第一話 王との謁見
「リィナ・マーヴェルでございます」
「父親のセイラン・マーヴェルでございます」
「「お召しに従い参上しました」」
私は父さんと並んで、深く頭を下げた。足が震えそうになるのを必死にこらえる。目の前に広がる謁見の間は、織物ギルドの会議室とは比べものにならない壮麗さだった。
玉座に座る国王エドワード三世が威厳に満ちた表情で静かに私たちを見た。両脇に控える王太子アレクサンダーと第二王子ラウレンツ、そして宰相エルウィンの視線も、私たちに注がれている。周囲には重臣だろうか?たくさんの貴族が値踏みするような視線を私たちに送っていた。
「面を上げよ」
国王の声が謁見の間に響く。私は恐る恐る顔を上げた。
「二人とも、急に呼び出してすまなかったな。よく来てくれた」
思いの外優しそうな声に、少しだけ肩の力が抜けた。
「お目に書かれて光栄です」
「うむ」王が鷹揚に頷く。
「ほう。噂通り、歳の割に大人びた娘だな。その衣装も見事だ。それが”リィナシルク”か?名前の由来は其方のその美しい髪からかな」
王太子アレクサンダーが感嘆の声を漏らす。
「ありがとうございます。ご指摘のとおり、こちらは”リィナシルク”製の晴れ着です。母と姉が作ってくれました」
「お二人ともご無沙汰しております。先日の訪問時には大変お世話になりました」
そこに、ラウレンツがゆっくりと口を開いた。
隣で父さんの身体がわずかに強張った。
「ラウレンツ様。その節は遠方よりのご来訪、ありがとうございました」
私は改めて深く頭を下げる。
「セイランよ」
国王が父さんに視線を向ける。
「娘を立派に育てたな。その才能と品格、王都でも既に話題となっている」
「も、もったいないお言葉です」
父さんの声が震えている。私も緊張で胸が苦しくなった。
「陛下」
後方の扉が開き、白髭の魔法学院長アルンハイムが入室する。
「測定結果をお持ちいたしました」
「申せ」
「リィナ殿の魔力は、我々の観測史上例を見ない数値を記録しております」
周囲の貴族達がざわめく。
宰相エルウィンが一歩前に出た。
「具体的には?」
「測定不能。やはり我々の装置では計測しきれませんでした」
「故障ではないのか?」
「いえ、何度か試しましたが、いずれも測定不能という結果でした」
先ほどまでのざわめきが嘘のように、謁見の間が静寂に包まれた。
父さんが私の手をそっと握る。その手の震えで、事態の深刻さが伝わってきた。
「そのような魔力を持つ者が、数百年ぶりに現れたということか」
王太子アレクサンダーが考え込むように呟く。
「はい。建国以来初となる規模の魔力量かと思われます」
院長の言葉に、私は改めて自分の置かれた状況を理解した。
「リィナよ」
国王が私に向き直る。
「其方は、もはやただの村娘ではない。その力は国の宝でもあり、同時に其方を危険に晒すものでもある」
「危険...ですか?」
私の問いに、宰相が重い口調で答える。
「他国からの注目は避けられません。国内でも、その力を利用しようとする者が現れるでしょう」
周囲の貴族達の好奇な視線に晒され、膝の震えがいっそう増した。
「娘を...娘をどうするおつもりですか」
父さんが震える声で尋ねる。
「まず、王宮の保護下に置きたい。そして魔法学院で適切な教育を施す」
国王の提案に、私は少し安堵した。
魔法を学べるなら、みんなを守る力になれるかもしれない。
「しかし、それだけでは不十分かもしれません」
ラウレンツが口を開く。
「と申しますと?」
「リィナの立場を、より確固たるものにする必要があります」
王太子アレクサンダーが弟を見つめる。
「何か考えがあるのか?」
「はい」
ラウレンツが私を見つめる。その瞳に真摯な意志が宿っていた。
「私の婚約者として、リィナを迎えようと思います」
「婚約者...?」
私は思わず声を上げてしまった。隣で父さんの顔が青ざめる。
「私はリィナとは既知の間柄。共通の友人もおります。見知った者のいないこの王宮や学院での生活において、彼女の拠り所となれるでしょう」
「ラウレンツ様...?」
私はラウレンツを見つめた。
「リィナ。私は、あなたの技術革新への取り組みと、家族・村への愛情の深さに敬意を抱いています。よき理解者として、あなたの側にあることをお許しいただけませんか?」
ラウレンツの言葉は真摯で、嘘はないように感じられた。
「陛下、お許しください」
父さんが前に出る。
「娘はまだ10歳です。そのような重大なことを...」
「親として、其方の気持ちはよくわかる」
国王が穏やかに答える。
「しかし、10歳で婚約するなど、貴族ならばよくあること。そして、これが娘の安全を守る最善の方法であることは、其方も理解できよう」
