そんなことくらい分かっていただろう!!!」
「わ、私は悪くない!」
男が顔を上げて叫んだ。
「すべてあの娘が、農民のくせに貴族に楯突くのが悪いんだ!私の家はあの娘のせいで事業が立ち行かなくなった。救いの手を差し伸べてくださったのは伯爵だけだった。あの娘さえいなければ...」
「...確か、お前の実家はドラクスバーグ王国の絹を輸入する事業を担っていたな」
将軍が記憶を辿った。
「思い出したぞ。確か、兄は財務部の文官をしていたな」
「そうだ!あの娘のせいで事業は立ち行かなくなり、多くの者が職を失った。兄上もマーヴェル村の徴税の件で糾弾され、出世の道は閉ざされた。全てあの娘とあの村の絹のせいだ!」
「完全な私怨だな」
将軍が呆れたように首を振った。
「お前は王家に忠誠を誓った近衛騎士ではなかったのか?騎士としての矜持はないのか?私怨などで忠誠を捧げた王家を裏切り、さらにお命まで奪おうとするとは...」
「貴族を蔑ろにし、新興の田舎産業ばかりを有り難がる今の王家に忠誠を誓う価値などない!」
男の目が狂気じみて光った。
「我々は志を同じくする者と力を合わせ、真に貴族が敬われる新しい国家を作るのだ!」
「戯言を!」
将軍が一喝した。
「おい!この愚か者を連れていけ。色々聞きたいこともある。ある程度尋問したら王宮に引き渡せ」
***
数日後の昼過ぎ、後方陣地に馬蹄の音が響いた。
「増援部隊が到着しました!」
見張りが報告すると、将軍は急いで陣幕から出た。
先頭を行く騎士の姿を見て、将軍は安堵の息をついた。
「ラウレンツ殿下!無事に到着されましたこと、祝着至極に存じます」
「ガードナー将軍、長い間お疲れ様でした。よく戦線を維持してくださいました」
ラウレンツが馬から降りて、将軍の前に立った。戦場での緊張と責任を一身に背負ってきた将軍の労をねぎらう、新王太子らしい配慮だった。
「まずは、兄上のことを伝えねばならぬな。兄上は、王宮に到着後、我々に別れの言葉を告げ、女神の下へと旅立たれた。...そして、私が跡を継ぎ、王太子に任命された」
「王太子ご就任、おめでとうございます」
俺は形式的な言葉を述べた。こんな時に祝いの言葉など、聞かされる殿下も嬉しくあるまい。
「…王太子殿下とお言葉を交わすことができたのですね…殿下は、とても立派に戦われました。我々はそんな殿下をお守りできず...」
「将軍、それは違います。あの攻撃は予想を超えたものでした。誰の責任でもありません」
ラウレンツの言葉に、胸の奥につかえていた重苦しさが少しだけ軽くなった気がした。
「それより、戦況を教えてください」
二人は指揮所に移り、地図を広げて現状を確認した。
「敵は国境付近まで一時撤退していますが、完全な退却ではありません。周辺諸国の動向を見極めつつ、態勢を立て直しているものと思われます」
「こちらの損害は?」
「歩兵部隊の損害は軽微ですが...昨夜の近衛騎士団奇襲隊の件は深刻です」
将軍が重い表情で昨夜の出来事を報告した。
「お聞き及びかもしれませんが...」
「ああ、クーデター計画の件ですね。出立直前に報告を受けました。今頃宰相が対応してくれているでしょう」
ラウレンツが頷いた。
「将軍、実は私からもお知らせしたいことがあります」
ラウレンツが懐から布包みを取り出した。
「リィナたちが魔法攻撃の対策を練ってくれました。これが対策として開発された布です。魔法を無効化する力があります」
包みを開くと、美しい刺繍の施されたハンカチが現れた。
「これは...」
「イザベラ義姉上が刺繍をしたものです。将軍にお渡しするよう託されました」
将軍の手が震えた。
「イザベラ様が...殿下をお守りできなかった私なんかのために...」
「将軍は精一杯戦ってくださいました。義姉上もそれを理解しています」
「ありがたく頂戴いたします」
将軍がハンカチを胸に押し当てた。
夕刻、指揮官たちが本陣に集まった。
ラウレンツが用意した「女神の糸」で作られた腕帯を、一人ずつに手渡していく。
「これは、リィナ・マーヴェルが開発した魔法無効化の布です。女神のお姿はリィナを始め、王宮の女性たちがみなで刺繍してくれました」
指揮官たちが腕帯を受け取ると、それぞれが感動したような表情を見せた。
「私たちには女神の加護があります。敵を打ち破り、国と民を守りましょう!」
ラウレンツの力強い言葉に、指揮官たちから歓声が上がった。
「ウオ〜我らは女神様と共に!!」
「新王太子殿下万歳!」
「ヴァルディア王国万歳!」
これがあれば、二度とあのような攻撃に遅れをとるようなことは起きまい。
治癒の医療具にしろこの布にしろ、彼女は自らの力に溺れることなく、民のためにその力を使おうとなさる。まるでこのハンカチに刺繍された女神様のような方だな……。
(リィナ殿、感謝するぞ)
イザベラが刺繍した女神の横顔を見つめていると、優しく微笑む女神の表情が、リィナの面影と重なって見えた。
「女神よ、我らをお導きください」
束の間目を閉じて、祈りを捧げる。
遠くで敵軍の太鼓の音が鳴り響いていた。
「いよいよ、最後の戦いが始まるか...」
将軍は腕帯をしっかりと巻き直し、剣の柄を握りしめた。
亡くなられた王太子殿下の仇を討ち、新王太子を勝利に導く。それが、むざむざ目の前で殿下を死なせてしまった自分の使命だ。
明日、女神の加護と共に戦場に立つ。必ずや勝利を掴んでみせる。
将軍の決意は、夜空の星のように強く、そして静かに輝いていた。




