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農家の娘、異世界で国家改革始めます ―糸で国を変えた少女―  作者: ふくまる
第2章 - 絹の女神 -

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第二十九話 祈り

翌朝、工房には早朝から作業の音が響いていた。


私は昨夜から一睡もせずに、特別な糸で布を織り続けていた。グレン兄ちゃんも隣で、魔道具の調整に余念がない。


「よし、これで十分な大きさになったかな」


私は織り上がった布を手に取った。光に透かすと、普通の絹とは明らかに違う輝きがある。まるで月光を織り込んだかのような、神秘的な光沢だった。


「すごいな、この色合い。まさに『女神の糸』って感じだ」


グレン兄ちゃんが感嘆の声を上げた。


「早速、ハンカチを作ってみるね」


私は布の一部を丁寧に切り取り、端処理をしてハンカチの形に整えた。これにラウレンツ様への想いを込めて刺繍をするつもりだった。


「その間に、俺はこの端切れに物理防御を付与してみる」


グレン兄ちゃんが端切れを手に取り、いつものように魔力を流し始めた。


「まずは、普通の物理防御を付与してみるか...」


しばらくして、グレン兄ちゃんの表情が困惑に変わった。


「あれ?付与ができないぞ?」


「どうしたの?グレン兄ちゃん」


針に糸を通そうとしていた私が顔を上げた。


「付与しようと魔力を流すんだが、付与ができないんだ」


「え?どういうこと?」


「なんていうか...魔力が吸収される?上手く言えないんだが、普通のリィナシルクなら布が魔力を纏ったような感じになるだろ?この布は何というか、弾く...いや、違うな。吸収されてるというか、流した魔力が消えたような感じがするんだ」


「消えた?」


私も針を置いて、端切れを手に取った。試しに治癒魔法を付与してみる。


「あれ?ほんとだ...魔力が、消えてる?」


確かに、魔力を流した感覚はあるのに、布に魔法が宿った気配がまったくない。まるで魔力が布に吸い込まれて、跡形もなく消えてしまったかのようだった。


「なあ、リィナ」


グレン兄ちゃんが興奮したような声で言った。


「ひょっとして、この糸自体が既に『魔法を無力化』してるんじゃないか?」


「え?そんなことある?」


「試しに、リィナのその刺繍用のハンカチを測定器に置いて、魔力を流してみないか?」


私たちは端処理をしてハンカチとして整えたばかりの布を、魔力測定器の上に設置した。


「いくぞ」


グレン兄ちゃんが測定器に向かって魔力を流す。


「!?」


私たちは同時に息を呑んだ。


数値はゼロのまま。メモリがピクリとも動かない。


「本当に...消えてる」


念のため、ハンカチをどかして、もう一度魔力を流してみる。


するとメモリはどんどん振れ、やがてピタリと数値を示して止まった。


「どういうこと?これ、本当に魔力を無効化してるの?」


私は自分でも信じられなかった。


「リィナ、この糸に何かしたか?何か特別な付与を事前にしてたとか...」


「あ!えーと...」


私は慌てて昨夜のことを思い出した。


「繭に魔力を流しながら女神様にお祈りした」


「どんな?」


「『魔法攻撃からみんなを守って』って...」


グレン兄ちゃんが手を打った。


「それだ!」


「え?どういうこと?女神様に祈りが届いたってこと?」


「学院の講義でも習っただろ?魔法の発動に必要なのは、魔力と想像力だ。リィナが『無効化』を想像しながら魔力を流したから、そういう素材に糸が変質したんじゃないのか?」