「酷なことではあるが、其方たちでは、リィナを守れまい」
王太子アレクサンダーが優しく言う。
「リィナよ。其方はどう考える?其方の意志を聞かせてくれ」
全ての視線が私に集まった。謁見の間の空気が重く感じられる。
私はラウレンツに助けてもらった軍税の事件を思い出した。自分たちの力ではどうにもならない圧力や妨害、それに対抗するためには、より大きな力が必要だ。
魔力に加え、王族の婚約者という立場があれば、もっとできることが増えるかもしれない。
「父さん」
私は父さんを見上げる。
「私、お受けしようと思う」
「リィナ...」
「みんなを守れる力がつけられるなら、私はどこへだって行くよ」
父さんの目に涙が浮かんだ。
「リィナ、…だが、…」
「父さん、そうさせて」
「……わかった。どの道、俺たちではお前を守りきれない。
王家が守ってくださると言うなら、そして、お前がそこまで考えているなら...父さんは応援する」
私は玉座の国王に向き直る。
「陛下、謹んでお受けいたします」
父さんも一緒に頭を下げた。
「娘を、どうぞよろしくお願いいたします」
国王が満足そうに頷く。
「賢明な判断だ」
「ありがとうございます」
ラウレンツが深く一礼する。
「リィナ、必ずお守りします」
「それでは、話がまとまったところで、今後の予定をお話しします」
「魔法学院の入学は2ヶ月後を予定しております」
宰相が具体的な計画を説明する。
「それまでの間、王宮で淑女教育とマナー指導を受けていただきます」
「必要な物品はすべて王宮で準備いたします」
院長が付け加える。
「特別待遇として、最高の環境を整えさせていただきますのでご安心ください」
「家族との連絡は?」
私が心配そうに尋ねる。
「定期的な文通はもちろん、必要に応じて面会も可能だ」
国王が安心させるように答える。
「私のことは、まずは友人として、あるいは兄でもいい。お互いを知ることから始めましょう」
ラウレンツが私に向かって言う。
「ローレンさん...いえ、ラウレンツ様には王都でも村でも助けていただきました。信頼しています。どうぞよろしくお願いします」
私が素直に答えると、彼が微笑んだ。
「セイラン」
国王が父さんに向き直る。
「娘を預かる以上、最大限の配慮を約束しよう」
「ありがとうございます。皆様のご配慮に感謝致します」
父さんが深々と頭を下げた。
***
午後、父さんと二人だけの時間が許された。王宮の一室で、私たちは向かい合って座っていた。
「ひとりで怖くないか?」
父さんが心配そうに尋ねる。
「ちょっと怖いけど...でも、これが正しいことだと思う」
「そうか...」
父さんが深くため息をつく。
「お前がいなくなると、家が静かになるな」
「父さん...」
「何があっても、お前は俺たちの大切な娘だ。困ったら必ず連絡しろ」
「うん」
私は涙をこらえるのに必死だった。
「タクマたちにも報告しなければ」
父さんが立ち上がって私の隣に移動し、やさしく頭を撫でた。
「みんな、きっと驚くだろうな…」
「そうだね。タク兄より先に婚約しちゃったからね」
「そうだな。一番下のリィナが一番最初に家を出ることになるとはな…」
「…父さん」
堪えきれず、涙がポロリとこぼれ落ちた。それでも、これ以上涙が出ないようグッと目を見開いて我慢した。
「コンコン」
ノックの後扉が開き、ラウレンツが入ってきた。
「セイラン殿、お時間ですが...」
「わかりました」
父さんが私を抱きしめる。
「頑張れ、リィナ。お前なら大丈夫だ」
「父さんも、みんなによろしく伝えて」
「ああ」
「手紙も書くね」
「ああ。俺たちも必ず手紙を書く」
「風邪ひかないようにね」
「俺のセリフだ」
「いいか、リィナ、無理するな。ちゃんと周りを頼って、相談しろ」
「うん」
「グレンからもらった髪飾り、持ってるな」
「うん」
「何かあったら、必ずそれで連絡しろ」
「うん、うん」
もう限界だった。涙がどんどん溢れてくる。
父さんの目も涙で滲んでいた。
「セイラン殿、リィナのことは大切にお守りします」
ラウレンツが父さんに深く頭を下げる。
「よろしくお願いします」
涙を拭い、頭を下げると、父さんは扉に向かって歩き始めた。
父さんの背中が遠ざかっていく。私はこれ以上涙をこぼさないよう、必死に唇を噛んだ。
ラウレンツがそっと背後に立ち、私の震える肩を優しく撫でてくれた。
どんどん小さくなっていく父さんの背中を見つめながら、私は心に誓った。
「糸は切れても、また紡げる」
新しい環境で、新しい糸を紡いでいこう。2ヶ月後、立派な淑女になって魔法学院へ向かうために。
そして必ず、みんなを守れる力を身につけよう。離れていてもできることはきっとある。
そう、信じて。




