第二十四話 偽りの正義
王宮の朝は、いつもより重苦しい空気に包まれていた。
「陛下、緊急事態です」
グレイモア宰相が血相を変えて執務室に駆け込んできた。その手には、厳重に封印された外交文書が握られている。
「ドラクスバーグ王国からの正式な抗議文書が届きました」
***
一時間後、緊急朝議が召集された。
王座に座る国王の前に、重臣たちが居並ぶ。その中には、私とガードナー将軍の姿もあった。
「文書の内容を読み上げる」
宰相の声が執務室に響いた。
「『古来よりドラクスバーグ王国に伝わる神聖なるシルク技術が、ヴァルディア王国により不当に盗用された。我が国は、技術窃盗の首謀者リィナ・マーヴェルの即時引き渡しを要求する。期限は本文書到達より72時間以内。この正当な要求を拒否した場合、我が国は正当な権利の行使として、あらゆる手段を講じる用意がある』」
私は愕然とした。技術窃盗?そんな身に覚えは全くない。
「まさに濡れ衣です」
宰相が憤慨した。
「しかし、国際法上、一応の体裁は整えてきています。200年以上のシルク技術の歴史を根拠に、彼らなりの正当性を主張している」
「そら見ろ」
ガードナー将軍が立ち上がった。
「甘いことばかり言っているから付け込まれるのだ。最初から軍事利用を認めていれば、こんな事態にはならなかった」
「報告を聞いていないのですか?」
宰相が反論した。
「『魔法糸』は武器には向かない。生活を豊かにする素材なのです」
「そうです」
ラウレンツが力強く言った。
「リィナの技術は『人を幸せにするためのもの』で、傷つけるためのものではありません」
将軍の目が鋭く光った。
「殿下方の言う『人』には、兵士は入っていないのですか?彼らもあなたがたの守るべき国民ではないのですか?」
ラウレンツが言葉に詰まった。
「...もちろん、兵士たちも大切な国民です」
「ならばお分かりでしょう」
将軍の声に、深い感情が込められていた。
「国を守るのが我々の務めだ。同時に、少しでも部下たちが死なずにすむ手立てがあるのなら、それを講じるのも上に立つ我々の役目だ。私は、一人でも多くの兵士を生きて家族の元に帰らせたいのです。そのために役立つ技術があるなら、それを活用したい。当たり前のことでしょう」
私は息を呑んだ。将軍の本当の想いが、初めて分かった気がした。
***
午後になると、さらに深刻な報告が届いた。
「国境周辺に続々と隣国軍が集結しています。その規模、予想以上です」
諜報部長が地図を広げた。
「表向きは『外交交渉決裂に備えた予防的措置』と主張していますが、明らかに本格的な侵攻準備です」
「雪解けと共に動き出したか…兵力は?」
国王が尋ねた。
「もともといた正体不明の武装集団も合わせれば、我が軍の倍近い数です。3日後の期限が過ぎれば、すぐにでも軍事行動を開始する構えです」
重苦しい沈黙が室内を支配した。
その時、扉がそっと開かれた。
「失礼いたします」
学院長に連れられ現れたのは、見覚えのある金髪の少女。セシリア・ヴァンダールだった。かつて私を「農村のお姫様」と呼び蔑んでいた彼女が、今は震えながら立っている。
「学院長、どうされました?その娘は...?」
ラウレンツが驚いた顔で視線を向ける。
「会議中失礼します。ヴァンダール伯爵令嬢から緊急に重要な報告をしたいと相談を受けまして…」
「私、あの、お話がありますの。とても重要な...父たちのことです。父が、ヴァーグレン伯爵をはじめとする保守派の貴族たちと密かに会合を行なっています」
セシリアの声は震えていた。
「隣国と内通して、リィナ様を引き渡す代わりに、保守派が政権を握る約束をしているんです」
室内がざわめいた。
「それは本当か?」
国王の声が厳しい。
「はい。私、隠れて聞いてしまいました。『新興技術など所詮は一時の流行』『真の実力を見せつける時が来た』って...」
セシリアが涙ぐんだ。
「でも、私にはもうそんなの間違ってるって分かるんです。リィナ様の技術は本当にすごくて、人の役に立っていて...私、今まで何て愚かなことを...」
