第二十二話 予兆
久しぶりに王立魔法学院の寮に戻った私は、静寂の中でほっと息をついていた。
商会や王宮での慌ただしい日々から離れ、新学期も始まり、私は4年生として学生らしい時間を過ごせるはずだった。けれど、その平穏は見かけだけのものだと、すぐに気づくことになる。
「リィナ、聞いた?フィールド教授の授業、急に休講になったんだって」
エレナが心配そうに言った。
「魔法理論の試験をやるって言ってたのに、体調不良じゃ仕方ないか」
「そうね...」
「それに、実習棟の一部が立入禁止になってるの知ってる?」
「立入禁止?」
「魔導装置が突然暴走したらしくて。しかも原因不明で、まだ調査中なんだって」
エレナの話を聞きながら、私の胸に不安がよぎった。
久しぶりの教室は、空席も目立っていて、そのほとんどが保守系貴族の子弟たち。
エレナ曰くここ最近欠席が続いているとのことだった。
偶然?それとも……
***
「リィナ、周囲の警戒を強めた方がいい」
ルークが真剣な表情で私に近づいてくる。騎士科と魔導士科に分かれているため、最近は授業で一緒になることも減っていたのだが、久しぶりに顔を合わせた彼は、只ならぬ緊張感を漂わせ周囲を警戒した様子だった。
「どうしたの、ルーク?」
「最近、騎士科に新しく入ってきた実技補助の教師に違和感があるんだ。軍部の推薦と聞いたが...」
ルークが声を潜めた。
「中には素性がはっきりしない者もいる。それに、剣の稽古を見ていると、明らかに実戦慣れした動きをする者がいるんだ」
「実戦慣れ?」
「普通の軍人とは違う。傭兵か、それとも...もっと危険な何かか…少なくとも、騎士という雰囲気ではないんだ」
ルークの言葉に、私の背筋が寒くなった。
「ラウレンツ様から、さりげなくリィナを警護するよう命じられた。休み時間はできるだけ僕のそばを離れないで。教室を移動する時も、僕が迎えに行くまで待っていて」
***
翌日、商会を訪れると、グレン兄ちゃんが深刻な顔で待っていた。
「リィナ、ちょっと来てくれ」
工房の奥にある試作室で、ライル兄も険しい表情をしていた。
「昨夜、不審な魔力反応があった」
グレン兄ちゃんが魔力媒体の保管棚を指差した。
「ロックが外されていた形跡がある。それに、監視用魔道具の記録を確認したら、数分間だけ映像が途切れている」
「侵入者?」
「可能性は高い。だが、何も盗まれてはいない。情報を見に来ただけかもしれない」
ライル兄が補足した。
「それよりも」
グレン兄ちゃんが別の装置を示した。
「実験していた情報付与の糸に、外部からの干渉があった。遠隔で何かの魔道具から照射されていた形跡がある」
「遠隔で?」
「つまり、何者かが俺たちの技術を探っていたということだ」
私は愕然とした。商会の技術が、外部から監視されている。
「これって...」
「ああ。俺たち、狙われているみたいだな…」
「そんな!?みんなは大丈夫なの?警備は…」
「落ち着いて、リィナ。私たちは大丈夫よ。この建物には警備の人もいるし、騎士団の巡回もある。私たちはこの上に住んでるし、なるべく外出しないようにもしてる。十分気をつけてるわ。だから、あなたは自分の安全を第一に考えて」
「ミナ姉ちゃん…危険を感じたら、必ず緊急通信の魔道具で知らせてね。それと、買い物とか、もしどうしても外出しなくちゃいけないときは、必ず誰かと一緒に行ってね」
「大丈夫だ、リィナ。ミナのことは俺が守る。魔道具もあるしな。それより、お前はミナの言う通り安全を考えて大人しくしてろよ」
「…わかった」
***
夕方、王の執務室。
私は学院での違和感や商会の侵入者について報告をした。
「そうか。それだけ其方の周辺で不穏な動きが頻発しているとなると、少なくとも学院は暫く休んだ方がいいかもしれんな。商会の方は警備を強化し、護衛も付けるか...」
「そうですね。そのようにされるのが宜しいかと。隣国の国境地帯で、不自然な軍の集結も確認されていますので、警戒を強めなければなりません」
宰相が地図を広げた。
「軍旗を掲げず、装備も不揃いな集団ですが、明らかに訓練された動きをしていると報告が上がっています。偽装侵攻部隊の可能性が高いのではないでしょうか」
「やはり、隣国が動き出したと見るべきでしょうね」
ラウレンツが険しい表情で言った。
「リィナの魔力、あるいは技術を狙っていると思われます」
宰相が頷いた。
「今のところ、宣戦布告はないのだし、その線が妥当か。軍部は何と言っている?」
陛下が宰相に目線で発言を促す。
