第二十五話 開戦
将軍を見送った後、私は王宮内の工房に籠もった。
「リィナ、少し休んだ方がいいんじゃないか?」
グレン兄ちゃんが心配そうに声をかけてくれたが、私は手を止めることができなかった。
「大丈夫。まだできるよ。魔力もあるし」
魔導織機が規則正しく動く音が、夜通し響いている。治癒魔法を付与した糸を、一本でも多く作らなければ。
兵士の皆さんが戦場で傷ついた時、少しでも役に立てるように。
「リィナ!」
ラウレンツの声で重い瞼を開けると、王宮の医務室の白い天井が見えた。それと、ラウレンツの心配そうな青灰色の瞳。
「え?あれ?私……?」
「倒れたんだ。無茶をし過ぎだよ。ここ最近、ほとんど寝ていないじゃないですか?」
「でも、まだ足りないんです。兵士の皆さんは命がけで戦ってるのに、私は...」
「君が倒れてしまったら、元も子もないでしょう」
ラウレンツが優しく私の頭を撫でた。
「グレンと相談して、防御魔法を付与した魔法糸の研究も始めています。君一人で全部背負う必要はないんだよ」
「防御魔法?でも、魔法糸に付与するのは難しいんじゃ…?」
「そうだね。難航はしている。ただ、『糸』では難しくても衣服になら可能かもしれない。今は色々な可能性を考え、実験してる段階なんだ」
「そうなんですね!すごい!そんな発想、私にはなかったわ」
「ねえ、リィナ。確かに、リィナにしかできないことはある。それについては負担をかけてしまっている。でもね、リィナ一人ではできないこと、思い付かないことも、私たちが気づいたり、できたりすることもあると思うんだ。だから、みんなで一緒に考えないか?」
「あ、ごめんなさい。そうでしたね。そんな当たり前のこと、私、見失ってました。また視野が狭くなってたんですね」
「責めてるんじゃないよ。私も、国のため、今戦っている兵士たちのため、何かしたいんだ。私にも、手伝わせてもらえないかな?」
ああ、そうだった。私だけじゃない、みんなだって戦地に行った将軍たちのために何かしたいんだ。
「はい。もちろんです。私の方こそ、お願いします。一緒にやらせてください!」
***
同じ頃、王の執務室では緊迫した空気が漂っていた。
「開戦した模様です」
届いたばかりの緊急通信を確認した宰相の重い声が響いた。
「夜明けと共に、ドラクスバーグ軍が国境を越えました。正式に戦争状態に入ります」
国王が立ち上がった。
「アレクサンダー、増援部隊を率いて出征せよ」
「承知いたしました、父上。準備を整え次第、速やかに出立致します」
王太子が毅然として答えた。
***
王太子の出征準備が慌ただしく進む中、私とラウレンツは急いで最後の仕上げをしていた。
「兄上」
ラウレンツが王太子に歩み寄った。
「まだ試作段階ですが、防御魔法を付与した魔法糸で織ったインナーです。鎧の下につけてください」
「これは...」
王太子が感嘆の声を上げた。
「リィナの魔力とグレンの技術で今できる最高のものを作りました。ただ、持続時間が従来の魔道具ほど長くはありません。それゆえ、こちらは私から」
ラウレンツがそっと大きな青い魔石のついた鎧兜を差し出した。
「兄上の兜をお借りして、防御の魔石に私の魔力を込めました。兄上、必ず無事にお戻りください」
「ありがとう、ラウレンツ。心強いよ」
「アレクサンダー様」
私も前に出た。
「これは、私が治癒魔法を付与したハンカチです。そこに、イザベラ様が祈りを込めて刺繍を刺してくださいました」
イザベラ様が、涙ぐみながら夫に手渡した。
「どうか、ご無事でお戻りください。私、女神様に毎日あなたのご無事をお祈りしながらお待ちしています」
「ありがとう、イザベラ。リィナも」
王太子が朗らかな笑顔を向け、順番に私たちの顔を見た。
「君たちの想いに、必ず応えてみせる」
私たちが量産した治癒医療具もどんどん積み込まれ、最後に水と食料が運び込まれると、増援部隊の兵士たちが整列した。立ち並ぶ軍を前に、私たちも一列に並んだ。
王がその中央に進み出て、これから戦地に向けて旅立つ兵士に向けて言葉を発した。
「隣国は、我らの富と技術を妬み、身勝手な言い分で我らの宝を寄越せと軍を差し向けた。当然ながら我が国はそれを拒否する。我らの宝は、我が国のすべての民のもの。我らの領土と民を守るため、奴らの横暴を許してはならない。アレクサンダー」
「はい」
「王太子アレクサンダーに全権を委任する。速やかに敵を撃破し、無事に帰還せよ」
「はっ」
アレクサンダーは1歩前に出て握りしめた右腕を胸に王に向かって恭しく頭を下げた。
「必ずや敵を押し戻し、我らの領土と民を守って見せます」
くるりと兵士たちに向き直ると居住まいを正し、威厳に満ちた声で兵士たちに告げた。
「これより、我が国の国境を身勝手な理由により侵した者どもを押し戻し、我らの領土と民を守るため出征する。大義は我らにあり!出発!!!」
そのまま引かれてきた馬にひらりと跨り、颯爽と出発した。
