閑話:アリス視点「妹のような人」
魔法学院の寮室で、リィナ様の荷物を整理しながら、私はこの数ヶ月のことを思い出していた。
あの日、父の書斎に呼び出されるまで、まさかこんな日々が待っているとは思いもしなかった。
***
あれは私が成人式を迎えた直後のことだった。
「アリス、父上の書斎に来てくれ」
兄のハンスが、いつになく真剣な表情で私を呼んだ。赤褐色のくせ毛をいつものように乱し、メガネの奥の瞳が緊張している。
書斎では父が待っていたが、話の主導権は兄が握っていた。
「お前も成人になったことだし、行儀見習いも兼ねて王宮で働かないか?」
突然の提案に、私は戸惑った。
「王宮で...ですか?」
「ラウレンツ様が特別な事情のある平民と婚約されることになった。まだ10歳の少女だ」
ハンスお兄さまが説明を続ける。
「良き伴侶となるよう導き、支えてほしい。それがお前の役目だ」
「平民、ですか?」
正直、驚いた。ラウレンツ様ほどの方が、なぜ平民と婚約を?
「特別な事情がある。詳しくは王宮で説明されるだろう」
兄の表情が少し険しくなった。
「ラウレンツ様は我が家にとっても大切な方だ。その少女がどんな娘なのか、さりげなく様子を見ておいてほしい」
(ああ、そういうことか)
ノーブル子爵家は代々王家に仕える家柄。母がラウレンツ様の乳母だったこともあり、兄は幼い頃からラウレンツ様の側近として仕えている。
その兄が、謎の平民出身の婚約者について心配するのは当然だった。
「分かりました。お受けいたします」
こうして、私の王宮勤めが始まった。
リィナ様を初めて目にしたのは、王宮の応接室だった。
謁見後、父親とふたり、最後の別れを惜しんでいる場。私はお二人の邪魔をしないよう、そっと空気になって壁際で控えていた。扉を開けて少女が入ってきた時、最初に目に入ったのは、シルバーブロンドの美しい髪と、若草色の瞳。確かに美しい少女だった。
でも...正直な感想を言えば、「この程度なら、貴族にいくらでもいる」という印象だった。
容姿の美しさだけなら、セシリア・ヴァンダール嬢の方が上かもしれない。血筋の良さから来る気品も、やはり生まれ育ちの違いを感じた。
(なぜ、この子が?)
最初は、どこか見下すような気持ちもあったと思う。
翌日朝、改めてご挨拶した。
「アリスです。今日からお世話させていただきます」
「リィナです。よろしくお願いします」
「私は侍女ですから丁寧な口調はしなくても結構です」
(この子は元平民、貴族の対応というものを徐々にわかってもらわなければ)
そう考えていたら、少しキツイ言い方になってしまった。
「本日より淑女教育が始まります。平民出身の方でも、しっかりとした教育を受けていただければ...」
父親との別れの場面にも立ち会ってしまったこともあり、不安そうな表情を見ていると、何だか放っておけない気持ちになった。
まだ10歳。家族と離れて、知らない場所で一人頑張ろうとしているのね。お兄さまにも言われた通り、私がしっかり導いてあげなくては!
最初の数日間、私はリィナ様の様子をそれとなく観察していた。
朝起きてから夜寝るまで、どんな風に過ごしているのか。どんなことに興味を示すのか。どんな時に不安になるのか。
マリアンヌ夫人の厳しい指導に必死についていこうとする姿。
歩き方の練習で何度も本を落としながらも、決して諦めずに繰り返す根気強さ。
テーブルマナーで戸惑いながらも、「覚えなければ」という意志の強さ。
(思っていたより、しっかりした方ね)
そして何より印象的だったのは、私への接し方だった。
他の貴族なら、侍女に対してもっと高圧的だったり、無関心だったりするものだ。でも、リィナ様は違った。
「アリス、いつもありがとう」
「疲れていない?無理しないでね」
私の体調を気遣ってくれる。王族の婚約者という立場に驕ることもない。
あのお茶会の夜は、特に印象に残っている。
「お土産に王都名物の紅茶クッキーを買ってきたの。一緒にお茶でもしない?」
最初は戸惑った。侍女である私が、お仕えするお嬢様とお茶を?
