第二十一話 王家の結束
ラウレンツ視点のお話です。
「覚えておくがいい。国の役に立たぬ力なら、ただの脅威にしかならぬ。排除されても文句は言えん」
ガードナー将軍の捨て台詞が応接室に響いた後、俺の心には久しく封印していた記憶が蘇っていた。
リィナに向けられた、あの傲慢で威圧的な視線。理不尽な要求を突きつけ、拒否されれば脅迫に転じる。
まるで、あの時と同じだった。
***
あれは俺が七歳の時。母上が重篤な病に倒れた時のことだ。
「隣国の名医なら、王妃陛下をお救いできるかもしれません」
宮廷医師がそう進言した時、俺は父上が必ず母上を救ってくれると信じていた。王は絶対的な存在で、民のために何でもできるのだと思っていた。
だが現実は違った。
「隣国の魔法医師を王宮に入れれば、我が国の防衛体制が漏洩する」
「王族の病気を諸外国に知られるのは国防上反対です」
軍部の反対は激しかった。外交閥も同調した。
「外国依存は外交上の弱みになります」
「我が国の医療技術向上のためにも、ここは国内の医師に任せるべきです」
父上と兄上は懸命に説得を続けたが、政治的圧力は重く、治療開始は二週間も遅れた。
その間に、母上の容態は急激に悪化していった。
「アレクサンダー、ラウレンツ...強い王族になって。民のために...戦える王家に...」
母上の最期の言葉が、今でも俺の胸に刻まれている。
「私の弱さが...政治的配慮が妻を殺した」
父上が慟哭する姿を、俺は一生忘れない。
「二度と圧力に屈しない。民のための善政を必ず」
兄上のその誓いに、俺も応えた。
「私もお手伝いします。必要なら政略結婚だって何だってします。味方を増やしましょう、兄上」
あの時俺は決めたんだ。強い王族になること。弱者を守ること。そして、政治的利害よりも民の幸福を優先することを。
だからこそ、今日のガードナー将軍の言動は許せなかった。リィナの純粋な想いを踏みにじり、脅迫まがいの手段で従わせようとする。まるで母上の命を奪ったあの時と同じやり方だった。
***
「ラウレンツ様」
リィナが心配そうに俺を見上げていた。
「すまない。考え事をしていた」
「いえ...でも、ラウレンツ様、大丈夫ですか?すごく怖い顔をされていて」
俺は苦笑した。リィナはいつも他人を気遣う。こんな状況で、恐らくあまり眠れていないのだろう。目の下にうっすらと隈が見える。それにも関わらず、俺の心配までしてくれるなんて。
「大丈夫だ。ただ、昔のことを思い出していただけだ」
「昔のこと?」
「...母上のことだ」
リィナの瞳が驚きで見開かれた。俺が自分の家族について話すことは滅多にないからな。
「母上は俺が七歳の時に亡くなった。病気だったんだが...軍部と外交閥の政治的判断で、適切な治療を受けるのが遅れたんだ」
「そんな...」
「先日の将軍を見て、あの時のことを思い出した。政治的利害を優先し、本当に大切なものを犠牲にする。そんな連中に、君を渡すわけにはいかない」
リィナが俺の手を握ってくれた。小さくて温かい手だった。
「ラウレンツ様...」
「心配いらない。父上も兄上も、必ず君を守る。王家として、絶対に軍部の圧力には屈しない」
そんな会話を交わしながら歩いていると、あっという間に王の執務室に到着した。
扉を開けると、既に父上、兄上とイザベラ義姉上、そしてグレイモア宰相が席についていた。その片隅には緊張した面持ちのグレンの姿もあった。
「ラウレンツ、リィナ、お前たちも座りなさい」
父上が目線で二人がけのソファを示す。
「先日の件について、詳しく報告してくれ」
俺はガードナー将軍の要求と、その後の脅迫めいた言葉について詳細に報告した。
「...というわけです。すでに『ディヴァ・シルク商会』の方には追徴課税や軍用品の製造命令も届いています」
「やはりな」
兄上が深いため息をついた。
「以前から見張らせている保守派貴族との連携の動きもある。早急な対策が必要だな」
「しかし」
グレイモア宰相が資料を広げた。
「軍部の思惑とは逆に、『魔法糸』の平和利用を支持する高位貴族も少なくありません。特に、イザベラ様のご実家であるローズマリー公爵家をはじめ、『魔法糸』の優れた機能を正しく評価している方々です」
イザベラ義姉上が頷いた。
「父も母も、リィナ様の技術には大変興味を示しております。もちろん、民生利用としてです」
「グレン」
宰相がグレンに目で合図を送る。
「技術的な観点から、軍事転用の可能性について説明してくれ」
グレンが緊張しながらも、しっかりとした口調で答えた。
「はい。リィナシルクは確かに魔力との親和性が高く、様々な付与魔法を受けやすい特性があります。しかし、根本的な問題があります」
「というと?」
「火と水に弱いのです。戦場での実用性は極めて低い。むしろ生活魔法の付与に向いている素材です」
グレンが一呼吸置いて続けた。
「それに、リィナ以外の魔法士による付与では、持続時間に課題があります。高度な魔法であればあるほど、持続時間は落ちるのです。だからといってリィナが全ての付与を行うことは現実的ではありません。それゆえ、実用性は低いと自分は見ています」
「なるほど」
宰相が興味深そうに頷いた。
「つまり、軍部は技術の実態を正しく把握していないということですね」
「そういうことです。彼らが求めているのは、実用性ではなく『強力な魔法兵器』という幻想に近いものかと」
父上が深く考え込んだ。
「外交カードとしての利用についてはどうだ?」
「それについては」
宰相が慎重に言葉を選んだ。
「将来的な可能性は否定いたしません。しかし、現時点では時期尚早と考えます。何より、リィナ殿の身の危険を高めるだけです」
「その通りだ」
兄上が力強く言った。
「母上の件を繰り返してはならない。政治的判断で、大切な人を危険にさらすことは絶対に避けるべきだ」
父上の表情が一瞬、痛みを帯びた。あの時の記憶は、父上にとっても癒えることのない傷なのだ。
「分かった。では、対応方針を決めよう」
父上が立ち上がった。
「第一に、リィナの安全確保を最優先とする。第二に、軍部の圧力には一切屈しない。第三に、平和利用を支持する貴族たちとの連携を強化する」
「異議ありません」
兄上とイザベラ義姉上が同時に答えた。
「グレイモア、具体的な手順を検討してくれ」
「承知いたしました」
宰相が深々と頭を下げた。
「リィナ殿、グレン殿。ご心配をおかけして申し訳ありません。今出されている追徴課税と製造命令についても早急に撤回できるよう手続きを進めます」
リィナが肩を震わせ、深々と皆に向かって頭を下げた。
「ありがとうございます...」
グレンも立ち上がって、同様に頭を下げる。
そんな二人を宥めながら、俺は胸の奥で誓った。
母上を守れなかったあの悔しさを、もう二度と誰かが味わうことがないように。
リィナの純粋な想い、彼女の技術が人々にもたらす幸福。それを守ることこそが、強い王族としての俺の使命だ。
軍部が何を企もうと、俺たちが必ずリィナを守り抜く。彼女の心ごと。
それが、母上との約束を果たすことでもあるのだから。