「でも、それにしたって...こんなことって」


「ああ、普通はこんなことは起きない。さすがリィナ、規格外だな」


グレン兄ちゃんが「ハハハ」と声を出して笑い出した。


その笑い声があまりにも嬉しそうで、私も一緒に笑ってしまった。


「これで、ラウレンツ様たちを守る手段が作れそうだね!」


「そうだな。ただ、糸の量はそれほど多くない。何を作るか、早急に検討しなくてはな」


確かに、今回作った糸はハンカチ数枚分程度。全軍を守るには到底足りない。


「そうだね。でも、このハンカチだけはこのまま刺繍してもいい?ラウレンツ様に渡したいんだ」


「ああ、それがいい。せっかくだから『女神様』の意匠で刺したらどうだ?ご利益が増すかもしれん」


グレン兄ちゃんが工房の壁に飾られた女神像を見上げた。


「ついでに、この糸も『女神の糸』って名前にするか」


「いいね!そうしよう」


私は改めてハンカチを手に取った。柔らかく、それでいて強靭な感触。そして、魔力を無効化する不思議な力。


「女神の糸...素敵な名前ね」


私は針に糸を通し、丁寧に刺繍を始めた。


まずは女神様の横顔から。優しく微笑む表情を、一針一針に心を込めて刺していく。


「女神様、どうぞラウレ様をお守りください」


その周りには小さな桑の花と葉を刺繍した。私たちの村の象徴であり、この奇跡の糸を生み出してくれた桑の木への感謝を込めて。


「無事に彼が帰ってきますように」


刺繍針を動かしながら、私は心の中で何度も祈った。


***


昼過ぎ、ラウレンツが工房を訪れた。


「リィナ、グレン、どうだった?何か進展は...」


彼が工房に入った瞬間、私たちの興奮した表情を見て言葉を止めた。


「「成功しました!」」


私とグレン兄ちゃんが同時に声を上げた。


「何が?」私たちの勢いに目を丸くするラウレンツ。


私たちは昨夜からの経緯を興奮気味に説明した。女神の桑で育てた蚕、魔力を込めた糸、そして偶然生まれた魔法無効化の力。


「信じられない...」


ラウレンツが差し出された端切れを手に取った。


「これが、本当に魔法を無効化するのか?」


「はい。試してみてください」


ラウレンツが端切れを魔石の上に置き、その上から火魔法を発動させる。通常なら魔石に火の力が宿るはずだが、端切れが魔力を完全に遮断し、魔石は何の変化も示さなかった。


「すごい...これがあれば、例の攻撃も防げるのか...」


「しかし、量が用意できないのです」


グレン兄ちゃんが申し訳なさそうに言った。


「今ある糸では、ハンカチが数枚作れる程度です」


「それでも十分だ」


ラウレンツが力強く言った。


「これで、指揮官クラスだけでも守ることができる」


私は完成したばかりのハンカチをラウレンツに差し出した。


「これ、ラウレ様に」


美しい女神の横顔と桑の花が刺繍されたハンカチを見て、ラウレンツの目が潤んだ。


「ありがとう、リィナ。君の想いと一緒に、戦場に持っていく」


「必ず、無事に帰ってきてください」


「約束する」

ラウレンツが私の手を取って力強く微笑んだ。


「それと、頼みがあるんだ。可能なら、残りの布にも女神の刺繍をお願いできないかな?これがあれば、女神様が側にいてくれる気がして、みな心強いと思うんだ。もちろん、全てをリィナ一人で刺す必要はない。王宮中の針子を集めてもらってかまわない。時間はあまりないけど、お願いできるかな?」


「任せてください!ミナ姉ちゃんもいるし、アリスも。針子さんたちだって、みんなラウレ様たちの力になりたいって言ってました。みんなで一緒にやってみます」


***


その夜、王宮中の女性が針と糸を持って大広間に集まった。

そこには、イザベラ様の姿もあった。


「イザベラ様!」


「リィナ様、聞きましたよ。出征する兵たちに持たせる魔法防御の布に刺繍をするそうですね。私にも是非手伝わせてください」


「ありがとうございます!一人でも多くの兵に持たせられるよう、魔法攻撃無効化の布は腕に巻けるサイズに仕上げてあります。そこに女神の横顔を手分けして刺繍して欲しいのです」


私はイザベラ様を席へと案内し、ハンカチを渡した。

「これはガードナー将軍に渡す予定のものです。前線で指揮を執る将軍も、同じ危険に晒されていると思いますので、イザベラ様にはこちらをお願いできますか?」


その後、皆の目の前に女神像を運んでもらった。

「みなさま、お忙しいところご協力いただき、ありがとうございます。この布は、前線で活躍する兵士の皆さんに送る予定の『女神の糸』で織った布です。この布は、敵の魔法攻撃を防いでくれます。どうか、兵士の皆さんが無事に帰って来られるよう、祈りを込めて女神様のお顔を刺繍してください!」


私も布を手に、針を動かしながら祈り続けた。

「女神様、どうかみんなをお守りください」


小さな布に込められた想い。それが、戦場で大きな奇跡を起こしてくれることを信じて。


夜が更けても、大広間には灯りが煌々と灯り続けた。年老いた針子は若い侍女に技術を教え、貴族の女性たちは使用人と肩を並べて針を動かす。身分を超えた連帯感が、室内を温かな空気で満たしていた。


***


翌朝、ラウレンツは出征の準備を整えていた。

腕には、私が刺繍した女神のハンカチが巻かれている。

胸ポケットには、治癒のハンカチも。


「必ず帰ってきます」


「もっと糸を作って、前線に届けます。どうぞご無事で、必ず帰ってきてください」


これは始まりに過ぎない。女神の糸の力を、もっと多くの人に届けなければ。


戦いはまだ続く。でも、私たちには希望がある。女神様の加護と、仲間たちとの絆があれば、きっと乗り越えられる。


「ラウレンツを王太子に任命する。増援部隊を率いて前線に赴き、速やかに敵を追い払うように」

「謹んで拝命します。亡き兄上に代わり、全軍を率い、必ずや勝利を我が国に捧げます」


「出発」


白馬にヒラリと跨ると、ラウレンツは私を見つめ、にこりと微笑んで出発した。

私は、陛下とイザベラ様と3人で、その後ろ姿を見送った。胸が締め付けられるような不安と、それでも彼を信じる気持ちが入り混じって、涙がこぼれそうになった。


「女神様、どうか彼らをお守りください」

気づけば誰もがみな、祈りを捧げていた。祈らずにはいられなかった。

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