第十八話 商人ライルの提案
王宮の会議室では朝からライル兄の声が響いていた。
「国家機密だって?」
商人見習いとして王都で修行を積んだ彼は、以前より大人びて見えるが、今は明らかに動揺している。
無理もない。王宮に呼び出されて、いきなり誓約書にサインしろと言われたのだから。
「本日お話しする内容それほど重大なものなのです。口外しないと誓約書を書いていただかなければ話ができません」ラウレンツが視線を向けると、隣からハンス様がスッと誓約書をライル兄に差し出した。
「落ち着いて、ライル兄。悪い話じゃないから」
「わかったよ。ここにサインすればいいですか?」ハンス様に確認をとってサラサラとサインをするライル兄は、こうした書類に慣れているように見えた。
「これで、話ができるな。じゃあ、まずはこちらを見てほしい」
私とグレン兄ちゃんが、試作品の軽量化ドレスと空調礼服を持ち出した。
「これは...触っても?」
ライル兄が興味深そうに布地に触れる。
「軽量化を付与したドレスと、冷却機能を付与した礼服です」
「すごいな。これ、本当に軽い」「こっちはなんか冷んやりして涼しい気がするな」
「何だこれ!?面白い!俺に扱わせてください!」
ライル兄の目が商人のそれに変わった。
「どれくらいの価格設定を想定していますか?」
「在庫はどのくらいあるのでしょう?…いや、このレベルの式服ならオーダーメイドか?ならば生産体制はどのようになっているのですか?」
慌ただしく視線を動かしつつ、その手は忙しく品物をチェックしている。恐らく頭の中では様々なことを計算しているに違いない。
「それはまだ検討中なのですが...」
その勢いに圧倒されつつも、ラウレンツが答えかけた時、ライル兄が手を上げた。
「ちょっと待ってください。貴族を対象にまずは広げるということなら、軽量化ドレスや礼服はサンプルとしておいて、素材の販売に特化した方がいいと思います」
「素材の販売?」
「高位貴族は基本的にオーダー品しか身につけないからです。既製品を着るのは恥だと考える人も多い」
なるほど、さすがライル兄。商人の視点は鋭い。
「それなら布の状態で販売するの?」
「いや、できれば糸の方がいい。貴族は色や織り方にもこだわるからな」
「そういえば、糸に直接付与する方法はまだ試していなかったな」
グレン兄ちゃんが思案顔になる。
「糸に機能を持たせるなら、出荷の段階で『軽量糸』とか『冷感糸』とか付加価値をつけて売り出せばいいね」
私が提案すると、ライル兄が頷いた。
「そうだな、その方が管理も販売もしやすいだろう」
「そうだ!ひょっとして、『軽量糸』と『冷感糸』を両方使って布を織ったら、両方の機能を持たせられるんじゃない!?」
「なるほど!頭いいな、リィナ!」
「一つよろしいでしょうか?」
村で意見を出し合う時のように、思いつくまま会話を進める私たちに、ラウレンツがストップをかけた。
「最初に申し上げた通り、この『魔法布』...いえ、この話の流れでは『魔法糸』の方が相応しいかもしれませんね。これは、国家プロジェクトとなる可能性があります。それを踏まえてまずは課題を整理したいのです」
「国家プロジェクト?」
ライル兄が身を乗り出す。
「なるほど、確かに莫大な利益が見込める反面、反発や妨害も多そうだからな。国家プロジェクトにしてもらった方がいろいろ融通が効いていいかもしれんな」
「え?俺の商会の専売商品になるんじゃないのかよ」
ライル兄が少し残念そうに言う。
「商会自体はリィナをトップに据え、実質的な運営をあなた方が行うというスタイルが一番うまくいく気がします」
「え?私ですか?」
私は驚いて声を上げた。
「ええ、リィナは私の婚約者。つまり準王族ですから、ちょうどいいでしょう」
「それならラウレンツ様の方が適任では?」
「私は王族ですから私的経済活動が許されておりませんので」
「そういうことなら、リィナが適任じゃないか?言い出しっぺだし」
ライル兄がにやりと笑う。
「ええ〜」
「そうだな、リィナが代表で俺たちがサポート。対外的な運営はライル兄って形がしっくりくるな」
グレン兄ちゃんも同意する。
「そんな〜」
私は困ってしまった。商会の代表なんて、そんな大それたこと...
