第二十話 軍部の要求
王太子殿下の結婚式から1年。魔法学院の第3学年が終了し、わたしは王宮に戻っていた。
「マーヴェル嬢、あなたの開発した『魔法糸』を、軍事利用したい」
ラウレンツと共に面会申請を受けて訪れた応接室で、目の前に座る大柄な人物から飛び出した予想外の申し出に、私の背筋にピキリと冷たいものが走った。
胸に勲章をたくさんつけた軍服の男性――ヴィクトル・ガードナー将軍が、値踏みするような目で私を見つめる。
「あなたがあの『魔法糸』の開発者ですか。随分とお若い」名乗りと共に吐き出された言葉は、お世辞にも好意的とは言えない響きがこもっていた。
「リィナ・マーヴェルです。お会いできて光栄です」
それでも、強張る表情筋を叱咤して、できる限りにこやかにお辞儀をした。
「早速本題に入ろう」
将軍の威圧的な声が響く。続いたのは、先ほどの申し出だった。
「この非常時に時間を無駄にしている余裕はない。隣国は既に軍備を増強しているという情報もある。我々に残された時間は多くはないのだ」
将軍の拳が机を叩いた。茶器がガチャリと音を立てる。
「あなたの膨大な魔力と、その特殊な糸を組み合わせれば、一夜にして敵の城を蜘蛛の巣のごとく取り囲むことも可能なのだろう?それを拒否するというのか?」
私は背筋が寒くなった。
「申し訳ございませんが、リィナシルクにそのようなことはできません。『魔法糸』は生活を豊かにする魔道具のようなものなんです」
「生活を豊かに、だと?」
将軍が嘲笑した。
「甘いことを言っている場合ではないぞ。想像してみろ。魔法糸で作られた軍旗の下、無敵の魔導軍団が敵を蹴散らす姿を」
将軍の目が異様に輝いた。
「そのの技術があれば、近隣諸国を併合するのも夢ではない」
私は思わず立ち上がった。
「ですから、私たちの『糸』にそのような機能はありません。これは、人を幸せにするためのものです!戦争で人を傷つけるために使うものではありません!」
「この小娘が!」
将軍の顔が真っ赤になった。
「国家の命運がかかっているのに、理想論など聞いておれん!力あるものが国のためにその力を使う、当たり前のことが何故わからん!」
「ガードナー将軍」
ラウレンツが静かに割って入った。
「リィナはまだ十三歳。未成年です。もう少し穏やかにお話しいただけませんか」
「殿下こそ、この娘を甘やかしすぎではないか。国家の利益より個人の好き嫌いを優先するなど、王族として失格だ」
その瞬間、ラウレンツの表情が変わった。普段の穏やかさは微塵もなく、王族としての威厳が全身から発せられていた。
「失格かどうかは、あなたが決めることではありません。それに、彼女の技術は既に十分国家に貢献している。『ディヴァ・シルク商会』は国営企業として、国内経済の活性化に大きく寄与しているではありませんか」
将軍は悔しそうな顔をしたが、ラウレンツの迫力に押されて立ち上がった。
「覚えておくがいい。国の役に立たぬ力なら、ただの脅威にしかならぬ。排除されても文句は言えん」
そう言い残して、将軍は去っていった。
***
「すまない、リィナ。嫌な思いをさせて」
将軍が去った後、ラウレンツが深く頭を下げた。
「いえ、ラウレンツ様が守ってくださったから...でも、本当に何かしてくるのでしょうか」
「残念ながら、その可能性は高い。軍部だけではない。外交閥の貴族たちも、『魔法糸』を外交カードとして利用したがっている」
「外交カード?」
「君の技術を他国との駆け引きに使いたいそうだ。外交上優位に立てれば、国益は増す。同時に、その過程で得られる彼らの利益も…ね」
私は愕然とした。人々の暮らしを良くしたいと思って開発した技術が、戦争や政治の道具として利用されようとしている。
「『ディヴァ・シルク商会』にも圧力をかけてくるだろう。警戒が必要だ」