「でも、身分が...」
「なら、大丈夫ね!だって私、農村の娘よ。お披露目前だから王族の婚約者とは言えないし」
その屈託のない笑顔に、私の心の壁が少し溶けた気がした。
一緒にお茶を飲みながら、故郷の話を聞いた。家族のこと、養蚕のこと、友達のこと。
(この子は、本当に心の綺麗な子なのね)
その時初めて思った。
「妹がいたら、こんな感じかしら」
私には兄しかいない。年の離れた妹がいたら、きっとこんな風に過ごすのだろう。
***
そして今日、魔法学院での初日。
リィナ様に対し、品定めするような視線を向ける令嬢たちを見て、やはり心配になった。
「あら、あの方が先日お披露目された農村のお姫様じゃないかしら?」
「田舎の出身でも、王子様の婚約者になれば特別待遇なのね」
「いったいどんな手を使ったて婚約者に納まったのかしらね」
セシリア・ヴァンダール嬢を中心とした令嬢たちの陰口。
そっと様子を見に行った食堂で、心配していた通りの光景を目撃した。
リィナ様は表面上は平気そうにしていたが、私には分かる。
あの時の微かな肩の震え。一瞬だけ下がった眉。
(強がっているけれど、やっぱり傷ついているのね)
必死に背筋を伸ばして前を見続ける小さな背中が労しかった。
夜、一人になってから、兄への報告書を書いた。
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ハンスお兄さま
魔法学院での初日の報告をいたします。
リィナ様は魔導士科を希望され、順調にスタートを切られました。
しかし、懸念すべき点もございます。
ヴァンダール伯爵令嬢を筆頭とするご令嬢たちが、リィナ様の出身を理由に陰口を叩いております。
「所詮、田舎の農家の娘でしょう?」
「農村のお姫様」
などと呼び、明らかに見下した態度を取っております。
王族の婚約者という立場上、表立った嫌がらせは行われておりませんが、今後も注意深く見守る必要があると思われます。
リィナ様は表向き平静を装っておられますが、内心では傷ついておられるご様子です。
もう1点、魔導士科のエレナ・ミラーという商家出身の方と知り合われたようです。こちらの方は好意的なようで、リィナ様も心を許しておられるようしたが、念のため身辺調査をお願いします。
それから、ここ2ヶ月で判明したリィナ様のお人柄について改めて報告いたします。
当初は平民出身ということで多少の不安もございましたが、この数ヶ月の観察により、以下のことが分かりました:
1. 非常に心優しく、思いやりがある
2. 困難に負けない精神的な強さを持つ
3. 学習意欲が高く、向上心がある
4. 立場に驕らず、常に謙虚である
5. 家族や故郷への愛情が深い
正直に申し上げると、最初は「なぜこの子が?」という疑問もございました。
しかし今では、ラウレンツ様にとって良きパートナーとなられるであろうと確信しております。
むしろ、リィナ様をお支えできることを光栄に思っております。
学院での生活について、また何か動きがありましたらご報告申し上げます。
アリス・ノーブル
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報告書を書き終えて、改めてリィナ様のことを考えた。
最初は兄の依頼で、仕方なく引き受けた役目だったけれど、いつの間にかこの方を、本当の妹のように大切に思っている。
「リィナ様のお役に立てて嬉しいです」
この言葉は、お世辞でも建前でもない。心からの想いだ。
明日からも、きっと大変な日々が待っているだろう。
セシリア嬢たちの陰口はまだ続くだろうし、魔法の勉強も大変になるはずだ。
まだ10歳の少女が、一人で背負うには辛すぎる現実。それでもこの方は懸命に前へ進もうとなされるのだろう。
(ラウレンツ様が、この方を選ばれた理由が分かる気がする)
(もっとリィナ様の助けになれたらな)
窓の外をぼんやり眺めながら、私は新しい決意を胸に秘めた。
この方が立派な淑女に、そして将来は素晴らしい王族になれるよう、全力でお支えしよう。
せめて、この部屋にお帰りになった時、ホッと力を抜けるようにお部屋を整えよう。
辛いことがあった時は、お話を聞いて、お気持ちに寄り添っていこう。
それが、きっと私の使命だ。