私たちはその背中を見送り、軍の最後尾が城門を出ていくのを見送った。
「女神様、どうか愛する夫と勇敢な兵士たちをお守りください…どうぞ、無事にお戻りになって」
両手を胸の前で組み、祈りを捧げるイザベラ様に私はそっと寄り添った。
今までテレビ越しでしか経験したことのなかった『戦争』に、自分が当事者として関わっていることに、これは悪い夢ではないかと思うこともあった。
けれど、必死に無事を祈るイザベラ様の横顔を見て、これは現実なんだと改めて実感する。
「きっと大丈夫だ」
ラウレンツが兵士たちが出て行った城門の方に視線を向け、勇気づけるように私の肩に手を置いた。
「兄上は強い。将軍も。それに君たちが準備した魔道具もある。きっと無事に帰ってきてくれるよ」
***
王太子が出発した後、国中が戦時体制に入った。
魔法学院も休校となり、4年生以上の有志の学生は、魔導士たちと協力して魔力媒体に防御魔法や攻撃魔法を付与する作業を手伝うことになった。
その中には、見覚えのある顔もあった。
「ルーク!」
「リィナ、僕も志願した。君の護衛につかせてもらう」
ルークが真剣な表情で言った。
「エレナも参加してるよ。魔導士長と一緒に付与作業を頑張ってるみたいだ」
「そうなんだ!ありがとう!」
仲間がいてくれることが、こんなにも心強いなんて。
***
イザベラ様は毎朝礼拝堂で女神様に祈りを捧げていた。
ただ、王太子妃として「こんな時こそ民の拠り所にならねば」と、教会や病院を慰問したり、兵士の家族を集めて話を聞いたり、精力的に活動していた。
自分自身が不安で苦しい時に、民のことを考えて行動できる彼女の姿に、『王族の在り方』というものを教えられた気がした。
***
私はというと、相変わらず工房にこもり、不眠不休で作業を続けていた。
治癒糸の量産、防御魔法の付与実験。私は自分にできることを探して忙しく働いた。
そうしていないと、不安な気持ちに飲まれそうになるから...
ただ、春からはそこに新たな日課が加わった。
王族居住エリアの一角にある小さな庭を訪れ、二本の桑の若木に少しずつ魔力を流すことだ。
一本は、村を出る時にグレン兄ちゃんからもらった"特別な木"の種から育てた若木。もう一本は普通の桑の若木。
「両方とも順調に育ってるね」
私は小さなメモ帳に、毎日の観察記録をつけていた。
グレン兄ちゃんに勧められて、ラウレンツにこの一角を準備してもらった後、私は春を待って種を蒔いた。そして、対照実験として、どちらにも同じように魔力を流し続けている。
「特別な木の方は、葉の色に微かな光沢が増している。普通の桑も...あれ?普通の桑にも変化が?」
興味深いことに、普通の桑の木も私の魔力に反応して、通常より早く成長しているようだった。でも、特別な木の方はそれ以上に顕著な変化を見せている。
「この違いは何だろう...」
つぶやきながら、それぞれの葉に軽く触れてみる。特別な木の葉は温かく、魔力を受け入れるような感触。普通の桑の葉は、魔力が表面を滑っていくような感じがする。
「戦争が終わったら、魔導士長に相談してみようかな」
でも、また『あなたの魔力は特別ですから』って言われて終わっちゃうかも......。
そんな穏やかな時間も束の間、私はまた工房へと戻っていく。
少しでも多くの治癒糸を作るために。
***
魔力はいざ知らず、私の体力には限界があった。
「リィナ、また倒れたんだよ」
エレナが心配そうに覗き込んでいた。
「無理しちゃダメよ。あなたが倒れたら、みんなが困るんだから」
「でも...」
私は涙がこぼれそうになった。
「でも、まだ足りないの」
私は正直な気持ちを打ち明けた。
「私の技術で戦争を止められるわけでもないし、みんなを完全に守れるわけでもない。自分の力をどう使えばいいのか、まだよく分からない...」
「それでいいじゃない!できることを一つずつこなしていけば、それが積み重なって大きな力になるんだから」
「でも…」
「リィナの治癒糸で救われた兵士さんには、家族がいるのよ。お父さんが無事に帰ってくるのを待ってる子供たちや、夫の帰りを祈ってる奥さんたち。つまり、リィナが一人の命を救うことは、その家族みんなを救うことになるんだから」
***
翌朝、新たな報告が届いた。
「王太子軍、敵の第一陣を撃退!」
伝令の声に、王宮全体が沸いた。
「防御インナーの効果も絶大だったそうです。奇襲攻撃があったそうですが、お怪我もなく、そのまま敵を押し返したそうです!」
「良かった」
でも、私は複雑な気持ちだった。
嬉しい反面、戦争が続いていることに変わりはない。
「まだ終わりじゃない」
私は作業台に向かった。
「もっと作らなくちゃ。みんなが無事に帰ってくるまで」
***
工房に響く機械の音。
それは、平和への祈りを込めた音でもあった。
私にできることは限られているかもしれない。
でも、その限られた力を、精一杯使い続けよう。
戦争が終わって、みんなが笑顔で暮らせる日まで。