「魔法付与要員の雇用に関してはこちらで手配します」
ラウレンツが実務的な話を進める。
「あとは会計担当者と技術開発責任者、流通担当など必要な人員の確保、商会の場所、それと当面の運転資金が必要ですね」
「警備についてもお願いしたい」
グレン兄ちゃんが真剣な表情で言う。
「恐らく、嫌がらせや産業スパイなんかの危険が考えられる」
「もちろんです。国家プロジェクトですからね。そのあたりも当然配慮します」
ラウレンツが力強く答える。
「他に、必要な手配や課題など、思いつくものがありましたら後日でもいいので教えてください」
「「「わかりました」」」
三人で声を揃えて答えた。
「ところで、その商会には住める部屋はあるのか?」
グレン兄ちゃんがライル兄に聞く。
「ん?俺の心配をしてくれてるのか?俺なら今世話になってる商会の部屋にギリギリまで住み込ませてもらえると思うから当面は大丈夫だぞ」
「いや、俺も拠点をこっちに移そうかと思って」
「グレン兄ちゃん、王都に来てくれるの!?」
私は飛び上がりそうになった。
「ああ、魔道具式製糸機の稼働が軌道に乗れば、村での仕事はひと段落する。カイト兄もいるしな、メンテナンスもなんとかなるだろう」
「それより、新しい商会の技術開発担当として、こっちに来た方が俺にできることがありそうだ」
「嬉しい!心強いよ!!」
「そうだな、グレンが来てくれるなら技術面の不安はなくなるな」
ライル兄もほっとしたような顔つきで微笑む。まあ、いきなり国家プロジェクトを運営しろって言われたら不安になるよね。うん。わかる。
「それで、これは本人の了承を得てからの話になるんだけど...」
グレン兄ちゃんが言いかけて止まる。
「なに?」
「会計担当者として、ミナはどうかな?」
「ミナ姉ちゃん?」
「ああ、今やマーヴェルシルク産業の会計関係全般を取り仕切ってる。実力は保証するよ」
「ミナ姉ちゃんなら安心して任せられるけど、そうしたら村の経理関係が困らない?」
「メイナがいる。ミナとふたりで帳簿関係を担当してるから任せても大丈夫だろう」
「メイナ?あいつが?いつの間に俺の妹はそんなすごい人材になってたんだ?」
ライル兄が驚く。
「そっか、メイナ姉ちゃんがいるなら安心だね!うん、ミナ姉ちゃんや父さんたちがいいっていうならお願いしてみて!」
「わかった」
グレン兄ちゃんが頷く。
「それでは、各々課題の洗い出しと、ライルは商会の物件探しも頼みます」
ラウレンツ様が最後のまとめに入る。
「リィナとグレンは『魔法糸』の付与実験もお願いしますね。私は諸々の調整と議会対策の準備をしましょう」
「私に連絡がある場合はグレンかリィナに申し出てください」
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会議が終わり、ラウレンツとハンスが退出すると、ライル兄がソファに崩れ落ちた。
「ふあ〜緊張した!」
「ライル兄、すっかり商人らしくなったね」
「おだてても無駄だぞ。いきなり王宮に呼び出しなんて、寿命が十年は縮んだわ!」
「でも、さっきの提案は的確だったよ」
グレン兄ちゃんが評価する。
「ありがとうな。俺だって伊達に五年も王都で商人やってない。それなりの場数も踏んでるしな。それより、リィナが商会の代表か。大変だぞ」
「うう、そうだね。不安でいっぱいだよ。それに...ごめんね。本当はライル兄にお願いしたかったんだけど…」
「いや、全然。俺はマーヴェル村のシルク産業の役に立ちたくて商人を目指しただけで、商会の代表になることが目標だったわけじゃない。俺もリィナは適任だと思うぞ。頑張ろうな」
「心配するな、俺たちがついてるから大丈夫だ」
グレン兄ちゃんも力強く頷く。
「それに、ラウレンツ様もバックアップしてくださるし」
「そうだな。みんなで力を合わせれば、きっとうまくいくさ」
ライル兄も頷く。
「うん。みんなのサポート頼みになっちゃうと思うけど、頑張ってみる」
「グレンはいつこっちに来るつもりだ?それまでに住居付きの物件探しとかないとな」
「そうだな。魔道具式製糸機の導入に半年〜1年は様子をみたいから、早くても来年の秋市場以降だな」
「ミナも来られるとしたら同じくらいか?」
「そうだな、ミナの件は一度村に帰ってみんなと相談してからになるから、また連絡するよ」
「了解。にしても、またみんなで一緒に働けるんだな。楽しみだ」
「うん!私も楽しみ」
「1〜2年後には、王都の貴族たちが俺たちの魔法糸を使った服を着ているかもしれないなんて、ワクワクするよな」
ライル兄が目を輝かせる。
「そうだな。俺たちの糸の第2ステージだ!頑張らないとな」
グレン兄ちゃんも楽しそうだ。
「最初は貴族だけでも、いつかもっとたくさんの人が、魔法糸を使って快適に過ごせるようになったらいいよね」
私も楽しくなってきた。前世の知識と、この世界の魔法を組み合わせれば、まだまだできることがたくさんある。
冷却機能だけじゃない。防水、防炎、自動修復...可能性は無限大だ。
「よし、まずは魔法糸の付与実験と量産体制を確立しよう!」
「おう!」「うん!」
私たちの胸は希望に溢れていた。