「セシリア嬢」
私は彼女に歩み寄った。
「あなたが教えてくれたおかげで、みんなを守ることができるかもしれない。ありがとう。あなたの勇気が、きっとみんなを救ってくれます」
この重大な情報を受けて、王室では緊急の対策が講じられた。
そして夕方、将軍が先発隊を率いて国境へ出発することになった。
「もし外交交渉が決裂すれば、すぐに戦闘になる」
将軍が部下たちに指示を出している。
私は急いで王宮内の工房に向かった。グレン兄ちゃんが既に待機している。
「グレン兄ちゃん、お願いがあるの」
「何だ?」
「治癒魔法を付与したハンカチを作れないかな。少しでも兵士の皆さんが生きて帰れるように」
グレン兄ちゃんの目が輝いた。
「いいアイデアだ。だが、いいのか?治癒魔法の付与はリィナにしかできないから、大変だぞ…」
「大丈夫!ありったけの『魔法糸』を持ってきて!片っ端から付与してくから、魔導織り機でどんどん作ろう!」
私たちは急ピッチで作業を進めた。攻撃ではなく、守るための技術として。
***
出発する直前、皆が慌ただしく動き回る中、私は将軍を探して彼の下に駆け寄った。
「将軍!」
振り返った将軍に、完成したばかりのハンカチを差し出した。
「これ、治癒魔法を付与したハンカチです。軽傷の治癒と止血効果があります。同じものを医療班の荷物に積んでもらってます。どうか無事に帰ってきてください。兵士の皆さんも…」
私が一気にそう告げると、将軍は一瞬驚いたような顔をした後、深々と頭を下げた。
「...ありがとうございます、マーヴェル嬢。これで部下たちを少しでも多く生きて帰らせることができる」
「私、やっと分かりました」
私は将軍を見つめた。
「技術は人を傷つけるためのものじゃない。でも、傷ついた人を癒すことはできる。要は『使い方』次第なんですね。利用する人のことを考え、より多くの人に役立つように考える、それが大切なんだってことに遅ればせながら気づけました」
将軍が微笑んだ。それは、初めて見る優しい表情だった。
「その通りです。本当に『人を幸せにする技術』を望むなら、最初から可能性を捨て、視野を狭めてはいけません」
「ありがとうございました。将軍。必ず無事に帰ってきて、また私にいろいろ教えてください」
「喜んで。では、行って参ります」
***
その夜、ラウレンツの私室で二人だけになった。
「私、やっと分かりました」
私は正直に気持ちを打ち明けた。
「王族としての責任って、ただ理想を語ることじゃないんですね。今日、将軍に『人を幸せにする技術』を望むなら、視野を狭めてはいけない』って言われました」
「そうだね。俺たちは、少し頑なになり過ぎていたのかもしれないね」
ラウレンツが頷いた。
「俺たち王族は、時に難しい選択を迫られる。でも、立場が違えば、見える正義も違う。もっと相手の話に耳を傾ける必要があったのかもしれませんね。俺も、今回は勉強になりました」
「私、自分に何ができるのか、私たちの技術をどう使えばいいのか、もっとよく考えてみます」
私は決意を込めて言った。
「傷つけるためじゃない、守るための方法を見つけたいんです」
***
同じ頃、ドラクスバーグ王国の王宮では、最終決定が下されようとしていた。
「予想通り、引き渡しを拒否してきたな」
ヴィクトール・ドラクスバーグ3世が玉座から立ち上がった。
「はい。では、予定通り軍事行動に移りますか?」
レジナルド・クリムゾン侯爵が確認した。
「ちょうど良い」
エドガー・ドラクロス公爵が満足そうに頷いた。
「これで国境を越える大義名分ができました。国際社会も我々を非難できますまい」
王の口元に、冷酷な笑みが浮かんだ。
「明日の夜明けと共に、『救出作戦』を開始する。目標は王都制圧と"魔法糸の少女"の確保だ」
「承知いたしました」
「我が国の栄光のために」
軍議室に響く声の向こうで、戦争の足音が確実に近づいてきていた。
夜明けまで、もう数時間しかない。
平和な時間は、まもなく終わりを告げようとしていた。