「監視を強化すると。辺境に一部隊を派遣し、周辺領主と連携し、水面下で軍備を整えると報告がありました」
「父上、国内の保守派と連携している可能性もあります。内と外からの挟み撃ちを警戒すべきでしょう」
アレクサンダーの指摘に、ラウレンツが憤った様子で割って入る。
「保守派の狙いは何なのでしょう?他国の軍を引き入れてまで何を求めているというのか」
「現在、我が国では魔道具による技術革新が続いています。保守派としては、その勢力に今の地位を脅かされると考えているのではないでしょうか」
「馬鹿な。国の発展や民の暮らしに目を背け、そんなくだらない理由のために戦争を起こすというのか!?」
「落ち着け、ラウレンツ。まだ、そうと決まったわけではない」
「しかし、父上!」
私は震える手を握りしめた。
「私のせいで、戦争になってしまうのでしょうか」
「違う」
ラウレンツが即座に否定する。
「君の技術は人々を幸せにするためのものだ。それを欲に目が眩んで悪用しようとする者たちが間違っているんだ」
「その通りだ。リィナ、其方が初めて王宮に上がった時、儂が言ったことを覚えているか?『そなたのその力は国の宝だ』。今や其方の技術も、な」
王が穏やかな声で続けた。
「宝の輝きは人を魅了する。目が眩むものがいるのも仕方あるまい。だが、それは宝のせいではない。目が眩むからといって宝を害していいわけでもない。そうであろう?」
「はい」
「そうですよ、リィナ。不安になるのも無理はないが、自分にできることを粛々とやっていくしかないんだ。それでも不安なら、できることを増やしなさい。あなたは既に一流の付与魔導士で、商会の会頭でもあるから、今のままでも十分働きすぎな気はするけどね」
王太子がおおらかな笑顔で私の肩をポンと叩いた。
***
会談が終わり、退席をすると、「少し二人で話そう」とラウレンツが私室に誘ってくれた。
みんなはああ言ってくれたけれど、心の中はまだモヤモヤでいっぱいだったことを見透かされたのかもしれない。
「怖くないとは言えません」
私は正直に気持ちを打ち明けた。
「襲撃の恐怖も、監視や技術盗難も...何より、私のせいで誰かが傷ついたり、まして戦争が起きるだなんて、信じられないし、信じたくありません」
「そうだな」
「でも、私はもう逃げません。王様は、この技術を『宝』だと言ってくれました。この技術を喜んでくれる人もいます。何よりも、この技術は私だけのものじゃない、みんなで考えて作り出したものなんです。何の苦労もしてこなかった人に奪われたくない。守りたいんです!」
気が付けば、膝の上で固く握った手の上に、ポタポタと涙がこぼれ落ちていた。
「リィナ...」
ラウレンツが私の手を取り、手のひらに爪が食い込んで傷つかないよう、そっと指を開いてくれる。
「そうだね。君たちの技術は関わってきたすべての人の大切な宝物だ。かけてきた年月も、その想いもすべて、簡単に奪っていいものではない。俺は王族として、人として、そして君の生涯の伴侶として、君の想いも、君の技術も、そして君自身も守りたいと思っている」
彼の温かい想いに包まれて、私の心に勇気が湧いてきた。
「ありがとうございます。私も、一緒に戦います。技術も、みんなも、そしてラウレンツ様も守り抜きます!」
「では、俺たちは共に戦う仲間だ」
「はい!」
「仲間同士なら、もう少し親しく呼び合ってもいいんじゃないか?」
「...え?」突然の申し出に、一瞬頭が真っ白になった。
「『ラウレ』って呼んでくれないか?」
「ラウレ...様?」
「ああ、そう呼んでものは、母上を亡くして以来だな...」
彼の声に込められた寂しさに、私の胸がキュウと締め付けられた。
「...ラウレ様」
今度は、もっと優しく呼んでみた。
6歳も年上のはずの彼が、なんだか幼く見えた。
ぎゅっと抱きしめてあげたいと思った。恥ずかしくてできなかったけど。
***
王都郊外の森。
闇に紛れて黒衣の男たちが密かに集まっていた。
「計画は予定通りか?」
低い声が響く。
「問題ありません。標的は"マーヴェルの娘"。確保が第一、殺害は最終手段です」
「よい。"魔法糸"の力、我々の主に献上せねばならん」
男の一人が赤い魔石を取り出した。
「王国の技術など、我が国の前では取るに足らん」
赤い魔石が、闇の中でゆっくりと輝きを強めていく。
その光は、まるで血のように不吉な色をしていた。
「間もなく、全てが我らの手に落ちる」
森に響く不気味な笑い声が、夜風に乗って消えていった。