「そんな...グレン兄ちゃんたちにまで...」
「大丈夫だ。俺が必ず守る。君の『人を幸せにしたい』という想いこそが、この技術の真髄なのだから」
そう言って、宥めるように私の手を優しく握ってくれたけど、私の不安はどんどん膨れ上がる一方だった。
***
翌日、エレナとルークが王宮に遊びに来てくれたので、相談してみた。
わたしの胸はずっとモヤモヤでいっぱいで、誰かに話を聞いてもらいたかった。
「ひどい話ね。リィナたちの技術は確かにすごいけど、それを戦争に使うなんて間違ってる」
エレナが憤慨していた。
「でも、相手は軍部だぞ。騎士科の先生たちも、最近軍部の圧力が強くなってるって話してた。リィナ、大丈夫なのか?」
ルークが心配そうに言った。
「わからない」
正直に答えた。でも、胸の奥で何かがざわついていた。
本当に私は正しいのだろうか?脳裏に浮かぶのは、兵士たちの顔。もし戦争が始まって、私の技術があれば救えた命があったとしたら?でも同時に、私の糸が人の命を奪う想像もしてしまう。どちらも、大切な人の命だ。そこに優劣はないはずなのに…。
「私の信念は変わらない。私は魔法を、人を幸せにするために使いたい。人の命を奪うために使うつもりは絶対にない」
「リィナ...」
二人が心配そうに私を見つめた。
「でも、迷ってもいるの。王家の人間になるなら、国の利益を優先するべきだってことは理解してる。でも、だからといって他国を侵略するのはやっぱり違うとも思う。私は間違ってるのかな?」
「難しい問題だな」
ルークが真剣な顔で言った。
「何が正しいのかは、その時の状況によって変わる。でも僕は騎士として、正しいと思うことをしたい」
「私も。リィナが正しいって思う道を進む方がいいと思う」
エレナも頷いた。
「だって、後悔したくないじゃない?」
屈託なく笑うエレナの笑顔が眩しかった。
「そうね。誰かの言いなりになるんじゃなく、ちゃんと自分で正しい道を選ばなくっちゃね」
友人たちの言葉に、胸につかえていたモヤモヤがちょっとだけ晴れた気がした。
***
あれから数週間が過ぎた。ラウレンツたちがいろいろな手を講じてくれていたが、徐々に様々な圧力がかかってきた。
『ディヴァ・シルク商会』には徴税官の調査が入り、些細な書類の不備を指摘されて過剰な追徴課税を要求された。軍部からは「国防協力義務」なる名目で、軍用品の製造を強要する文書が届いた。
「みんな、ごめんなさい」
商会の事務所で、私は頭を下げた。
「私のせいで、みんなに迷惑をかけて...」
「何言ってるんだ、リィナ。俺たちは仲間だろ?」
ライル兄が苦笑いした。でも、その顔には疲れの色が濃い。
「俺たちは故郷で色んな困難を乗り越えてきた」
グレン兄ちゃんが力強く続けた。
「上手くいかない時だってある。でも、俺たちの技術は確かに人の役に立ってる。それは間違いない」
「そうよ。胸を張りましょう」ミナねえちゃんも微笑んで同意する。
でも、どこかその表情は強張っている気がした。
「それにしても、リィナシルクは火にも水にも弱い。どうしたって武器には向かない。それを、彼らは分かっていない」
グレン兄ちゃんが珍しく憤っていた。
「なあ、リィナ、一度殿下に面会できるよう頼んでくれないか?追徴課税は支払えば済むが、軍用品の製造はこのまま無視し続けるにも限界がある」
「そうだね。なるべく早いタイミングで時間をもらえるよう、頼んでみるね」
軍の動向、国の意向、王家の責務...何を優先するのが正しいことなのかわからないまま、たくさんのプレッシャーに押しつぶされそうだった。
一人じゃない、みんながいる。それは分かっている。
でも、その大切な人たちが自分のせいで大変な目に遭っている。
そのことがものすごく辛かった。




